もう限界なので休ませてください。。。 作:オティヌス
快晴の下、小鳥たちの囀りがよく聞こえる。
人の声など全く聞こえない静寂が支配するその場所には整然と石材の加工品が無数に並べられている。
そこは都内のある朝の霊園。
時間が早いこともあり人は居らず、居たとしてもそこを管理する僧侶が熱心に掃き掃除をしているくらいで結局声は聞こえない。
「......嫌になる程良い天気だな」
ボソリと呟く。
霊園のある墓石の前にスーツ姿の一人の男が立っていた。
その手にはブラックの缶コーヒーが2本握られており、男はそのまま缶コーヒーを一本墓前に供えると、手元にあるもう一本を開け、一口。
雑な苦味が広がり、男は眉を顰めた。
「......よくこんな不味いものを好んで飲んでいたなお前は。私にはあまり理解できなかったがな」
彼が好む店の美味いコーヒーを思えば、市販の大量生産品のコーヒーなど月とスッポンであった。
それなのに別に良いんだよ俺が美味いと思えればなどと、よく言い合いになっていたのを記憶から思い返された。
「......久し振りだな、七草」
その墓標には"七草家之墓"と刻まれている。
「10年、ぶりか。ここに来たのは」
彼の言う10年とはこの墓の主がこの世を去ってから経過した年数でもあり、ここに来るまでにかかった年数でもあった。
「あの時から中々時間を進めることが出来なかったが、漸く前に進むことが出来た。今日はその報告をしに来たんだ」
これからするのはただの彼の自白だ。
誰が聞くというわけでもない、ただただ一方的なもの。
霊魂など彼は信じてなどいなかったが、今日だけはただただ聞いて欲しかった。
いや聞いてもらうべきだと彼は思ったのだ。
これは彼にとってある意味、自身を整理する作業とでも言うべきだろうか。
そんな自分のために行っていることをお前のために行っていると理由をつける。
今の彼にはそうでもしないと素直な気持ちを吐露することができなかったのだ。
彼の名は天井努。
283プロダクションの代表取締役社長にして、過去に全てを失った男でもあった。
20年前、彼は元々ある事務所で自身もプロデューサーをしていた。
正しく敏腕と言え、着々と成果を上げ、そんなときに彼は独立をして立ち上げたのが今の283プロダクションだ。
その折、彼は巨大な原石とであった。
彼女は特別歌やダンスの才能があったとか容姿が優れていたとかそういうわけでなかったが、彼女の内に秘める人を魅了する才覚を彼は見出したのだ。
最初は反抗もされたが、彼女のやり方では無理と分かると彼に着いてきてくれるようになった。
彼女はとても純朴で、厳しいレッスンにも我武者羅に立ち向かい力をつけた。
そんな彼女はやはり魅力的であり、世間はその魅力に気が付き始めていた。
アイドルデビューと同時に出したCDは売れに売れ、ライブも満員御礼。
つまるところ、社会現象までになったのだ。
そうやって売れてくれば、忙しくなるのも必然で、それに合わせてレッスンはさらに厳しいものになる。
それでも彼女は着いてきていた。
いや、着いてきてくれていると勘違いしていた。
ある日、彼に海外進出の打診が来た。
チャンスだと彼は思ったが、これは同時に賭けでもあった。
日本で売れているからといって海外で売れるかといえばそうではない。
しかしこの好機を逃すわけにはいかなかった。
彼はすぐに彼女へそれを告げた。
喜んでくれる、そう思っていたのだ。
しかし現実は思い描いていたものとは違かった。
______もう、無理です。
彼女の口から放たれたその言葉は疲弊し、目を見れば濁っているようにも見えた。
元々、彼女はアイドルではなく女優志望だったが芽は伸びず、それを見つけ転向させたのが彼であった。
彼のプロデューススタイルは簡単だった。
自身に合わせるのではなく、自身が合わせる。
売れることに特化するというそれは当時の彼からしてみれば、これが一番正しいやり方だと当然のように思っていた。
売れれば彼女はこの世界で生き続ける事ができる、それが彼女も望んでいるものだと勝手に思いこんでいたのだ。
だがそれは同時に個性を完全に潰し、アイドルのロボットを作り上げるものと同意だった。
このやり方をするにあたり、徹底的に厳しいレッスンを課し、根を上げようとすれば怒号を上げて続けさせた。
無論彼のやり方が完全に間違っているとは言わない。
だが彼はやりすぎたのだ。
彼の理想のアイドルを作るために、彼女の中にあった理想を完全に叩き潰し、限界というその言葉を無視して海外進出を決行しようとした。
彼は信じていたのだ。
彼女ならば絶対に着いてきてくれると。
海外進出当日の空港にはファンやマスコミが殺到し、凄まじいことになっていた。
約束の時間は18時。
しかし、いつになっても彼女は現れなかった。
彼は急いで彼女を探しにいった。
全力で走り、走り、走り、走り、そして。
彼女は空港近くの神社にいた。
息を荒げながら、彼は彼女へ言う。
『こんなところで何をしているんだ!』
最初の言葉、彼が心から出たものがそれだった。
『......あなたはいつもそうですよね。そうやって自分の考えを押し付けて。私のことなんか考えないで』
彼女の言葉の端々に、怒りや失望というものが含まれていた。
『あなたの理想には合わせ、られません......』
彼女の瞳からは涙がこぼれていた。
肉体的にも精神的にも彼女はすでにギリギリの状態だったのだ。
そんな彼女へ彼は容赦なくレッスン、ライブ、番組出演を強要し、挙げ句の海外進出だった。
『もう、限界なので、休ませて、ください......』
彼女は海外進出に向けてプレゼントされたダンスシューズを強引に彼へ突き返すと、その場から立ち去り、そして二度と現れることはなかった。
それ以降の記憶は曖昧だった。
世間からのバッシングやマスコミの追求をどうにか抑えた後、何をしていたのかあまり覚えていない。
ただ一つ明確に覚えていたのは、約束の日である12月24日の18時、あの神社で現れることのない彼女を毎年待ち続けていたこと。
無駄だと分かっていても彼は待っていた。
彼にとっての過去の幽霊とも言えるそんな彼女を。
これが彼の第一の後悔であった。
「______そうしたら、今度はお前まで私を置いていったな」
10年の月日が流れ、彼の親友であり現ここの墓の主は死んだ。
彼は事務所が活動休止になった後は、レッスンスタジオの運営などでお金を稼いでいた。
プロデューサーとして死んだ彼から事務所のメンバーは次々と去って行ったが、七草という男だけは側にいた。
その男曰く、だ。
『今お前を放っておくと、何をしでかすか分からないからな』
そう男は笑っていた。
全くもってふざけた奴だと思っていたが、そんなことを言ってくれた男に彼は少しだけ助けられていた。
『七草、お前は私と違って家族がいるだろ。こんなところで油を売っている暇があるのか?』
『逆だよ逆。色んな所で稼いでいるさ。こんなところの稼ぎでも少しは足しにはなるんだ』
彼が嫌味を言おうと七草という男は負けじと嫌味を返してくれた。
そんなやり取りが、荒んだ彼の心を楽にしてくれたのだ。
『そうじゃない、家族と一緒にいる時間のことを言っているんだ!』
『お前から家族サービス云々を言われるなんて思いもしなかったな』
その自覚はあった。
彼は根っからの仕事人間だ。
家族に目を向ける暇があるのなら仕事をする。
そうしなければ自分の今までしてきたことを否定してしまうと思っていたのだが、あの件があって少し考えを改め始めたのだ。
『貴様、私は本気で言っているんだぞ!』
『はいはい、分かってるよ......でもさ、忘れたか? 俺はお前の掲げる理想の果てが見たいんだよ』
男は言っていた、彼の掲げた理想の果て、芸能界の頂点を見せてくれと。
彼はそれに対して見ていろと言ったが、結果はこのざまだった。
どうしてここまで自分を信じてくれるのだろうか彼には分からかった。
『それは俺がお前を信じたいと思ったからだよ』
『確かにあの子はお前の前から居なくなった。でもそれはあの子がお前を信じれない、信じたいと思わなかったからだ』
『だったら、後はお前は今度何をするかだろ。自分の何が悪かったのか、分かるだろ?』
『そうしたら後は突っ走れ。なに俺は弁護士だ、事務仕事もそれなりに得意なんでな。面倒なことは任せて、お前は好きにやれよ』
男は笑って言いのけた。
そんな男が死んだのはそれから10年後の快晴だったある日。
事務所で倒れているのを彼が見つけ、病院に搬送されたが、そこで呆気なく逝ってしまった。
昨日まであんなに元気だったのに。
医者からは過労、とまではいかないが無理が祟ったとのことだ。
男は彼の事務所だけでなく様々な場所で仕事をしていた。
その結果ということだったらしい。
彼は男にもその家族にもどんな顔を見せればいいか分からなくなっていた。
彼は人生で初めて土下座をした。
だが男の家族からは責められることはなかった。
ただただ泣いていた。
昔から身を粉にして働いてた男がいずれこうなってしまうかもしれない予感はあったらしい。
それを止められなかった私が悪いと男の妻は言った。
慰謝料ではないが、お金を渡そうとしたが受け取れないと断られてしまった。
もう彼は何をどうしていけばいいか分からなくなってしまっていた。
彼が信じていたもの、彼を信じていたもの、その2人に置いていかれて気づいたら旅をしていた。
金ならあったので何年も日本中、時には世界を回って旅をした。
そこで彼は漸く心の整理をつけて、283プロダクションの再建を目指すことにしたのだ。
もう二度と同じ過ちは犯さない、そう決めて。
今では若いプロデューサーと事務員、アイドルたちが集まって、知名度も全国区までになった。
あの時から変わることが出来た______そう思っていたのだ。
「お前に少し似た奴が事務所に入ったんだ」
事務所を再建して数ヶ月、事務員として七草の娘を雇った。
贖罪ではないが、彼の中でこうしないといけないという気持ちがあったからだ。
その更に一ヶ月後、若い男が283プロダクションへ入ってきた。
そんな若い男、後のプロデューサーとなる人物との出会いは世界を旅していたときだった。
たまたま天井がインドのデリーに立ち寄ったときにスリに会い、手持ちを失いかけたときに窃盗犯から財布を奪い返してくれたのが彼であった。
日本人だったということもあり、記憶には深く刻まれていた。
走り去る窃盗犯に足をかけて転倒させて財布を取り返すと天井へ渡してくれたのだが、逆上した窃盗犯が彼へ殴りかかるのを秒で無力化したこともその要因の一つだろう。
お礼をさせて欲しいと願い出たが、用事があるからすみませんと彼は持っていた背負っていたリュックを揺らしながら去っていた。
そこから数年、まさか日本の、しかも自分の会社で再会するなんて思いもしていなかった。
もっとも彼は忘れていたようだが。
まあそのこともあり、人柄も良かったので採用、プロデューサーとして働いてもらうことになったのだが彼の働きぶりは凄まじかった。
「気づけばアイドルをスカウトしてきて、さらにはその子たちをグループでデビューさせると提案してきてな」
当時の天井とは何もかも真逆であった。
ソロデビューさせて売れるためのレッスンを課し、さらにその労力を一人に特化させることで限界以上の力を引き出す天井。
グループデビューさせて個性を引き出すためのレッスンを課し、全員を同じラインまで上げて相互作用で力を引き出す彼。
もし彼と当時、同じ事務所に居たら真っ向から対立していたのは間違いなかった。
思い返せば天井のときには彼女の本当の笑顔を見ることはなかった。
しかし、今彼の周りのアイドルたちは心からの笑顔で笑っているように見え、それでいてきちんと成果を出し続け、今では283プロダクションは当時よりも栄えることになっていた。
そう、彼は正真正銘の怪物であったのだ。
元々彼はアイドルとして採用しようとしていたのもあり、高身長で容姿も良く、物腰柔らかで性格も良かった。
そんな彼の最も特筆すべき点は会話力であった。
彼の話し方は気づいたら周囲をその気にさせ、あらゆる目的達成までの過程(プロセス)を極限までに短縮させる。
天井にはない究極とも言える"人たらし"の才能だ。
彼の周りのアイドルや番組スタッフなどで彼を悪く言うものは見たことがなかった。
そんな彼は最近では楽曲の作成や公式SNSや公式Y◯utubeチャンネルの作成と運営、会社の事務のオートメーション化など様々手を尽くしてくれ、今では283プロダクションに必要不可欠な人材になっていた。
ある意味でアイドルたちより重要とも言える存在に、だ。
彼がいればどんな状況下でも立て直すことが可能だと思えるほどにその存在感は大きくなっていた。
それは事務所のメンバー全員が共通して思っていることでもあった。
彼ならなんとかしてくれる、そんな思いが彼らにはあったのだ。
「あいつは、私よりもこの仕事に向いている」
もしあいつなら彼女のことをもっと上手くやれたのかもしれないと、そんな夢物語まで考えてしまう。
考えても無駄だが、そう考えざるをえなかった。
「私はな、あいつが恐ろしかったよ。私が出来なかったことを平然とやってのけてしまうあいつが」
侵略者、エイリアンとでも言うべきか。
歓迎しておいて、そんな感想が出でしまったのはそれ程までに自分と違う人間であったからだ。
「あいつには本当に助けられている。もう私に出来ることなんてないのかもしれないな」
働きすぎな彼や七草の娘、はづきのために人員を増やそうともした。
だが、ダメだった。
下手な人員を増強しても足手まといにしかならないと。
何ならはづきは増員は望んでいても本心ではこのままが良いとまで思っていた。
それはアイドルたちも一緒であった。
プロデューサーである彼がいるこの少人数の環境、その居心地の良さが全てをダメにしていたのだ。
「私は、経営者失格だ」
項垂れる天井の背中は小さく見えた。
そんな彼が今彼らにとって一番出来ることを考えた。
それは______
「もうアイドルは増やさない。今居る子たちが巣立ったらこの事務所は終わりにする」
もし何かあったら全ての責任を負うつもりでいたが、余りに有能過ぎるプロデューサーはそれすらさせてくれそうにない。
だからこそ、自身の夢の期限を設けた。
もしその時が来たらプロデューサーやはづきは知り合いの別の芸能事務所に良いポジションで入れられる、それくらいのコネクションはあった。
これ以上、アイドルを増やせば彼の負担になる。
天井もプロデューサーとして参加できれば良かったがプロデュース能力すら彼の足手まといにしかならない。
余りにも情けないことであるがそれは紛れもない事実でもあった。
「......自分で掲げた理想の果て、夢の果て、だったのにな。私では叶えることの出来ないただの幻だったんだ」
理想の果て、夢の果て。
芸能界で頂点を取る、というシンプルでありとてつもなく難しいものだった。
難しいが出来ないことではない、そう思っていたが現実は違う。
自分の力量をいつしか測ることすらも出来なくなっていた。
そう、天井のボロボロの精神はとっくの昔に限界を迎えていたのだ。
______私はお前に信じてもらうことに値しない無力な人間だったんだ。
「......許してくれ、七草」
天井の呟くようなその声はどこか泣いているようにも聞こえ、青い青い空の下、澄み渡る空気に乗って消えていった。
女だろうが男だろうがそんなのプロデューサーには関係ないね。
あと温い環境は人をダメにするよね。