トレセン学園特別調査隊 ―学び舎のペルソナ使い―   作:巳月ゆーり

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Ⅰ.出会いは星の導きのように

 夢を見ていた。そんな核心はあれど、それの内容はは霞みがかって僅かにも掴めず。しかしそれは大切な何かであったと、己が内の本能めいた何かがはっきりと認識している。そんな妙な感覚を玲は内にしまい込み身支度を整えていた。

 ここは手頃な値段の都内のビジネスホテル。昨晩危うく電車内で寝過ごしそうにもなったが、玲は無事その旅程のおおよそを無事に終えられた。寝入っていた自身を揺すり起こしてくれた車掌への感謝の念と、自身への情けなさを胸中僅かに抱きつつ、やかんを火にかける。IHコンロの隣の流し場で僅かに伸びた髭を剃りながら、玲は今日の予定を脳内で整理する。

 現時刻は午前の五時。本日は八時までにトレセン学園構内の職員用窓口で受付を済ませれば良し。であれば、移動時間を考慮して都合二時間半、着替えや身だしなみにゆるりと時間を割いてもゆうに一時間以上は空きがある。そう考えた玲は、食事を外で済ませる余裕が十分にあると判断し、ほのかに温まった水をコンロから下ろした。

 役目を終えた電動シェーバーを雑貨用の小カバンに放り込み、袖を通していない背広をキャリーバッグから引き出す。まさか使い古した上に長旅で傷ませた服を着ていくわけにもいくまいと、衣類一式を新しいものへと替えていく。

 髪を整え洗顔を済ませ、着替えを終えて、薄くコロンを吹いて、それで三十分。寝起きの気付けも兼ねて既に汗は流した。思った以上に時間に猶予はあるが、余裕はあるに越したことはない。荷物の整理と忘れ物の確認だけ軽く済ませ、玲はキャリーバッグを引いた。出入り口の鍵置きから、ホテルの鍵と、()()()()()()を手に取り背広内ポケットに放おってドアを開く。

 三年ぶりのもはや知ったるものとは変わっているであろう街並みで、良い飯屋を探り当てられるだろうか。それよりはホテル内の小さなレストランで済ませる方が丸い選択だろうか。そんな思考で埋まる玲の脳内には、もはや昨夜の夢のことなど残ってはいなかった。

 

 

 

 結果として玲は自ら良しとできる食事処を見つけることは叶わなかった。三年という月日はそんなにも街並みを一変させうる期間だろうか。それは本来否である。土地に根付いた長年の店などどこにでもあるし、商戦激しく店舗の入れ替わりが多い区域でもなければ、そう様変わりするほどの期間でもない。だが、玲が選んだ道が悪かった。この三年で区画整理などの影響を受けて運悪く様変わりした区域を、これまた運悪く沿うように移動していたのだった。

 しかし今現在、玲の前にあるのは上質な芳香で嗅覚を刺激するブレンドの珈琲(コーヒー)と、ハーフカットのサンドイッチが盛られた皿。そしてその向こう、湯気が揺らいだ先にいるのは、(うるし)のごとく(つや)やかな長い青鹿毛(あおかげ)の隙間から黄金に澄んだ瞳を覗かせるウマ娘──マンハッタンカフェだ。

 玲は彼女と旧知ではない。見た目から(うかが)える年齢──およそ十代の後半であろう──や、身につけている淡桃(うすもも)の控え目ながら華やげな制服を見るに、かつて玲が学園にいた頃にはおそらくまだ学園には在籍していないか初等部。当時の玲の行動範囲ではすれ違いすらもしていないだろう。

 そんな彼女と相席し、朝食を共にしているのには深くも長くもない理由があった。

 彼女は、朝食を出してくれる店を探し彷徨(さまよ)い右往左往している玲を見かねて、親切にも声をかけてくれたウマ娘であった。念のためトレーナーバッチをつけていて良かった、と玲は幸運に感謝する。おそらくそれがなければ、年頃の女学生が道を彷徨(うろつ)く不審な成人男性に声をかけることなどなかっただろう。

 良い店を紹介してくれてありがとう。

 そう玲が謝意を述べて珈琲(コーヒー)を口に運ぶ。

「…………いえ……お気に、なさらず……」

 口に含むより早く(こうば)しく深みのある香りが嗅覚を刺激する。雑味のない苦味と僅かな酸味が舌を滑り、その熱を嚥下(えんか)させる。まだ肌寒い季節に、吐息を火照火照(ほて)らせる温度が心地よい。素人舌にも容易に理解させられる、上質な珈琲(コーヒー)。香り、味、口触り。全てにおいて穴はなし。ほう、と吐いた息に風味が(くゆ)り、水面のごとく心が静まる。この珈琲(コーヒー)は、突出したなにかでなく、総合力で魅せてくれる。

 良い珈琲(コーヒー)とは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘美であるとは誰の言葉であったか。

「…………タレーランの言葉……ですね」

 玲の呟きに、珈琲(コーヒー)のカップをその細くしなやかな指先で持ち上げて、カフェが反応する。嗅覚と味覚に集中し同席者の存在を思わず一瞬意識外に置いていた玲は、空気に当てられ出た気取った台詞を聞かれ、気恥ずかしげに苦笑した。

 見れば、カフェの視線は真っ直ぐ玲へ注がれていた。その視線から逃れようとするかのように、サンドイッチへ手を伸ばす。珈琲(コーヒー)がここまでこだわり抜かれているのだ。きっと軽食も手を抜いた出来ではないだろう。

 そう考えながら伸ばされた玲の手が、中空で動きを止める。

「…………大丈夫ですよ……ここは……食事も一品、です……」

 伸ばしあぐねた手の理由を味への懸念(けねん)と判断したのだろうカフェの言葉に、しかし玲は違う、と困惑を交え否定した。

 閃光のような金色に輝く双眸(そうぼう)が、息もかかるほどの距離で玲の顔を覗き込んでいた。玲の席、その左側から体を(かし)げて、細く流星が走った青鹿毛(あおかげ)を床にまで届かせ、その直角に向けた顔を超至近距離に据えている。

 近い。いくら何でも近すぎる。わずかに頭を引いて玲から闖入者(ちんにゅうしゃ)との距離を空ける。

 引いてその顔を見れば、そのウマ娘はマンハッタンカフェ──ではなかった。よく似てはいるが、先程視界に映り込んだ濡れたような黒に交じる流星と、どことなく違う面立ち。本人ではない。カフェの姉妹だろうか、と玲が疑問を口にしながら闖入者(ちんにゅうしゃ)の向こう側に視線をやれば。

「…………ッ!」

 その彼女は息を呑み、その目は驚愕(きょうがく)に見開かれていた。

「見え、るのですか……貴方には……?」

 え、うん、いや何が? そう間の抜けた返答を返す玲には、彼女の言葉の真意が見えない。

「彼女が、見えているのですか……!?」

 目に見えて動揺する彼女のひときわ大きな声。幸い平日の早朝で他の客の席は遠く、衆目を集めることはなかったが、そのただ事ではない様子に玲も気圧される。その強い語調に急かされるように、思うまま答えを返した。

 見えるも何も、ここにいるじゃないか。

 なんならその闖入者(ちんにゅうしゃ)は興味深げに玲の頬をベタベタと触っているし、無遠慮に髪や耳を引っ張っている。非常に鬱陶(うっとう)しい思いをしている玲には、見えるも見えないもないだろう、という感想しかない。

 言葉がまとまらないのか何かを言おうとしては閉口するカフェの姿と、未だに顔を弄り倒す闖入者(ちんにゅうしゃ)。どうにも反応に困った玲は、空腹を思い出しあらためてサンドイッチをつまむ。頭上から物凄い視線を手元に感じて非常に食べづらい思いをしながらも、いい加減空腹に耐えかねている玲は無視してその端に(かじ)りついた。

 ────美味い。具はレタスとトマト、そして肉厚のベーコン。スタンダードなBLTサンドでありながら、普段食す物とは雲泥の差。香ばしくざくりと小気味の良い食感のパン、そしてレタスの瑞々しく割れる感触。トマトは甘み控え目ながら、えぐ味もなく決して薄味でない酸味と、(わずら)わしくならない程度の潤い。そしてそれらが引き立てるは芯の強い塩気と肉厚さで自己を主張するベーコン。それらがバラけることなく不思議と一口の中に調和している。

 安く手軽くを主とするような喫茶店のそれとは明確に違う。食材や調理法だけでは説明の付かない味、それをそのまま美味いと玲は舌鼓(したつづみ)を打つ。

 パンが違う。薄く(あぶ)られ香ばしさを持っているが、きっとパンそのものが違うのだろう。食感や甘みが柔らかい。トマトやレタスの鮮度も質も良い。ベーコンもきっと抜かりなく良いものなのだろう。それでもこの美味しさにはまだ届かない。

 一枚目を飲み込むように平らげた玲は、二枚目に手を伸ばしながら唸る。

「………………ここの料理は……ソースが、特別だそうで……」

 なるほど、薄く目立たぬよう敷かれたこれか。玲はそれを意識しながら二枚目のサンドイッチを口に運んだ。

「…………いえ、あの……そうではなくて……聞いていますか……?」

 玲は真剣な、それこそトレーナー試験当時の如く集中しきった目で眼前の美味という錠前を紐解かんとしている。驚愕も半ば落ち着き、怪訝(けげん)さを半分交えたカフェの視線も意に介さず、だ。

「…………あの」

 カフェの再度の声かけと同時、珈琲(コーヒー)を含んだ玲の動きが止まる。はたと気づいたように、視線が持ち上がり、視線が合った。

 ────これは、珈琲(コーヒー)にも合う。

「…………………………そうですね」

 玲の言葉に、カフェの怪訝半分だった視線のそのもう半分が呆れへと変わっていた。

 どうかしただろうか。食事の手を止めずに問う玲の言葉に、カフェは嘆息を一つ置いて首を振った。

「……話は……後で結構ですので……」

 変な人。なんとなく不思議な空気を感じて、声をかけるべきだという直感に従ったが、早計であっただろうか。どうやら()()()をはっきり──自分にすら朧気(おぼろげ)な彼女の姿をだ──認識できるようだが、一体何者なのだろう。カフェの胸中はそんな疑念と興味が渦巻いていた。

 それでも、悪い人ではない気がする。そうもカフェは思う。それは、軽く話して感じ取った人となりだけでなく、直感やカフェが感じ取れる特有の気質から感じ取ったもの。

 それと────自分の一押しの一品と珈琲を、これほどまでに美味しそうに堪能(たんのう)してくれていることも、少しだけ、ほんの少しだけ関係しているのかもしれない。

 疑念と呆れにそんな微かな親近感を加えて、カフェは自分の珈琲(コーヒー)で唇を濡らした。

 

 

 

 





 
  
>マンハッタンカフェとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる……


 
我は汝……汝は我……
汝、新たなる絆を見出したり……
絆は即ち、まことを知る一歩なり

汝、”隠者”のペルソナを生み出せし時
我ら、更なる力の祝福を与えん……
 

 
>マンハッタンカフェとの絆に呼応するように、”心”の力が高まるのを感じた



 
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