提督が妙高をママ呼びすることによる一騒動なお話です。
提督は妙高に甘えたい | 暁の瑞雲 #pixiv https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=18473154
提督は疲れていた。
何故なら提督が在籍する鎮守府は、この国の最前線に位置しており、深海棲艦が攻撃してくる頻度が多くなりつつあったからだ。
しかも作戦立案、艦隊指揮を執りながら、艦娘達の私生活のサポートや精神的ケアなど、およそ一人では捌ききれない業務量である。
このような状況下で、少しのミスも許されない仕事のクオリティを維持する精神力を発揮し続けるというのはとても困難なことだ。
同じように鎮守府所属の艦娘達も、ここ最近は度重なる出撃で疲弊しており、今まで提督が苦労して構築した「風通しが良く、何でも言い合える」アットホームな雰囲気も薄れてきている。
戦いの時とそうでない時の気持ちの切り替えと、ストレスの発散が出来なければ、心も身体も疲弊し職場の雰囲気も悪くなろうというものだ。
しかも、タイミングが悪いことに、至近の異動で刷新された上層部があれやこれや注文をつけてくるようになったのだ。
資材の消費が多いだの、高速修復材の使用量が多いだのを言われるのは仕方がない。実際に使用しているのだから。
だが、艦娘達が楽しみにしている食事や、酒、甘味などの嗜好品、補給資材の削減まで提言してくるとなると、上層部への不満も出てくる。
そしてその矛先は、いつしか鎮守府の最高責任者である提督にも向き始めるだろう。
このままではまずい。
そう思った提督は、現状を打破すべく、まずは鎮守府内の雰囲気を以前のように明るくするための施策を考えた。
その方法とは、自らの日中に処理する業務量を増やして、今まで仕事に費やしていた休憩時間や勤務後の時間を活用し、工廠や談話室、休憩室を廻り、艦娘達の愚痴や困っていることがないかなどを聞いて回るようにすることだった。
その努力もあってか、艦娘達のストレスは少しずつ緩和され、以前のように冗談も交えた会話も出来るようになり、皆の表情も以前のように明るくなってきた。
しかし、上手くいっているように見えたその施策は、提督自身の身体を蝕むのにおかしくない程の負担がかかっていたのだ。
「妙高、この書類は確認した。上層部へ送ってくれ」
提督は、先ほどまで内容を確認していた書類に、審査済のゴム印と自らのサインを書いて妙高に渡す。
「提督、今日は特に顔色が悪いですよ」
「ああ、大丈夫だ。大丈夫だよ」
書類を受け取りながら、心配そうに自分の顔を覗き込む秘書艦の妙高に、提督は努めて明るく答えた。
「それよりも妙高、君も朝から働きづめだ。少し休憩しないか?」
「そういう事でしたら、私がコーヒーをお淹れします」
「いや、いい俺が淹れよう。君たちには雑務で負担をかけたくないからな」
提督は、妙高に向かって微かな笑顔を投げかけると、コーヒーを入れるために給湯室へと姿を消す。
私が淹れると言っても、言い出したら決して曲げない程に提督は頑固だ。だから、不毛なやり取りで提督を疲れさせるより、好きなようにやらせてあげよう。
そう思った妙高は、大人しく執務室で待つ。
自らの疲労を顧みず、この国を守るために上層部から通達される無理難題をこなしながら、私達艦娘のために真摯に取り組んでくれる提督のために何が出来るだろう、何かしてあげたい。最近はその想いが一層強くなっている。
だが、その方法が思いつかず、日々モヤモヤが溜まる一方だ。
そんなことを考えていると……。
「ガッシャーン」
「!?」
執務室からの物音に慌てて駆けつけると、提督が青い顔をしてしゃがみこんでいた。
「提督! 提督大丈夫ですか??」
「あ、ああ、少し立ち眩みがしただけだ。大丈夫だよ」
提督は、弱々しく返事をすると、給湯室に入ってきた妙高を右手で制して割れたティーカップの破片を拾い始める。
「いえ、大丈夫じゃありません! 寝室へお連れしますから休んで下さい!」
「いや、今日中に審査する書類がまだある。こんな程度で休んではおられん」
「馬鹿っ!!」
突然の妙高の叫び声に、提督は手を止めて妙高を見る。
すると、人前では涙など見せたことがない妙高が、涙を流しながら提督を見つめていた。
「みょ、妙高?」
「貴方を失ったら、どうなると思いますか? ただでさえ私たちを単なる兵器として捉え、境遇を蔑ろにするような上層部ですよ? 次の提督が貴方と同じように私たちの事を考えて下さる保証なんてないんです。提督を失ったら、私、私達は……」
そこまで話すと妙高は肩を震わせて嗚咽し始めた。
「すまない、妙高、すまない……」
自らが無理してでも、鎮守府の雰囲気を明るくするよう努めてきた提督は、妙高の言葉にハッと気付く。そうだ、そうなのだ。私が倒れたら彼女達がどのような待遇となるか……。絶対に倒れるわけにはいかない。
こうして、提督は自らの心と身体のケアにも注力することとし、そのために具体的な方法を妙高と考えることにした。
そして、数日後、妙高からとんでもない案が提出された。
「何? 赤ちゃん言葉を使えと?」
「はい、提督は真面目過ぎます。それに常に気を張っています。張り詰めたゴムがいつか千切れるように、提督の心もいつか切れます。ですからその心を癒すためにこの妙高が考えたのです」
至って真面目な顔をして答える妙高の冗談のような計画は、「赤ちゃん言葉を使って心のケアを」という怪しげな書籍を元に考えられたものだったのだ。
「ちょ、ちょっと見せてくれないか?」
本には、赤ちゃん言葉を使う男性の深層意識について書かれていた。
1 甘えて癒されたいとき
2 プレッシャーから解放されたいとき
3 失敗した自分を慰めて欲しいとき
4 ふざけて笑いを取りたいとき
5 相手を信頼しているとき
ふむう。癒されたい、プレッシャーから解放されたい、か……。
それに失敗した自分を慰めて欲しいときだと? ふうむ。
笑いは……。ないな。
あとは、相手を信頼しているから、と書いてある。
あながちふざけた計画ともいえないし、実績もあるような事が書籍には書いてある。信頼する秘書艦妙高がせっかく計画してくれたのだ。
それに、人は胎児の格好で眠ると良く眠れるなど以前聞いた記憶もあるので、試してみる価値はあると思いたい。
提督は悩みつつも、一時的な赤ちゃん返りで心のリフレッシュに繋がると信じて、執務室で妙高が秘書艦の時だけ赤ちゃん言葉を使うことに決めた。
- 1か月後
「ママ、コーヒーが飲みたいでちゅ」
「はい、はい、コーヒーですね。もう提督は甘えん坊さんなんですから」
執務室では、顔の色つやが良くなった提督と、妙高が嬉しそうに言葉を交わしていた。
他人が見れば大の大人が赤ちゃん言葉を使っているなど、ドン引きであろう。
だが、提督の業務量は以前と変わっていないにも関わらず、赤ちゃん言葉を使って妙高に甘えだしてからは、コケていた頬もふっくらして体調が良くなったことから効果はあったと言える。
「はい、コーヒーですよ」
「ありがとでちゅ! 熱い! やけどしまちゅ」
「もう、提督は慌てん坊さんね。ふーふーしてあげますからね」
まるで本当の母親のように優しい妙高の言葉に提督は無邪気な笑顔で応える。
「うん!」
こうして、妙高が提督のコーヒーを冷ましていると、
「提督! 遠征の報告だ」
北方鼠輸送へと遠征に出ていた磯風が、突然ガチャリと扉を開けて執務室に入室してきた。
「だめでち……、ダメだろう磯風、以前から執務室へ入る時はノックをするように言っていたはずでち、はずだ」
「すまない、大成功だったものでな。ほら、回収資材のリストだ」
「おお! そうか! よくやった! ありがとで、コホン。ありがとう」
「うむ、また遠征任務がある時は、この磯風に頼むと良い、では失礼する」
ビシッと敬礼を決めた磯風が満足そうに退出する。
ところどころ赤ちゃん言葉が出そうになりつつも、なんとかこらえた提督であるが、妙高は気が気でない。
この赤ちゃん言葉でのやり取りは提督のストレス緩和のためとは言え、提督の尊厳に関わる重大な事だ。決して他の艦娘に知られてはならない。
そう思った妙高は提督に釘を刺す。
「提督、執務室では私に存分に甘えてもらって構いませんが、外では赤ちゃん言葉を使わないように気を付けて下さいね」
「わかったでちゅ!!」
目を輝かせて元気に返事をする提督の笑顔に、このままずっと提督のママとして頼られるのも悪くないと思う妙高であった。
ある日、提督は、執務机でうたた寝をしていた。
ふと目を覚ますと、妙高がいない。不安になった提督は妙高を探す。
「ママ? ママ―?」
妙高に甘えたい気持ちで、居ても立っても居られなくなった提督は、妙高を探すため執務室を出た。
「妙高、妙高、君がいないと気が変になりそうだ」
はやる気持ちを抑えつつ、談話室、工廠などを探索する。そういえばそろそろお昼時だ。
確か朝方に妙高が、今日の昼食は人気メニューの牡蠣カレーだと言っていた。
そうか……。もしかすると早めに食堂にカレーを取りに行ったのかもしれない。よし!
「あ! やっぱりいた。妙高だ」
妙高を見つけた提督は、嬉しさのあまり大きな声で妙高を呼ぶ。
「ママ―!!! 探したでちゅー!!!!」
「は?」「え?」「ん?」「なんだと?」「げ?」「ママ?」
妙高を見つけた嬉しさのあまり、大きな声で元気よく妙高をママと叫んだ提督は、多くの視線と訝し気な声にハッと我に返る。
今はお昼どき、食堂は大勢の艦娘で溢れかえっていたのだ。
そして、呼ばれた妙高は、二つの牡蠣カレーを手にプルプルと震えていた。
「提督……。執務室へ戻りますよ」
「あ、ああ、そうしよう。そのカレー、私もひとつ持とう」
真っ赤な顔をして食堂を去っていく二人の後ろ姿に、唖然とする艦娘達。
あまりの衝撃に、追いかけて事の真相を確かめようとする艦娘はいなかった。
後日談
「提督、今日は間宮のデザートを持ってきたぞ」
「うん、長門ママ、ありがとうでちゅ!」
食堂での出来事はあっという間に全艦娘に知れ渡ることとなり、二人だけの秘め事は終わりを告げた。
鎮守府内の提督の尊厳と風紀への影響を危惧した提督と妙高は、講堂で皆を集めて事の顛末を説明したのだ。
その時は「キンモー!」「まじクソ提督」など批判的な声を上げる艦娘もいたが、疲労で青い顔をしていた提督が、赤ちゃん言葉を使い始めてから血色の良い顔色になった事実があるため、逆に自分もママ呼びされたい、甘えてもらいたいと秘書艦をやりたがる艦娘が続出した。
そのため、秘書艦を輪番制とし、〇〇ママと艦娘名で呼んでもらうルールにした。
「はあん。たまりません。もっと甘えて下さい」
「提督、もーっと甘えていいのよ」
日々入れ替わり立ち代わり提督のママとなる艦娘達。
そうして、ママと呼ばれるだけでなく、耳掃除や、膝枕、そしてお昼寝の添い寝など、あの手この手で提督に甘えてもらうようになった艦娘達もスキンシップの効果であろう気力が充実するようになる。
「提督、今日も大勝利だ! 深海棲艦の生息域もかなり狭まったぞ!」
出撃すれば連戦連勝、提督の所属する鎮守府は快進撃を続ける。
「提督、良かったですね。赤ちゃん言葉、こんなに効果があるとは」
「妙高ママのおかげでちゅ! これからも甘えさせてくだちゃい」
いつか深海棲艦がいなくなり、平和な世の中になった時は、提督の赤ちゃん言葉の矯正から始めなければね。
妙高は、将来のことも含めて複雑な気持ちを心の奥底にしまい込みながら、笑顔で提督に応えるのだった。
おしまい