「ようこそ、我が鎮守府へ」
「「「「「……………………」」」」」
建物の中に入った途端、渋井達は言葉を失った。
何枚も板が打ち付けられた壁。
ガラスの割れた窓。
抜け落ちそうな床。
今にも崩れそうな天井。
鎮守府というよりか廃墟と呼ぶのが相応しい。
これには歴戦の勇士達も開いた口が塞がらなかった。
「前に来た時より酷くなってやがる……」
渋井のため息が響き渡る。
提督と暁は苦笑を返した。
「私の実家の方が何倍もマシですよ、これ」
江野島は呆れるというより、純粋に驚いている。
彼女の実家は貧しく、かなりオンボロの家屋に住んでいる。
そんな彼女にここまで言わせるのだ。
流石は"枯渇鎮守府"。
北上と大井、そして長門は初めて"枯渇鎮守府"を訪れるため、そのリアクションは渋井よりも大きなものとなった。
「す、すごいところで暮らしてるんだね……」
「北上さん、私耐えられないわ……」
「こ、これが鎮守府なのか……? 鎮守府と呼んでいいものなのか?」
「まあまあ、落ち着きなされ」
3人を宥め、提督は歩き出す。
「とりま、客室に来てくれ。他のみんなが待ってるはずだ」
★★★
客室で一行を待っていたのは、常にクールな少女、響のお辞儀だった。
「ようこそ、鎮守府へ」
「お、響ちゃん。雷電はどこだい?」
「すぐに来る。先に座って待っていてほしい」
「おらおら、響さんが座れっつってんぞ。大人しく言葉に甘えやがれ」
提督に心底ウザそうな顔を向けてから、渋井は席についた。
長門や江野島らは座らず、古いソファの後ろに控えた。
しばし、静寂が続く。
誰も言葉を交わすことなく、雷と電が来るのを待った。
「……」
「……」
時計を気にし始める提督。
その直後、客室のドアが開いた。
「特製バナナケーキ、お持ちどうさま!」
「な、なのです!」
いつも通り活発な雷と、やや緊張気味の電。
雷が手にするおぼんには、黄色いカップケーキが乗っており、電はお茶が入った湯呑みを乗せたおぼんを持っている。
「どーよ! 俺が真夜中にチャリを飛ばして、財布の中身のうち3分の1をつぎ込んで手に入れた材料を使って作ったケーキだ! 最高の待遇だと思わねえか? ん?」
「ほー。これ、君らが作ったのか?」
ケーキを見つめる渋井の目は、感心に染まっていた。
雷が頷く。
「もちろん!」
「電も頑張ったのです!」
「凄いじゃないか。それじゃあ、ひとつ頂いても?」
「もちろん。そっちに運びますね」
「おう」
雷は、ガチガチになった電を軽く小突き、我に返らせる。
電はびっくりしたような顔で雷を見たが、すぐに表情を引き締めた。
「行くわよ、電」
「な、なのです」
正面の机に向かって歩き出す2人。
暁と響、そして提督はひやひやしながらそれを見守る。
雷はまだしも、電がこけてお茶をぶちまけたりしたら大変なことになる。
どうにか杞憂で終わってくれと、3人は心の中で祈った。
テーブルに確実に近づいていく2人。
距離が縮まるにつれて、3人の表情も緩くなっていく。
……それでも、現実はバナナケーキのように甘くなかった。
「あ」
突然床が抜け、雷が転んだ。
そのままケーキがテーブルの上にぶち撒けられる。
「「そっち⁉︎」」
「い、雷ちゃん……! ど、どどどうすれば……!」
湯呑みのおぼんを持ったままあたふたし出す電。
提督は慌てて叫んだ。
「置け! それ一旦置け!」
「は、はい!」
すぐ前に迫ったテーブルに向かおうとする電。
だが、彼女の足元の床も容赦なく抜けた。
「はわわっ……!」
「ちょっ……!」
湯呑みの飛翔。
熱々の茶の雨。
打たれるのは、渋井隆道。
そして、彼を咄嗟に庇おうとした長門。
「や、やりやがった! やりやがったーっ!」
「タオルタオル!」
「「ご、ごめんなさい!」」
提督と暁がタオルを取りに駆け出す中、雷と電は渋井と長門に深々と頭を下げた。
渋井と長門はずぶ濡れの顔を見合わせる。
「なんというか……」
「とんでもない鎮守府に来てしまったな……」
戻ってきた提督と暁からタオルと新しいケーキを受け取り、今度こそ彼らはケーキを口にした。
「うん。ケーキ美味い」
「本当に上手に作るものだな。こんなに美味しいケーキは久しぶりかもしれん」
意図せず顔を綻ばせる渋井と長門。
渋井はともかく、武人然とした長門がこんなに可愛らしく笑っているのを見ると、何か提督の心にくるものがある。
「……イイ」
その間も、雷と電は部屋の隅でどんよりとした空気を放ち続けていた。
「うぅ……やっちゃった……」
「うぐ……えぐ……」
これまでに見たことない落ち込み具合である。
いつも活発な雷もこの有様だ。
流石の提督もいい気分にはなれない。
「元気出せって。失敗は誰にでもあるんだ」
渋井も同調するように頷く。
「そうそう、君らに非はないさ。修理と点検を怠った戸部が全面的に悪い。とにかく、怪我がなくてよかった」
「そうよ。万が一北上さんが落ちたりしたらどのくらいの賠償をしてくださるのかしら?」
渋井と大井からの辛辣な言葉を流しつつ、提督はまだしょんぼりしている2人を見やった。
「どうしたもんかねえ……」
「そうだ。北上、頼みがある」
「はい?」
渋井が背後の北上を振り返る。
反射的に、大井が北上に半歩近づいた。
「この子達の面倒見てやってくれねーか? 頼むよ」
「……は?」
渋井が提督に目配せする。
奴の意図を察した提督は、わざとらしく4人の駆逐艦娘に言った。
「聞いたか? 北上おねーさんが遊んでくれるってよー。執務室開放するから、ボードゲームでもして遊んでくるといいぞー」
途端に、雷と電の周囲から重い空気が消え去った。
「そうと決まれば、北上さん! 見せたいものがあるの! 執務室に来て!」
「仕切るのは暁よ! さあ、行きましょう!」
たちまち4人の駆逐艦娘に取り囲まれる北上。
心底怠そうな顔をあからさまにしてみせた。
「駆逐艦、ウザい……」
とはいえ、上官命令には逆らえない。
渋々といった感じで、彼女は暁達を引き連れて……というよりは連れ去られる形で客室を出て行った。
「ま、待ってください北上さーん!」
大井も彼女の後を追っていく。
客室に残ったのは、提督に渋井、長門、江野島の4人となった。
「……このためにあいつらを呼んだな?」
彼の向かいの椅子にどかりと腰を下ろす提督。
渋井は肯定も否定もしなかった。
代わりに、真剣な表情で提督に語りかけてくる。
「戸部。ここは楽園だ。軍事施設なのに戦争を知らない楽園。暮らしているのはお前を除いて、本当の戦いを知らない無垢な連中だ。彼女達に今から話すことを聞かれるのは少し心が痛むんだよ」
「いずれ知らなきゃならんことだが、まあもう少し後でも構わんだろ。それで、本題は?」
「話したいことが主に3つ。最初はまだ明るい話題からいこうか」
メガネをクイッと押し上げ、渋井は続ける。
「うちの鎮守府にすげえのが来た」
「すげえの?」
「ああ。世界最強の1人といっても差し支えない」
「つまり、ミスター・サ○ンが配属されたと?」
「んなわけあるかアホ。南郷閣下のところに武蔵っているだろ? 彼女の姉だよ」
提督の頭に、"彼女"の顔が思い浮かぶ。
腕を組み、何度も相槌を打つ。
忘れたくても、忘れられない。
「……大和か。戻ったんだな」
「ああ。復帰早々、俺の鎮守府に異動になったらしい。俺に大和を押し付けたりして、大本営は何を考えているのやら」
「それで、本格的に戦場に投入すんのか? 何せあの大和だ。えげつない量の資材を食われるんじゃないか?」
「そこなんだよ。お前ほどじゃあないが、うちの財政もすこーしだけ厳しい。大和型を本格的に運用するにはちょっと足りん。しばらくは長門と陸奥に頼らせてもらう」
長門が渋井のセリフを継いだ。
「いくら大和とはいえ、長い間戦場を離れていた。ブランクも相当なもののはずだ。今出撃させるのは不安が大きい」
「……そうだな。今はそのやり方で行けばいいと思うぜ。俺が言えたクチじゃないが、艦隊運用に資材のやりくりはつきもの。余裕がねえってんなら、大和の出撃をできるだけ控えるのは合理的だ」
頷きを返す長門。
提督は無精髭を撫でながら言った。
「ただし、本格投入もいずれ視野に入れなきゃならん。それくらい、戦況が厳しくなってる。そうだろ?」
「……横須賀の悪魔の洞察力は半端じゃねえな。そうだ。これが2つめの話になる」
渋井の口調は真剣そのものだ。
提督の表情も固くなる。
「太平洋の戦線がジリジリとだが後退しつつある。幸い、艦娘の犠牲者は出ていないが、ドッグ入り娘が続出している。この前深海棲艦の大艦隊と接触した際には、各鎮守府の選抜メンバーで組まれた艦隊がなかなかの損害を被っちまってな。扶桑と山城がそろって大破。最上と時津風、白露が中破。俺の艦隊の中からだと、那智が中破してドッグ入りだ」
「なんつーザマだ。そんなに手強いのか、深海の連中は」
「すぐにでもお前に戻ってきて欲しいレベルだ。だが、大本営が許さんだろう。お前に相談したいのは、今後の展開についてだ。奴らも馬鹿じゃない。こっちの戦術を学習してるんだよ。お陰でこっちの艦隊は痛い目に遭わされ続けている。扶桑と山城がドッグ入りしちまったのは大きい。これ以上全力を削がれるわけにはいかないんだ」
「……だったら泊まってけ。その方がじっくり考えられる。暁達も喜ぶだろうさ」
「恩に着る。それはそうと、3つめの話だが……」
「もう察した。大本営の派閥争いだろ?」
「ほんとにその洞察力はどうなってんだ。その通りだよ。最近、大越派が勢いを増してきやがったんだ」
提督の顔が曇る。
大越鷹山。
反艦娘の立場を一貫して取り続ける男。
ついこの前、戦艦に呼び出してきた軍人の顔を思い浮かべ、提督は舌打ちした。
「他の派閥の軍人が次々に排除されてる。艦娘に寛容な小野寺派の古賀内に、艦娘を兵器としか見ていないクズヤロー、神崎派の田端が汚職の責任を取って更迭された」
「司令長官は何て?」
「更迭には反対したが、軍人達を抑えきれなかったそうだ。司令も、大越の仕業だってのは見抜いてるが、何せ証拠がない」
「血が流れてない分、まだマシか……」
「このまま対抗手段を得られなかったら、人類は終わりだ。あいつらの主張通りに従来の艦船による攻撃が行われ、そのまま全滅。兵士も市民もみんな死ぬ。あいつら何でわからないんだよ、こんな簡単なことが。従来の兵器じゃ勝てないんだよ!」
「落ち着け渋井。深呼吸、深呼吸」
言われた通りに深呼吸し、渋井はいつもの冷静さを取り戻した。
「……すまん。熱くなった」
「これは、長い語り合いになりそうだな。よし、今夜は寝かさん。言いたい意見が山ほどある」
提督は不敵に笑ってみせた。
これが、彼へのせめてもの励ましになると信じて。