トレセン学園特別調査隊 ―学び舎のペルソナ使い―   作:巳月ゆーり

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0.斯くして愚者は舞台へと上がる

 静寂(せいじゃく)の中に男は微睡(まどろ)んでいた。耳朶(じだ)に響く音はおよそ騒音と呼べる音量ではあるが、心地よい規則性を持って振動と共に無音を引き立てる。かたん、かたん、と眠りをへ誘うリズムと、火照るような暖かさ。煌々(こうこう)と照らされる鉄の箱は捕食者のように獲物の意識を夢路へ引きずり込む。

 中央トレセン学園最寄り駅への快速急行列車。その窓際最後列の一席に男は座っていた。

 和らげながら精悍(せいかん)さの残る若い面立ちに、わずかながらくたびれるほど使い込まれたスーツがどことなく不釣り合いといえる。それらを調和させるように、男の顔には染み付いた疲労の跡が伺えた。

 数少ない客の様子を伺い回る車掌が、言葉に出すことなく慰労の念を抱いて静かに過ぎ去る程には、男は安らかな寝息を繰り返していた。

 かたん、かたん。無意識の縁で長らく聞き慣れかけたその音は、しかし唐突に、さらりとかき消えた。

 

 ――奏でられた静寂を一変して真に無音。一欠片の物音もしない耳の痛くなるような無音があたりを包んでいた。

 男はその違和感を耳と肌で感じ取り、薄く片目を開ける。意識の切り替えもままならぬうちに、無機質な電光とは質の違う暖かな光が視界を照らし、眉根を潜めた。

 ぼやけた視界が緩やかにピントを合わせてゆく。(にわか)に男の頬を冷たい指が撫ぜた。

 

「おはよう。良き目覚め、には遠いか」

 

 開けた視界に映るのは、獣の耳を生やした小さな少女――年の頃はおよそ十かそこらだろうか――だった。少女はふわりとその青鹿毛(あおかげ)を揺らして、男を見上げている。

 君は? そう疑問を浮かべ口にする男に、少女が笑う。

 

「普通はまず自分の状況を確認するもんじゃあないかな」

 

 言われて気づく。男は地平の果てまで続く草原にいた。そして、そこにぽつんと置かれたティーテーブルに備えられた二つの椅子。その一方に腰掛けていた。

 男は記憶を探る。自身がいたのは中央トレセン学園へ向かうための電車の中。時刻は夜も更けきり日付が変わるそのあたり。草原でもなければ燦々(さんさん)と陽光注ぐ昼間でもない。

 どういうことかと男は目の前の少女に疑問を投げかける。

 よろしい、と少女は一つ頷いた。

 

「それでは君の思考の糸を解きほぐそう。――と、その前に」

 

 見下ろして話すのも辛いだろう? と、少女はもう一方にある向かい対面の椅子へ座った。その瞬間、少女の姿が妖艶(ようえん)な女性へと変わった。耳は顔の脇に――男と同じように人の形の――ついており、年の頃は男と同じくらいの二十も半ばといったものへと伸びている。

 

「この方が話しやすいだろう?」

 

 まるで現実感のない突然の変質に目を丸くする男を見て、可笑(おか)しげに笑みを深めた少女、もとい女が満足げに息をつく。

 

「ではまず問おう。君は誰かな?」

 

 ――玄乃(くろの)(れい)

 問いたいのはこちらだ、と常識的な思考が生まれるほどの余裕など男――玲にはなく、もはや熱に浮かされるように現実感の掴めぬまま自身の名を返す。

 

「次いで問おう。君は何者かな?」

 

 ――トレーナー。一応、中央の資格を持ったトレーナーだ。

 この世に存在するウマ娘という人間と似て非なる共生種族。人を遥かに超える身体能力を持つ彼女らを、アスリートへと育て上げる職業こそがトレーナーであり、なかでも中央トレセン学園のライセンスを手に入れるには、国内外問わず最難関と言える試験を突破する必要がある。

 そしてこの身は、運にも恵まれたがその中央トレーナーの末席に名を置く権利を有している。

 

「君は今までどこに?」

 

 ――海外から、飛行機、新幹線を乗り継ぎ、中央トレセン学園へ向かう電車の中に。

  見聞と知識を深め、経験を積むための海外出向から三年。学園からの呼び戻しがかかり、数週間の引き継ぎ業務と数日の旅程を経て帰国したはずだった。その、はずだった。

 

「よろしい。確認は終わりだ。君は君を認識した」

 

 女は玲の返答に満足したように頷いた。そうして、ではと続ける。

 

「――ようこそ、ベルベットルームへ。私の名は……そうだね、形式に習ってイゴールと、そう名乗らせていただこう」

 

 イゴールと名乗る女は、ティーテーブルの上に迷いのない手付きでカードを並べてゆく。並べられたカードの配置、その枚数と占いという言から、タロットであると察せられた。

 

「この部屋は、夢と現実、精神と物質の間にある場所。何らかの契約を交わしたものが訪れる場。そして私は、そんな宿命(さだめ)に魅入られる君の旅路を共にさせてもらうものだ」

 

 くるり、と一枚のタローがひとりでに表返る。次いで二枚。開けられたカードは、審判と逆向きの刑死者。中央のカードは、見えない。()()()()()()()

 

「これからの君の旅路は、きっと困難に満ちたものとなるだろう。だがそれは、得難い可能性に満ちた道だ」

 

 先刻までのどこか親しげな雰囲気など微塵も感じさせない、無機質な瞳。振る舞いをそのままに、隣人ではない観測者の眼差しを以てイゴールは玲を見つめている。

 

「進みなさい。君の道、君の生を。その果てに君が何を得て、何を失するか、私はそれを共に観ようじゃないか」

 

 言葉の締めに重ねて、ティーテーブルが僅かに硬質な音を立てる。玲のそばにまで伸ばされたイゴールの手がテーブルに置かれている。その手が引き、細い白磁(はくじ)の指に覆われていたものが露わになる。

 鍵。

 指の一本とおおよそ同じ大きさの、厳かな装飾のなされた、古めかしい鍵だった。南京錠などに使われる古い形式のそれは、ウォード錠と呼ばれるもの。

 玲はなんの気無しにその鍵に触れ、手に取り、眺める。これは? そう問いかけるために視線を上げた先に、彼女の姿はなかった。

 閑散とした平原に、一陣の風が吹く。その風に乗せて、女の囁く様な声が耳を撫でた。

 

「おっと、名残惜しいが目覚めの時だ。――では、再び見えるその日まで、ごきげんよう」

 

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