もう限界なので休ませてください。。。   作:オティヌス

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大紅蓮無間地獄編Ⅱ

「プロデューサ〜、レッスン終わったから褒めて〜♡」

「ほいほい、おつかーれ〜」

 都内のとあるレッスンルーム。

 そこは283プロダクションが提携しているレッスンスタジオの一つであり、所属アイドルたちもこのスタジオを利用することが多い。

 283プロダクションの某レッスン鬼も割合ここを利用していることが多いため稼働率は割りかし高い。

「む〜ちょっと雑だよ〜。もっと雛菜のことちゃんと見て〜」

 少しムッとした上目遣いで、プロデューサーを見つめた。

 先程ドームライブに向けた曲のダンスレッスンが終了した市川雛菜は水分補給も済ませて汗も拭いて帰宅する準備をしていた。

 雛菜はアイドルとしてのスキルでダンスを一番得意としており、新しい振り付けも感覚ですぐに自分のものにしていた。

 担当トレーナーも当初その天性の能力に驚いていたのだが、彼女の少し協調性に欠けていた性格もあってレッスンに飽きてしまうことで多少衝突したこともあったのは今では懐かしい。

 現在はきちんとレッスンに取り組むようになっており、周囲ともそれなりに上手くやっている(それでも基本は特定メンバーとしか関わることはないが)。

「え、そうか? 仕方ない。なら、本気を出そうか」

 そしてその特定メンバーの一人であるプロデューサーはレッスンが終わった彼女の様子を見にスタジオに顔を見せていた。

 雛菜は彼の存在を認識した瞬間にニパーッと破顔させて駆け寄っていたのだ。

 そんなプロデューサーは褒め方が雑だと指摘されたことを反省し、彼女の頭をぽんぽんと撫でようとする。

「あっ......それは今は、だめ〜」

 置かれようと頭上に迫る彼の右手を両手で優しく包むと、雛菜は自身の顔の横に持っていく。

 気のせいか彼女の頬が赤く染まっていた。

「あ、ごめんな」

 プロデューサーはその意図に気がつくとすぐに彼女に謝った。

 レッスンが終わってすぐということは汗を掻いているということだ。

 只でさえそんな状態で触られることはどのような人間でも嫌なことだろう。

 そしてそれが年頃の女の子であれば尚更に嫌な気持ちになるだろう。

 特に雛菜は、言い方は変ではあるがとても女の子らしい子だ。

 普段であれば彼女はプロデューサーに頭を撫でられる、触れられることを拒否することはない。

 寧ろ触れて欲しいと迫るくらいで、その度に彼女は傍から見て明らかな程に幸せオーラを出しているのだ。

 その彼女が彼の優しい手を拒むということはそういうことになる。

「うんうん、プロデューサーは悪くないの。それに撫でてくれようとしてくれるのすっごく雛菜は嬉しかったから〜」

 雛菜はそんなプロデューサーに怒ることもなく、優しい表情で彼を見つめていた。

 勿論彼女の両手の中には彼の手が包まれており、時折その感触を確かめるようにぎゅっぎゅっと繰り返し握られている。

「そう言ってくれるなら良いんだけどさ」

 プロデューサーは雛菜の機嫌が悪くなっていなことにほっと胸を撫で下ろした。

 一度機嫌を損ねるときちんと対処しないと後が長く、ドームライブを控えているこの期間は余計なストレスを与えたくなかったのだ。

 ちなみにその間も雛菜はプロデューサーの右手を離す様子はなかった。

 そんな彼女に対して多少の悪戯心で彼も軽く手を握り返してみる。

 

 

______それが良くなかった。

 

 

 瞬間、彼女の身体がビクンと震えた、ような気がした。

「あはー♡」

 どうやら尚更に手を離してくれなくなってしまったようだ。

 雛菜はプロデューサーの握った手に合わせるように力を入れ、自身の胸辺りに手を持っていく。

 彼女の表情筋はとても緩んでいた。

 それはもう幸せそうだった。

「プロデューサー......えへへ」

 何だか雛菜の様子がおかしいような気がし、プロデューサーは何かミスったかなと頭を抱えそうになる(手を握られているので抱えられはしないが)。

 確かに多少の悪戯心はあったが、それは普段彼女のやる気を上げているものの延長線上のものだ。

 いつも無邪気にプロデューサーに抱きついたりしてくる彼女が”手を握られた程度”で何か変わるとは思わなかった。

「......ねぇ、プロデューサー______今って”幸せ”?」

 雛菜はプロデューサーの目をしっかりと見据えて、そう質問をした。

 逃さないという強い意志が感じ取られるもので、まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。

「幸せ?」

「......うん、プロデューサーには”絶対に幸せになって欲しい”って思ってるから〜」

 彼女の目が濁っているような気がした。

 普段の彼女からは想像できない何か粘着的な重みのある視線がプロデューサーを射抜いている。

「......ああ、ありがとな。俺も雛菜には幸せになって欲しいって思ってるぞ______そうだ雛菜、もう時間もあれだし帰る支度は終わったのか? 俺が途中で着ちゃったから邪魔したんじゃないかって思ったんだけど」

 何か会話の流れがおかしくなっていることに気づいたプロデューサーはどうにか軌道修正を行おうと舵を切った。

 まだ彼女はレッスン用のジャージを着ていた。

 ジャージで帰るということは学校であるまいし、ありえないことなので帰宅の準備が終わっていないことは分かっていた。

 時間も少し遅くなってしまっているため、安全の面でも早く帰らさないといけない、のだが。

「プロデューサー。雛菜の質問に答えて欲しいなって」

 しかし、回り込まれてしまった。

 彼女はプロデューサーを逃がす気はないらしい。

 いやそもそもなぜ逃げるという行動を彼は取ろうとしているのだろうか。

「それは勿論幸せだよ。雛菜たちのお陰で毎日充実しているし。それに雛菜たちの喜んでいる顔を見るとこっちも嬉しいからね」

 ドームライブが迫る中、彼女たちには普段の仕事の合間を縫ってレッスンをして貰っている。

 今回の大規模なライブで日程も2日間なため曲の数も覚えることも多い。

 相当負担になっているはずで更にまだまだ未成年の子たちも多く、本当ならあまり無理はさせたくはない。

 それでも彼女たちはプロデューサーから負担をかけると頭を下げられた時は文句を言うこともなく、寧ろ任せてと頑張ってくれている。

 そこには本当に感謝していた。

「......”たち”? ”雛菜の”、じゃなくて?」

 しかしその返答に納得がいかなかったのか彼女の表情は変わらない。

 しかも突っ込むところはそこなのかとプロデューサーは再度頭を抱えそうになる。

 勿論、彼の右手は雛菜によって奪われているためそんなことは出来ないのであるが。

「ああ、そうだけど______」

 

 

「______何をやってるの?」 

 

 

 ガチャリとドアが開く音がする。

 そこから底冷えするような声が響き、このレッスンルームに残る熱気を即座に冷却していた。

「......あー円香先輩。タイミングわるーい。空気読んでくださいよ〜」

「は? タイミングって私もレッスンしてるんだから何を読まないといけないわけ」

 彼女は樋口円香。

 雛菜と同じノクチルに所属している283プロダクションのアイドルである。

 メンバーは彼女たちに加えてあと2人いるのだが、仕事の関係で今日のレッスンは雛菜と円香だけであった。

 彼女はプロデューサーが来る少し前にお手洗いに行っていたようで、たまたまタイミングがかち合わなかったのだ。

「あなたもその手、さっさと離したらどうですか。ずっと雛菜と手を繋いでいるつもりなんですか?」

 そして円香の視線の矛先は雛菜からプロデューサーへと向いた。

 気のせいか、円香の表情には苛つきと怒りの感情が見える。

「ああ、そうだな______」

「雛菜は〜プロデューサーと手を繋ぐの好きだからこのままで良いかなって感じ〜。プロデューサーは嫌?」

「別に嫌ではないけど______」

「だったら良いよね〜。だから円香先輩は気にしなくていいよ〜」

「は? 気にするっていうか、こういうの事情を知らない人に見られると不味いから言ってるんだけど。あなたもプロデューサーならそういうところ気にしなくてどうするんですか?」

 何故だろうか。

 この2人、いつにも増してバチバチな気がするのは気のせいだろうか。

 ノクチルというのは全員が昔からの幼馴染で構成されている業界でも珍しいユニットであり、そんな幼馴染であるからこそ仲が良い。

 遠慮がないと言ったらあれではあるが、気のおけないやり取りが出来るということはそれだけ心を許しているということになる。

 だからこそ4人は仲が良いというのはプロデューサーは理解していた。

 しかし、そんな彼女たちの中でこの円香と雛菜の2人に関してはたまに疑問を呈すことがある。

 世間では不仲説云々が囁かれることもあるのだが、それも強ち間違ってはいないのでないかと。

 ノクチルの中で特に当たりの強いやり取りをするのがこの2人で、出会った当初は心配していたときもあったが一緒にいる過程でその心配はなくなったはずだったのだが。

「プロデューサーに当たらないで〜。そもそもプロデューサーは何にも悪くないのに。円香先輩、もしかしてヤキモチ?」

「______は? ふざけないで。そんな話じゃないんだけど。アイドルとしての振る舞いのことを言っているんだけど」

「え〜。”あの”円香先輩がアイドルとしての振る舞いとかを言っちゃうんだ〜。ちょっと面白いね〜」

「何が”あの”なのか知らないけどいい加減にして。そもそもライブに向けての練習でそんなことしてる暇あるわけ?」

「今日のレッスンはもう終わったよ〜。それに雛菜は円香先輩と違って切り替えちゃんと出来てるから〜」

「っ......! 雛菜、ふざけるのもいい加減に______」

「ちょっとストップストップ!」

 段々とヒートアップしていく2人の言い争いが本気で不味いと感じ取ったプロデューサーは流石に割って入ることにした。 

 この流れで雛菜からの右手拘束を解除することにも成功した彼は直様仲裁体勢に入ると彼女たちの間に立つ。

「ごめん、俺が中途半端な態度を取ってたからだよな? 本当にごめん。だからそんな風に争わないでくれ」

 一体彼女たちが何でこんなに言い争いしているのかプロデューサーは分かっていなかった。

 無論、そんな何も分かっていない状態で謝るというのは逆効果でしかない。

 しかし今のプロデューサーは余りにも無力であった。

「誰のせいでこうなっていると思って......!」

 案の定、円香からは鋭い眼光と言葉がプロデューサーへ飛んでくる。

 先程よりも彼女の苛つきメーターが跳ね上がっているのが分かった。

「......プロデューサーは、雛菜の側から居なくならないよね」

「ちょっと、雛菜......!」

 雛菜の瞳から色が抜け落ちたかのような表情でプロデューサーへ何かを問いかけた。

 そしてそれを横で聞いていた円香は何か慌てたかのように雛菜の言葉を止めにかかる。

「......雛菜?」

 一体何なのだろうか。

 プロデューサーはその2人の様子を理解出来ず、首を傾げそうになった。

「______ごめんねー。雛菜着替えてくる。あ、プロデューサ〜、一緒に帰りたいから待っててね〜」

 スンと雛菜はいつものふわふわとした雰囲気に戻ると、荷物を持ってレッスンルームを出ていってしまった。

 それにより先程まで部屋の中を充満していてた重苦しい空気は霧散し、肩が軽くなったような気がした。

「......あなたは雛菜を甘やかしし過ぎなんです。分かってるんですか? ミスター・チョコラテ」

「ははは、そんなに甘やかしている自覚はないんだけどな。でも円香がそういうならそうなのかもな」

 そして円香からも鋭利さが抜け、いつものような愛ある罵倒(?)が飛んでくる。

 この状態が意味するのは少なくとも先程までの本当に怒っているわけではない、ということだ。

 他者から見たら大変分かりづらいものではあるが、これはプロデューサーと円香特有のやり取りであるが故のものだった。

 そのため、プロデューサーは円香のそんな様子に少し安心し、胸を撫で下ろした。

「ええ、甘いです。甘すぎです。まるでバレンタインのチョコレートですね。胸焼けがします」

 円香の独特なその語彙は何故か安心感があり、プロデューサーへ現実に帰ってきた感覚が染み込んでくる。

 ちなみに彼は別にドMではなく、寧ろその逆なまであった。

「一応みんな平等に接してはいるんだけどね......そんなに直した方が良いのか?」

「......まあ、あなたのその胸焼けする甘さは今更ではあるので別にそのままで良いんじゃないですか」

 

 

______その甘さに慣れた他の人たちはきっと抜け出せないでしょうし。

 

 

 円香の意味深な言葉にプロデューサーは苦笑してこう返した。

「ははは、それだとまるで俺が悪いクスリみたいなことを言うんだな」

「ええ、あなたは毒薬です......本当に質の悪い詐欺師いや、小悪党ですね」

 悪人から小悪党にランクが下がったのはきっと良いことなのだろう。

 プロデューサーは強引にそう思うことにした。

 出会った当初であればこんなやり取りすら出来ていなかっただろう。

 ある意味でなんやかんや仲は良い、はずなのだ。

「まあペテンでもなんでも円香たちが輝いてくれるなら、俺にとってそれ以上はないよ」

「......そうやって歯が浮くような言葉を恥ずかしがらないでいうところ、本当に嫌い」

 そう言って円香はプロデューサーから顔を反らす。

 様子から見て彼の言葉で恥ずかしくなったのは彼女のようだった。

「ははは、そんなに恥ずかしいかな? 本気で思ってるんだけど」

「本気で言っているから質が悪いってことです......こっち来ないでください。あなたのそれが感染ったらどうしてくれるんですか」

 そう言う円香ではあるが今まで彼女はプロデューサーのほぼ隣(距離にして一歩)で会話をしており、さらに言えば自身からその場所を離れるようなことはしなかった。

 プロデューサーも本気で言っているとは思ってもいなく彼女なりの冗談なのは分かっていた。

 そのため、逆に彼も多少であるがふざけた会話がしやすいのだ。

「えーそれはショックだなー。なんか特効薬とかないかな」

「あなたの場合、ワクチンなんて打ったら完全に消え去るでしょ」

「なるほど俺自身がウイルスってことねって、それは酷くないか? もうこうなったら徹底的な生存戦略を発動するしかないな」

「バイオテロは止めてください。街ごと滅菌するしかなくなります」

 そういえば一昨日テレビでバイ◯ハザー◯やってたなと思い出しながら、映画好きな円香なら見ていてもおかしくはない。

 それにこんな風にポンポン小気味よく会話が返ってくるのは割りと楽しかった。

「............だから、そういう態度をするのは、どうか私だけにしてください」

「え?」

 余りに小声でプロデューサーの耳に届かなった円香の言葉。

 情けなくそう返すしかなかった。

「......いえ、あなたの被害者を見るのはとても心苦しいんです。ですので私がしっかり”監視”しておきますので目の届く範囲にいてください」

 もしそれで刺されたりでもしたらこのプロダクションにも迷惑が掛かるので。

 そう円香はぶっきらぼうに続ける。

 昔はアイドルなんて笑っているだけの簡単な仕事とまで言っていた円香が、会社のことやみんなのことまで考えてくれるなんてとその成長に内心プロデューサーは少し感動していた。

 だがそれを指摘すれば円香の機嫌を殊更悪くしてしまうので決して表情には出さないが。

「......まあ、刺されそうになったことはあるにはあるのか」

「何か言いましたか?」

 いいや何でもないよと、プロデューサーは返すとそういえばとスマートフォンを開きメールリストのチェックをする。

 今日中に返答が来るものが何件かあったのだ。

 流石に遅くなっているのでそこを心配していた。

「あ、そうだ」

「はい?」

 プロデューサーはフリックしていた指を止め、円香の方を見た。

 それに対して円香はどうかしたのかと小首を傾げている(可愛い)。

「レッスン、お疲れ様。今日も頑張ってて偉いね、円香」

 軽くポンポンと頭を撫でる。

 不意に。

 気になったプロデューサーは軽い気持ちで彼女へ初めてボディランゲージを実行した。

「なっ......!」

 そして円香はゴルゴンの眼を見てしまったかのように石化しており、その顔は仄かに赤く染まっている。

 さあ、いつもの様子であればこの後頭に置いた手は払いのけられて罵倒のフルコースが飛んできそうではあるが(下手をしたら通報される)、果たしてどうなるか。

「......はぁ、本当にあなたは......馬鹿なんですかね」

 円香は一度呼吸を整えると、呆れたようにそう声を絞り出す。

 結果的に彼女はプロデューサーの手を払わず、罵倒も想像よりも遥かにボキャ貧だった。

 そう、彼は彼女たちと距離感を掴んだ瞬間というのは大体こういう感じであった。

 ある意味でレアな場面と言うべきか。

 まあ誰がこの事象を観測しているという話なのではあるが。

「うん、別に馬鹿でも良いさ」

 彼は相手の嫌がる行動はしないことを当たりまではあるが心がけていた。

 故に距離感を一気に縮められるのを嫌がる人にはじっくり時間をかけて接するように彼は無意識に相手を攻略する。

 逆に言えば相手はもし距離を縮めたいと思っていればそれを無意識に察して実行するのが彼なのだ。

 この状況に当てはめればこれはプロデューサーが望んだことではなく寧ろ彼女の方が、という話になる。

 プロデューサーからすれば完全な真意は分からないのではあるが、少なくとも円香は彼に触れられることを嫌がってはいないということまでは理解することが出来ていた。

「......本当に馬鹿です、本当に............これじゃあまるで私も」

 

 

______違う、私は”まだ”大丈夫。

 

 

 円香は何か自身に言い聞かせるようにしていてたがそれはプロデューサーの耳には届かない。

 なぜならそれは心の中で繰り返していたからだ。

 万一にも彼にそれは聞かれたくなかったのだ。

 認めたくないのだ、自身の弱い所。

 自分が一番嫌いな”それ”に毒され、これで良いのではないかと思っていることに。

「おっと、来た来た」

 彼女の頭の上に置かれた手は離れて、彼の目線はスマートフォンに移る。

 漸く待っていたメールの返信が来たようですぐに内容を確認し始めるプロデューサー。

 円香は自身の頭から離れたその大きな手を無意識に追いかけていたが、すぐに自覚し視線をどこでもない場所へ向けた。

「お待たせ〜2人とも〜」

 すると着替えが終わった私服姿の雛菜が戻ってきた。

「うん、おかえり雛菜」

「......私も着替えてきます」

 そう言って円香は雛菜と入れ替わるようにして更衣室へ向かうべく、レッスンルームを出ていった。

「......プロデューサー? 円香先輩と何かあったの?」

「え、特に何もなかったけど」

 何かあったのは間違いないのだが、余計なことを言うと面倒なことになると察したプロデューサーは自身の表情筋を高等制御してそう言った。

 本当に何もなかったかのようにだ。

「ふーん、そっか」

 すると雛菜はプロデューサーの下へ向かい、目の前にやって来ると彼のその両手を握った。

 仄かに石鹸の香りが漂い、その距離の近さを自覚させる。

 彼女は彼の眼をジッと見据えてこう言った。

 

 

「プロデューサーは雛菜が”幸せにする”から、ちょっと待っててね〜」

 

 

 雛菜のその言葉にどう返せば良いか分からなくなってしまったプロデューサーは一瞬であるが時が止まってしまった。

 脳内をフルスピードで回転させるも、アンサーが出てこない。

「えっと、雛菜? それって......」

「あー! 円香先輩、荷物忘れてるー! ちょっと届けてくるね〜」

 そして雛菜は台風のように現れて、またすぐに消えてしまった。

 後に残ったのは彼女の石鹸の香り。

 プロデューサーは一瞬何かを考えるとスマートフォンを確認し、先程のメールに取り敢えず返信をすることにした。

 

 

 

「......うーん、この進捗だと旅行行けるかなーこれ? 」




円香は283プロダクションの中でもかなり話しやすい部類のアイドル。
逆に雛菜は283プロダクションの中でもかなり難敵の部類のアイドル。
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