駐車場にバイクを止め、タオル類を持って向かう。
木枠のガラス戸に 千人風呂 金谷旅館 と書かれている。昔ながらの建物という感じだ。
ガシャガシャ
趣あるガラス戸を開け、中へ入る。開くときの音も、硝子戸であることを意識する音だ。
「いらっしゃい」
旅館だから、番台というよりはフロントと言うべきなのか。受付の人から声が掛かる。
「日帰り入浴、お願いします」
「三人とも?」
「あ。はい」
「一人800円です」*1
下駄箱に靴を入れ、受付でお金を支払う。
「それじゃあ純兄、私はこっちだから」
「お兄さん、後で」
脱衣所で服を脱ぎ、戸を開く。
「おお!」
かなり広い。
湯けむりで視界は悪いが、広いことは分かる。
湯船はプールのように広く、半分に仕切られていて、片方の水深は1m位ありそうだ。泳ごうと思えば泳げそう。*2
奥の方に扉がある。脇の窓から灯りが差し込んでいる。露天風呂だろう。
平日の朝ということもあり、入っている人は少ない。
身体を洗って、湯船へ浸かる。
おお……。良い湯加減。
露天風呂にも行ってみよう。
ん? 露天風呂に通ずる扉の脇にも、別の扉がある。鍵穴があるということは、係員専用の何かだろう。
そちらは気にせず扉を開く。
露天風呂は貸切同然だ。
露天風呂というものには、大きく二つある。
『高いところから景色が見渡せる』ほったからし温泉やささゆりの湯のようなのと、『建物の外に浴槽がある』ここみたいなのだ。
後者のお風呂は景色が見れない代わりに、庭園にされていたり、趣ある浴槽だったり、場所によっては小さな滝があったりもする。
ここも浴槽の脇に木が植えられていて、小さな庭園のようだ。
しかし、景色が見れなくても、屋根が無いってだけで、解放感が違うなぁ……。
露天風呂で寛いでから内湯に戻る。
「あ、戻って来たよ」
「どうも……」
「純兄遅いよ」
え……?
…………えっ!
「ちょっと! 綾乃にリンに凪? 何でここに!」
内湯に戻ると、目の前のお風呂を泳ぐ綾乃の姿と、浴槽の淵に腰掛けているリンと凪の姿が目に入った。
…………。
何でここにいるの?
リンと凪は一緒にこの温泉に来ているけれど、なぜこのお風呂に居るの!
綾乃は同じ静岡県に住んでいるとはいえ、なぜ伊豆に居るんだ?
色々な意味でパニック。
「お兄さん、彼女と知り合いなんだ?」
「あれ、リン知らないの?」
「お兄さん、とりあえず落ち着きましょう? 順に説明しますから」
取り乱した。というか、パニックというか……。危うく卒倒するところだった。
順に今の状況を整理しよう……。
「ここ、金谷旅館の千人風呂は混浴です」
マジか。そんな話聞いてない。
「そこの扉で女湯と繋がってるんですよ。此方側から入られないように、女湯に鍵があって、これを使って出入りするんですよ」
そう、綾乃が腕に通した鍵を掲げて見せる。鍵穴があるのはそういうことか。
「千人風呂って名前だから入りたいな……って思っていたら、混浴だと分かって。迷っていたんですが、タオル着用可なので、勇気を振り絞って来てみました」
さっきぼそっとリンが言っていたのはこの事か。確かに、タオル着用可能といっても、混浴に入るのには勇気がいるよな。思春期真っ只中の女の子だし。
俺が入ったときに入浴中だった人たちは上がったらしく、今ここには俺たち四人しかいない。もし、ここに他に誰か居たら……。
まあ、一人気にしていないような子が居るけどさ。少しは隠したらどうなんだ……。それ。
で、次はその子がここに居ることだ。
「何で綾乃がここに居るんだよ?」
「居たら駄目なんですか?」
居て当然、そう言わんばかりの言い方だ。
「そうは言ってないけど……。凪知ってた?」
「ううん。何でアヤちゃんがいるの?」
アヤちゃん呼びかい! 仲良いんだな。
「お兄さんの後を付けてきた、って言ったらどうしますか?」
普通に考えたらそれしかない……。
まあ、
細かいことは言ってないらしいけど、何時・何処へ・何処に泊まる という事は知ってるらしい。それをもとにやって来たのだろう。
決定打は恐らく 道の駅 伊豆のへそ でのライン。
「事前に話を聞いていましたから、この位の時間に通るだろうって場所で待機してました」
マジか。全然気付かなかった……。
「因みに、何処から付けてきた?」
「天城越えの道の駅からです」
彼処は確か。
「車組……各務原さんたちと会わなかった?」
俺が道の駅を通り掛かったタイミングで休憩していたから、ニアミスしてると思うんだけど。
「会いました! 幸いなでしこは寝てましたから、見られずに済みましたけど……。なでしこが送ってきた写真で見たことある顔が沢山居ましたから、ビビりましたよ」
そうか。綾乃は野クル部他車組の顔を知っているのか。逆は知らないはず。だから、顔を会わせても、各務原さんでなければ気づかれる心配は無いんだな。当の本人は寝ていた訳だし。
「しかしねぇ。まさか、天城山トンネル……あんな道通るなんてねぇ……」
若干嫌味っぽい。道が悪かったことに対してだろう。
「それはまあ、すまん。にしても、遠路遙々お疲れ様だな……」
浜松からじゃあ、地味に距離もある。走ったことがあるから言えるが、あの道を走ってきたってことは、かなり大変だっただろう。綾乃のバイクは100CCだし。
まあ、俺があの道を走ったのは125CCだから大して変わらないけれど……。
「だってぇー。本当はもう少し手前で待とうと思ったんですよ。そしたらお兄さん、『トリシティで行くから高速経由』だって」
「確かに。本当なら私も一緒に行きたかったのに……。先輩
「「ねー」」
二人に揃って非難される。これ、俺悪いのか?
「仕方ないじゃん。私を
「この中で唯一無免許の凪が言っても、説得力皆無だろ」
凪が出してくれた助け船は、即刻沈没させられた……。そこ、喧嘩しないでね?
「じゃあ、昨夜のラインで満身創痍がどうとか言ってたのって……」
「はい。昨日、学校が終わってすぐ、準備して富士宮まで行ったんです。そしたらまあ……。国一がね……」
富士宮。やっぱり親戚宅に行ったんだ。
国一。つまり、国道1号線のこと。
「むっちゃ風強くて、大型には
分かる。共感しかない。
「100CCでこんなに大変なのに、50CCで伊豆に行こうって考えるリンちゃん。ヘンタイだね、絶対。」
おお……。平然と凄いこと言い放つなぁ、綾乃。
「酷い言われようだよ。というか、真っ裸のやつに言われたくない……」
一応今の状況を説明しとくと、俺たち四人は浅めの所に半身浴をしているのだが、リンと凪はタオルで肩から股下まで覆っているのに対し、綾乃はそのままの姿だ。
目を見て話すようにはしているが、どうしても視線がその下に向いてしまう……。男の
なのに綾乃は、一切隠す気がないらしい。
着痩せするタイプなのか、服の上から……なんなら、バイクの後ろに乗せた時でさえ気付かなかったのだが、そこそこ立派なものをお持ちのようで……。
「え~。別に良いじゃん。他には誰も居ないんだしさ」
それは事実。しかし、何時誰が入ってくるか分からない。ここは旅館のお風呂。貸切ではない。
「それに、本来ならお湯にタオルを浸けないのがマナーだよ?」
「許可されてるから良いんだよ」*3
綾乃の言葉に一瞬不安そうな表情を見せた凪だが、リンの言葉に安堵する。
「えいっ!」
「ちょっと!」
「何するんだよ!」
綾乃が二人のタオルをじーっと見つめていると思ったら、何を考えたか二人のタオルを剥いでしまう。
俺は咄嗟に背を向けたが、一瞬見てしまった。
リンはともかく、凪もそこそこ……。
あ、いや。何でもありません。
ちょっとしたイタズラがあったが、改めて自己紹介をする流れになった。
「改めましてまして。あたしは、なでしこの幼馴染みで、お兄さん……
そう言う綾乃の頭には、二段のたんこぶ。さっき、タオルを剥いだことに対して、二人から見舞われた奴だ。
「あ、私は
それで気が済んだのか、あの件は無かったことにするらしい。俺だけ役得かな……? ごめんなさい。嘘です。
「なでしこから送られてくる写真でいつも見てるよ。だから、一目見てすぐに気づいたよ」
「ああ。なでしこが時々話してた『アヤちゃん』って」
「そ。あたしのことだよー」
二人、互いに自己紹介をした。
この四人の中で、唯一面識の無かった組み合わせだ。
終わると揃ってこちらを向く。
俺?
「俺、自己紹介必要?」
「んー。分かってますけど、一応お願いします」
「了解。俺は、綾乃・リンそれぞれのバイク仲間で、凪の又従兄妹、各務原さんたちと同じ部に所属してる、滝野
しかし、それはどうにかならないのか……。
さっきのがあっても、綾乃は相変わらず真っ裸。目のやり場に困る。
三人の視線が次に向く先は……。
「私は、純兄の又従兄妹、アヤちゃんとは浜松での友達、
「お母さんが義理の姉妹だから、従姉妹だろ?」
「だっけ? ややこしくて忘れてたよ。よろしく」
まあ、関係がどうであれ、凪は全員面識あるから大丈夫か。
自己紹介が終わると、バイクの二人は自然とそちらの話になる。
「リンちゃん、ここまでのバイク旅はどうだった?」
綾乃とリンは、同じバイク乗りとして、積もる話もあるだろう。
「楽しかったよ。少し寒かったけど、スクリーン付けたから幾分マシになったし」
「良いなぁ、スクリーン。あたしのバイクにも付けれるのかなぁ?」
スクリーン……つまり、風防。日野春駅での会話を思い出す。*4
「前に会った人にも聞かれたな。風防あると違うかって。その人には安いもんじゃないから、迷うなら止めとけって言ったけどさ」
その後、あの子がどうしたかはわからない。
「私はお正月、浜松の帰りにお祖父ちゃんに車で送ってもらったんだけど、その時に風が強かったって話したら、家に転がってるのがあるから、譲ってくれるって」
なるほど。リンは新城さんから貰ったのか。つまり、買ってない……。
「それじゃあ、リンちゃんのはお下がりなんだね」
「いや。家に転がってるとは言ってたんだけど、いざ開けてみたら新品だったんだよね……」
あれ?
「高かったんだろうねぇ……」
リンと綾乃の話を聞いている凪が笑っている。どうしたんだろう?
「凪?」
「ああ。外の物置で保管してたから、たいぶ劣化してたらしいよ」
リンには聞こえないように耳打ちでこう言ってきた。
「つまり、買ったってこと?」
此方も耳打ち。
「うん。『これではいけないな』って。リンに渡すってことで、私に新品買いに行くように言ってきたんだよ」
そんなことが……。
「だから、昨日学校終わったあとに、バイクのお店に行って、事前に予約してあったのを買ってきたの。それで、お祖父ちゃんがリンの家に行く前に寄って持っていったのね」
リンのビーノのスクリーンには、凪も関わっていたのか……。
「実はその時、バイクのお店でアヤちゃんに会ったの。オイル交換含めて整備してもらっててね、何処か行くの? って聞いたら、遠いところって誤魔化されたんだけど。まさかねぇ……」
うん? じゃあ、あのお店か。
ということは、凪の住む学生寮もあの辺りなんだろうか。
「そういえば、さっきの自己紹介で、綾乃と凪が互いに友達って言ってたけど、会うことあるの?」
ふと気になった。
「月に数回程度だよ。ほら。私が足が無いからね、アヤちゃんの方が時々遊びに誘ってくれるの」
なるほど。
「近いの?」
「車で20分ぐらい離れてるかな……。でも、寮から浜松駅までバスで10分位だから、そこで待ち合わせたりするかな」
そう言って、ふと思い出したかのように、綾乃の方を見る。
「アヤちゃんが2人乗り出来るようになったら、最初に乗せてもらうのは私ってことになってるもんね!」
何か凄い約束してる。
「えっ? そうだよ。まあ、練習必要だから、本当の最初に乗るのは、お母さんかなぁ」
この話を聞いて、そこはかとなく羨ましいという表情を見せるリン。彼女は今のままでは何年経とうと2人乗り不可能なのだ。
「そ、そろそろ出ない? 私
まあ、良い頃合いだろう。
リンはその話を変えたかったみたいだけど。
お風呂から上がる。
脱衣所の浴室への扉の横にある『浴室内での性的行為は一切禁止します』という貼り紙の意味は、混浴だからか……。
夫婦・カップルその他あまり公には出来ない関係の人が来て、浴室で如何わしい行為に及ぶ可能性があるってことか……。大変なんだなぁ。
まあ、うちでも極々稀に似たようなことが起きるけどさ。
しっかり身体を冷ましてから服を着て脱衣所を出る。この時期、体が火照ったまま服を着込むと、中で汗をかき、それが冷えて湯冷めを起こす。そうなると大変だからだ。
脱衣所を出たところ、さっき女性陣と別れたところで合流。四人揃って旅館を出る。
「そういえば、綾乃はこの後どうするの?」
「と、言いますと?」
「そもそも何しに来たのさ……」
さっき、浴室で聞きそびれてしまったが、肝心な話を聞いていなかった。
「サプライズですよ、お兄さん」
うん?
「ああ。明日の夜、各務原さんの誕生日祝いやるって言ってたっけ」
リン・恵那ちゃん・俺からお金を集めた
「それ。その……
「そう聞いてるよ。パンケーキ重ねたケーキ作って、ご馳走も作るような話だけど」
「ケーキ出てきて、プレゼント渡して……というタイミングで、お兄さんから『もう一つ、プレゼント用意してます』みたいなことを言ってもらって、あたしが登場~! とか、どうでしょう?」
そういうサプライズか……。
「まあ、悪くはないと思うけど、他のメンバーとも要相談といったところ、だな。いや、でも待てよ……」
今言って、万が一誰かが口を滑らせたらアウト。
「とりあえず、当日まで黙っておこうか。その方が良いだろう。そこの二人も頼んだよ?」
外野を決め込んでか、離れて此方の様子を眺めるだけの二人にも、釘を指しておく。
「了解」
「分かったよ」
リンと凪からも同意を得たので、とりあえず大丈夫。
「ところで。明日は達磨山のキャンプ場でサプライズパーティーやるはずだけど、それまで綾乃は何処で待つつもりなんだ?」
待つ時間の方が長い。明日の夜の話なんだから。
「達磨山ですか! 丁度良いじゃないですか」
「というと?」
「あたし、修善寺に宿取ってるんです。チェックインまでまだまだ時間ありますから、適当に走って回ってから向かいますよ」
なるほど。ちゃんと泊まる場所を確保していると。そこは抜かり無いんだな……。
「行く先で鉢合わせないように、行く場所は教えてくださいね?」
「了解。ところで、いつまでこの辺りに居るつもりだ?」
バイトや学校があるだろう。
「月曜日の夜にバイトが入ってるので、それまでに帰りますよ。なでしこのパーティー参加したら、翌朝帰路へ。みたいな? テントとシュラフは持ってきていますから、明日は一緒に泊まれますよ」
「おいおい。相当な過密スケジュールだな?」
まあ、それに関しては此方も人のことは言えないが。
こら、凪。そんな目で俺を見るんじゃありません。リンもな?
「それじゃあ、あたしはこれにて失礼。明日また会いましょう!」
そう言って綾乃が自分のバイクの方へ歩いて行く。
おお。二ヶ月前に見たのと変わらない。しかし、荷物が幾つか積まれている、少々立派な(?)バイクだ。
ヘルメットやグローブを着け、乗車の準備を整えると、あっという間に発進して行く。
それを黙って見送った。
「それじゃあ、そろそろ俺たちも行くか」
「そうだね」
「よし」
流石にそろそろ良い頃合いだろう。
いざ、下田へ。