もう限界なので休ませてください。。。 作:オティヌス
「〜〜〜♪」
その日、283プロダクションの事務所で、楽しそうに事務仕事をこなす女性がいた。
あからさまに機嫌が良さそうで、彼女の周囲からは音符のマークが何個も浮いているような幻覚が見える。
「あ、そうだ。そろそろプロデューサーさんが外回りから帰ってくる時間」
すると彼女は一度事務処理を休止し、席を立つとどこかへと向かう。
その足取りもどこか嬉しそうである。
彼女の名前は七草はづき。
この283プロダクションの事務員でありボーカルやダンスレッスンを担当し、所属するアイドルの衣装すら作成するなど裁縫スキルもとんでもないスーパー事務員でもある。
季節ごとに事務所内でコスプレしている姿を見かけることはザラであり、彼女のコスプレで季節が変わったことを自覚するものも少なくなかった。
「プロデューサーさんは少し冷まさないとすぐ飲めないのよね」
現在、彼女は事務所内にあるキッチンでコーヒーを抽出していた。
彼女が待つプロデューサーはこのプロダクションの全アイドルをプロデュースする敏腕である。
現状所属するアイドル全員が毎日何かしらの番組に出演するレベルで売れており、そのアイドル達のスカウト、オーディション、企画、方向性、選曲など全てを担っていた(最近ではアイドル達に任せている部分が多くなってきたが、最終的には彼の許可が必要になっている)彼を事務所の皆は超人と称していた。
そんな彼は猫舌であり、熱いコーヒーも少し時間を置かないと飲めないという超人と称されている彼からしたら想像できない弱点が存在した。
だがそんな部分がはづきを始めた他アイドルからは手がかかるも可愛いと評価されている。
故に帰ってくる少し前からコーヒーを淹れ始めているだが、そんな手間も全く気にしていない様子のはづきはやはりルンルンであった。
「はぁ......プロデューサーさん.....」
そして気づいたら溜め息が出てしまう。
最近のはづきはいつもこうだった。
プロデューサーのことを気づいたら考えており、そして溜め息が出てしまう。
しかしその溜め息は負の感情由来のものではなく、寧ろ真逆のものであった。
こうなったきっかけは簡単に言えばプロデューサーにまるでヒーローのように助けられたことから始まる。
はづきは10年前に父親を過労で失っている。
更に言えば母親も病気を患っており、まだ幼い妹もいる中で生活は苦しかった。
父親は弁護士をしており、残った遺産もあって困窮したわけではなかったが母親の医療費もあって無駄遣いできるわけもなく節約の毎日であった。
アルバイトが出来る年齢になり、はづきはそこからひたすらにアルバイトをしていた。
大学に行くかも迷ったが結局そのまま高校を卒業して働いた。
昔から器用で、ある程度のことはなんでも出来たはづきはアルバイトでそれを遺憾なく発揮して仕事をこなし、お金を稼いだ。
そしてある日亡き父親の親友だった男性と知り合う。
彼は父親が生前に顧問弁護士を担当していた会社、現283プロダクションの社長である人物であった。
アルバイト先を増やそうと思っていた矢先にうちで働かないかと言われたのだ。
最初は同情されるのも嫌で、しかも過労で亡くなった父を考えるとその原因の一端を作った人物に対して複雑な気持ちを抱いていたが生活をするには背に腹は代えられず、少し迷って283プロダクションで働き始めた(給料もかなり良かった)。
そしてその人物、社長と関わって分かったことがこの人はかなり不器用な人物であるということだった。
生前、父親は仕事人間であまり家庭を省みることがなかった。
ただ今だからこそ分かるが、それも全部家族である自分達のためだということも残してくれた遺産の額で分かったし、死期を悟り残された遺書にもそう書かれていた。
でもそんなの関係なく家族と一緒に過ごして欲しかった。
反抗期気味だった自分はともかく、特に当時小さかった妹からしてみればそれが一番の願いだった。
それは父親が不器用で一番家族へ出来ることが働いてお金を稼ぐことだったのだろう。
そんな父親と社長はどこか共通点があり、憎むことはできなかった。
だがそれでもぎこちなくなってしまうのは仕方のないことだった。
しかしそんな時だった、283プロダクションに一人の男性が入ってきたのだ。
それが現283プロダクションのプロデューサーだった。
彼の第一印象は物腰柔らかでカッコいい人だなというもので、印象はそれだけであった。
それだけで生きていける程社会は甘くないし、芸能界に関わるこの仕事であれば尚更であった。
しかしいざ働き始めるとその凄さは明らかになった。
アイドルのスカウト、オーディションを進め、単独デビューではなくグループでデビューさせることを提案し、編成とコンセプト、方向性、プロデュースの計画を纏め、社長と私にプレゼンテーションをし、決裁を勝ち取った。
そこからは破竹の勢いでプロデュースを進め、殆ど計画通りにことは進んでいった。
正しく救世主だった。
事務所の知名度はアイドルの知名度に比例して上がり続け、今ではあの283プロと言われるレベルになったのだ。
更に彼はそれだけではなかった。
コミュニケーション能力が凄まじく、難しい年頃のアイドル達と仲良くなっていた。
そしてそれはアイドルだけでなく裏方であるはづきや社長もその対象であり、最初は壁を作っていたが気づいた時には自身の過去を泣きながら居酒屋で話し始めた。
それを聞いた彼は一言、優しい表情でこう言った。
「頑張りましたね、はづきさん」
なぜかその一言に救われた気がして、涙が止まらなかった。
そんなはづきの側にプロデューサーはずっといてくれたのだ。
そしてそんな彼に、もう思っていることは全部吐き出しましょうと言われ、後日社長とプロデューサーとはづきの三人で個室の居酒屋をセッティングされ、そこで全てをぶちまけた。
あまりはづきの記憶には残っていないが、そこで初めて社長と真に打ち解けたのだ。
そこで来月から正社員としてここ一本で働いていくことも決まり、生活も健康面も安定するようにもなって母親は喜んでいた。
元々色々なところで働いているはづきを見て心配していた母親ではあったが、やっと安心できたと罪悪感も重なって涙ながらに言っていたのを覚えている。
病弱で働くのもままならず、はづきに頼っていたそんな状況。
少しでもはづきの負担がなくるならばそれほど嬉しいことはなかったのだ。
はづきは泣いた。
母親も泣いた。
一緒に病室へ来てくれたプロデューサーはただ黙って側にいてくれた。
プロデューサーには感謝してもしきれなかった。
故にはづきはそんなプロデューサーのことを______
「ただいま戻りました〜」
そして時間通り彼、プロデューサーは外回りから帰ってきた。
その声を聞いたはづきの表情は先程よりも嬉しそうであり、意気揚々とコーヒーを持って事務室へ向かう。
足取りは軽かった。
「おかえりなさい、プロデューサーさん」
「あ、はづきさん。ただいまです。あとこれ、先方からのいただきものです」
デスクにコーヒーを置くとありがとうございますとプロデューサーはリュックタイプのビジネスバッグを置きながら言う。
はづきがクロスカウンター気味に受け取ったお土産を確認すると美味しいと評判の◯屋のお高いドラ焼きであった。
「あら、有名なやつじゃないですか」
「はい。なので早い物勝ちで皆に食べて貰おうと思いまして」
そう言うとプロデューサーはメモ用紙にペンで何かを書き始め、はいとはづきへと見せた。
そこにはこう書かれていた。
『〇〇社からのいただきものです。お早めにどうぞ!』
そのメッセージの余白部分には可愛らしいクマのマスコットキャラクターが両手にプレゼントの箱を差し出している様子が描かれている。
「ふふふ、可愛いですね〜」
口元に手を当てて微笑むはづきであったが内心穏やかなものではなかった。
プロデューサーさん可愛いすぎないですか?
何なのだろうかこの人は。
はづきの心臓は現在進行系で高鳴り続けている。
身長187センチで顔は男性アイドルグループのメンバーの一人と言われても違和感はなく、性格は誰にでも優しく気配り上手でめちゃくちゃ仕事が出来る。
車の運転も上手でしかも趣味はお菓子作り。
それに加えて猫舌、可愛いキャラクターもスッと書ける器用さのギャップ。
それも相まってプロデューサー沼に陥っているものは少なくないだろう。
現にはづきは既に第五深層辺りまで入り込んでいた。
うん、この人は本当に何なのだろうか。
再度はづきはそう思った。
「けっこう可愛く描けましたよ。ユアクマ」
そうニカッと笑みを浮かべながら言うプロデューサーの背後には小動物が見えた。
いや可愛いのは貴方ですからとはづきは言葉が出かけるが何とか抑え込む。
まるで中学二年生の妄想ばりの感覚をこの歳で味わうとは思いもしなかった。
「コーヒーとっても美味しいです」
いつも飲みやすくて助かりますとそんなことを言われたら、はづき的には寧ろ逆なんですけどねとまた思いが零れそうになる。
何ならプロデューサーの為に良いコーヒー豆をと、はづきが個人的に買っているくらいである。
ああ、この短時間で何度呼吸が苦しくなるのだろうか。
「あ、そうだ。はづきさん、これ見てくださいよ。帰る途中で居たんですけど」
そう言ってプロデューサーはスマートフォンを取り出し操作し、写真を見せてくる。
「あら可愛い猫ちゃんですね〜」
そこに三毛猫が仰向けになってお腹を見せている写真だった。
「はい、なんか人馴れしてるみたいでこっちにすり寄ってきて超可愛かったんですよ」
ニコニコしているプロデューサー。
うん、だからそんな貴方が可愛いんですよ。
確かに猫は可愛いが、普段見せている仕事が出来るプロデューサーとのギャップで猫どころではなかった。
はっきり言ってはづきはキレそうになっていたのだ。
意味が分からないが。
「______うん? すみません、ちょっと電話出ますね」
プロデューサーはそう言うとスマートフォンの画面をスライドさせ、電話に出るとお世話になっておりますと話を始めた。
一瞬で仕事モードになるプロデューサーに対して少しときめいていると、ふとパソコンのデスクトップに視線が釘付けになった。
『引き継ぎ関連資料』
その瞬間はづきの頭は真っ白になった。
悪いのはプロデューサー。