もう限界なので休ませてください。。。 作:オティヌス
「むむ、これは......?」
283プロダクションのキッチンにプロデューサーが描いたであろうユアクマの絵がメモ用紙に描いてあり、セロハンテープで箱に留められていた。
中にはドラ焼きが何個か残っており、どうやら早いもの勝ちということらしい。
「ふむ......美琴さんに持っていこう、と思ったけど......」
食べてくれるかなぁ、そう思いつつドラ焼きを2つ取ったのは七草にちか。
彼女は『SHHis(シーズ)』という二人組のアイドルグループのメンバーの一人であり、この事務所の事務員の妹でもある。
そう例のプロデューサー監禁脅迫事件の当事者である(なお知っているのはプロデューサーとにちかだけである)。
美琴、というのは同じグループのメンバーでにちかが敬愛してやまない緋田美琴のことである。
確か彼女は近くのレッスン場で自主練習をしていたはずと、背負っていたリュックにドラ焼きを入れるとスマートフォンを取り出した。
「ど・ら・や・き・も・ら・い・ま・す・ね、と」
あとお仕事も終わりましたと、手慣れた手付きでメッセージを打ち込んだのは自身のプロデューサーの個人CHAIN。
そのプロデューサーとの最新の履歴は今朝、午前5時24分のメッセージのやり取りは以下の通りである。
『おはようございます』
『おはよう』
『今日は一人で現場行ってきますね』
『悪い、頼むよ。いつものスタッフさんだから問題ないとは思うけど、何かあったら連絡して』
『はーい。あ、ちゃんと朝ご飯食べてくださいよ。カ◯リーメイトとかじゃなくて』
『はいはい、分かってるよ』
『ほんとにわかってます?』
『あとでちゃんと朝飯の写真送る』
『それで良いです!』
そしてその約一時間後、車内で撮影したであろう朝ご飯のハムレタスサンドイッチ1つとタマゴサンドイッチ2つに蒸し鶏入りのサラダとペットボトルのブラックコーヒーの写真が送られてきていた。
プロデューサーさんって案外たくさん食べるんだよねぇと、少しニヤニヤしながら合格ですと描かれたスタンプを送ったの数時間前の話だ。
実はプロデューサーが健啖家というのは283プロダクション内でも少しづつ広まっている情報であった。
彼は普段アイドルの前ではそこまでたくさん食べたりはしない。
それはアイドル達と食べる時間を合わせるためである。
量が多いとそれだけ時間がかかるが、量を調整すれば早く食べ終わるにしろ遅れることはない。
まあ、それでも時間はピッタリと合わせるのがプロデューサーであるのだが。
ちなみに彼がたくさん食べることが知ったアイドル達はいつも通り食べて欲しいと言って、その姿をニコニコしながら眺めていた。
「あ、返信来た」
スマートフォンが振動し、画面を開く。
そこにはOKと描かれた看板を持ったデビ太郎のスタンプが表示されていた。
「む、スタンプだけ」
少し待ったがこれ以上返信は来ないようだ。
そのことににちかはムッとしつつもスマートフォンを仕舞い、美琴のいるレッスンスタジオへと向かうことにした。
「......お疲れ様とか送ってくれてもいいのに」
ボソリと呟くにちかの表情が曇っていく。
スタンプ一つで雑に返されたことがお気に召さないようだった。
いや、にちか自身分かってはいるのだ。
プロデューサーはとても忙しい。
CHAINにすぐ返信してくれたのだって、たまたますぐスマートフォンが見れる状況だからなのだろう。
もしかしたら電話が入ったのかもしれない。
それならメッセージを送信出来なくてもおかしくはないし、なんなら長文で入力中の可能性もある。
______なぜこんなにモヤモヤしなくてはいけないのだろうか。
そこはにちかも分からなかった。
心に針が刺さったような感覚。
タスクの優先順位があることくらい分かっている、分かってはいるのだが彼女はまだ子供である。
それ故に感情が優先されてしまう。
芸能界というある意味で一番厳しい社会に入った彼女もその部分は大人には成り切れていなかった。
「あ、にちか」
事務所から出ようとドアノブに手をかけたところで呼び止められる。
「なあにお姉ちゃん、今から美琴さんのところ行くんだけどー」
彼女を呼び止めたのは、にちかの実の姉であり事務員でもある七草はづきであった。
その手には封筒が握られていた。
「郵便局行ってこないといけないからちょっと留守番してくれる?」
出鼻を挫かれるとはこのことなのだろう。
ただでさえプロデューサーから返信が来ないにちかにとってそれはイライラを加速させるものだった。
それにいち早く敬愛する美琴の元へ向かいたいというのもあった。
「すぐ戻ってくるし、それに今日もう仕事も終わりでしょう?」
「えーやだー。この時間だともう少しで誰か帰ってくるでしょ」
それは急ぎなのかと、にちかは続けた。
実の姉ということもあり、そのやり取りは気安さがある。
これがもし別の所属アイドルや社長であれば断ってはいなかっただろうが相手が相手なので、にちかも拒否という体勢になった。
「別に急ぎじゃないけど、忘れないうちに出しておきたいの」
「それなら忘れないようにメモでもしてればいいじゃん」
「......あのね、少しくらい良いでしょう。何か予定でもあるの?」
「ありますー。美琴さんにドラ焼きを届ける用事がー」
「それこそ後ででも良いでしょう」
「あー今日は業務終了で______あっ」
姉妹の言い合いに火花が散りかけたその時、ポケットでにちかのスマートフォンが振動した。
サッとすぐに画面を確認するとそこにはプロデューサーと表示されていた。
『撮影お疲れ様。スタッフさんから頑張ってたって聞いたぞ』
『鼻高々ってこういうこと言うんだろうな』
『寄り道しないで気をつけて帰りなよ』
そしてユアクマのありがとうと描かれたスタンプが来る。
にちかの心に刺さっていた針はいとも簡単に抜けてしまった。
そもそも刺さってなどいなかったのではないかというレベルで彼女のメンタルは全快していた。
「ごめーん、行かなきゃ!」
「ちょ、ちょっとにちか!」
韋駄天の如く、事務所から走り去っていくにちか。
それを後ろで溜め息を吐きながら、ガクリとするはづき。
「......反抗期、かしら」
まあ誰か帰って来たときで良いかとはづきは切り替え、プロデューサーが貰ってきたドラ焼き食べようとキッチンへと向かった。
その戻り際、彼の描いたイラストを撮影して。
「......返信遅いんですよ全く」
そしてにちかは事務所から少し離れたところで止まると、CHAINを開き返信をした。
気のせいか打ち込む速度がいつもより早い気がする。
『当たり前じゃないですか。もうアイドルになって一年も経つし、私だって成長してるんですよー!』
『えー! 女子高生に寄り道しないでとか過保護でおじさんみたいみたいですよ!』
『どうしよっかなー。寄り道して帰っちゃおうかなー』
ニコニコしながら文章を打ち込むにちかの姿は誰が見ても嬉しそうだった。
『それは分かってる。にちかは毎日ちゃんと成長してるよ』
『過保護とそれは関係ないだろ。でもおじさんかー。まあ26ってアラサーだし仕方ないね』
『はいはい、寄り道して良いけど気をつけて帰りなよ』
そしてプロデューサーからすぐに返信は返ってきた。
ニッコリ表情の丸顔のキャラクターのスタンプを送ると、プロデューサーから同じく頷いている丸顔のキャラクターのスタンプが返ってきてにちかは大満足した。
彼女はよく彼が歌っている鼻歌を歌いながら、足取り軽やかに最寄りの駅まで歩いていった。
「ドラ焼き? ありがとう、にちかちゃん」
ダンスレッスンの休憩中、スタジオにやってきたにちかからドラ焼きを貰うのは件の緋田美琴である。
彼女はつい最近までゼリー飲料やブロック栄養食などしか食べていないという、全く食に関心がない割りとやばい食生活をしていたのだが、にちかやプロデューサーによって漸く少しはまともな食事を摂るようになった。
「プロデューサーさんがお仕事先でもらってきたらしいです! しかも高そうな箱に入ってたので美味しいはずです!」
「ふーん、そうなんだ。じゃあ食べないとね」
にちかにそう力説され、少し微笑みながら早速ドラ焼きを開封し食べる美琴。
「ん、甘いね」
「はい、甘いです」
休憩スペースのベンチに並んで座り、仲良くドラ焼きを頬張る二人。
暫しの沈黙。
だからといって気まずいということもなく、ドラ焼きを食べ進めた。
そしてドラ焼きを先に食べ終わったにちかが切り出した。
「美琴さんはこの後はどうされるんですか?」
「うーん、もう少し練習していこうとは思ってるけど」
続いてドラ焼きを食べ終わった美琴は包み紙をまとめながらそう答えた。
「美琴さん、何時から練習してます?」
「ここが開く時間から、かな」
このダンススタジオの始業時間は8時からである。
現在の時間は13時半過ぎ。
既に5時間以上ぶっ続けで練習をしていることになる。
「......お昼は食べました?」
「うん、食べたよ。サラダチキン一個」
「......それだけですか?」
「うん......あ。あとゼリー食べたよ、マスカット味」
「......美琴さん、ご飯を食べに行きましょう」
どうやらまだ食生活の完全改善には至らないようだ。
にちかはスマートフォンを取り出すと付近の飲食店を調べ始める。
「でもあまりお腹は空いてないよ」
「プロデューサーさんがそれ聞いたら多分怒りますよ」
異常な食生活を送って倒れそうになったとき、珍しくプロデューサーは怒っていた。
怒るといっても怒鳴るとかそういったものではなく諭すような言い方ではあったが。
「むっ、それは良くないね。プロデューサーの怒った顔は見たくないし」
プロデューサーと言われ、意見を180度変える美琴に苦笑いするにちか。
美琴はレッスンの鬼でその制御は難しいところがあるのだが、プロデューサーを絡めればある程度の制御が効くのであった。
それを見ていたにちかは少し呆れながらこう思っていた。
______プロデューサーさんのこと好きすぎじゃないですか?
勿論、信頼という意味なのだろう。
あのアイドルになるために生まれてきたような美琴だ。
そのトップアイドルを目指すストイックな姿勢からは、どう見ても恋愛にうつつを抜かしているようには見えなかった。
にちかはそんな美琴のことをとても尊敬しいているし、そんなところが好きであった。
「じゃあ、行きましょうか。近くにヘルシー路線のカフェがあるみたいです。それにまだランチタイムにも間に合いそうですし」
そう言いながらベンチから立ち上がるにちか。
美琴もそれに合わせて立ち上がり横に置いていたボストンバッグを持つと、あっと声を出した。
「ねえ、行くんだったら。あそこが良いかな」
スマートフォンを操作し、にちかへ見せる美琴。
にちかは珍しいなと思いつつ、画面を覗き込んだ。
「中華料理、ですか?」
まさかのチョイスににちかは驚いていた。
確かにこのスタジオから近い距離にはあるのだが、ヘルシーとは真逆とも言えるそのチョイスをまさかあの美琴の口から聞くのは初めてであった。
「うん、プロデューサーに前連れてってもらったの」
そう言う美琴の表情はいつもキリリとしている彼女からはあまり想像できないような穏やかさであった。
食に関心がない彼女が行きたいということはそれ程までに美味しいお店なのだろうか。
「プロデューサーがよく行くお店なんだって言ってたよ」
青椒肉絲が好きでよく食べているとプロデューサーが言ってた、美琴はさらに続けた。
なぜかにちかの胸にチクリとした感覚を襲った。
「でも美琴さんが食べられる料理あったんですか? 中華って脂っこいの多いですし」
「私は棒々鶏を食べたよ。あとプロデューサーの青椒肉絲も少しだけもらったけど」
なるほどちゃんと食べられるものがあるお店に連れてったんですねと、にちかは納得した。
最初は美琴へのお店のチョイスとしてはセンスないなとにちかは思っていたが、彼女のこの様子だと満足したのだろう。
______プロデューサーさんも中々やりますね。
美琴の食生活改善はかなり難しいのであるが、プロデューサーのまさかのチョイスで改善は進んでいた。
そんな彼に負けられないとにちかは思いつつ、私もそのお店へ連れてって欲しかったと寂しさも感じながら地図アプリで先程のお店を検索した。
「じゃあ、そのお店に行きましょうか」
にちかの進言に美琴は頷くと、レッスンスタジオを後にした。
「まあまあでしたね」
プロデューサーに連れて行ってもらったという中華のお店は”THE町中華”と呼べる中々にレトロな店構えであった。
美琴は以前にも頼んだ棒々鶏セット、にちかは青椒肉絲セットを注文した。
にちかは美琴の棒々鶏も少し貰ったのだが、味に関しては可もなく不可もなく、といったところであった。
値段は意外に安めではあったが。
ちなみに美琴はにちかから青椒肉絲は貰わなかった。
「ん、そうかな? 食べやすかったよ」
美琴は味について特に言及しなかった。
いや彼女に関しては美味しさにそこまでのこだわりがないだけなのであるが。
「............次はプロデューサーさんに連れてってもらお」
「______にちかちゃん? どうかした?」
少し俯き何かをボソッと呟いたにちかへ、美琴は問いかけた。
聞き取れなかったためもしかして何か変なことを言ってしまったのかもしれないと少し心配していた。
「あっ! 何でもないですよ! 今度はもっと美味しいお店に行きましょう! プロデューサーさんに奢ってもらって!」
ハッと我に返ったかのように、にちかはいつもの様子へ戻った。
美琴はその様子に安心した。
なぜなら先程のにちかは普段のにちかとは似ても似つかないオーラを出していたからだ。
一瞬無表情になったように美琴は見えていた。
「......そう、だね。でもその時は私もお金出すよ」
「むっ......それなら私も出しますよー!」
まあ結局プロデューサーが奢るっていって聞かないのだろうけど、そんなやり取りを二人はしながら帰路へつく。
練習に戻ろうする美琴を何とか抑え、にちかはショッピングへ誘いどうにか彼女にオーバーワークをさせないで済んだ。
「......そうだっ」
するとにちかはスマートフォンを取り出しCHAINを開く。
『美琴さんが練習続行しそうだったので一緒に買い物行ってきますねー』
プロデューサーは美琴の過剰な練習を止めると褒めてくれるのだ。
それはにちかの経験則だった。
『よくやった!』
『ナイスだ、にちか!』
『にちかが居てくれてマジで助かるよ』
『ありがとな』
そうやってプロデューサーはいつもにちかを褒めてくれたのだ。
それがにちかにとって、とてもとても嬉しかった。
後は返信が来るのを待つだけだと、そう思っていたときだった。
「プロデューサーからだ」
スマートフォンの振動音が聞こえる。
だがそれはにちかのものではなく、美琴のものからであった。
しかもメッセージではなく電話。
「はい、もしもし。どうしたの?」
一瞬期待したのに、にちかの頭はスーッと冷めていく。
______なんだか納得がいかない。
「ああ、うん。この後はにちかちゃんとお出かけ」
どうやらプロデューサーは自主練習をしている美琴を心配しての電話であったようだ。
練習に集中している美琴はメッセージでは反応しないのを見越しての電話なのだろう。
心の中で渦巻いていた気持ちをにちかは少し抑えることができた。
メッセージを送った直後に電話がかかってきたということはタイミングがほぼ同時だったということだ。
決してにちかのメッセージを無視したわけではない、はず。
「うん、うん......うん? 良いよ。ちょっと待って」
すると美琴はスマートフォンを耳から離し、画面のスピーカーボタンを押した。
『にちか、聞こえてるかー?』
聞きたかったプロデューサーの声に、にちかの心が少し舞い上がる。
にちかはやれやれといった体で声を出した。
「はいはい、聞こえてますよー」
『ありがとな、美琴を止めてくれて』
「ふふーん。もっと感謝してくれても良いんですよ」
「......私ってそんなに信用ないかな」
少しショボンとする美琴。
こと過剰な練習において美琴に対する信用はあまりになかった。
『ははは、ごめんごめん。そんなつもりはな______』
「______私、プロデューサーの言う事ならしっかり聞くよ」
なんでそんなこと言うの、美琴の声が一瞬で険しいものになっていた。
その声は街の喧騒の中でもしっかりと通っており、隣にいるにちかも思わず黙り込んでしまう。
『......ごめん、そうだよな。美琴はちゃんとやってるよ。いつもありがとな』
そのストイックな姿勢にいつも助かってるよ、そうプロデューサーは続けた。
「......うん、それならいいよ」
雲散霧消。
美琴が纏っていた鋭利なオーラは最初からなかったかのように消え去った。
にちかは無意識の内に安心して息を吐いていた。
『あ______はい、あー! お世話になっております_____』
すると電話先でプロデューサーは誰かに声を掛けられたようだ。
少し会話が聞こえてきたが、仕事先の人のようだった。
電話を切っても良いような気がしたが、美琴はそれをしなかった。
寧ろ仕事中のプロデューサーの声を聞いていたいという気持ちがあり、そのままにすることにした。
にちかも気持ちは一緒であった。
プロデューサーも電話を切るの忘れているのか、その会話が漏れていた。
『ははは、お久し振りです。ええ、ええ______』
プロデューサーの声はすっかり仕事モードに入っており、いつも彼女たちの隣で聞く彼のものになっていた。
それは所属アイドルたちが仕事中に一番安心できるもので、この声を聞くと緊張も解れた。
故に、にちかと美琴は電話を切らずに繋げたままにしてしまう。
それが二人にとって不味いものだった。
もし電話を切っていればあんなことにはならなかったのに。
『______あと半年になりますが、よろしくお願いしますね』
あと半年、彼のその言葉の意味をにちかと美琴は理解することが出来なかった。
まだ大丈夫。