トレセン学園特別調査隊 ―学び舎のペルソナ使い―   作:巳月ゆーり

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Ⅱ.眇々たる法王はその頂にて憂う①

 中央トレセン学園。総敷地面積約八十万平方メートル。東京ドーム換算でおよそ十七個分という他に類を見ないほどに広大な敷地を有している。その上常軌を逸しているとさえ言えるほどの設備までもを有したウマ娘のための学園。おそらく端から端まで移動するだけでも、人間の足ではどれほどの健脚だろうと日が暮れるだろうことは間違いない。

 その広大無辺(こうだいむへん)なる学園の正門より、職員棟へと向かう道のりを玲はカフェ先導の元歩いていた。かつてはここ中央に在籍していたため迷うことはないだろう玲ではあるが、会話がてらとカフェが案内を申し出たためこういった形になっていた。

「……それで……本当に心当たりはない、と……ご家族にも、そういった力を持つ方は……?」

 カフェの問いに、玲は頷く。カフェの言うお友達が常世(とこよ)(ことわり)から離れたものであることは、先刻の朝食時にサンドイッチを食べさせようとしてすり抜けたことで──何故か向こうからは触れられるようだが──確認済みである。しかし玲には今までの人生において、およそ霊感といったものを自覚的に認識できるような事態には遭ったことはなく、両親、両祖父母まで含めてそういった特異な家系ではなかった。少なくとも、玲の記憶、その認識下では心当たりはない。

「…………そう、ですか…………」

 先程からカフェはこうして短く質問しては沈黙し、玲を凝視している。玲としても自分から言えるようなこともなく、会話が途切れがちになる。しかし互いにその沈黙に気まずさを今ひとつ覚えない、なんとも不思議な雰囲気。

 そうしてカフェの真っ直ぐな瞳に眺められながら、職員棟が近づいてきたところで。

「…………あ」

 ──大きく反響するような鐘の音。異様に広いトレセン学園において、たとえウマ娘であれど直ぐに目的地へたどり着ける訳では無い。そのため、余裕を持って始業や昼休みの終わり等は予鈴が二度鳴らされる。これはその一度目。

「……すみませんが、私はこれで……」

 ぺこり、と軽く頭を下げるカフェに、ここまでありがとうと玲が軽く手を上げて告げる。彼女は少しの思案の後、よろしければまたお話を、とだけ告げて去っていった。あのお友達の話だろうか。まあそれ以外はないか、と玲は納得し、漆黒の長髪を靡かせて小走りで去ってゆく二つの後ろ姿を見送る。

 よし、と背広の襟を整え、ネクタイを締め直して職員棟へ向き直った。ここからは、中央トレーナーとしての玄乃玲だ。そう、気を引き締めて、ガラス張りの大戸をくぐった。

 

 

 

 久々のトレセン学園の棟内を玲は幾ばくかの開放感を感じながら歩いていた。玲は今まで出張でいくらかのウマ娘関係の施設を訪れたが、ここの廊下はどこよりも幅が広い。この広さならば誰かとすれ違いになろうと、互いにぶつかり合うことはまずないだろう。通常、道路や建物の大きさは概ね所在国の国土に正比例する。そして、国土においては他に比して狭いこの日本国においてなお、その法則を覆す広大な当学園は、それ即ち権威と資金力の強大さを在り方で表していた。ここより大きな学園はあるだろう。ここより先進的な学園はあるだろう。ここよりも強い走者を数多く生み出した学園も、当然あるのだろう。それでも有する歴史に比して、国勢や人口に比して、様々な比率で考えた際の実権力においてここを上回る教育機関はおそらく存在しない。────そして。

 玲はここまでにいくつも脇目に流れていたものとは明瞭(めいりょう)に違う、荘厳(そうごん)な大扉の前で足を止めた。国際(プロトコル)マナーに照らしてノックを四度、三つの指の甲で(よど)みなく鳴らす。内側から、「許可ッ!」と若いというよりも幼いと言える女性の声が威勢良く響いた。音もなく引き開けた扉の向こうには、年嵩(としかさ)およそ十代も前半、小さな体躯(たいく)の少女──およそ成人男性の平均といえる玲より身長頭二つは低いだろうか──が仁王立ちしていた。

 彼女こそが、ここ中央トレセン学園にて頂上たる実権力の持ち主である秋川やよい理事長。

 この極東の島国で、かつては暗雲の立ち籠めていたウマ娘のレース競技を大躍進させ、広く国民に知らしめた立役者にして、これほどまでの学園拡張を可能にしてみせた資金力と求心力を築き上げた女傑、ノーザンテースト──の娘である。

 しかし、その就任自体は血縁によるものも関係していただろうが、その才覚が受け継がれていることは疑いようもなかった。年齢に比して、と前置きをするまでもなく個として辣腕(らつわん)極まりなく、頭脳、手腕において御膳上等(ごぜんじょうとう)。理事長就任からさしたる間を置かずして、中央トレセンにこの人有りと周囲に認めさせた妙々(みょうみょう)たる人物であった。

 その彼女は、トレードマークである女優帽(カプリーヌ)に八割れ毛並みの猫を乗せた相変わらずのスタイルで玲を迎え入れた。彼女の右手に携えられた扇子が威勢よく開かれ、大きく墨字で書かれた歓迎の文字が露わになる。

再逢(さいほう)ッ! よくぞ来てくれた! 三年ぶりの再会に私は心からの喜びを感じている!」

 瑠璃の瞳を輝かせ、大仰に声を張る秋川やよい。彼女の言葉通り、玲とは三年前に面識が有った。とはいえ、三年前の当時は秋川やよいが理事長を継いだタイミングであったため玲とは入れ替わりであり、理事長としての秋川やよいとトレーナーとしての玄乃玲にはほぼ接点はない。むしろ玲の初任から出張までの三年間に付き合いのある先代理事長のほうが、接点は多かったくらいである。初対面とそう変わらない相手にこうも気安い声を掛けられるのもまた、彼女の良き気質と言えるのだろう。

 玲は先代の面影を色濃く受け継ぐ彼女への認識を改め、顎を引いて礼を示す。合わせて再会の喜びと、理事長就任への祝辞もそぞろに不沙汰(ふさた)となった謝意を伝えた。

「む、う……そうか。わからないのも無理はない、か……」

 玲の言葉に、口をとがらせ外見相応の拗ねた表情を一瞬見せたやよいだったが、それもわずかばかりで、すぐさま調子を取り直す。

「ともかく君は本日付けで中央トレーナーとして続開となる! したがって近日中にトレーナー業を行ってもらいたい!」

 トレーナーとは、担当となったウマ娘に効率的なトレーニングを行うためのカリキュラム作成と、レース出場を取りまとめるスケジュール管理を主な仕事とし、時には栄養学やスポーツ医学を用いて休暇や心身共にケアをすることも含まれる。それは当然、担当するウマ娘がいなければ始まらない。そして、担当となるウマ娘を見つけ、契約を結べるようスカウトするのもトレーナーの仕事だ。まずは何をするにも担当するウマ娘を見つける必要がある。基本、契約を結べていない間はサブトレーナーとして他のトレーナーの補佐──主に新人が複数の担当を持っているベテランのトレーナーの下に就くケースが多い──という方向もあるのだが、玲の立場上それは認められにくいだろう。

 理事長直々の呼び戻しである以上新人とはいい難く、さらに玲は既に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。どうしても一定水準の活躍は期待されてしまう。玲とてそれは理解しており、やよいの辞令に二つ返事で了承した。

「うむっ! 君の躍進(やくしん)を期待している! それでは本日はこのまま学内の案内を、たづな──」

 やよいの視線が背後に向けられ、空を切る。やよいの口にした名、駿川たづなは先代の頃より継続して理事長秘書に就いており、緑色のスーツと揃いのセーラーハットが特徴的な、のどやかな空気の女性である。経験不足か生来の気質か、視野狭窄(しやきょうさく)になりがちなやよいをたしなめ補佐するため、彼女の傍に控えていることが多い──のだが、やよいの視線の先にも、この部屋のどこにも彼女の姿はなかった。

「──は、席を外していたのであったな」

 バツの悪そうな顔をして扇子をぱちんと閉じるやよい。理事長秘書とは言え、常にやよいのそばにいるわけではない。学園を円滑に運営するための雑務も彼女の仕事だ。しかし、こういった場において、相応の理由でもない限り彼女は側仕えしているはず。そのことに僅かな疑問を抱いた玲に、やよいは力なく扇子を開く。そこには煩慮、と墨字。開く度に文字が変わる奇妙な扇子にどういう絡繰(からくり)なのだろうと玲の疑問が増えるところだが、そちらは置いてやよいの言葉を待つ。

憂懼(ゆうく) ……現在このトレセンでは原因不明の現象が発生している。ここの所、たづなはそちらの調査に手を割いているのだ」

 着任早々に暗い話題で申し訳ないが、と前置きしてやよいはそれを低く語る。ここの一員になる君にも、耳に入れておいてほしいのだ、と。

 

「トレセン所属の者たちの間に広まり始めているなにか────無気力症と、皆はそれをそう呼んでいる」

 

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