トウカイテイオーの担当トレーナーが亡くなった。
普段から明朗快活で気が回り、時たま他のトレーナーと話をするついでに相手の担当ウマ娘にも簡単ながら的確なアドバイスをくれる事から、トウカイテイオー以外の生徒たちからの信頼も厚い──まさに理想のトレーナー像を体現したかのような、逞しい男性だった。
死因は交通事故だったそうだ。
交差点付近で暴走した乗用車が歩道に突っ込み、隣にいたトウカイテイオーを咄嗟に突き飛ばした結果、彼一人だけが犠牲となったらしい。
偶然事故現場付近にいた他のウマ娘が、とにかく凄惨な光景だったと語る
生徒たちには一切共感が出来ないものだ。
たった一人の担当トレーナーと死に別れる経験など今学園にいるウマ娘にはあるはずもなく、誰も暗闇に塞ぎ込む彼女を立ち直らせることは出来なかった。
目と鼻の先で繰り広げられているあの光景は、彼女の再起という無謀にチャレンジした結果、特に失敗した例だろう。
「──うるさいんだよッ!! さっきからピーピー耳元で騒いじゃってさァ!? お願いだから黙っててよ、マックイーン……っ!」
「ほ、放っておけるわけ無いでしょう! あなたがずっとこの調子では、亡くなったトレーナーさんだって──」
彼女と強い絆で結ばれていたメジロの令嬢が友人を慮って何かを言いかけたその瞬間。
テイオーは親友の胸ぐらを掴み、ドンッ! と大きな音を立てて彼女を掃除用具入れのロッカーに叩きつけた。
「黙れよッ!!!」
それを見守る野次ウマたちがヒヤヒヤし出すも、やはり止められるものは誰もいない。
寮の広間で怒り猛るトウカイテイオーの覇気は尋常ではなく、彼女の声で窓ガラスが割れてしまうのではないかと錯覚してしまうほどの迫力がそこにはあった。
正面からそれを受けたメジロマックイーンの心境は如何ほどのものなのか。
「どうしてそんなこと言うの!? なんで皆してトレーナーを過去のモノにしようとするのッ!? あの人はっ、ボクの、ボクのたった一人の──」
最後まで言葉が続くことはなく、トウカイテイオーは涙と共に襲ってきた嗚咽に屈してしまった。
大切な恩師を目の前で失った少女の言葉にならない心の叫びが、聞こえるはずのない周囲のウマ娘たちにも伝播していく。
慄き狼狽したマックイーンに、もう親友を説得する言葉の弾丸は残念ながら残っていない。
「ボクが、担当だったから。……あんなこと言ったから……」
掴んだ手を離し、ゾンビの如くゆらりと離れ寮の出口へ向かっていくテイオー。
門限の時間はもう過ぎているが、彼女にそんな事は関係ない。
「テイオー!」
「……いいよね、マックイーンは。トレーナーが生きてるんだから」
「っ──」
それはまさしく、口にした本人と浴びせられた相手の双方を傷つける事になる鋭利な刃。
詰まったマックイーンと闇に消えていくテイオーの間に口を挟める者など、やはりその場には誰一人として存在しないのであった。
◆
なるほど今回はこんな感じか、と少女たちの衝突の一部始終を思い出しながら、俺は机に広げたノートに情報を書き殴っていた。
テイオーのトレーナーが事故に遭った場所、車が車道に突っ込んだ時間帯、二人が向かおうとしていた場所や関係性の深さなど諸々をまとめていく。
傍目から見てもあの二人の仲が極めて良好だった事実は明らかだ。
テイオーのセリフからして、喧嘩別れというか日常的に発生しがちなくだらない口論になった際に、彼女が口を滑らせて余計なことまで言ってしまったのだろう。
で、発言を顧みて謝ろうと考えていた矢先にトレーナーが逝き、謝罪の機会を未来永劫失ってしまった──と。
確かに深いトラウマを抱える事になっても何ら不思議ではない悲惨な事故だ。全てにおいてタイミングが悪かったと言う他無い。
「……もう少し情報が欲しいな」
一筋縄ではいかないあの少女をどうやれば救えるのか。このまま自分が介入してもいいのか。
まずはそこからだ。
一旦今回の運命がどのような末路を辿るのか見届けてから本格的な対策案を考えていこう。
というわけで事故現場の下見や学園寮からの距離と時間などを図りつつ、トウカイテイオーと直接の関わりは持たないまま三ヵ月が経過して。
現在の彼女はと言うと、まるでトレーナーの喪失を乗り越え立ち直ったかのように明るく振る舞い、出走を決めた本日のレースでもしっかりとゲートインを果たした。
『伸びる! まだ伸びる! トウカイテイオーだ! 後方から驚異のゴボウ抜きッ! トウカイテイオー先頭に迫るゥーッ!』
運命に翻弄された悲劇のヒロインから、絶望的な逆境を穿ち更なる強さを得たヒーローになった
失ったトレーナーに報いるためになんたらとか、死を乗り越えて逞しくなっただとか彼女を支えた仲間の友情がどうたらなど言いたい放題だ。
負け知らずのエリートが恩師を亡くして挫折し、様々な苦難を糧として奇跡的な復活を遂げる──確かによくできたドラマではあった。
断片的な情報しか知らない民衆にとってはこの上なく面白いシチュエーションであり、実際にトウカイテイオーを慮ってそばに居続けた仲間にとっては『ようやく立ち直ってくれた』と安心できる最良の流れだ。
実際、トウカイテイオー本人も事故から時間が経ち周囲の声が聞こえるようになって以降は多少なりとも他人に目を向けるようになった為、拒絶をし続けてもなお支えようとしてくれる友人らに報いたい気持ちは少なからずあったのだろう。
「……あ、君か。久しぶり」
だが、どうやらそういう問題ではなかったようだ。
「えーと……ゴメンね、君が転校してきた時いの一番に併走をお願いしたのはボクなのに、名前忘れちゃったな」
一着をもぎ取り、ウイニングライブを数分後に控えた件の英雄は、廊下で俺を前にした時には既に目の光を失っていた。
「……一緒に走ってた娘たちも、誰だったか。でも、ボクって一着を取れたんだよね? ボクが一番だったんだよね」
虚ろな眼差しのまま揺れ動き、俺の横を素通りしていく。
「トレーナー見てくれてたかな。……よろこんで、くれたかな」
ボク、がんばったよね──そう呟いたトウカイテイオーはそのままライブステージとは正反対の方向へ歩いていき、間もなく行方を晦ました。
その日のライブのセンターはがら空き。
学園や彼女の実家にもその姿は無く、以降トウカイテイオーの姿を見た者は一人として存在しなかった。
痕跡はたった一つ、彼女の部屋に飾ってあったトレーナーとの写真だけが無くなっていた、という事のみであった。
「……思ったよりバッドエンドだったな」
自室へ戻り、椅子にもたれかかってため息を吐いた。
どうやら少なくともあのトレーナーを事故で無くした場合はどの選択肢を取ってもこのルートに収束してしまうと見て間違いない。
そう思えるくらいには家族や周囲の友人たちのサポートは真摯だった。
支え方の問題ではない。
トウカイテイオーには物理的にあのトレーナーの存在が不可欠なのだ。
もう少し精神的に成長した場合は分からないが、現在の常勝無敗ながら中身は成熟しきっていない状態では大切な理解者を失った瞬間全てが崩れ去ってしまいリカバリーが不可能になる。高く飛ぶ鳥にも止まり木は必要という事なのかもしれない。
仮に無理をして復帰すると今回のような結果に終わるので、どうあってもあの少女を一人にしてはいけないようだ。
「一旦戻っか」
呟き、引き出しから薬を取り出した。とある筋から入手した代物で、飲めば全身が痺れて呼吸器官が停止し、新たな酸素を取り込むことが不可能になりそのまま息を引き取ることが出来る。
タイムリープで過去へ飛ぶには二通りのやり方があるのだ。
一つは死に戻り。これは読んで字の如くだが、回数制限が決められている。
もう一つは心渡り。回数制限こそ無いものの、今回の対象であるトウカイテイオーが行方を晦ましてしまった以上今はこの方法は使えない──ので、やはり自死で過去へ戻るしかない。
この薬で死ぬと普通に地獄の苦しみを味わいながら意識が潰えるので気は進まないのだが、手軽で確実に命を絶つにはコイツに頼るしかないのもまた事実だ。
気合いを入れ直して薬をお茶で流し込み、間もなく縄で首を絞められたかのような感覚に陥りながらブツリと意識が途切れていった。
……
…………
「うぇっぷ」
目を覚まして早々に胃の中のモノを全てトイレにぶち撒けたが、いつもの事なのであまり気にしない。死に戻りは肉体と精神の両方に多大な負荷を要求されるやり方である為、これくらいは日常茶飯事なのだ。
「……っ゛ぁ、はぁ。……いま何時だ」
涙と鼻水と胃液程度しか出なくなってようやく落ち着き、腕時計を確認すると血の気が引いた。
現在夕方の十五時半。
日付はトウカイテイオーのトレーナーが事故った日で間違いないが、困ったことにあと十五分後には乗用車があの二人のもとへ突撃をかましてしまう。
この現在俺しか利用者がいない男子寮から事故現場までの所要時間はピッタリ十五分。
すぐさま学園を脱し、アメリカンコミックのヒーローもかくやといった動きで建造物の上を飛び回って現場へ向かい始めたが、間に合うかどうか分からない。距離十五分というタイムはこの優れた身体能力をフルに活かし信号や道行く人々をスルーした上で出た最速の時間なのだ。休んだり躓いたりするだけで間に合わなくなる。
「あっ、やば──」
結果だけ言えばギリギリ滑り込みセーフだった。
トウカイテイオーを庇おうとしていたトレーナーごと二人まとめて道路脇の植樹帯に突き飛ばした為、二人は助かった。
問題は俺だ。
高速のスーパーカーにぶち抜かれた俺はギャグ漫画みたいに綺麗な放物線を描いて吹っ飛び、後頭部からコンクリートの地面に叩きつけられておっ死んでしまった。
自己犠牲で誰かが助かったなら本来はそれで良しなのだが、コレはそういう話ではない。
助ける過程で俺が
……
…………
「うぇっぷ」
巻き戻った。
十五分前に。
つまり俺はあの事故で死亡し、薬を飲んだ時と同様に死に戻りが発動したということで──要するにコレが問題なのだ。
命懸けのレスキューで本当に死ぬとこの能力で全てが泡沫に消えてしまうのである。
死に戻りは『ここまで戻りたい』と意識した時間軸の三十分前後のどこかへランダムに遡る力だが、発動した状態で命を落とすと問答無用でタイムリープする。もちろん解除したまま死ねばそこで人生が終わるのでこの事件が解決するまでは止められない。
しかし戻る時間が”ここ”で固定されているとお話にならないのだ。物理的に事故現場まで間に合わず、滑り込んでも俺の命を犠牲にしなければ二人助けられないが、俺が死んだら時が戻るので何の意味も無い。
別に正義感のイカレたヒーローになったつもりはない為、自分が死んでも二人が助かればそれでいいだなんて考えにも至ることはできない。
二人が助かって、俺も死なない。
今回のクリア条件がこれである以上、何か別の方法を考えなければ。
「うぇっぷ」
というわけでトウカイテイオーの番号を調べて電話してみたのだが、イタズラ電話だと思われてまともに相手をされなかった。
そもそも俺と彼女は顔見知り以上の何者でもないわけで、ちょっとばかしシリアスな雰囲気を醸し出して何か言っても信じて貰えるだけの信頼関係なぞ存在しないから当然の結果だ。
「うぇっぷ」
今度はトレーナーの方に連絡してみた。
どうせ本当のことを言っても信じない事は分かり切っているので作戦を切り替えた。
脅しだ。
現場であるあの交差点で『そこに来た瞬間お前と担当をあの世に送ってやる』と、普通に通報されて人生終わるレベルの脅迫をしてから現場で成り行きを見る事にした。
結果は惨敗。
俺の脅迫を聞いて警戒したトレーナーが帰り道の順路を変えてくれたところまでは良かったが、元々の現場とは別の交差点で事故が発生した。
以前もあったが、これは恐らく世界線の収束というやつだ。
よく見るとトレーナーを跳ね飛ばした乗用車は、これまで辿ったどの世界線でも全く同じ車種とナンバーだった。
道を変えてもなんやかんやあってトウカイテイオーのすぐそばまで迫る辺り、こっちがどんな行動を取ろうともあの車は彼女に向かって突撃をかます未来が確定してしまっている。
トウカイテイオー本人が事故に遭おうが、トレーナーや俺が跳ね飛ばされようが、被害に遭う存在は誰であっても関係ない。とにかく何らかの理由で『トウカイテイオーに向かって暴走する乗用車』が今日この時間に誰かを轢いて罪に問われなければ世界は先に進まないようだ。
「どうしたもんかな……」
今回は通りすがりの男性からバイクを奪ってタイムの短縮を狙ってみたのだが、バイクの扱いなんて微塵も知らないので途中で事故って全然間に合わなかった。
死に戻りする前に対策を考えようと、血塗れで寮へ戻っていく──その時あるものが目に入った。
「見てキングちゃん、お布団アーマー! もふもふ~!」
「ちょっとウララさん、せっかく干したお布団が汚れてしまうわよ……」
まだトウカイテイオーの事故の情報が届いていない学園は平穏そのものであり、その中で布団に包まって遊んでいるウマ娘を発見した。
瞬間、脳裏に電撃が迸る。
「…………アレだ」
それを見てピンときた。
あの布団でグルグル巻きになった状態であれば、車に撥ねられても多少は衝撃を緩和することが出来るのではないだろうか。
そもそも交差点で二人を助けた後、事故った俺がそのまま死んで死に戻りが発動してしまうのが問題なのだ。
極論、死ななければそれで問題無い。
……そうか、コレが解決策だったのか。
「うぶぶぇっごぽぁ°」
何度目かの正直。
死に戻った瞬間すぐさま布団を抱えて寮を飛び出し、吐瀉物を撒き散らしながら現場へと急行した。
吐き気を伴った状態だと視界が歪んでしまい、現場に間に合うか分からなかったのでこれまではソレが治まってから出発していたが、布団を抱えて移動する都合上そんな事をしている暇すら惜しい為こうするしかなかった。
繰り返した死に戻りの影響で明らかに体調が終わっているが気にしている余裕は無い。
「ぉ゛ふっ……お、お布団アーマー……っ」
内臓をすべて吐き出せそうなほど最悪な気分のまま交差点に到着し、強化パーツを身に纏ってから件の二人のもとへ猛ダッシュ。
「もふもふアタック!」
そのままトウカイテイオーとトレーナーを道路脇の植樹帯に突き飛ばし、フラついたまま身動きが取れない俺は、まもなく乗用車に跳ね飛ばされて意識が途絶えるのであった。
◆
「──………………あ。いってるな」
目を覚ました場所は知らない病院の一室。
跳び起きた瞬間、傍らにあったスマホで現在の日付と時刻を確認し──安堵した。
時刻は正午を回った頃。
日付は事故から三日後だ。
「あ゛ぁ゛ー……」
ボスン、とベッドに倒れこみ、ようやっと安心のため息を目一杯吐き出すことができた。
思うところは無い。
今は何も考えられない。
とにかく疲弊に次ぐ疲弊でハイパー困憊状態なので、思考を放棄して惰眠を貪るのが今この瞬間の最適解だった。もうむりだ。
てなわけで、恐らく見舞いに来たであろう驚いた表情のトウカイテイオーや彼女が呼んだ看護師の姿を視界の端で一瞥しつつ、俺は自分を労うために全ての声を無視して深い眠りの底へと沈んでいくのであった。