夢現にドラウスと会話をした翌日、少女はすっかり元気とはいかないまでも回復していた。冷静になると昨日かなり恥ずかしい態度を取っていた気がする。ついでに妙に馴染んでしまったこの豪華なベッドも、いつの間にか着替えている服も、どう見たって少女には馴染みの無い高級品だ。急に居心地が悪くなって、しかしどうする訳にもいかず芋虫に逆戻りしていた。
今日もまた部屋の戸がノックされる。慌てて芋虫から人間に戻りながら、髪を手櫛で整える。傷んだ癖毛がそう整うはずもないがしないよりはマシだろう。
「はい」
少女がなんとも 弱々しい声で返事をすると、昨日とは違い女性が現れた。
「おはよう、かしら?今起きたところ?」
少女よりハッキリした色味の赤い髪を結って、いかにも吸血鬼らしい服装をしている。見たことはあるような、無いような、と少女は内心考えた。
「おはようございます。起きたところです」
「顔色は良さそうね。といっても、私は今日初めて会うのだけれど」
女性はベッド脇の椅子に腰掛ける。
「はじめまして、ゴルゴナよ。あなたがご執心のドラルクの叔母。ドラウスが女の子の扱いは分からないって言うものだから呼び出されたの」
ゴルゴナは茶化すように笑った。その仕草で厳格そうな外見から少し緊張していた少女は気が抜けて、釣られて同じように微笑む。
「でも本当に、落ち着いたようで良かったわ。あなた、かなり危険な状態だったらしいから。どうやってここに来たかは覚えているかしら?」
心配を滲ませるようにしながらゴルゴナが問う。少女はロンドンの夜空を思い出しながら頷いた。どんなに疲れた状態だったとて、なかなか忘れられるものではない。
「御真祖様も悪気はないのだけれど、自分がああだから。こんな小さな人間の子、寒空の下飛んで連れ回すなんてしたら、そりゃ熱も出すわ」
困ったものだとつく溜息がどこか様になっており、きっと彼女も散々振り回されているのだろうと少女は思った。
「私が頼んじゃったので。それに楽しかったです、ほとんど寝てたのが勿体ないくらい」
少女が率直な感想を告げると、ゴルゴナは二、三度瞬きをしたあと破顔した。少女の夕日色の髪をかき混ぜながら、耐えきれないとばかりに声を上げて笑う。
「あはは!あなた、素質あるわ」
笑い過ぎて滲む涙を払う様をみて、少女は不満げな顔をする。小さな子供にするように頭を撫でられているのも納得がいかないところがあった。
「それに、私そんなに小さくないです。今年で16なんですよ」
ゴルゴナが今度は驚きに目を見開く。
「16歳!?私てっきり精々12くらいだと」
そこまで声に出して少女がますます不機嫌な顔をしたので、ゴルゴナは言葉を飲み飲んだ。まぁ、もう全部言ったあとだったのだが。とりあえずと自分で乱した髪を整えながら、申し訳なさそうな顔をする。
「それは、ごめんなさいね」
かき混ぜる前の状態にまで現状復帰して手を離し、改めて少女を見る。やはり16にはどうしたって見えない。十分な食事が得られないからか、それても件の能力がそれだけ負担になっていたのか、おそらく両方だろう。
「……ここにいる間だけでも、いっぱい食べなさいね」
少女も、純粋に心配されているようだとは分かったのでそれ以上不機嫌を続けるほど子供ではなかった。小さい、と明らかに思われているのは不服ではあったが飲み込む。
「そんな、申し訳ないです。ただでさえこんなに良くしてもらってるのに」
「いいのよ気にしなくて。ドラウスも作りがいが出来て喜ぶでしょ。それに食べて元気にならないとドラルクに会わせて貰えないと思うわよ」
「えっ、どうして」
「どうしてって、それは、ねぇ」
ゴルゴナは言葉を濁す。
なぜってそれは、少女を主に看病していたドラウスが許可しないからだ。どうも熱に魘されている間もドラルクに会いたがっていたようなのだが、それがあまりにも必死で会えさえすれば死んだっていいと、そんな様子だったらしい。だから、ドラウスは会わせるのを躊躇している。この少女はドラルクと会い、目的を果たしたとして、その後も生きていてくれるのか、それが怖いらしかった。
もうすっかり絆されていやがるのだ。ゴルゴナが呼ばれたのだって、本当は少女が危険人物でないか見極めるためだ。ドラウスはもう自分が冷静に見極められないほど入れ込んでいる自覚があるらしい。
「あ、そうだわ!ドラルクにすぐ会える方法、あるわよ」
ゴルゴナはとっても良いことを思いついたと明るい声を上げる。
「なんですかそれ!?」
「あなた私の娘になりなさい。それで全部解決するわ」
「えっ」
「健康面も能力の制御も吸血鬼になればひとまず落ち着くし、ドラウスの許可も降りるだろうし、いい事づくめよ」
ゴルゴナは軽い調子で言ってはいるが、真剣だった。少女を取り巻く色々な問題がそれで解決する。御真祖様やドラウスがなぜそうしないのかは知らないが、やはり今の時世をダンピールのまま生きるのは酷だ。この少女はそうでなくても持って生まれた身の丈に合わない能力に振り回されている。
「どうかしら?悪い話じゃないはずよ」
少女は何か答えようとして、しかし、何も言えず開けた口を閉じる。自分が吸血鬼になる、そんなことを考えたことがなかった。もし吸血鬼になれば、私はきっとあの光景を自分で見ることができる。誰かに託すのではなく、自分で、この目で、あの景色を。それはとても魅力的だ。
だというのに、私は遠い未来を生きる自分を想像しようとして、途端に怖くなった。
「……急に決められることじゃないわよね。でも考えてみてくれないかしら」
俯いて顔色を悪くする少女に、ゴルゴナはそう声を掛ける。顔を上げた少女は弱々しく頷いた。その頭を今度は優しく撫でる。嫌がっている様子はないから、吸血鬼そのものに忌避感があるわけではないのだろうと思いながら手を離す。
「お腹空かない?食べられそうなら、ドラウスがスープ用意しているの」
明るい調子でゴルゴナは言う。さっきの話題に関しては今日はもう追求するつもりはないらしい。それに少女は安堵しながら、なにも答えられないことを申し訳なく思った。
「食べたいです」
「じゃあ、持ってくるから少し待っててね」
ゴルゴナが席を立って、ドアを開ける。少女はその背に何か言いたくて、けれどなんと言っていいか分からない。
「あのっ、ありがとうございます」
困ったような顔をして礼を言う少女にゴルゴナは笑って、やはり娘にしたいなと魔が差した。
「さっきはあんな風に言ったけど、私、あなたが娘になってくれたら嬉しいなと思ったのよ。覚えておいて」
閉じた扉をポカンと見つめた少女は、じわじわと頬を赤くして布団に倒れ込む。今も、吸血鬼になることを思うと自分が立っている場所さえ分からなくなるような不安に襲われる。しかし、あの人の娘になれたら、それは、悪くないなと火照る顔を手で覆いながら思った。