東方創想話作品集241 2022/10/9 投稿済みのSSです。
博麗神社で時々見かけるという不思議な猫のお話です。

※東方創想話にて投稿した同名SSと内容は全て同じものになります。予めご了承の上お読み下さい。

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とある猫の一日

 

 春の麗らかな昼過ぎ頃。

 自分を撫でる手が止まったのを感じて、猫はご主人様の膝元でぱちりと目を覚ました。

 体を目一杯のばしながらくぁ、と欠伸を一つ。くしくしと顔を擦ってから辺りを見回す。ぱっと見た感じ神社に異常は無さそうか。

 

 次にご主人様──当代の博麗の巫女である靈夢の様子を伺うと、彼女は春の陽気に当てられて眠ってしまったご様子。まこと、春眠暁を覚えずとはよく言ったものである。

 些か不用心だとは思うが、まぁ無理もない。この所、彼女が妖怪退治やら春の大宴会やら何やらで忙しそうに動き回っていた事を猫は知っている。

 こんなにも穏やかな表情で眠りに落ちているのだ。さぞかし良い夢を見ている事だろう。鬼仙人が見たら小言を言いそうな光景ではあるが、今日は長閑でとても良い天気なのである。たまにはこんな日があっても良いではないか。

 

 ご主人様には今はゆっくりと体を休めてもらおう。そして起きたらまた、今まであまり構ってもらえなかった分たっぷりと構ってもらうのだ。

 その為にはご主人様の邪魔をする訳にも、邪魔をさせる訳にもいかない。せっかく久々に自由に動ける体になっているのだ。いつも神社にやって来る不埒な輩共はしっかり追い返さねばなるまい。

 猫はふんすと気合を入れて、ご主人様の膝元から飛び降りる。善は急げと言う、早速神社の見回りに向かうとしよう。

 

 §

 

 博麗神社には高麗野某と言う神獣がいる。

 彼女は所謂狛犬であり、一人で獅子と狛犬の性質を併せ持つ珍しい神獣である。もっとも、たまに角有りと角無しの二人に分身している姿を見かけるので、本当に一人の神獣なのかは少し怪しい。

 昔から神社や寺といった人間の信仰を集めそうな場所を見つけては居候し、勝手に守護しながら生きてきたという彼女の存在は、博麗神社にとって都合の悪い存在ではない。寧ろ魑魅魍魎の跋扈する幻想郷において、そういった存在から頼みもしていないのに守護してくれるのだから大層有難い存在である。

 

 ……と言うのが建前であって、高麗野はいまいち頼りにならないと言うのが猫の本音だった。

 猫は高麗野が物言わぬ狛犬だった頃、何時の間にか勝手に博麗神社に居候を始めた時から彼女の事を知っている。

 決して弱くはないが強くもなく、神社を狙う無頼の輩を押し阻むにはやや力不足気味。それでも例え相手が格上であろうと臆する事なく立ち向かう勇気と健気さは、猫としても高評価である。後は実力が伴えば言う事無しだが。

 少し前に怪しげな神の力によって受肉した様子で、先の四季異変では気が立って見敵必殺状態なご主人様に目を付けられ、やむなく戦ったりもしていた。

 

 それが切っ掛けなのかどうか、近頃の両者の距離は一気に近くなった。居候したての頃とは比べるべくもない。

 昔は『影からお手伝いするのが楽しいんですよ』と言っていた癖に、今では狛犬の姿でいる時より人間体のときの方が多く、堂々とご主人様の仕事を手伝ったりしている。他にも暇な時は遊んでもらったり、一緒に昼寝をしたり。その様は神獣と言うより、まるで人里の飼い犬である。

 確かに自由に動ける姿を手に入れて浮かれる気持ちは分からなくもない。何なら自由に人間の姿になれる高麗野の事が少し羨ましいし妬ましい。

 だがそれはそれとして、己の本分たる神社の守護はどうしたのだ、守護は。黙って見ていれば最近はご主人様と遊んでばかりではないか。石像として境内に座っていた頃の方が真面目に仕事していた気さえする。

 どうせ今もどこかでお昼寝しているに違いない。猫はそう思いながら、高麗野を探して割と広い境内を軽やかに駆ける。

 

 案の定であった。

 屋内にも境内にもいないならばと、空から探してみた神社本殿の屋根の上。そこで高麗野は大変気持ち良さそうに日向ぼっこしていた。涎を垂らして寝転がる様は、神獣らしからぬだらけっぷりである。

 まったく、神獣だというのにこの有様は如何なものか。少しは夢幻館の門番達を見習って欲しいものだと猫は憤慨する。

 あの二人は正に門番の鑑だ。実力が高く、職務に忠実で忠誠心もある。まぁ、流石に猫のご主人様には敵わなかった訳だが。

 紅魔館にも門番がいるが、あれはなぁ。実力は確かなんだけど、職務中によく昼寝する悪癖さえ無ければなぁ。参考にするにしても反面教師としてだろうか。

 

 何にせよ、無防備なご主人様を差し置いて呑気に昼寝しているのは感心しない。猫は尻尾をひゅんと鳴らして高麗野の顔を強かに打った。

 

「いったぁ!? え、なになに、何事!?」

 

 何事も何もあるかい。ご主人様が寝ているのだから、その守護は君の役目だろうが。

 非難の意を込めてにゃあと鳴いたら、何故か高麗野は猫の頭を撫でてきた。

 

「あ、時々神社にいる謎の猫さん! どうしたんですか、お腹でも空いたんですか?」

 

 違うわい。猫は再び高麗野の顔面を尻尾で打った。

 生憎と猫は普通の猫とはちょっと違い、餌を必要としないのだ。貧乏生活から抜け出せない博麗神社でも懐に優しい、実に経済的な猫なのだ。

 そんな事は今はどうでもいい。まず君はさっさと職務に戻らんか。

 猫は目をじっと細めて高麗野を睨めつける。それでもまだ察しが悪い様子なので、尻尾で寝てるご主人様を指し示しながらもう一度にゃあと強めに鳴く。

 

「あぁ、成程! そういう事ですか! わざわざそれを伝えに起こしに来てくれるなんて賢い猫さんですね。お礼に後で煮干し持ってきてあげます!」

 

 いらんわ。貰っても猫に消化器官は存在しない。猫にあげるくらいならご主人様の食卓に上げてやって欲しい。

 何はともあれ、高麗野はようやく本分を思い出したらしく持ち場へと戻っていった。ひとまず一件落着である。

 しかし、あのポンコツ神獣に守護を任せっ放しにするのはかなり不安だ。何せあやつ、敵意が無かったら妖精やら妖怪やら何でもかんでも来客扱いで迎え入れてしまう。そんなんだからここは妖怪神社なんて不名誉な呼ばれ方をするのではないだろうか。

 そんな益体も無い事を考えながら、猫は引き続き神社を見回る事にした。神社を守護する人手は多いに越した事はなかろう。人じゃなくて猫だけど。

 

 §

 

 神社に参拝する際、或いは見回りをする際に一番注意を払わねばならないのは、神社周辺に住む性悪妖精共の仕掛けたトラップである。

 あれらは頭が緩く出来ている為か、死んでも時間を置けば復活する性質故か。トラップの加減というものをまるで知らない。賽銭箱に落ち葉を大量に入れるくだらない悪戯に始まり、頭上からタライが落ちてくるなんていうのはまだ可愛らしいものだ。

 酷い物になると落とし穴の底に竹槍が仕込んであったり、糸に引っ掛かると何処からともなくパチンコ玉が飛んできたりと、命に関わりかねないトラップを平気で仕掛けてくる。

 昔、冬の時に屋根に積もった雪の中へ大量の刃物と爆弾を混ぜて、ご主人様の頭上へ落とした時は本当に肝が冷えた。ご主人様はあれでよく死ななかったものである。下手したらあの時、博麗の巫女は代替わりしていたかもしれない。

 

 要するに、いくら個々の力が弱い妖精だとしても、神社を守る上で舐めてかかってはいけないという事だ。油断していたらとんだ酷い目に合わされる。

 故に今日も猫は警戒を怠らずに見回りをしていた。少なくとも猫はそのつもりだった。

 

「ねー、見て見てー。見た事ない変な猫捕まえたー」

「わぁ、サニー凄いじゃない。不思議な毛並みだけどとっても可愛いし、持って帰って飼いましょうよ」

「そんな事して大丈夫かなぁ……ほら、この神社ってよく猫の妖怪が来てるじゃん。その猫も妖怪だったりしない? もし妖怪だったら私達の力じゃ手に負えないかもしれないよ」

「大丈夫よ、ルナ。この猫ちゃんからは妖怪っぽい気配を感じないわ。普通の猫って訳でもなさそうだけど」

 

 ……高麗野を仕事に戻らせた後、外には異常が無い事を確認した猫は次に屋内を見回る事にした。たまに妖精が忍び込んでは、泥棒や悪戯に勤しんでいる時があるからだ。

 屋内の中でも特に炊事場は妖精に狙われやすい。ここには食糧だけでなく、ご主人様がよく高い酒や茶請けを隠している為である。妖精に盗まれて怒髪天を衝いたご主人様を猫は何度も見てきた。

 だから真っ先に見回ろうとした所、充分注意していたにも関わらずこのざまである。炊事場に足を踏み入れた途端、あっという間に三妖精に捕まってしまった。

 

 猫は三妖精の事が嫌いである。それはもう頭に大が着くくらいには嫌いだ。

 その理由は単純で、頻繁にご主人様にちょっかいを出し物を盗んだりしている癖に、何故か妙に気に入られているからである。

 ……いやいや、別にそんな橋姫が好む様な嫉妬の感情だけでそこまで嫌っているのではない。

 もっと深い理由を言えば、昔この三人組に猫は盗まれた事がある。そんな事をされた相手を好きになれる訳もない。もっとも、その時は猫は猫の姿をしていなかったので三人組は気付いていないかもしれないが。

 そんな事もあって、猫の三妖精への印象は非常に悪い。最早ゼロを通り越してマイナスまで振り切れている。

 

 そんなにっくき三妖精相手に猫はあっさりと捕まってしまっていた。屈辱の極みである。

 とは言え、姿と音を消せて相手を一方的に把握出来る三妖精と猫の相性はかなり悪い。手も足も出ずに捕まってしまったのは致し方ない所もあると言える。

 と言うか、本当に高麗野某は一体何をしているのだ? 妖精が思いっ切り侵入しているじゃないか。あれだけ発破をかけたというのに……。

 

「この猫、随分と大人しいわね。ぜーんぜん暴れないわ」

 

 猫を捕まえている陽光の妖精が腹をむにむに触りながらそう言った。

 猫は決して大人しい性格ではない。寧ろ妖精や妖怪相手に対してはかなり凶暴な方である。

 ただ無闇矢鱈に暴れるのは品が無いと思うから、今の所は大人しく振る舞っているだけだ。隙さえ見せればその可愛さ余って憎さ百倍の顔にサッと赤い線を描いてくれるわ。

 

「でも顔は物凄く嫌そうよ。猫ってここまで露骨に不機嫌な顔が出来るのね。初めて知ったわ」

 

 猫は愛玩動物として設計されたが、妖精の玩具になるつもりは更々無い。第一昔の件があるので、媚びるつもりも一切無い。分かったら、さっさと、その手を離せ。

 不満の意をたっぷりと込めて、殊更に機嫌悪く聞こえる様に低い声で鳴く。陽光の妖精は慌てて猫を降ろしてくれた。我儘いっぱいの妖精と言えども、可愛い猫の不興を買うのは嫌と見える。

 

「近くに猫じゃらしでもないかしら? そしたら猫も機嫌直してくれるかもしれないわよ」

 

 まだ猫の事を諦められないのか、月光の妖精がそんな提案をした。しかし、生憎と猫は猫であって猫ではない。猫じゃらしやマタタビ程度では懐柔されないのだ。

 猫は炊事場の戸棚の前にひょいと飛び乗ると、梃子でも動かぬとばかりに丸まりつつ威嚇する。ご主人様がこの戸棚の中に色々と隠しているのを猫は知っている。ここさえ漁らせなければこの三妖精はろくな物を盗めまい。

 

「あー……どうもこの猫は私達におかんむりみたいね」

「急に後ろから抱き上げたからビックリしちゃったんじゃない? まったくもう、サニーったら。猫は構いすぎると嫌われるのよ?」

「え、これ私が悪いの? おかしくない?」

「それよりどうするの? これじゃ戸棚の中の物をくすねられないよ。霊夢さんはここに高いお酒とかをしまってるんでしょ?」

「私に任せて。ほーらよしよし、猫ちゃんちょっとどいてねー。私達、そこの中に興味があるのよ……きゃっ、痛っ!?」

 

 パシィッ、と鋭い音を鳴らして星光の妖精の手を打ち据える。そのままびゅんびゅん尻尾を振り回しながら唸って威嚇。屋内に侵入したまでは百歩譲って許すにしても、これ以上の狼藉は許さぬ。

 次に良からぬ事をしようと言うのならこれだぞよ、と言わんばかりに猫は大きく口を開けて鋭い牙を見せつけた。

 猫は人に噛み付いたりしないお利口さんな猫だが、こと妖精と妖怪については対象外である。自慢の牙でその肌、引き裂いてくれよう。

 猫の思惑通り、三妖精は鋭く光る牙を前に明らかに怯んだ。顔を見合せながらたじたじと後ずさる。

 

「ど、どうすんのコレ。割と本気で嫌われてる反応じゃん」

「うーん、この猫ちゃんに嫌われるような事をした覚えは無いのだけど。取り敢えず今日は日を改めましょうか?」

「賛成賛成、何かあの猫おっかないよ……」

 

 少し話し合った後、三妖精はコソコソと逃げ出した。戦略的撤退という所だろう。

 勝った、悪は去った。やり遂げたのだ。猫は見事、自分一人の力で神社を守ったのである。

 本当は猫でない時の方が滅法強いのだが、この姿でも案外やれるものなのだな。猫はそう思いながら、残りの屋内をパトロールするべく歩みを進めた。

 

 §

 

 一通り屋内を見て回って異常が無い事を確認してご主人様の所に戻ってみると、彼女はうたた寝どころではなく完全に寝る体勢に入っていた。

 いつの間にやら縁側で横になっており、高麗野が持ってきたのであろう毛布に身を包んですやすやと眠っている。どうもこのまま夜まで寝過ごす心づもりらしい。

 境内の掃き掃除やら何やら仕事は全然終わっていないのだが、ある程度の作業は高麗野がなんちゃってパトロールをしながら進めてくれている。深い眠りに落ちたばかりだろうし、ここで無理に起こすのは無粋というもの。

 猫は敬愛するご主人様の為に、もうしばらく神社のパトロールをする事にした。

 

 今猫に課せられている最優先の任務は、お疲れなご主人様の眠りを妨げない様に警護する事である。

 故に神社の見回りをすると言えども、余りご主人様から離れてしまうのは得策ではない。どうせ高麗野のザル警備で妖精も妖怪も我が物顔で侵入してくるのだ。いざと言う時にすぐ駆けつけられる場所で見張るのが上策だろう。

 と言う事で猫はしばらくの間、ご主人様の眠る屋根の上で辺りを見張る事にした。ここならば近付く不逞の輩を補足しやすく、対応もしやすい。いざとなれば高麗野も応援に駆け付けてくれるだろうし、ご主人様の守りは磐石と言える。

 さぁ魑魅魍魎共め、来るなら来い。猫が全て祓い除けてくれよう。猫はそう気負いながら、傍目にはのんびりとした様子で境内を眺めるのだった。

 

 はらはらと舞い散る桜の花びらを眺める事四半刻。暇なので境内に落ちた花びらの数を半分程数えた所で、猫は今最も警戒すべき存在が近付いている事に気付いた。気を引き締めて臨戦態勢を整える。

 果たして一分もしない内に、そいつは階段から境内に姿を現した。

 頭のシニヨンキャップと右腕全体を覆い隠す包帯が特徴的なそいつは一般的に茨華仙と呼ばれているが、その正体を知っている猫は敵意も込めて鬼仙人と呼んでいた。

 もちろん彼女がご主人様の事を思って色々と忠言をしているのは分かっている。そこに悪意は介在していない事もちゃんと理解している。

 しかし、だからと言って己が半身を再封印する為に一芝居打って、ご主人様の命を危険な目に晒した事を猫は許していない。あんな出来事、どうして簡単に水に流せようか。心優しいご主人様は彼女を許して良好な関係を築いているようだが、猫の中で鬼仙人は最大警戒対象となっていた。

 

 境内を進む鬼仙人はご主人様の姿を見つけると、額を抑えながら溜息を吐いた。サボっているご主人様を見た時のお決まりの反応である。

 そうと来れば後の流れは容易に想像がついた。呆れ半分怒り半分の鬼仙人がご主人様を叩き起し、長い時には一刻にも及ぶ有難い仙人様のお説教コースの始まりである。たまには見逃してあげればいいのに、毎度毎度真面目な事だ。

 もっともそんな所業を黙って見過ごす訳にはいかない。猫の使命はご主人様の安眠を守る事。それは例え相手がかつての鬼の四天王だとしても、決意が揺らぐ事は無い。

 猫は屋根から飛び降りると、ご主人様を庇う様に鬼仙人の前へ立ちはだかる。なに、恐るる事は無い。猫はこと鬼仙人が相手ならば猫の姿でも負ける気はしなかった。

 

「む、妙な毛並みの猫ですね。何だか何処かで見たことがあるような気がしますが……」

 

 無論、鬼仙人とはこれが初めましてではない。この姿では初めてだが、いつもの姿だったら何度も顔を合わせている。

 猫が猫じゃない時だと、一度はあのにっくき三妖精に盗まれた挙句に投げ捨てられた猫を拾い、神社まで送り届けてくれた事もある。もちろんその節は一応感謝している。だからと言って気を許してなどいないが。

 

「それより、申し訳ありませんが少しそこをどいてくれませんか? 霊夢に少し用事があるので」

 

 そうだろうとも。今からろくに仕事もせず昼間からお昼寝してるご主人様に雷を落とすつもりなんだろう。今までにもよく見た光景だ。

 だからこそここを退く訳にはいかなかった。退いてしまってはせっかく心穏やかに眠っているご主人様が叩き起されて可哀想だ。何を言われようとも道を譲るつもりなどない。

 

「む? どいてくれませんね。私の意図する所はちゃんと伝わっているはずなんですが」

 

 もちろん伝わっている。と言うか猫は厳密には動物の区分には入らないので、普通に声は聞こえている。

 分かっていて猫は退く気がないのだ。何人たりともここは通さぬ。どうしても通りたければこの愛くるしい姿をした猫を打ち倒してから行くが良い。

 そういった感情を込めて、猫は毛を逆立てながらふしゃーっと威嚇した。

 

「ふむ、私の声に耳を貸さないどころか威嚇までしてくるなんて。随分変わった猫もいたものです。……ちょっと失礼、少し退いてもらいますよ」

 

 そう前置きして鬼仙人は猫を退かそうと体に触れようとしてきた。

 ふふん、猫の目論見通りである。鬼仙人の手が体に触れた瞬間、猫はいつぞやのように退魔の霊力を放出する。

 

「……ッ!?」

 

 ばちばちっ、と爆ぜるような音がして鬼仙人の右腕が弾け飛んだ。腕を象っていた妖力が霧散し、焦げた包帯が地面にとぐろを巻いて落ちる。

 一応やり過ぎないように出力は加減したが、まぁこんなものだ。妖怪退治用に特化して作られた猫にかかれば、たとえ鬼が相手だろうとこのくらいは造作もない。

 

「この現象は前に一度見た事が……成程、つまり貴方は。確かにその不思議な毛並みに面影が残ってますし、気付けなかったのは迂闊でした」

 

 どうやら鬼仙人は猫の正体に気が付いたようだった。流石にあの時と同じ目にあえば気が付きもするか。

 さぁどうする。まだやるか? やるなら最後まで付き合おう。今度は全力で霊力をぶつけてくれる。

 再度身構えつつ霊力を練り上げていると、鬼仙人はやれやれと言った感じで頭を振って踵を返した。

 

「仕方ありませんね。貴方が相手では分が悪いですし、今日の所は引き返すとしましょう。霊夢には後で私が来ていた事をそれとなく伝えておいて下さい」

 

 それだけ言い残して鬼仙人は未だ形の戻らない右腕を庇いつつ、空の向こう側へと飛び去って行った。後には千切れた包帯と猫だけが残る。

 素晴らしい。猫は誇らしげに鳴き声をあげた。これで二連勝の快挙である。少し騒がしくしてしまったがご主人様が起きた様子もなく、実に完璧な仕事ぶりだ。

 さて、日はまだ高く、ご主人様が起きるまでは時間がある。見回りに戻るのもいいが、また鬼仙人の様に高麗野では手に負えない輩が現れないとも限らない。

 仕方ないので猫はさっきと同じ位置まで戻り、ご主人様の近くで不埒者の監視に徹する事にした。境内全域の見回りは高麗野がやってくれるだろう。というか狛犬として流石にそれくらいはやってくれなければ困る。

 

 §

 

 見回りは体を動かせるので退屈しなくて良いが、見張りとなるとじーっとそこで周りを見ているだけなので退屈でしょうがない。

 おまけにここはご主人様の膝上でなければ、柔らかい座布団の上という訳でもない。陣取っているのは屋根の固い瓦の上。猫は我慢強い方ではあるが、半刻も経てば居心地の悪い場所で見張り続けるだけの行為に飽きが来た。

 しかしこれもご主人様の為。飽きたからと言って職務を放棄する訳にもいかない。

 手慰みに捕まえた毛玉を虐めて遊び、退屈を紛らわせながら再度監視を続ける。

 

 そんな事をしていると、ふと近くの屋根上に誰かが降り立った。屋根に積もっていた桜の花びらがふわりと宙に舞う。

 毛玉を解放してやりそちらに目を向けると、見覚えのよくある白黒の魔法使いがエプロンに着いた花びらを払っていた。今日も今日とて神社に遊びに来たらしい。

 

「いやー、凄い桜の散り様だな。服中桜まみれだぜ……って、おや? 猫じゃないか。久し振りだなー、お前のその姿を見るのは」

 

 魔梨沙は猫を見つけると、興味津々と言った様子で顔を近付けてきた。露骨に嫌そうな表情をしてみせるもお構い無しである。

 猫は魔梨沙に対して微妙な感情を抱いている。好きではないが嫌いとも言えない、曖昧な感情だ。

 意外と抜けている所のあるご主人様は気付きすらしていないかもしれないが、かつて魔梨沙は猫を狙ってきた事がある。大分昔、魔梨沙がまだ悪霊の下で魔法を教えて貰っていた時の事だ。

 当時の魔梨沙は悪霊に唆されていたとは言え、その悪霊の為に猫をご主人様から奪おうとしていたのだ。仲良くする振りをして、奪う機会を虎視眈々と狙い続けていた事を猫は知っている。

 その為以前の彼女は要警戒対象扱いだった。

 

「なんだよー、その顔は。お前と私は昔っからの付き合いだろ? いい加減懐いてくれたっていいじゃんか。少しくらい撫でさせてくれよ」

 

 ところが時は移ろい事情は変わるものだ。いつの間にか魔梨沙は悪霊の下から自立したらしく、今では猫を奪おうと襲ってくる事もなくなった。

 寧ろご主人様の良き友人にまでなっており、幻想郷で何か異変が起きる度に二人で解決に向かうくらいだ。昨日の敵は今日の友とも言うし、仲良き事は美しき哉。現在は要警戒対象からは外してある。

 だが、それでも魔梨沙に完全に心を許した訳ではない。猫はちゃんと知っているのだ。彼女の手癖が非常によろしくない事を。

 魔界出身の死の少女から。赤い霧と共にやって来た夜の住人達から。顔馴染みの古道具屋の店主から。

 色んな人達から『借りる』と称して様々な物を強奪している事を猫は知っている。そんな泥棒紛いの魔法使いがこの猫を借りパクしないなどとどうして言い切れようか! 

 故に魔梨沙は未だ、猫の中では要注意対象として扱われている。

 今も撫でようと伸ばされた魔梨沙の手から思わず反射的に飛び退き、胡乱な目つきで彼女を見やる。威嚇までする程敵意を抱いている訳ではないが、それでもイマイチどこか体を委ねる気にならない。気を許してしまったが最後、攫われてしまうんじゃないかと気が気でないのだ。

 

「ちぇっ、まーだ懐いてくれないのかお前は。あーあ、魔理沙さんは悲しくて泣いちゃうぜ」

 

 そう嘯いて大袈裟に悲しむ仕草をしてみせる魔梨沙だが、猫は彼女の昔を知っている。泣き落としは通用しないぞ。

 

「なぁ、ちょっとでいいから触れせておくれよ。私は前からずっとお前に興味があるんだよ。こういう興味が魔女の性だっていうのはよく知ってるだろ?」

 

 知ってるとも。その興味とやらが猫にとってあまり好ましくないタイプの興味であろう事も知ってる。

 

「霊夢はお前の事なかなか見せてくれないしさぁ。結構レアなんだよ、お前が自立して動いているこういう機会って。だから私を助けると思って頼むよ」

 

 どれだけ頼まれたって御免被る。猫はご主人様のみに仕え、使われる為の物なのだ。その為に猫は作られたのであって、その体はたとえご主人様の友人であろうと安売り出来るものではない。

 猫はくるりと体を翻して屋根から飛び降り、ご主人様の元へと走り寄る。そして魔梨沙に捕まる前に自分のいつもの定位置、つまりはご主人様の袖口の中へとするりと潜り込んだ。

 ふむん、やはりここは心地よい。とても落ち着く。ここならば魔梨沙も手出しは出来まい。猫は満足げに息を吐く。

 

「あー、くそっ。逃げられたか……霊夢も寝ちゃってるみたいだし、今日はしょうがないな。ここは出直すとするか。だけどな、猫よ。私はお前の事を諦めちゃいないからな! また来るぜ!」

 

 魔梨沙はしばらくご主人様と猫の周りをうろうろしていたが、やがて手を出せそうにないと悟ったらしい。捨て台詞を残すと箒に乗ってどこかへと飛び去ってしまった。

 これは或いは帰ったと油断させて猫を狙うという作戦かも知れぬ。猫は危険が去ったと判断出来るまで袖口の中で篭城し、たっぷり十分程経った上で安全を確信して外へと這い出る。

 やれやれ、ご主人様を起こさないように少し離れた場所で周りを見張る作戦だったが、今みたいに魔梨沙に猫そのものを狙われてしまってはいざという時に危険が危ない。ご主人様も火急の事態に猫が近くにいなくては困るだろうし、後はご主人様が目覚めるまで傍で警護するとしよう。断じてそろそろ人肌が恋しくなったからとか、そういう俗な理由ではない。

 猫はそう言い訳しつつご主人様の顔元にもそっと寄り、耳で油断なく辺りの音を拾いながら目を閉じた。少々疲れたし、しばしの休息である。

 

 §

 

「……なぁ、お二方。神社にあんな猫って前から居たかい? あたいはちょっと覚えがないんだけど」

「んー? 私も見た事ないなぁ。部下の化け猫達じゃなさそうだし、あんな変な毛並みの奴なんて初めて見た」

「お二人が知らないんじゃあ、あたしにも分かりませんや。何せここじゃ一番の若輩者ですし……」

 

 目を閉じて半刻程、高性能なこの猫耳が何やら不穏な会話を捉えた。

 はてさて、今度はどんな不埒者がやってきた事やら。眠いのを堪えて目を開けると、遠くで三人の妖怪がこちらを羨み半分妬み半分と言った感情の目で睨み付けていた。

 あの妖怪達に猫は見覚えがある。と言うか、妖怪の癖に博麗神社に入り浸っている妖怪の筆頭三人衆だ。見覚えどころか顔馴染みのレベルである。

 

「しかしあの猫。多分新参者なんだろうけど、よくもあんな霊夢さんの近くで寝ていられるね。そこは昔っからあたい達の特等席だって言うのに」

 

 ぶつくさ文句を言っているのは、お腹の毛が赤いのが特徴の火車猫ことお燐だ。かつて神社に間欠泉と怨霊が湧き出た異変の後、地霊殿の主であるさとりの使いとして神社に来る事が多くなった。

 もっともそれは最初の内だけである。どうやら地底にはない本物の太陽で日向ぼっこするのが気に入ったのか、いつの間にか特に用事もないのに縁側でごろごろするようになっていた。

 ご主人様はそんなお燐の存在に満更でもないようだが、正直言って一利あっても百害あり。神社の参拝客が減っている一因なので猫としては面白くない。

 

「本当だよ全く! 私だって最初は妖怪だからって理由で追い出されかけたけど、長い時間を掛けて近くにいる事を許して貰えたっていうのに! 見た感じ化け猫の一種みたいだけど、年功序列ってものが分かってないよね!」

 

 お燐の言葉に威勢良く乗っかったのは、左耳に金のピアスを着けている凶兆の黒猫こと橙、かの幻想郷の賢者たる八雲紫の式である八雲藍のそのまた式である。神社に居座る猫妖怪達の間では一番の古参だ。

 彼女はご主人様の監視役という大義名分で、週三から四の頻度で神社に足繁く通っている。その事は主たる藍も把握しているのか、特にその入り浸りようを咎められてはいない。

 まぁ監視役というのは名ばかりで、神社に来たらお燐共々ご主人様の近くで日向ぼっこないしお昼寝している事の方がほとんどだ。一応ちゃんと最低限の役目は果たしているみたいだが、その時間を修行に当てないから未だに部下の化け猫達がまともに言う事を聞いてくれないんじゃないだろうか。

 

「まぁまぁ、二人共そんなに熱くなるこたぁないんじゃないです? あたし達もあいつも同じ猫仲間じゃないですか。霊夢さんの近くが居心地いいのは間違いないんですし、今日はあの猫が早い者勝ちだったっていう事で穏便に行きましょうよ」

 

 暴走気味の二人をなだめる一番理性的なのが、三毛猫らしい服を纏った招き猫のミケだ。つい先日おきたアビリティカードを巡る異変の後、今後もアビリティカードで商売を続けるなら妖怪や変な人間が集まりやすい博麗神社が都合が良いんじゃないかと考えたらしく、居座るとまではいかずともよく露店を開くようになった。三人の間では一番の新参である。

 猫は猫妖怪三人衆の中で彼女にのみ、明確な悪感情を抱いていない。人間に恐れられる火車のお燐や化け猫の橙とは違い、ミケは括りこそ妖怪だがその正体は縁起物の招き猫だからだ。境内で露店を開いている事についても、ちゃんと場所代はご主人様に収めているみたいなので特に言う事はない。

 ただ強いて言えば、お金かお客かのどちらかを招き入れる能力だけはどうにか制御出来ないものか。神社が賑やかになると何故か賽銭箱は空のままで、逆に閑古鳥が鳴けばどういう理屈かご主人様の懐が潤う。正にあちらを立てればこちらが立たず。これさえ何とかなればな、と言うのが猫の悩みだ。

 

 さて、閑話休題。

 話を盗み聞いてみるに、どうやら彼女達は猫がご主人様の隣で我が物顔で日向ぼっこしているのが気に食わないらしい。ミケはそこまででもないようだが、古参の二人は縄張り意識のせいで我慢がならないと見える。

 しかし猫の方こそ声を大にして言いたい。猫の方がお前らなんかより遥かにご主人様の事を昔から見てきてる古参なんだぞと。

 何せご主人様が博麗の巫女になったばかりの頃からずっと一緒にいるのだ。いつ如何なる時であろうとも、ご主人様の事を常に見守ってきたのだ。そんじょそこらの妖怪達とは、そもそも生まれからして違うのだ。

 故に今日は何があろうともこの特等席を譲るつもりはない。ご主人様の安眠を守るという責務もあるし尚更だ。どれだけ縄張りを主張されようと退いてやるものか。

 

「……あの猫、どうやら特等席を譲る気は無いようだね。面白いじゃないか。あたい達を舐めるとどんな目に逢うか、少し思い知らせてやろうかね。橙、手を貸しとくれよ」

「もちろんだよ。世の道理ってものが分かってない子には、ちゃんと躾してあげないとね!」

「ちょ、ちょっと。そういうの止めましょうって。猫同士で不毛ですよ、そんな争い。仲良く皆で日向ぼっこすりゃいいだけの話じゃないですか」

「甘いねぇ、ミケ。そんな風に甘い所見せてたら付け上がられるのが世の常さ」

「そうそう。だからこういう時にちゃあんと上下関係ってのは分からせてあげないと」

 

 ミケが必死になだめるも、既にやる気満々の二人は聞く耳を持たない。闘志と歯茎を剥き出しにして、拳をぼきぼき鳴らしながら猫の方へ近付いてくる。

 ほほう。無謀にもこの猫に挑んでくるとは、どうやら余程痛い目を見たいようだ。

 ならばよろしい。この神社における猫の力関係というものをそろそろ分からせてやらねばなるまいと思っていた所だ。存分に格の違いというものを見せてやるとしよう。

 猫はご主人様の顔元から音も無く飛び降りて、威風堂々たる足取りでお燐と橙の前に対峙する。

 

「お? なんだいやろうってのかい? 気合だけは充分みたいだね」

「人化も出来ないのに私達に挑むその勇気だけは認めてあげてもいいよ」

 

 何を言っているのだ。猫は猫にもなれるくらいの最高傑作なのだぞ。猫以外にも妖精だったり巨人だったりに姿を変えられる。

 ただ、猫の姿のままでいるのはハンデをあげているからだ。対妖怪特攻の力を持つ猫では本気を出したら勝負にならない。ほら、猫の状態のままで戦ってやるから存分にかかってくるが良い。

 

「……お燐、何だか私達舐められてる気がするよ」

「はん、とんだ命知らずな猫もいたもんだ。なら火車の恐怖を思う存分味わいな!」

 

 戦いの火蓋は切って落とされた。挑発的な猫の態度に堪忍袋の緒が切れたのか、お燐が激昂しながら車輪状の火炎弾を放ってくる。なかなかに殺意のこもった弾幕だ。

 しかし、猫の様な小動物を狙うには少々隙が大き過ぎる。この程度の弾幕など余裕で躱せる。伊達にご主人様の動きを永年近くで見ていない。

 

「少しはやるようだねぇ。じゃあこいつならどうかな?」

 

 お燐がそう言って指をパチンと鳴らすと、何処からともなく大量のゾンビフェアリーと弾幕が現れた。ゾンビフェアリー達は猫の動きを妨げるように進路を塞ぎ、弾幕密度の濃い方へと誘導していく。

 成程、悪くはない。命名決闘法に則った戦いならば効果的な弾幕ではあるだろう。

 しかし今この場で行われているのはスペルカード宣言すらしていない完全な私闘である。故にルール無用の無法試合。猫が相手ならば問題ないとでも思ったか。ならばこちらも自重する必要はあるまい。

 いちいち躱すのも面倒だったので、猫は強い霊力を体中から放射して周りのゾンビフェアリーを一掃する。ついでに弾幕も消しておく。所謂ボムだ。命名決闘ではないので効果時間も威力も比較にならないほど強い反則技だが。

 

「んなっ!? そんなのあり!?」

 

 ありなんじゃないの? ルール決めずに襲ってきたのはそっちなんだし。

 呆気にとられて動けないでいるお燐に素早く近づき、猫は顔面目掛けてねこパンチを繰り出す。ねこパンチと言っても霊力をたっぷり込めた、妖怪相手に効果覿面の退魔ねこパンチである。

 クリティカルヒット。小気味の良い音を立てて、お燐は遠くへ吹っ飛んでいった。今の一撃で目を回したらしく、倒れたまま起き上がってくる様子はない。

 

「……え? 何今の? お燐が一撃で……?」

 

 橙が呆然とした様子で呟く。泣く子も黙る火車が得体の知れない化け猫の一撃でノックアウトしてしまったのが余程ショックだったと見える。なに、安心するといい。次にお灸を吸えられるのは君の番だから。

 

「ひっ……いやいや、この程度で怯んじゃダメ! 今のはまぐれかも知れないし、私がこんな化け猫相手に負ける訳ないもん! 今度は私が目にもの見せてやるんだから!」

 

 猫の眼光に一瞬怯んだ様子を見せるも、橙はありったけの勇気を振り絞って立ち向かってきた。その意気や良し。その勇気に敬意を表して一瞬で屠ってくれる。

 くるくると回転しながら弾幕を放つ橙の攻撃を華麗に避けつつ、猫は全身に力を込める。同時に猫の背後に浮かび上がる計四つの陰陽玉。幻想郷の妖怪で知らぬ者はいない、博麗の巫女専用決戦兵器だ。

 

「げっ!? なんで猫がそんなもの使えるの!? 藍様からは博麗の正当な継承者しか使えないって聞いてたよ!?」

 

 その情報は間違ってないものの、完全に正解という訳でもない。博麗の巫女が使えるのはもちろんだが、そりゃあ本体だってその力を使えるに決まっているだろう。

 動揺して動きの鈍くなった橙に向けて、猫は弾幕を全門から一斉掃射する。一度敵を捉えたら二度と離さない、誘導性能の極めて高い必中の弾幕だ。

 

「待って待って! そんな攻撃食らったら私死んじゃ──に゛ゃーっ!?」

 

 橙は慌てて逃げ出すも、迫り来る無数の追尾弾を前に逃げ切れるはずがなかった。続けざまに弾幕が命中し、悲痛な断末魔を残して地面に墜落する。見た目こそド派手に演出しただけで、威力は大分控え目にしたので命に別状はないはずだ。

 

「え、えぇ……この猫の強さデタラメだぁ……こんなの勝てる訳ないじゃん」

 

 目を回したままのお燐にボロボロの状態で気絶した橙。後に残ったのは未だオプションを浮かばせた臨戦態勢の猫と、予想外の惨状に愕然としているミケだけである。

 さて、先輩二人がやられてしまった訳だが、ミケはどう出てくるだろうか。仇討ちに来るのであれば、容赦なく弾幕で打ち落としてくれるが。

 

「おっと、待っておくれよ。あたしは別にあんたと揉める気はないよ。だからその物騒なものはしまってくれないかい? 見てると怖気がするんだ」

 

 おや、同胞がやられたというのに随分と理性的である。普通の妖怪ならば後先考えずに仇だなんだのと突っ込んでくるので、ミケのこの反応はちょっと意外だ。

 

「あたしは落ちこぼれで力も弱いからね。損得勘定はしっかり出来なきゃ生きていけなかったんでさ。取り敢えず今はあんたと敵対したところで得にはならないって判断したまでよ」

 

 なんと合理的な考え方だろう。世の全ての妖怪がこう物分りの良い頭をしていたら、きっとご主人様ももっと楽が出来るだろうに。

 

「誤解が解けた所で話を戻すけど、元はといえばただここに日向ぼっこしに来ただけなんだよ。別にあんたの居場所を奪おうって訳じゃなし、お二人には後であたしから言っとくんで縁側で寝るくらいは許してくれないかい?」

 

 あ、それは駄目。猫が猫でいる間は絶対に許さない。

 

「え、なんで? 高麗野の姐さんは普通に縁側で寝てるじゃないの。あれは良くてあたし達は駄目だって言うんです?」

 

 だって高麗野は狛犬で猫とはまた別だし、一応昔からいる神社の守護獣だし。ご主人様は高麗野と猫を一緒に可愛がってくれるから問題はない。

 一方で君達は猫妖怪。猫が増えたらせっかくのご主人様に構ってもらえる時間が少なくなってしまうではないか。何故わざわざライバルに塩を送らねばならんのだ。猫は強欲なのだ。

 

「そんなつれないなぁ……少しくらい良いじゃないの。同じ猫のよしみなんだし」

 

 猫は厳密には猫じゃないので、よしみとかそういうのは関係ない。どうしてもご主人様に構ってもらいたければ、猫が猫の姿をしていない時を見計らってくるのだな。少なくとも今日はご主人様のお膝元を譲るつもりは毛頭ないぞ。

 分かったらほら、そこで伸びてる二人を連れて帰ると良い。どうしても諦めきれないというのなら、弾幕勝負で決着をつけてもいいが……

 

「おっと、そいつはご勘弁。あたしじゃあんたには逆立ちしたって勝てないからね。取り敢えず今日の所は引くとするよ。でも、ここは幻想郷で一二を争う絶好の日向ぼっこスポットなんだ。そう簡単にゃ諦められないし、また後日お邪魔するよ……っと」

 

 猫の台詞からこれ以上ここにいると不味いと判断したらしい。後日またご主人様のお膝元を狙いに来るとだけ宣言して、未だ目の覚めない二人を重そうにしながらも抱えて逃げて行った。

 ……結構こてんぱんにしたつもりなのだが、また来るのか。まぁ、それはそれでご主人様が愛されているようでなによりである。

 何はともあれ、これでライバル共は去ったので一安心だ。もう日も暮れて来る頃だし、宴会の予定も無いからこれ以上の来客もあるまい。

 今の戦いで猫は少々疲れた。せっかくこの姿を取っているというのに、ご主人様へのスキンシップもあまり出来ていない。ご主人様が起きるまでの残り時間は傍でゆっくり休ませてもらうとしよう。

 

 §

 

 猫が完全にスリープモードに落ちてから幾許かの時間が経った頃。

 

「ふむ。久々に陰陽玉のメンテナンスをしようかと来てみれば、なかなか面白い物が見れました。霊夢くんはちゃんと隠し機能も有効活用しているようですね。或いは君が勝手にその姿を取っているだけかもしれませんが、どちらにせよ製作者冥利に尽きるというものです」

 

 突然造物主━━畜生界のイドラデウスとか名乗っていた邪神の事ではない。断じて━━の声が聞こえてきて、猫は半強制的に目を覚ます。

 他人の声なら無視出来るが、ご主人様と造物主の声となれば別だ。猫に施されたプログラムが無視を許さない。本音を言えばもう少し寝ていたかったが、そういう訳にもいかないか。

 しかし、この姿で造物主と会うのはいつ以来だろうか? ご主人様の代になってからは初めてかもしれない。

 

「その通りですよ。久し振りですね、インヤン。ちゃんと問題無く機能しているようで良かったです。先代の博麗の巫女は猫より犬派だったようで、あまり君のその形態を使わなかったみたいですからね」

 

 インヤン。陰陽と書いてインヤンと読む。

 造物主に言われて、そう言えば猫はそんな名前を付けられていたなと思い出す。今のご主人様になってからというもの、猫は猫としか呼ばれてこなかったからすっかり忘れてしまっていた。

 まぁ、良くも悪くも自然体なご主人様の事だ。猫の本当の名前を知ったとしても、インヤンとは呼ばずに今まで通り猫と呼び続けるに違いない。

 別にそれでいいのである。猫は気にしないし、猫は猫なのだから。

 

「私としては気の利いた名前を付けたつもりなので、霊夢くんにも是非その名前で呼んであげてほしいんですがね」

 

 名前なんて個を識別出来ればそれで問題あるまい。猫の場合はご主人様の名付けが猫だったというだけの事。あまり頓着するものでもないだろう。

 

「そうですか。君も見ない間に随分と自我が発達しましたね。それはそうとインヤン、少し話があります」

 

 久々の造物主から賜るお言葉である。謹んで聞こう。

 

「ここに来るまでに色んな人が話していましたが、今日の君は少し暴れ過ぎたようですね? 神社に寄り付く者をことごとく追い返して回る変な猫がいると、人妖の間でもちきりの噂でしたよ」

 

 それはそれは。ご主人様の安眠を守るという大役をきちんと果たせたようで何よりだ。噂になれば神社を訪れる不埒者の数はより減るだろう。猫も鼻が高い。

 なんて満足げな表情をしていたら、いきなり造物主に手刀を食らってしまった。結構痛い。

 

「阿呆。先代までならいざ知らず、今代の巫女である霊夢くんは妖怪とも浅からぬ縁が多くあるでしょう。そういった縁のある妖怪達まで全員追い返してどうするのですか」

 

 ぬぅ、造物主の言う事は一理ある。

 しかし、三妖精はご主人様の者を盗もうとしていたし、猫妖怪達は猫の居場所を奪おうとしたのだ。鬼仙人や魔梨沙まで追い返したのはやりすぎにしても、これくらいは正当防衛として認められるはずだ。

 

「三妖精については情状酌量の余地があるとして、猫妖怪の件については完全に君の私情混じりですよ。まったくもう……巫女の身を守るという己の役目を果たそうとするその気概は立派ですが、何事も程々が一番なのです。調和を示す陰陽玉の化身たる君がそんなに極端な考え方をしてはいけませんよ」

 

 普段あまり怒らない造物主に真面目な顔で怒られた。猫は項垂れて落ち込む。

 だが、成程確かにその通りだ。今日の行動をよくよく思い返してみれば、ご主人様の安眠を守る事ばかり考えて追い返す必要のない者まで追い返していた気がする。これはよろしくない。

 猫は大いに反省した。これからはもっと柔軟に考えて行動するとしよう。あの猫妖怪達も、実に不満ではあるが今度会ったら和解する事にする。

 

「分かればよろしい。それでこそ私のインヤンです。さて、それでは話も終わった事ですし、霊夢くんが寝ている間にちゃちゃっとメンテナンスしちゃいましょうか。なに、すぐに終わりますよ」

 

 え、もしかして今すぐにメンテするのか。

 

「当たり前じゃないですか。別にメンテ程度で陰陽玉に戻す必要はありませんし……こら、逃げようとしちゃ駄目ですよ」

 

 嫌だ。離せ。首根っこを掴むんじゃない。

 猫は猫の姿じゃない時のメンテは平気だが、猫の姿の時のメンテは大嫌いだ。どうにも全身がむず痒く、くすぐったくて落ち着かない。

 やるならやるでちゃんと本来の姿に戻してからやって欲しい。造物主なんだからそれくらい簡単に出来るだろう。

 

「出来はしますが、やりませんよ。今の君の使い手はあくまで霊夢くんです。私も君を操作する事くらい簡単に出来ますが、真の使い手ではない以上無闇な操作はしない主義なのです」

 

 嘘だ。そんなもっともらしい事を言って、本当はタイミング良く猫の姿になっていた猫の事を思う存分弄り回して吸い倒して楽しむつもりなんだろう。

 造物主が実は猫好きである事を猫は知っているのだ。そうでなければ、わざわざ陰陽玉が猫に変化するなんていう明らかに余分な機能なんて付けたりするものか。

 

「流石は私の最高傑作。私の事をよく分かっていますね。ですが、君はどう足掻いても私には逆らえないんですよ。ほら、【猫の姿のままで】【逃げたりしないで下さい】」

 

 もう付き合ってられんと猫は自分の権限で本来の姿に戻ろうとしたが、造物主の方が一瞬早かった。管理者コマンドのせいで猫以外の姿を取れなくなっただけではなく、その場から一歩も動けなくなる。

 やい、この嘘つき造物主め。さっき無闇な操作はしないと言ったばかりではないか。早くコマンドを解除しろ。

 

「あれは方便という奴です。これは暴走した罰も兼ねるという事で、さぁ覚悟して下さいね」

 

 造物主はまったく悪びれもせず、両手をわきわきさせながら猫に近付いてくる。どうにか逃げたいが悲しいかな、プログラムが邪魔をして体が動かせない。

 お願いだから待って欲しい。あのもぞもぞする感覚が本当に嫌なのだ。ちゃんと反省したから陰陽玉に戻してからメンテして……ちょ、どこ触ってるんだ、この変態。後生だから待ってってば、止めて、止めろ、止めんかこら。

 

 §

 

 ……猫は造物主には逆らえない。必死に抗議の声を上げ続けるも特に効果はなく、最後までたっぷりと全身くまなくメンテされてしまった。

 造物主は久し振りの猫の体を存分に堪能してくれた。撫で回し、匂いを吸い、飽きるまでモフった造物主は最終的に特に異常無しと判断して、やけにつやつやした顔で神社を去っていった。

 一方で猫の方はというと、もう満身創痍である。疲労感が凄まじくて少しも動ける気がしない。もはや精もコインも尽き果て、コンティニュー不可の状態だ。

 まったく、造物主は猫が好きな癖に変に構い倒すからいけない。猫は過度に構われるのを嫌う生き物なのだ。ご主人様はその辺の機微をちゃんと分かっているが、造物主はそれがまるで分かっていない。

 ……いや、違うな。多分造物主は、自分が猫にとって面倒臭い性格をしている事をちゃんと分かっているに違いない。

 だからこそ、いつどんな時でも好きなだけ猫を愛でられるように、猫のような理想の猫を陰陽玉の機能の一つに組み込んだのだろう。

 これならば本物の猫じゃないから安心して構い倒せるし、いざと言う時は管理者コマンドで強制的に服従させられるから躾いらずである。なまじ自我なんか与えてくれちゃって、なんと傍迷惑な事か。

 そして造物主のその傍若無人な行為を、憎からず思ってしまっている猫がいるのもまた事実。それに今更気づいてしまった猫はより体をぐったりとさせた。なんだかもう溶けて消えてしまいたい気分である。

 

「ん……ふぁ〜あ、よく寝た……あら、もうこんな時間? ほら、猫。起きなさい。ご飯の支度しないと夜になっちゃうわよ」

 

 猫がぐでぇ、と縁側に伸びていると、ようやくご主人様が目を覚ました。寝ぼけ眼をこすり、背伸びをしてから夕餉の支度の為にすたすたと歩き去ってしまう。

 あぁ、本当はこれから思いっきり甘えて構ってもらうつもりだったのに。造物主にあちこち弄られまくったせいでそんな体力は残っていない。多少やり過ぎたとは言えご主人様の為に頑張ったのに、ご褒美もなくこの仕打ちとはあんまりであろう。

 造物主め、許すまじ。いつの日か必ず下克上してやる。首を洗って待っているがいい。

 そう心の中で誓いつつも、動く気力が湧かない猫は力無い声でにゃぁんと鳴いた。最後の最後でご主人様に助けを求めねばならぬとは、なんとも不甲斐ないと思う猫であった。




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