もう限界なので休ませてください。。。 作:オティヌス
箝口令。
それはある出来事や事象に関して関係者以外に口外することを禁止する命令のことである。
現在、283プロダクション内ではある箝口令が敷かれていた。
______プロデューサーに対して直接例の件で触れてはならない。
というものである。
これを知るのはアイドルたちと事務員のみであった。
ことの発端はプロデューサーの机の上で退職届が発見されたことに始まる。
後にこれは”283プロダクションプロデューサー退職届発見事件”(事件名で全て完結している)と語られることになるのだが彼女たちからしてみればまだ過ぎていないことであるので大問題かつ大事件であったのだ。
第一発見者である283プロダクション所属アイドルの七草にちかは21時過ぎにレッスン用のジャージを回収に事務所へ向かい、ロッカーで回収後にプロデューサーのもとへ向かった。
理由は簡単である、彼と少しでもお喋りが出来ればと思ったのだ。
多少怒られたとしてもそれすら嬉しいと思っているにちかにとってお釣りが来るレベルである。
るんるんで彼のもとへ向かったにちかであったが、デスクに彼の姿が見当たらなかった。
おかしいなと思いつつもキッチンにでも行っているのかと思ったにちかは閃く。
彼を脅かそうと、にちかはわざわざ探しに向かわずにそこで待つことに決めた。
しかしにちかは彼のデスクの上にあるものを見つけてしまった。
そう、それが退職届であったのだ。
彼女はひどく混乱し、気づけば写真を撮影してCHAINに投稿し、退職届を持っていたリュックに突っ込んでいた。
そうしたのは提出さえされなければプロデューサーが辞めることはないと思ったからだ。
にちかによって投稿された退職届はグループCHAINに大混乱をもたらした。
まさに阿鼻叫喚といって間違いないもので、次々来る返信も困惑のものや彼女に対して理不尽な怒りをぶつけるようなものまで様々であった。
にちか自身も彼女たちと一緒で何が何だか分からない状況で困惑しており、いち早く事の真相を知りたがったため、CHAINに共有してしまったというものだった。
本人に直接聞けば済む話ではあるが、もし彼がそれを肯定してしまったときのことを考えると彼女の中にとてつもない恐怖を襲った。
『にちか、取り敢えず早く家に帰ってきて』
そうCHAINをしたのは姉であるはづきであった。
姉妹であるため、勿論一緒の家に住んでいる。
事務所からも家は近いため、多少遅い時間ではあったものの外出を許可した。
ただこんな爆弾を見つけてくることも、更に言えば妹がその退職届を持ち出しているとも思ってはいなかったようだが。
______本当にプロデューサーさんが居なくなっちゃうの?
そしてはづきも文面上は冷静にCHAINをしているように見えたが、実際はかなり動揺していた。
普段、おっとりな彼女ではあるが仕事の遂行能力は高く、別のアルバイト先ではどこの職場でもそのまま正社員になってくれと言われる程だ。
どんな時も冷静に落ち着いて仕事を高い精度でこなすと評価される彼女は、想定外のことに冷静さを保てないでいた。
彼女の精神を揺らす方法は2つ。
家族のことか、プロデューサーである彼のこと。
逆に言えばこれ以外のことで動揺することはないのだ。
そんな彼女は今、家ににちかも居なく一人なため、その動揺を思い切り顔に見せていた。
父親が亡くなったときですら、家族を支えるため気丈に振る舞っていたとは言え我慢できていたのにだ。
いとも簡単に彼女の精神は揺らいでしまっている。
それ程までに、プロデューサーが居なくなってしまう可能性を彼女は恐れていた。
にちかも帰ってきてすぐに自分の部屋に籠もって出てこなくなってしまっていて、七草家の淀んでしまった空気を浄化できるものはいない。
どうにかはづきが何度も深呼吸をして精神を落ち着かせている間にCHAINが更に流れていく。
______あと半年だから引き継ぎを進めているってプロデューサーが言っているのを聞いた。
______プロデューサーが街を若い女の人と歩いているのを見た。
______恋人がいるって言ってた。
______喫茶店で女性に熱い言葉を投げかけているのを見た。
______街中で女の人に言い寄られて困っているのを見かけた。
様々なアイドルたちの目撃情報が集まっていっていた。
はづきも現にパソコン内にある引き継ぎ資料の存在を知っており、尚更に信憑性が増している。
これらの証言を集めた結果、プロデューサーの内情を推理することが出来た。
______プロデューサーには結婚を前提にした恋人が居り、その女性と結婚をするにあたってこの仕事を辞めるというものだ。
その推測はアイドルたちを絶望へ叩き込むものであった。
今までプロデューサーのそういった情報は一切なかった。
左手の薬指を見ても指輪をしている様子はなく、結婚しているのであれば奥さんの話しをするだろうにそれもなかった。
証言の中に恋人がいるというのがあるのは、奥さんではなく恋人がいるということも認めたくはないが、それであればまだ納得がいく。
あと半年というのもこの激務であるプロデューサーの仕事から転職し、恋人と一緒にいる時間を増やすためのものと言えばそれも納得がいった。
恐らく喫茶店で会話していた女性が彼の恋人である女性である種のプロポーズだったのではないかというのがアイドルたちの見解だ。
街中で言い寄られていたのは恋人がいる状況で別の女性に言い寄られてしまえば困惑することは不思議ではない。
更に言えばプロデューサーはモテるので別に色々な女性に言い寄られても何もおかしくはない。
つまりプロデューサーの動向を見れば半年後に283プロダクションから居なくなってしまうのは濃厚であったのだ。
『プロデューサーさん、辞めちゃうんですか......私たちカップルじゃないんですか?』
『......結婚したとしてもお世話しに行っても良いですよね? アイドルとプロデューサーなんだから何も問題ないですよね。 それにまだあの服も見て貰ってないですし.....』
『嘘、だよね......プロデューサー。金木犀のことはわたしの勘違いだったの?』
『Pたん......違うよね違うよね違うよね......あははは......三峰が馬鹿だったんだね......』
『プロデューサーが居ないと私、もっと悪い子になっちゃいますよ......』
『............嫌だ嫌だ。プロデューサーが居ないのは嫌だ』
『うちもっと料理も家事も上手なるけん。だから待っといて......プロデューサーのためなら、あんま好かんかったこの身体だって......』
『プロデューサーさん......わたしあなたのお陰で、どっちも選べるようになったんです。だから”全部”選びますね』
『プロデューサーさま。凛世は、凛世は......あらゆる覚悟が、出来ています......』
『アタシをスカウトして、置いてく気かよ.....絶対逃さねぇ』
『......こうなったら有栖川の力で.......奪う......』
『私、チョコが嫌いになるかもしれません......見るたびにプロデューサーさんを思い出しちゃうから......』
『......もう一度お酒で......いえ、襲う......』
『......甘奈はどうすれば良かったの......? もっと早く告白していればよかったのかな......?』
『お願い、お部屋から出てきて......プロデューサーさん、甜花となーちゃんを助けて......』
『プロデューサーさんは嘘なんて吐かないっす......カブトムシ取りに行くって約束したっす......絶対に約束破らないんすよ......』
『あいつが辞める......? そんなわけ、ない、はず......だってだって、そんな雰囲気なかったし、いやでも......』
『......プロデューサーが居なくなったらうちはどうすれば良いんだろ。わかんないや......』
『思い出してもらえてない......まだ......あの日のこと......』
『本当にありえない。私たちをアイドルにしたのに責任を取らないで自分はトンズラ? 最低......まあ別に私としてはこれであなたの顔を見なくて済むと考えたら問題ないですが............コーヒーの味なんて覚えなければ良かった......』
『プロデューサーさんはわたしが居ないとダメなのに、居なくなってどうするんですか......? ダメダメになっちゃいますよ......?』
『......そんなの全然しあわせーじゃない。つまんない。雛菜と一緒の方が"絶対"幸せなのに』
『プロデューサー......私、あなたのお陰でこうなれたのに......また......』
『......嫌です嫌です嫌です。プロデューサーさんまで居なくなるのは......』
彼女たちはたまたま全員が自宅に居たのだが、CHAIN上よりもさらに地獄いや、更にその下の阿鼻地獄と言っても過言では無い程に陰の気が漂っていた。
最悪と言っても過言では無い程にメンタルが落ち、最早マイナスの域にまで行っているものもいる。
全員が明日、アイドルとして仕事がある身だ。
このままいけば明日の仕事に一体どれほどの支障が出てしまうか想像に難くない。
そんな阿鼻地獄または無間地獄に、ある救いの光が現れた。
『待ってください! 皆さん、まだプロデューサーさんが辞めるって決まったわけじゃないです!』
果穂である。
彼女がCHAINにその文章を送ったのだ。
勿論、彼女たちの精神状態からすれば既読が全部つくことはない。
だがそれでも構わず果穂は続けた。
『ジャスティスブルーも言ってました、推測を確定させるならそれを証明する証拠が必要だって!』
果穂のいや、ジャスティスブルーのその言葉に一部のアイドルたちはハッとした。
確かに彼の発言や目撃情報、それに退職届など証拠になりそうなものが集まってはいるが、実際のところプロデューサー本人がそれを事実と言ったわけではない。
現状、可能性がかなり高いレベル程度の話なのである。
少しではあるが、彼女たちの瞳に希望の光が宿った。
ジャスティスVが放送されていて本当に良かった。
ありがとう制作関係者の方々。
『だから、皆さんで出来ることを考えましょう! 結婚だって勘違いかもしれませんし!』
こうして、彼女たちは一晩徹底的にCHAINで話し合った。
更に各々彼女たちのプロデューサーに対する思いを全員で改めて再確認をすることとなったのだが、そもそもの話でプロデューサーへそういう気持ちを持っているんだろうなというのは全員が全員に対して思っていた。
暗黙の了解でそれを敢えて指摘する野暮なことはしないが、この話し合いで全員が全員をライバルと認定することになった。
果穂はこの話し合い中はプロデューサーと一緒に居れなくなるという単純に寂しいという気持ちだったのだが、そこに違いはありゃしねぇだろ(?)。
そして決まったのが冒頭の箝口令である。
理由は簡単で、もしプロデューサーから本当だよと言われた瞬間にアイドルたちの多少復活したメンタルが即重力崩壊しかねないからである。
さらに言えば本人から言うタイミングを探っている可能性もあるので、こちらから聞くのもおかしい話であるからだ(なぜ知っているのかと)。
良い言い方をすればプロデューサーを信じて待つ、悪い言い方をすれば目を背けたことになるのだろうか。
だが彼女たちのこの決断がプロデューサーにとっては良い方向へ動いた。
彼女たちはこの時、秘密裏にある決断をしていた。
______誰かに取られる前にプロデューサーの心を奪う。
このアイドルらしからぬいや、"女"としての決断は彼女たちの仕事のやりがいを尋常なまでにブーストさせていた。
バリバリ仕事を熟して他の女性を見る暇を与えない。
自分以外の女性と恋愛をする時間を与えない。
プロデューサーは自分のものだ。
彼女たちの精神はある意味で、何かを超越した。
各々寵愛を受けたい者、寵愛したい者、同盟を組んでいる者、漁夫の利を狙う者、様々であった。
何が彼女たちをここまでさせてしまったのか。
彼女たちはプロデューサーと出会うまではある種問題は抱えつつも、人間としては普通だったのだ。
それを彼はやってしまった。
まだ若い彼女たちの男性観を完膚無きまでに粉微塵に粉砕したのだ。
残された人間の女性として普通だった男性観は最早素粒子レベルだ。
もう彼女たちはプロデューサー以外の男性を"男性"として意識することが出来なくなってしまっていた。
しかし考えてみれば当たり前なのかもしれない。
彼は高身長で顔が良く、頭も良い、仕事が出来る、優しく気遣いの出来る性格、イラストが上手い、文章を書くのが上手い、字が綺麗、車の運転が上手い、お菓子作りが趣味(味も好評)、作曲が出来る、楽器の演奏も出来る、歌も上手い、荒事にも慣れている、たまに子供っぽいところがある(大好物がラーメン唐揚げハンバーグ炒飯)、なのに猫舌などなど。
良いところ、悪いところ、全てを引っ括めた彼の人物総評は簡単だった。
理想の果てにいる男。
それが彼、プロデューサーという男だ。
よくテレビや動画サイトでスーパープレイ集のようなものがあるだろう。
各分野のスペシャリストが放つ技の極致。
それらを色々な方面で一人で発揮してしまうのが283プロダクションの彼である。
ランクを付けるとしたらSランクとかではなくSSランクやSSSランク、或いはEXランクとも言える男だ。
このレベルの男を知ってしまったら最後、今後の人生どうなるかなどは言わずもがなであった。
そう、これはそんな彼女たちがプロデューサーという名の理想の聖杯を是が非でも手に入れようとする物語である(?)。
故に彼女たちはやる気を業火の如く燃え上がらせ、仕事をバリバリ熟した結果、ファンやテレビ局の評判は鰻登りになってそして当然のように、とんでもない無茶苦茶な依頼が飛んできた。
______10ヶ月後、東京ドームにて283プロダクションオールスターライブを実施して欲しい、と。
はづきと283プロダクション所属アイドルたちはその成果にとても喜んだという。
一体彼が何をしたって言うんだよ!!!