PDFリクエストでこちらの作品をハーメルン様でも投稿させていただきます。pixiv様の方でも掲載させていただいております。
拙い文章ですが、ご了承ください。
土日の連休を利用して、若年層は歓楽に富んだ南側へ。たいして北側には家族サービスに従事するお父さん方があちらこちらと公園近くで見受けられた。時刻はすでに昼時、飲食店が活気立つ今現在、駅から少し離れた区画に店を構える『喫茶リコリコ』もまた絶賛稼ぎ時真っ最中である。
拵えられたステンドグラス調の窓奥から絶え間なく外に漏れる賑やかな歓声は、稼ぎ時にしても少々賑わい過ぎではないだろうかと、店前を通り過ぎゆく人々からすれば、いっそ騒々しさすら感じ取れるほどであった。
思わずと幾人かの視線が店の入口に向けられ、たちまち二重に掛けられている表札プレートを見て納得した。せざるを得ない。通常のプレートの下に重ね掛けで吊るされたチェーンの先には、色鉛筆でカラフルに描かれた。
『本日貸切 with 子ども会』の文字。
「愚かだな、千束。6だ」
「ぐわぁーー!また負けた!」
「千束姉ちゃんおろかー!」
「おろかー!」
小上がりにある座敷席、テーブルを退けた畳の上に今回の為に新しく購入しておいたボードゲームが敷かれている。
ビリの烙印を押された千束が仰向けに横たわって打ちのめされている。その上に被さる子や、ギリギリで勝者側に立ったクルミの側に足音を盛大にして歩み寄る子。
「クルミー!テレビゲーム!テレビゲームやろうよ!」
「さん、を付けろよと言いたいところだが、まあいい。テレビゲームなら早々負けんぞ」
と言いつつ、先程からある程度の接待プレイをしているのは千束からすると明白だったので、まあ一方的に蹂躙するということは無いだろう。
キッズ達の興味が淡々とテレビゲームの準備を進めているクルミに集約されている間に、千束はその場を離れて厨房へと足を運ぶ。
「お姉ちゃん、どう?」
「……うん、いい感じだね」
「ほんと!」
「うん、カナデちゃんは上手だね」
やったぁ!と喜んでいる女の子と、その様子に優しく微笑んでいるたきなはまるで姉妹だ。カナデちゃんも艶やかな光沢を持った長い黒髪だ。お母さんにやってもらってるの!という言葉に、丁寧にケアを施している様子が思い浮かべば、微笑ましいという言葉しか出てこない。
今日はたきなのお仕事モードに倣う形で髪型を揃えているので、後ろ姿だけを見れば背丈が違うたきなが二人いるようだった。
「わたし、うまく半殺しに出来た?」
「うん、綺麗な半殺しだよ」
「…………」
言いたいことはあるが、抑えよう。
別に間違ってはいないのだ。
もち米の具合をそう例えているだけなのだ。
ただ、その部分だけを後々お母さんに報告されるとあらぬ誤解を呼びそうな気配はするので、こちらでフォローするのも手だなと、頭の片隅で考えながら、千束はたきな達へと歩み寄る。
「おはぎはどう?」
「問題ありません」
「もんだいありません!かんすいだよ!」
「おー、完遂かぁ。作ったら皆で食べようね」
うん!と元気よく返事する少女ににっこりと笑みを向けていると、「あっ」となにかを思い出したかのようにカナデが声を上げた。
「ん?どしたん?」
「あのね、わたしアレも食べたい!チョコのソフトクリームみたいなやつ!」
びくっと、たきなの肩が上下に揺れたのを千束は見逃さなかった。
「うーんそっかぁ、チョコのソフトクリームみたいなやつかぁ〜。でもあれは私じゃなくてたきなお姉ちゃんが作るのが一番上手だから、たきなお姉ちゃんにお願いしてみよっか」
なにやら、妙な視線を隣から感じる。
けれど、それはとりあえずスルーして、上部だけ塗り固めた笑顔と、無垢な笑顔がセットになって、たきなへと一心に注がれる。
「「お願い!たきなお姉ちゃん!」」
「…………もう、特別だよ」
口端がひくりと揺れているのは見なかったことにして、ここは任せたと撤退行動に移る。クルミだけに大人数を任せておくわけにもいかないので、客間に戻れば、今まさに一人の男の子が装着していたヘッドセットを外して悔しそうにしている最中だった。ポイント対抗のシューティングゲームらしい。全身を動かしてやるゲームとなると、見境無く身体を動かして、段差のある座敷席から転落する危険を考慮したチョイスだろう。
「相手にならんぞお前たち」
「くぅー!ちさと、仇取ってよ!」
「よぉーし、任せておけい!」
子ども達の声援を受け取りクルミと並び立つ。
「クルミ、お前だけは私が倒す!」
「ふん、来るがいい」
ノリノリな両者に周囲も盛り上がる。
スタートの合図と同時に、銃型のコントローラーが勢いよく火を噴いていった。
1
夕方を迎え、子ども会は終了。
喫茶リコリコはあと数時間の通常営業を挟む形で一日を終えようとしていた。事前告知を受け取っていた複数の常連客が店を訪れ、混雑しない程度の賑わいで店内を照らしている。
子ども達の相手で疲労を見せていたクルミは、顔馴染みの客と意気投合を図って絶賛ポーカーに熱中。今回はのんびりと観戦を嗜む事にした千束の視線がちらりとカウンター席に配られた。
シフト交代で応対はミカとミズキがしているが、この混み合いであれば問題はないだろう。視界を通り過ぎてゆくロボリコが、茶托に乗せた湯呑を持ってカウンター席の右端に腰掛けているたきなへ近づいていた。どうやらミカの差し入れらしい。礼を告げて受け取っているたきなの横顔を見届けながら、千束は訝しげに眉をひそめた。
おかしい。
子ども会を終えてからのたきなは心ここに在らずというか、虚空を見つめながら何かを考えているように思えた。今朝までは至って普通だった。チョコのソフトクリームみたいなアレの件で何かあるかもと密かに楽しみに、いや警戒していたのだが、一向になんのお声も掛からない。
「スリーカード!」
「残念、ストレートだ」
敗北に呻く伊藤だが、その顔は何処か晴れやかだ。締切に間に合い、ひと時の心の安寧を手に入れて仕事道具を持たずにやってくることの喜びを語りながら入店してきた時は、現実逃避かついに壊れたかとその場に立ち会った数名が危惧したものだが、どうやら本当のことらしかった。
ふと、米岡が「あっ」と声を上げ、何事かと彼の目線の先へ顔を向けると、店内に飾られたモニターに流れているニュースのようだった。
「この前の飛行機のやつ、やっぱシステムトラブルだったみたいだよ」
ビクッと、千束とたきなの肩が跳ねる。
「今回は誰も死ななかったけど、一歩間違えば大惨事だったわけだし、ハワイ帰りにそんな目に遭ったら、せっかくの気分台無しよね」
「そもそもハワイ行けるのか、お前」
クルミの言わんとすることを理解したらしい伊藤がごちんとカードを散らしてテーブルに突っ伏す。アナウンサーやコメンテーター達が取り上げている話題を掻き消すように「千束を倒せる奴はいるかぁー!」と挑戦者が名乗りを上げる。
それに便乗して再起を図る伊藤や山寺達の勢いに呑まれるようにして、本日の喫茶リコリコもまたなんのトラブルもなく過ぎて行く。
あるとすればそれは。
その翌日。
スクーターに揺られて、出勤。
いつも通りに更衣室で制服に着替えていた時だった。
「ん?」
足元でかさりと、なにかの音。
見下ろした先にはロッカーの隙間からはみ出した用紙。たきなが使用している場所だ。躊躇いも抵抗もなく指で摘めば、するりと綺麗に隙間から這い出てきた一枚の紙。何か書かれてるなーと両手でしっかりと掴んだそれの内容を一瞥して。
「………………」
一瞬、理解出来なかった。
いや、出来てはいるのだが。
とにかく、びっくりした。
それはもう、びっくりした。
「ちさとー。今日の下拵え、って……どした?」
ギギギ、と。錆びた時計の針のように顔を動かして、やってきたミズキを見遣る。
「イヤ、ナンデナイヨ」
「……」
ばしっと、千束の持っていた紙を瞬息で抜き取る。あぁー!ちょちょちょっ!!と声を荒げる千束の顔面をガシッと片方の手のひらで掌握。
書かれている内容を確認し、────。
「ミズキー、ミカが……どした?」
微動だにしないミズキと、うぅ…とミズキに顔を取り押さえられて何やら呻く千束。と、ミズキの指先が掴んでいた紙がはらりと床へ落ちる。
なんだなんだと興味に惹かれ、クルミがそれを拾い上げた。書かれている内容に目を通し。
「なんだ、ラブレターか」
はっきりと口にした。
ガタン!!と音がしたのは直後だ。
ミズキの握り拳がロッカーに叩き付けられ、騒音に厨房にいるミカから声が飛んでくる。
「おーい、君たちー」
「なんでもなーい。ミズキが蚊を潰しただけだ」
そうか、と返事が聞こえる。いや信じるのかよとツッコミを頭の中で入れつつ、クルミは手に持った紙に目を向けた。
シンプルで、ありきたり。
だが一生懸命に書いたのだろうなというのが伝わってくる真摯な文章だ。たきならしいといえばたきならしい実直な言葉回し。目を通していて、彼女の声が聴こえてきそうだった。
「これどこにあったんだ」
「へ、あ……、ロッカーの隙間に」
なんだか動揺が激しい千束の人差し指がそこに示す。膝を抱えてしゃがんだクルミが手にしたラブレターを元の隙間に差し込んでいく。全体的に露出が激しいが、一応元通りではある。
「そろそろたきながくるぞ」
「はっ!」
「…………」
千束はまだいいとしてミズキは怖すぎる。
何も言わずにのそのそと厨房へ歩む姿は、まるで幽鬼だ。気のせいか背中からオーラが立ち昇っているようにも見えた。とりあえず放っていこうと決意してクルミは店の奥へ足を向けた。
更衣室から出る間際、ちらりと一瞥した千束の横顔だけが、やけに記憶に残った。
/
しっくりこない。
多分それが、今の全てなのだ。
たきながラブレターを書いているというのにビックリした。そこまではいいのだ。問題なのはそれを受け止めて、どうすればいいのかを考えあぐねている己に対してだ。以前までの錦木千束であれば即座に「応援したい」・「何か手伝いたい」と思ったはずだ。実際一度それをやって、とんでもない失敗をしたことがある。
たきなが誰かを好きになって、その人もたきなを好きになって、二人とも幸せに。それを確かめて、千束自身も幸せな気持ちになれる。
そうしてきたのだ。
たきなだけに限らず、自分の人生に関わった人々が少しでも、いやたくさん幸せになれるお手伝いが出来るのなら、この上ない喜びで。
とんでもない人生のやりがいだろう。
今回だってそうだ。
そのラブレターを渡して想いが叶ってほしい。
成就してほしいと願っている。
そのはず。
「……なんだけどなぁ…」
スクーターに揺られ、靡く風に言葉が消える。
結局、あれからすでに三日が過ぎた。
しかしながら、別に悪事に手を染めているわけでもなく、たきなを除いたリコリコの面々で密談をした結果、しばらく様子を見ようという流れに落ち着いていたのだ。特に千束、とはっきりとした発言ではなかったが、手出し無用だとミカから釘を刺されてもいる。以前のやらかしが原因だとは重々理解しているのだが、いかんせん。
それに、あの時とは少し違う。
気がすると、千束は思う。
何が違うのかと聞かれると反応に困るのだが、とにかくあの時とは何かが違う、気がするのだ。
要するに、しっくりこない。
思い悩む間にリコリコに到着する。
悩ましげに口を噤み、悶々とする気持ちを引き摺って、裏口から店内へ。
「ん?」
更衣室へと辿り着く間際だった。
ドア越しに聴こえてくる声。
たきなだとすぐに分かった。
「はい、……はい。それはわかってます。はい、できればこのことは、奥様にも秘密に……」
全力で聞き耳を立てた。リコリスとして費やした能力の全てを聴覚に集中させて、全身全霊で盗み聞きしていく。
「カナデちゃんも悲しむと思いますが、……お手紙のことは、黙っていていただけると。はい。はい、わかりました。失礼します」
これは、ナンダ。
手紙、カナデちゃん、奥様、悲しむ、秘密。
怪しげなワード。違和感の正体。
そして、あのラブレター。
「……………………」
足音を立てずに更衣室から距離を取る。
呆然とする頭で必死に何かを考えて。
裏口を出て、ドアを閉める。四肢から力が抜けて、背凭れ代わりのドアに背中を預けてペタンと腰から崩れ落ちた。
まさか、いやまさか。
いやまさかまさかまさか。
そんなわけがない、いやまさか。
ありえるのか、そんなことが。
ぐるぐると頭の中に渦巻く感情に押し潰されて、しばらく一歩も動けそうになかった。こんがらがった頭で不意に見上げた空には。
息苦しいばかりに、青空が澄み渡っていた。
2
『動いたぞ。point42だ』
了解、と返事をしてスタートを切る。
相手はリコリス。
半端な尾行をすれば気取られる。
複数台と用意した
鉄壁の布陣と言えよう。
「クルミ、対象は?」
『そこから2ブロック先の交差点を右に曲がった。射界が広い、別モニターに切り換える』
「先生?」
『付いてる、そのまま進め』
赤の社用車が視界にちらと過ぎる。
敢えて見せてくれたのだろう。
『しかし、いくらなんでも妻帯者はないだろ。また千束の勘違いじゃないのか』
クルミの発言に、千束はむっと眉を顰める。
事はたきなの電話口の会話を図らずも盗み聞きしてしまったことに起因する。その日は仕事という仕事に手が付かず、クルミと一緒になって皿を数枚台無しにするというポカをしでかした。
ミカを始め、常連のお客様。
特に心配をみせていたのはたきなだったが、まさか原因がお前だとは言えるはずもなく、最終的に携帯端末越しにミカ達に事情を説明し。
そして、今日に至る。
幸いにも喫茶リコリコの定休日。ターゲットが動く可能性が高いとは言えなかったが、どうやら読みは的中した。してしまったらしい。
「言ってたんだって「奥様には内緒にー」とか。可能性としてはゼロじゃないでしょ」
『だからって、それがイコール浮気にはならないんじゃないのか?』
無論、千束だってそう信じたい。
信じたいからこそ、今こうしているのだ。
そこまでしなさいと、無線からミカの声が飛んでくる。そうだ、今はこちらに集中しないと。もし、万が一、億が一、そんなことが起こっていたとしたら、それを……どうするべきだろうか。
奥さんと子どもがいる人は駄目だと、止めるべきだろうか。恋愛は人それぞれだと割り切って、あとは成り行きに任せてしまうだろうか。
『絶対愛人なんて柄じゃないっつーの。ずるずる引き摺って「私と奥さんどっちが大事なんですか!?」なんてヒスを決め込んだ挙句の結末よ、はー、ロクなもんじゃないわねー』
「うっさい、黙ってろ」
ロクなもんじゃない言葉がノンストップで耳に流れ込むのをカットする。微かな嚥下音に、助手席で飲んでるのが容易く想像出来た。
とにかく、今はたきなの動向だ。
いったい何処に向かっているのか。
クルミの案内に従って足を動かす。
数分が経過し、次第に見慣れた路地が目立ち始めた。たきなと一緒に千束もよく歩く道だ。
千束の記憶違いでなければ。
この先にあるのは。
『敷地内に入った。……ん、おい。ここって』
クルミの声に、千束は早足でそちらへ向かう。
外壁と柵の、剥がれた塗装の色合い。
通い馴染んだ、保育園だ。
カナデちゃんが、いる場所だ。
『千束、顔を出すな。たきなに見つかる』
慌てて、遮蔽物の影に隠れる。
「クルミ、どう?」
『この距離と角度じゃ気付かれるだけだぞ。端末に侵入して音を拾ってみるか?』
躊躇う時間は十分にあった。
ここで引き返して、直接事情を聞くことも。
けど───。
「……クルミの分も私が謝るね」
『ふん、必要ない』
一分も経たず、たきなの声が無線に流れる。
『ごめんねお姉ちゃん。おてがみ…』
『ううん、私もあんまり力になれなくて』
『そんなことないよ、お姉ちゃんが書いてくれたおてがみ、すっごくよかったよ!こいびとさん、すごいよろこんでくれたんでしょ』
『……うん、そう、だね』
『いいなぁ……わたしも、あげたかったなぁ』
『そう、だよね』
『おひっこししたら、もうあんまりあそべなくなっちゃうってお父さんが言ってたから、おてがみ、ないしょにしててよかった』
『……カナデちゃん』
『たきなお姉ちゃん、ありがと。でも、もういいや。いっぱいおてつだいして───、』
「クルミ」
ああ、と言って、音声が途切れる。
これで伝わって良かったと、心底思った。
たきなに謝らなければならない。
本当に、謝らなければ。
『千束』
「先生達は先帰ってて」
ここで待っていよう。
たきなが出てくるまで、ここでずっと。
/
「ごめん!!」
もやもやと霞みがかった頭の中。
精一杯の笑顔で自分を送り出してくれるカナデに自分も笑顔で接しなければと、張り付けた笑みで手を振って保育園の敷地を跨いだ。
数十メートルと距離を歩んだ時だった。
横道からバッと飛び出してくる影。
培った訓練と経験が信号を飛ばし、後方へ飛び退る。
背負ったままの鞄から銃を、と。
見覚えのある人物が、正しく90度の角度を保って自分へと頭を下げてきた。
「は?」
ぽつりと呟いた言葉はしっかり届いていたらしく、正面に立つ千束は姿勢を正して、まっすぐな瞳でたきなを射抜いたまま。
「尾行してました!盗聴も!ごめんなさい!」
「は?…えっ」
突然の出来事に意味が分からないが、ずっとこのままというわけにもいかない。半ば鞄からはみ出ている銃を入れ直し、千束を見据える。なにせそれなりの音量だっただけに通り抜けていく幾人かの人影がこちらを注視していた。
「場所、変えませんか?」
「喜んで!」
正直、ノリがウザい。
だがふざけている風にも見えない。
とにかく一旦場所を変えようと歩み出す。
保育園の近くにある公園に十分ほどで到着し、奢ってくれるというので自販機で紙パックのお茶を受け取り、適当なベンチに腰を下ろした。
飲み口にストローを挿して、少量を口に含む。
涼しげな感覚は今の自分には気分転換にちょうど良かったかもしれないと、もう一口を嗜んで。
「……それで、尾行とは」
「はい、その…ですね」
「普通に喋ってください」
「あ、うん。じゃあ、普通で」
遠慮ぎみな千束にくすりと笑みを漏らす。
当の千束はそれどころではないらしいが。
「手紙書いてたでしょ。あの、恋文的な?」
聞けば、ロッカーの隙間からはみ出ていたらしい。少しばかり、書いている内容的にむず痒さを覚える。元より失態だ。リコリコの面々に知られたくはなかった。というよりも、知られるわけにはいかなかったのだ。
「依頼、ですから」
カナデちゃんの、と。
そう口にするたきなの表情は少しばかり苦い。
「そういうのは恥ずかしいものなんでしょう」
自分には経験がないけれど。
両親がいて、家族というものがあって。
隣に仲の良い男の子が住んでいて。
幼稚園に通っているその子と、両親が休み日の時はよく互いの家を行き来して遊んだりして。
その子に、───恋をして。
「まだ小さい子だからと、遊び半分に気持ちを伝えようとしている決意を無下にしたくありませんでしたから」
「だから、私たちにも話さなかったんだ」
「頼まれたのは、私だけですし」
「嘘までついて?」
「うっ…」
罰が悪そうに顔をしかめる。
女の子はみんな恋をして大人になっていくの。
幼い少女は母親の言葉を無垢に信じただけだ。
だから、隣にいる自分より年上の少女もまたそうして年を取ったのだろうと。信頼出来る人間として、たきなに抱えている気持ちを打ち明けた。
たきなだけに、打ち明けてくれたのだ。
「あれは、仕方ないじゃないですか。あんな目で見つめられたら、誰だって協力してあげますよ」
「ふーん?」
「……なんですか?」
「ううん。なんでもない」
「なんですか?」
「なんでもないってば」
どうだろうかと、千束は思う。
以前の、喫茶リコリコに来た当初の、自分たちが出会ったばかりの頃の井ノ上たきなであれば、もう少し抵抗を見せたであろう。最悪の場合『私には経験が無いので力になれません』と幼い少女にもハッキリと言ってしまいそうな気もする。
それは、かなり失礼な想像だろうか。
でも、今は違うのだ。たきなはカナデの気持ちに応えたくて、自分に嘘を付いてまで協力してあげようとした。
それが、かなり、めっちゃ嬉しい。
言わずに心の中に閉まっておこう。
言ってしまってもいいけど。
言わなくてもいいのだ。
たきなの良いところは知っている人だけが知っていればいいのだ。と、思ってしまった。
「でも、なんかあったんでしょ?」
「聞いていたのでは?」
「あー、途中で切っちゃった」
罪悪感、の一言で済ませることは容易だ。
けれど、それで済ませるのは人の心が無い。
聞いてはいけないことは、反則技を使って聞いてしまったというのはかなり精神的にきた。それが油っこい顔のテロリストの悪巧みなんて到底及ばない、純真な女の子の一心な悩みとなると、一際に心がやられてしまった。
たきなは手にしていた紙パックをベンチの上に置くと、少しばかり目線を上げた。先ほどまでのカナデとの会話に心を傾けるように。
「引越しが決まったらしいんです」
確かに、そんなワードが出ていた気がする。
「依頼されて、どんな子なのかを調べようと家の周辺で待機していたら粗大ゴミの回収をしてたんです。それもかなりの量の。おかしいと思って、居合わせたカナデちゃんのお父様にお話を伺ったら、それを聞かされました」
娘がお世話になっています、と言われたこと。
それに少し動転したこと。
「やむを得ず、お父様には事情を話しました」
娘さんの気持ち、ラブレターのこと。
「ご両親もやっぱり知らなかったみたいで、ここだけの話にしてもらったんです」
あの電話はそういうことか……と、ひとり納得する千束を余所に、たきなの声は静かに語る。少しだけそこに、懺悔めいたものを感じて、深妙な面持ちで横顔をじっと見遣る。
「昨日、カナデちゃんに引越しの話を伝えたと連絡が来て、居ても立っても居られなくて」
「それで会いに行った、と」
「はい。こんなところですかね」
「なるほどねぇ……」
事情はわかった。
でも、なるほど。
収まりが悪い、といえばそうなる。
「私は、恋愛の経験がありません。リコリスには必要のないものですから」
「まあね。身体と武器と、健康だけだよ」
「悪人を葬るには十分でしょ」
それだけで十分なのだ。
生きるためにはそれだけでいい。
リコリスとは、そういうものなのだから。
恋も、愛も、わからなくてもいい。
この国を守る柱で在れば。
わからなくても、死にはしない。
でも、だ。
「きっと、本気で好きなんだと思うんです」
わからないけど。
恋をしたことがないから、彼女の気持ちを全て汲み取ることなんて出来ない。
でも、───今は違う。
もうすぐ、会えなくなるのだ。
簡単には会えなくなる。
大切な人に会えなくなるのは。
それは、とても。
とても悲しくて、辛いことだと知っている。
失いたくないという気持ちは、わかる。
もっと一緒にいたいと、願う想いも。
だから───。
「なにかしてあげたい」
ずっと会えなくなるわけじゃない。
それでも、その別れを回避出来ないのなら。
せめて、なにかをしてあげたい。
ぎゅっと、膝の上で握り締められた両手が、はやる気持ちに喘いでる。なにかないかと、必死に答えを導き出そうと駆けずり回っている。
なら、千束の出来ることはひとつ。
ぐいっと背を伸ばして立ち上がる。
陽が傾き、世界が温かな色に染まる中を。
「なら、やろうよ。なんかを」
これまでそうしてきたように。
「助けてあげよう。困ってる人を」
「千束」
「たきなが助けてあげたいその子を、私も助けてあげたい。出来るよ、私たちなら」
スッと、千束の指先が何処かを示す。
つられるようしてたきなが目を向ける。
すっかりと日常の一部となった人達がこちらに向かって歩みを進めていた。「先帰っててって言ったのに」とぽそりと千束の嬉しげな囁きが聞こえてくる。そんな千束の心情を知ってか知らずか、一番小柄な人影がぶんぶんと手を振っているのにくすっと笑んで。
「ひとりでなんかやるよりいいでしょ?」
「……多すぎでは?」
「それが良いんだよ」
千束の手が差し伸べられる。
「力、貸させてよ。たきな」
夕日に混じって、眩しいくらいの笑顔だった。
それに一瞬、目を奪われる。
でも、一瞬だ。
がしりと、差し出された手を握りしめて、離さないように固く結んでみる。ここまで来たら絶対協力させてやると言いたげな勝ち気な微笑み。
それを感じ取って、目の前の千束が笑う。
切ないくらいに、胸が高鳴る。
失いたくないと、心から思った。
3
何処にも行けない気持ちがある。
芽吹く前の幼い心。
養分を含んで、いつかの開花を待っている。
起き抜けに、出掛けようと両親が言う。
揃えたような笑み、特に此れといった気持ちもなく、用意していた朝ごはんを食べ、パジャマから外に出る時に着る服にお粧しする。
すこしだけ、カナデは胸の鼓動を感じる。どくんと脈打つソレに指先をそっと添えてみても、それの意味には簡単には手が届かない。
わかっていることは。
「スミくん達、もう準備できてるって」
母の声に、気持ちがふわりと和らぐ。
今日のお出掛けは、隣に住んでいるあの子とその両親も一緒なのだ。そういえばもう随分と両家が揃って遊びに行くというのは無かった。
母と父はお仕事で大変なのだから当然だ。
でも、どうして急に決まったんだろうという謎々には答えてくれてもいいはずだ。それを声にする前に彼の姿を見て、そんな気も失せた。
頭の中に浮かんでいたお話しなんて綺麗に吹き飛んで、今日一日という時間に目を向ける。
車は二台、せっかくだからと両親の運転する車の後ろの席に彼とふたりで座ってお話しをした。
それからはあっという間だ。
みゅーじあむ、というものに行ったり。
少し離れた人がたくさんいて、いろんなお店が並んでいる建物の中を見て回って、そこで一緒にお昼ご飯を食べてから運動場で駆け回る。
お引越し、というものをしたら。
きっと、こんなことも出来なくなるのだ。
幼心にも、少しだけわかる。
お互いの両親が、どこか寂しそうに自分達を見ているのに気付いて自然に顔の向きを変えた。
まぶしいお日様が色を変えるまで一緒に遊ぶ。
暗くて、少しだけ彼の顔が見えづらくなる。
イヤだったけど、この暗さならそんな顔をしてるのを見せなくてもいいのだとわかって、なんだか複雑な気持ちになった。
たくさん運動をして疲れたけど、それと同じくらいにお腹が空いてきた。夜はいっぱい食べられるお店に行って、ふたりで唐揚げを取りに行ったり、カレーをよそって、隣に座って食べた。
それで、これでおしまい。
今日はこれでもう彼とはお別れだろう。
お別れ、なのだろうか。
それなら、もう少しだけ。
『カナデ、甘いもの食べにいこっか』
え?と、カナデは両親を見る。
楽しそうに笑っている両親。
どこにいくのだろうと、車に乗って。
夜になった道をゆく。
自分の家じゃない、大きな木の家。
窓のガラスが電気に光ってとても綺麗な。
ドアの開く音。
かたんかたんと、道を踏む面白い音。
目に留まったのは、赤色と青色。
「喫茶リコリコへ、ようこそ!」
幸せな笑顔がそこにあった。
とても優しい年上のお姉さんたち。
でも、今はどうだろう。
特に黒髪の、お姉さんだ。
協力をお願いしていたというのに、せっかく手紙を書いてくれて応援してくれていたというのに、結局それをダメにしてしまったのだ。嫌われてしまったかもしれない。お手伝いに来てもかまってくれなくなってしまったかもしれない。いざ本人を前にすると、そんな不安が途端に溢れ返る。足元が逃げ出したいと訴えるように後退るのを止められない。カナデの気持ちをそのままにして、両親が彼女たちと何かを話している。
話していることを聞こえてくる。
しおりが、貸切が、と。
言っている意味はよくわからない。
けれどもしかしてと、考えることは出来た。
今日、これまで行った場所は。
この人たちが。
「カナデちゃん」
不意に名前を呼ばれて、カナデはそちらに顔を流す。自分たちの両親と、あの子の両親。そしてあの子を連れ立って一足先にと千束が満面の笑みで歩き去る。彼が気にするようにカナデに目線を合わせるが、両親に背中を押される形で歩みを止めずに行ってしまう。
その瞳の中で、たきなが静かに近付いていく。
僅かに怯えるように目を瞑った少女の元へ。
目線の位置を合わせるように膝を曲げ、たきなのほのかな笑みが、カナデの目の前に広がった。
これ、と。四つ折りの小さな紙を渡される。
広げてみると、そこには何も無い。
何も書いていない、ただの真白な紙だ。
「カナデちゃん」
たきなの両手が、その小さな手を包み込む。
ぎゅっと、熱を分け与えるように。
冷ましちゃいけないと、言うように。
「カナデちゃんが思ってること。考えてること。誰かに言わなくていい、伝えなくてもいい。でも、それを全部無かったことにする必要なんかないと思う」
無理強いはしたくない。
強制はしたくない。
これはこの子の生き方だ。
無責任だと、思う。
この子の人生に、自分では責任を取れない。
でも、諦めないでほしい。
これで終わりだなんて、妥協しないでほしい。
この結末を、受け入れないでほしい。
だから、どうしても───。
「カナデちゃんのしたいことをして」
「したい、こと」
「うん、最優先」
「さい、ゆうせん?」
「うーんと、……あのお姉ちゃんみたいなこと」
たきなの指が、ご両親をお店へ案内していたもうひとりのお姉ちゃんに向けられる。様子を覗っていたのか、自分に指先を向けられた瞬間に、ふりふりと手を振っていた。とても、綺麗な笑顔だ。みんなが好きになる、大好きな笑顔だ。
「たきなお姉ちゃんも?」
「ん?」
「したいこと、してるの?」
「うん。……今までも、今も」
その笑顔は、どこか寂しげで。
けれど、とても澄んだ瞳をしている。
くしゃりと、少女の手が強さを増す。
したいこと、書きたいこと、最優先。
優しく、力強く押された背中に、勝手に進む為のエンジンが詰め込まれる。
逸る気持ちに歯止めが効かなくなっていく。
我慢する必要なんてないんだと。
小さな心で縫い留めていたものが、その意味を見失って、望んだ道へと舵を切り始めた。
それを再び止める術を、少女は持っていない。
書くものなんて持っていない。
伝える方法なんて決まってもいない。
だから、やることはひとつだけだった。
握り締められていた手が離れる。
きっとお互いにわかってしまった。
わかって、くれたのだ。
だから、目の前のお姉さんの頷きに。
こくりと、小さな頷きを返して。
「がんばって」
それを合図に駆け出した。
今にも崩れてしまいそうなほどの小さな背中。
きっと、迷惑かも。
自分が望んだものは得られないかも。
でも、そんなものはもう関係なくて。
伝えたくて。それを、したくて。
駆け込んだ店の中。
大人たちの視線なんてもう世界には入らない。
ただまっすぐに、見つめて。
「わたし───っ、!」
4
すでに夜半。
都会の喧騒も夜空に吸われ、電車の足音が鼓動のように耳打っている。カツンと、路地を歩むローファーの足音がふたつ。たきながぶら下げたエコバッグにはコンビニでの戦利品が入っている。
普段であれば手製のおつまみを用意するミズキであるが、今回は手伝いのお礼としてコンビニへのお遣いを賜わった次第であった。
通常の営業時間を少しオーバーする形で、依頼はひとまずと終わりを迎え、帰宅を見送ってから遅めの閉店準備である。明日も普通に営業日ではあるのでいい加減に帰宅するべきなのだが、今回に関してはたきなとしても手伝ってもらったという気持ちが強い為に否定も出来ない。
「たきなー」
「ダメです、もう遅いんですから」
「え〜、ちょっとくらいならいいじゃんよ〜」
駄々をこねるような声音の千束。
そんなにもアイスが食べたかったのかと考えたところで、たきなの言い分が変わることはない。
というか。
「……テンション高すぎません?」
「えー、そんなことないでしょー」
いや、そんなことはある。
依頼の終わり方としても文句無し。
たきなとしても、最良の結果だろう。
しかしそれにしてもだ。
「うぅーん、たきな〜」
「……暑苦しい」
腕を絡めて肩口に頭をこつんと乗せてくる。
しかも乗せている頭でぽんぽんとその部分をノックしてくるのが地味に鬱陶しい。はっきり言って距離が近い。
近すぎる。
「千束、鬱陶しいです。離れてください」
「いーやーだー。離れませ〜ん」
思わずガシッと空いている手で頭部を掴んで引き剥がそうと試みると、両手を胴体に回されて全力で抵抗されてしまう。まるで大木にしがみついたコアラだ。
「……っ、なん、なんですかっ」
「ぐぬぬ、なんと言おうと離れないってのっ…」
もう面倒臭い。時間の無駄なのでもう好きにさせることにした。再度腕に絡み付いてくる千束を一瞥し、やれやれとため息を吐く。
「そんなに嬉しかったんですか」
たきなの問いかけの意味を理解し、んーそれもあるけど、と。
腕にしがみついたまま。
「なんか、たきなにそういう人がいないってわかって、ちょっと安心したっていうか」
「……は?」
「あぁ……たきなのラブレターじゃなかったんだってさ。ほら、もしそういう人がいたら、私がたきなとこういう風にしていられないじゃん?」
くいと、絡めた腕を確かめるように動かす。
そのさりげない仕草に、少しだけドキリとする。
言っている意味は分かっているつもりだ。
でもそれはどう言った感情を主体に、千束は話しているのだろう。
意図の不明瞭な発言であることに変わりは無い。
けれど、それは深掘りしてもいい話題なのだろうか。
同時に、自分を包む温もりにたきなは気付く。
甘えるように寄り添う千束の熱が、全身を這い回って、正常な思考を奪おうとしていた。自然と、いやそれを自然と呼べるのかも定かでは無い意識に苛まれながら、たきなは千束に目線を傾ける。
肩口に頭を添えて、穏やかでリラックスしたような落ち着いた相貌。
それが今、自分とこうしているからだというのなら、その理由を知る権利は自分にはあるはずだと認知する。
けれど、聞いてもいいのか。
それに、いったい何をどう聞くつもりだ。
それを聞きたいと、自分は思っているのか。
「ち、」
名前を呼ぼうとしたのだろうか。
なんだか、もうよくわからなくなってくる。
けれど、把握していることもある。
把握してしまえたものがある。
悪くない、と。
思っている自分がいる。
今の、千束の言葉に。
つまり、それは───。
「たきな?」
顔が熱い。
暗闇に紛れているだろうか。
そう感じてしまうくらいに、今の自分の顔を千束に見せるわけにはいかないと空を見上げた。
「どうしたの?」
いつも以上に、千束の声が甘く聞こえる。
きっと気のせいだろう。
もしくは彼女が付けている香水の匂いだ。
そうだ、きっとそのせいだ。
「たーきなーさーん」
「……なんですか」
「いやいや、もう着いたよ?」
ハッと、視線を戻す。
そこにあるのは街頭に薄く浮かんだ路地。
一瞬、理解が追い付かなくって。
その前に、傍らで笑みが溢れる。
不用意に、そちらへ顔を向けてみれば。
「……うそ」
幸せそうに、はにかんでみせる千束。
その微笑みに、一瞬。
視界がくらんだ気がした。
絡まっていた温もりが離れていく。
けれど、一向に冷めてくれない。
冗談じゃ済まないほどに高鳴った心が暴れ出して、何かの鋳型に熱を溶かしこんでいく。満たされてしまったらきっともう取り返しのつかないそれが、たきなに錯覚を起こすのだ。
文字にしてしまえば、三文字にも満たない。
そこへ、連れて行かれてしまう。
「たきなー!行くよー!」
なんだか、すごく悔しい。
こんな、一方的に。
理不尽にも、ほどがある。
「───っ、ちさとぉーー!!」
全力で、全霊で、千束を追いかける。
高鳴った心をそのままに。
知ってしまった、鼓動を連れて。
始まってしまった、感情に従って。