幻境異変   作:季千師己

2 / 4
目覚め Ⅰ

 染岸《そめぎし》さくらは目を覚ました。何か夢を見ていた気がする。少し嫌な感じ。内容は思い出せない。

 時計を見るとまだ五時半。いつもより三十分ほど早い起床だった。

 二度寝をする時間でもないと考え、さくらはジャージに着替えると自室から出た。居間に来ると数年前に亡くなった祖母の遺影に手を合わせる。その次にキッチンへ行き、炊飯器で米を炊き、電気ポットに水を注いで電源を入れる。その後、掃除のために社務所兼自宅から境内に出る。

 九月の上旬。早朝でも少し蒸し暑い季節だが、周りを山に囲まれたこの白鈴《しらすず》神社は上着を着ていても少し肌寒い。

 拝殿の中と社殿から鳥居の間の参道、そして鳥居の先にある二十段ほどの石段。ここを掃除するのがさくらの朝食前の日課だった。

「おはようございます」

 社殿に一礼したあと、誰もいない境内でさくらは挨拶をする。

 さくらの視線の先には真っすぐに伸びる杉の大木があった。参道のすぐ横にどっしりと鎮座している。しめ縄がされており、この神社の神木だということがわかる。白鈴神社の大杉と呼ばれ、昔からこの地域では有名な神木だった。

 さくらは拝殿の鍵を開け、中に入る。十人ほどがぎりぎり入れる大きさ。

 中を雑巾で乾拭きしていると、外から声が聞こえてきた。

「さくら早いな」

「おはよう。おじいちゃん」

「おはよう」

「ちょっと早く起きちゃって。まだ寝てていいのに」

「ええよ。早う終わらせて朝飯にしよう」

 同じくジャージ姿で家を出てきた老人。名前を公造《きみぞう》と言って、さくらの母方の祖父だった。

 彼は左足をかばいながら拝殿に上がってくると、雑巾を持ち拭き掃除を始めた。そのあと、公造は本殿に向かい、さくらは社殿から鳥居に向かって石畳を竹箒で掃きはじめる。

 毎日行っている参道の掃除、砂埃もあまりたたない。

 この時期はいい。暑すぎず寒すぎず。すぐに清掃も終わる。

 十一月頃になると厳しい寒さとともに周りの木々は綺麗な紅葉を身にまとう。とても素晴らしい景色だ。しかし、その代償に毎日ゴミ袋二つ分の落葉を熊手でかき集めることになる。

 さくらは鳥居まで来ると、そこから見下ろせる村の景色を眺めた。

 建物より田んぼの総面積の方が大きい。民家は瓦屋根の二階建てが多く、新築の家などは見当たらない。さくらはどの家に誰が住んでいるか、特段覚える気はなかった。しかし、この神社に住み始めて四年目。今では完全に暗記できてしまった。

 田んぼの稲穂は黄金色に染まり始め、下旬頃には収穫時期になる。また今年もさくらと公造の二人では消費しきれない量の米が村人から送られてくる。余った米は、毎年さくらが帰省のときに両親と歳の離れた二人の兄の元へ持っていった。

 さくらの母親は、さくらが生まれる前にこの神社を出ている。さくらにとって、両親が暮らしている都内の一軒家が実家だった。 

 掃除を終わらせたあと、自宅に戻り朝食をとった。

 朝食は白米、インスタントの味噌汁、目玉焼きにウインナー、山菜の漬物に里芋の煮っころがし。小食の公造と違って、さくらはご飯を1合平らげる。

 食器を片付け、装束に着替えると二人は社殿で朝拝を行う。再び家に戻ると八時半過ぎ。今日はこのあと昼までおもだった予定はない。

 昔は祈祷や地鎮祭など、公造は走り回っていたらしい。けれども、今では祈祷の依頼は年末年始に数えるほど、過疎化の進む村では地鎮祭も期待できない。

 そもそも、七十歳を過ぎた公造に毎日動き回る体力は残っていなかった。

「おじいちゃん。このあとスーパーに行ってこようと思うんだけど、晩御飯、何か食べたいものある?」

「何でもええよ。さくらが作ってくれた料理は全部おいしい」

「うーん……」

「そうだ。前にオムライス作ってくれただろ。あれをもう一回食べたい」

 献立に悩むさくらに公造はすぐに提案を出した。前回オムライスを食べたとき、さくらが上手くできたとはしゃいでいたのを思い出したからだ。

「オムライスか。いいね、わかった。晩御飯楽しみにしといて」

 得意げなさくらを見て、公造は満面の笑みを浮かべた。

「よし、着替えてから出かけるね。参拝の人がこっちに訪ねて来たらお願いね」

 さくらの言葉を聞いて公造は少し顔をしかめた。

「……わかった」

「それじゃあ行ってくるね」

 さくらは公造の表情の変化を察したが、それ以上言葉はかけないで自室に戻っていった。

 私服に着替え終わると、車の鍵を持ち神社を出る。石段を下り、道路を挟んで向かいにある砂利の駐車場に着く。区切り線はないが、最大で四台の車が横並びで置ける。さくらはその駐車場の端にとまっている水色の軽自動車に乗った。田舎に来るにあたって、両親に買ってもらった中古の車だ。

 さくらはエンジンをかけ、ハンドルを持ち前方に視線を移す。駐車場の隅には白鈴神社駐車場と書かれた古びた看板がある。人の身長と同じ高さの看板に、紙に書かれてた注意書きが透明なビニール袋に入れて貼られている。

 ゴミは各自でお持ち帰りください。整った字で書かれたその注意書きはさくらが書いた。公造が参拝客という言葉を聞いて顔をしかめた原因の一つだった。

 

 

  ◇

 最近、一部の若者たちの間でこの神社が有名になっている。一か月ほど前、この神社で起きた昔の怪事件がテレビで放送されたからだ。

 テレビ局から取材の依頼があったとき、公造は撮影を渋った。しかし、何度も電話をかけてくるテレビ局の人間に対して、最終的に公造は撮影の許可を出した。押しに弱い性格の公造は断り切れなかった。

 テレビで放送されたとき、背景にぼかしが入り神社の名前は伏せられていた。けれども、インターネットで調べればすぐに神社の名前や事件の詳細が出てくる。

 二十六年前のその事件は、当時全国で話題になったものだった。人々の間では廃れた噂話だと公造は思っていた。しかし、公造の予想に反して事件を知らない若者達の間で怪談話として盛り上がりを見せた。

 東京から日帰りで来れる立地もあり、放送の翌日は二十台以上の車が狭い道にずらりと並んで停められていた。

 公造が体調を崩したこともあり、さくら一人がその参拝客達の対応を行った。水色の袴を履いた装束姿の女性。さくらは写真を撮られることを拒んだ。ところが、次の日には美人神主としてさくらの横顔の画像が白鈴神社の情報に追加されていた。

 実際にさくらの容姿は美しかった。くっきりとした二重の大きな目、高い鼻に色白の肌。ストレートボブの髪形は、きれいな黒髪の艶を強調している。衣装と場所もあり、神秘的に人の目には映った。

 翌日にはさくら目当てで神社に来る人も増えた。大半は良識のある人間だったが、数が増えればマナーの悪い参拝客も混じってくる。

 神木の樹皮が剥ぎ取られていたり、駐車場にファストフードの包装や容器、たばこの吸い殻が捨ててあったりした。勝手に自宅に上がり込んでくる人もいた。さくらと公造は目につく人物に注意していったが、人が多すぎて全てを見切れない。

 テレビ局の撮影を断れば、こんなことにはならなかったと公造は自分を責めていた。「大丈夫大丈夫」と言うさくらに、公造は謝り続けた。

 二人は対策として注意書きを貼り出したり、さくらがSNSのアカウントを作って注意喚起を行った。

 さくらと公造がそんな努力をしながら一週間もすると参拝客は激減した。それ以降は日に十組来る程度。これがコンテンツを消費するということか、とさくらは妙に納得した。

 そんな、白鈴神社が落ち着きを取り戻し始めたころに事件は起きた。

 深夜に境内から複数人の騒ぎ声が聞こえ、さくらが懐中電灯を持って自宅を出た。肝試しと称して度々深夜に神社へ来る人がいたのは知っていた。その類の人間が騒いでいると思って注意に向かったのだ。

 神木の前には三人の男達がいてカンテラ型のライトを灯し、スマートフォンで撮影を行っていた。さくらがそこに近づくと酒の匂いがした。

 さくらが境内から出ていくように言うと、男の一人が怒鳴りながら近寄ってきてさくらの腕を掴んだ。そのときになって、さくらは自分が女一人であることを自覚し、恐怖を覚えた。

 委縮するさくらを見て男達は笑っていた。手を振りほどこうとすると、強い力でで手首を握ってくる。さくらは声も出せなくなった。

 次の瞬間、その異常な空間に怒号が飛び込んできた。男達は目を見開き、さくらの後ろに顔を向けた。

 男達の目線の先には鬼のような形相の公造がいた。公造はさくらの元に駆け寄って男の手をさくらから引き剥がし、さらに男達を一喝した。

「出ていけ!」

 その一言で男達は酔いが醒めた顔になり、悪態をつきながら境内から出て行った。

 温厚な公造の怒った姿をさくらは初めてみた。

 そのあと、すぐに村の青年団に連絡を入れて神社に来てもらった。

 青年団が到着するまで、泣きじゃくるさくらを公造は抱きしめた。公造はその間、ずっとさくらに謝り続けていた。

 翌日になり、警察に相談しにいくと、隣町から夜中に神社へ巡回を出してくれることとなった。また、村の青年団も見回りを当番制で行うことを申し出てくれた。それらに加え、さくらは暗視機能の付いた監視カメラを買って境内に設置した。

 さくらはその経緯をSNSで発信した。その内容は拡散され、大きな反響があった。

 それ以降は、神社に来る人間はぱったりといなくなった。また以前と同じ田舎のさびれた神社に戻った。

 けれども、この事件は二人の心に大きな傷を残した。公造が以前より一回り小さくなったようにさくらの目に映った。最近になって、やっと公造は笑顔をさくらに見せてくれるようになった。

 忘れよう。さくらは事件の話題を意図的に出さないようにした。

 今では警察の巡回も青年団の見回りも終了している。このまま時が過ぎれば心も元通りになる。いつまでもくよくよ悩んでいるわけにはいかない。過去ではなく未来のことを考えなければ。

 さくらは将来、公造の代わりに宮司として白鈴神社を管理する覚悟だ。老朽化の進む社殿の修繕と神木の管理費にさくらの思考は自然と切り替わっていった。

 

 

  ◇

 テレビに取り上げられた白鈴神社で起きた事件。それは二十六年前、さくらが生まれる二年前にさかのぼる。

 八月の早朝に身元不明の少女の死体が境内で発見された。少女は神木にすがるように抱きついた姿で事切れていた。その体には獣によってつけられたと思われる咬傷とひっかき傷があり、死因は引き裂かれた腹部からの失血だった。その姿は無残で、腹からは臓物が飛び出し、周りの地面が少女の血で赤黒く染まっていた。

 第一発見者はさくらの母親とその長男だった。家族で帰省をしていたその日に事件が起こったのだ。

 母親は悲鳴を上げ、その場で意識を失った。これが今でも続くさくらの母親のトラウマとなっている。

 母親の叫び声を聞いて公造が駆けつける。惨状を目のあたりにすると、すぐに公造は長男と母親を家に避難させ、警察に連絡を入れた。三十分後には村にパトカーが到着し、その数はどんどんと増えていった。最終的に数十台の警察関係車両が狭い村の道路にひしめき合った。

 神木の周りにはブルーシートが張られ、誰も立ち入ることができなくなった。

 パトカーのサイレン、警察官の大声、上空を旋回するヘリコプターのプロペラ音。村人が何事かと騒音の中心である神社に集まってくる。

 簡易の検視がその場で行われ、少女についた歯形、そして足跡から少女は野犬に襲わたと判断された。少女の傷跡から全長は二メートル近い個体と警察は推測。午後には追加の警察官や猟友会の人間が村に到着した。

 少女の血と野犬の足跡を辿ると、神社から森に入って一キロメートル先にある崖に着いた。地面は傾き、木々が密集していて足場が悪い。その中で木々を切り拓くように大きな二つの岩が埋まっており、日の光に照らされていた。そこでは野犬と少女が争った跡が見つかり、その場を中心にして野犬の捜索が開始された。

 しかし、周辺からそれ以上の痕跡は見つからなかった。村では狩猟が盛んで、猟犬も数匹いた。警察は村の住民への聞き込みも行ったが、不審な猟犬の存在や野犬の目撃情報などは全く得られなった。数日経っても新しい情報はない。

 さらに警察を悩ませたのが、少女の身元だった。野犬と合わせてこちらも聞き込みを行うが、情報が上がってこない。

 当時、この事件は全国のニュースでも流れ、白鈴神社には連日多くの報道関係者が訪れた。野犬、少女ともにほとんどが謎に包まれた状態であることが、人々の興味を掻き立て、いろいろな憶測を呼んだ。

 警察が少女の似顔絵を公表して情報提供を求めると、その絵はニュースやワイドショーで見ない日はなかった。今でもその似顔絵を見ると当時の事件を思い出す人もいる。

 野犬の捜索の規模はどんどんと縮小され、三週間後には一旦打ち切りとなった。

 少女の身元も全国から情報提供が寄せられたが、有力なものは一つもなかった。

 警察の捜査が下火になっていく中、テレビで白鈴神社の情報を集める人々の関心は冷めることはなかった。

 まず野犬については二メートル近くの巨大な個体であること。目撃情報や痕跡が全くなかったこと。事件の現場が神社だったこと。

 この地域では古くに犬を祀っていたという伝承もあり、誰が言い始めたか白鈴の犬神と呼ばれるようになった。少女はその逆鱗に触れてしまったのではないかと。

 数か月後、警察関係者から内部情報のリークがマスコミにあった。それがまたニュースで話題となった。

 少女の遺体や争ったと思われる場所から野犬の唾液、獣毛や血が一切採取できなかったのだ。また、獣の足跡は後ろ脚しか見つからなった。つまり、二足歩行の獣と推測される。

 この頃から白鈴の犬神に関する噂はどんどんと分岐していった。神社に祀られた神様の一種、人を襲う妖怪の類、または獣に見せかけた殺人事件。広がることはあっても収束することはなかった。

 一方で少女に関してもいろいろな憶測が飛び交っていた。獣と争った形跡があり、彼女こそ神社の守り神ではないかという声もあった。彼女の持ち物もその声を後押ししていた。少女が致命傷を負いながら、争った場所から神木まで移動していたことも話題となっていた。

 こちらにも後日談があり、身元不明で受け取り手が無かった少女の遺骨と遺品を公造が引き受けた。

 神木に寄り添う姿を見て公造は少女が不憫に思ったのだ。

 村にある墓地に少女の墓を作り、遺品の一部を本殿に祀った。

 このことについて世間では、事件を客寄せに使っていると誹謗中傷があった。さくらの母親も神社に近づこうとしなくなった。

 さらに、少女の遺品が本殿にあるとニュースで流れると、次の日には本殿の鍵が壊され、遺品が盗まれたのだった。

 警察に被害届を出したが、公造は遺品のことを諦めていた。そして、彼女を弔った自分の判断は間違いだったのではないかと悔いた。

 そんな打ちひしがれる公造の心を救ったのは、名前の知らない一人の女性だった。

 盗難があってから一か月後に彼女は神社にやってきた。その手には少女の遺品の半分が握られていて、公造にそれが返された。

 彼女は、差出人は匿名にしてほしいと説明すると、続けてこう言った。

「行く当てのない幻想郷の住人を弔ってくれてありがとう」

 彼女はそれ以上何も答えず去っていった。

 少女の名前も幻想郷という場所もわからない。しかし、死んだ少女を想う人がいたことが、弔った行為を公造の中で肯定させてくれた。

 今は防犯のために公造の部屋にロッカーを置き、遺品はそこに鍵をかけて管理している。

 

 

  ◇

 謎の多い殺人事件から心休まる日は公造達にはなかった。

 その中でさくらが産まれたことが、ばらばらになりそうな家族をつなぎとめた。

 産まれてからさくらはいつも家族の中心にいた。初めての女の子ということもあり、両親の愛情も一段と深かった。

 そんなさくらが白鈴神社に初めて来たのは六歳のころ。母親が神社に来ることを拒否したので父親が連れてきた。

 その日、さくらは一日中神木の寄り添って過ごした。

「だってずっと会いたかったんだもん」

 公造がさくらに神木から離れない理由を聞いたとき、さくらは笑顔でこう答えた。

 これには公造も驚いた。意識しなくても神木に寄り添って死んでいた少女が思い出される。

「この木に誰かいるのかい?」

「うん!」

「それは女の子かい?」

 さくらは公造の問いを受け、神木を見つめる。

「わかんない!」

 短い間を置いて、さくらは公造に屈託のない笑顔を見せて言った。

 もしかしたら犬神と呼ばれた存在がそこにいるのかもしれない。与太話と思って聞き流していたが、さくらの身にもしものことがあるかもしれない。公造はさくらを一人にすることができず、傍で様子を見守った。

 しばらくするとさくらは公造の手を握った。

「大丈夫だよ。さくらのこと守ってくれるって言ってる」

 このとき、公造は神木に何かが宿っていることを確信した。

 それから、さくらはことあるごとに神社へ行くことを親に催促するようになった。その度に仕方なく、父親が駄々をこねるさくらを白鈴神社に連れて行った。

 さくらが一人で白鈴神社に足を運ぶようになったのは中学生になってからだった。

 一か月に一度は休日になると公造の自宅に泊まる。電車に乗って隣町の駅まで来て、そこからは公造に車で迎えに来てもらう。

 さくらは居間で宿題を終わらせた後は社殿の掃除を手伝ったり、公造の神主としての仕事を隅で見ていた。

 最初のうちは母親から猛反対されていた。この頃のさくらは、神社に行きたがらない母親は公造と祖母を嫌っていると思っていた。そのことが少し腹立たしく、さくらは怒鳴られても毅然たる態度で神社へ行ってはいけない理由を母親に問いただした。すると、母親はそれ以上強くは言ってこなくなった。

 一方で、突然始まった孫の訪問に公造と祖母は大変喜んでいた。さくらの兄達は母親に従って神社に来ることがなかったので余計に嬉しかった。

 しかし、公造はさくらがこれほどまでに白鈴神社に固執する理由を知りたかった。

 さくらが高校生になったとき、公造はさくらになぜ神社に来るのか聞いた。けれども、「この場所が好きだから」とさくらは当たり障りのない返答をするだけだった。

 次に公造は神木の声が聞こえるのかと質問した。そのとき、さくらは笑いながら首を横に振った。

 初めてさくらが神社に来たときのやり取りを公造は話した。するとさくらは笑って「そんなことあったっけ?」と恥ずかしそうに俯くだけだった。

 それ以上の追及は公造にはできなかった。

 代わりに白鈴神社で起きた事件について、さくらに話そうとした。いつかはさくらに話さなければと思っていたことだった。

 ところが、さくらは驚かずに話を遮った。すでに白鈴の犬神について知っていたのだ。

 全国で有名になった事件だ。周りから嫌でも話がさくらの耳に届いたのかもしれない。もしかしたら母親から直接話を聞いたのかもしれない。事件の話もこれ以降二人の話題にでることはなかった。

 

 

  ◇

 さくらが白鈴神社を継ぐことを決意したのは、高校二年生の春。公造の妻でもあるさくらの祖母の葬式の日だった。

 春にしては例年より寒い日だったことをさくらは覚えている。

 祖母の遺体の横で、公造はずっと彼女の自慢話をみんなにしていた。子宮がんだった。闘病生活の最後は想像を絶するものだった。

「よう頑張った」

 安らかな表情で眠る祖母を、公造は涙を流し見守っていた。公造は今にも倒れてしまいそうで、さくらはずっと横に座って寄り添っていた。

 葬儀が全て終わり、さくらは母と白鈴神社の公造の自宅にもう一泊することとなった。母親にとっては実家である。

 さくらには歳の離れた二人の兄がいる。すでに成人しており、両方が既婚者だった。さくらの父親、兄達とその家族は葬儀が終わると、そのまま日常生活に戻っていった。

 夕方になると公造とさくらの母親は口論になった。さくらの母親が公造に神社から出て同居することを薦めたのだ。さくらの兄達が家を出たので部屋に空きがあるということだった。

 公造は数年前から足を悪くしており、階段の上り下りも一段ごとにしかできなくなっていた。手すりのない石段を登りするのは心配になる。

 さくらの母親はそのことをきっかけに、神社を他人に任せることを提案した。前々から考えていたことなのか、彼女は要領よく話をする。

 しかし、公造は首を縦に振らなかった。公造のかたくなな態度を見て、さくらの母親は語気が強くなっていく。

 さくらの母親はトラウマから白鈴神社に来ることを拒否していた。以前にこの神社へ来たのはさくらが産まれる前だった。親子の関係が悪かったわけではない。毎年一、二回は公造とその妻が、さくら達の家まで来ていた。

 決して公造達を嫌っているわけではない。だからこそ、母親は公造にこの神社から離れてほしかったのだ。

 公造も三代にわたって宮司を務めてきたこの神社を離れるわけにはいかないと言った。どうか、もう少しここに居させて欲しいと。

 話は平行線のまま、一旦会話は終了した。葬儀の疲れもあり、二人ともそれ以上口論を続ける体力がなかった。さくらは居間の重い空気に耐えられなくなり、家を出て神木の前に来た。

 まだ日が落ちる時刻ではないが、西の山がすでに太陽を隠してしまい、境内は薄暗かった。石畳には山桜の花びらが散りばめられている。

 さくらは神木に手を添えた。

「おばあちゃん……死んじゃった」

 神木に語りかけると、さくらは涙をこぼした。

 そして、静寂の中で自身に問いかけた。

 自分はどうしたいのか。

 このとき、さくらは白鈴神社の宮司を公造から引き継ぐことを決断した。

 このままだと公造は母親の説得に押し切られるかもしれない。公造が白鈴神社を去ろうとしていたことをさくらは知っていた。きっかけは、祖母に末期のがんが見つかり、入院をしたことだった。自分もそう長くないと思ったのだろう。

 田舎のさびれた神社の宮司を好き好んで引き受ける人はいない。公造は神社庁に相談をして、他の神社の宮司に管理を任せられないか確認していった。

 しかし、一番近い有人の神社でも車で一時間以上かかる立地と、神木にまつわる怪事件によって、引き受けてくれる人物は現れなかった。引き受け手が見つかれば、公造はすでにこの神社を去っていたかもしれない。

 さくらは自分にとってその結末が望んだものではないと悟った。私は、私がこの神社にいたいのだ。

「話してくるよ」

 さくらはそう神木に話しかけ、居間にいる二人の元に戻った。

 目を赤くしたさくらはこの神社の宮司になることを申し出た。けれども、二人はさくらの話を真剣に聞かなかった。母親に至っては、二人の口論を収めるためにさくらが嘘をついていると思った。

 公造と母親はさくらが本気であることを後日知った。さくらは神職の階位を取得するために神職養成所へ進学することを自身で決めた。そのため、公造に推薦状の取得をお願いしたのだ。

 公造はすぐにさくらの母親にそのことを伝えると、その日にさくらの家で家族会議が行われた。

 母親はやめなさいの一点張り、最後には泣き崩れた。父親はどうあっても考えを変えない二人を前に困り果てていた。

 このやり取りは三か月ほど続いたが、父親の説得もあって、最後にはさくらの神職養成所への進学は許された。

 父親はすぐにさくらは音を上げて実家に戻ってくると思っていた。

 ところが、父親の予想に反してさくらは二年の神職養成所での日々を終えて、神職の資格を取得。そのまま白鈴神社に神主として住み着いた。

 そのころには、母親はさくらが宮司になることに反対はしなくなった。さくらの強い決意に、反対する意思がなくなっていったのだ。

 それから四年後になる現在、さくらは白鈴神社の神主として祈祷などを公造の代わりに行っていた。公造はさくらに何度か宮司としての地位を渡したいと言ったが、「まだまだおじいちゃんにいてほしい」というさくらの言葉に宮司を退くタイミングを見失っている状態だった。

 

 

  ◇

 白鈴神社の近くに買い物ができる施設はない。食料を調達するには隣町まで行かなければいけなかった。

 さくらは三十分ほど車を運転して隣町まで来た。そこまで信号は一つもなかった。

 さらにさくらは車を走らせて、まずはコンビニに向かう。そこで自分宛ての宅配物を受け取った。中身はネットで注文していた化粧品だった。

 そのあとスーパーマーケットに向かう。朝八時から営業しており、すでに駐車場は空いている場所を見つけることが困難だった。

 さくらは狙っていた特売品を中心に食料と日用品を買い溜めした。今晩作るオムライスのためにケチャップを追加で買う。

 車に戻るとエンジンをかけてガソリンメーターのチェック。まだ給油は必要なさそうだ。

 さくらはすぐに同じ時間をかけて神社にもどった。ドライブが好きなさくらは長時間の運転もさほど苦にはならなかった。

 神社の駐車場には出発したときに存在しなかった車が止まっていた。車高の低い黒のワゴン車で、後部座席はスモークガラスで中が見えない。運転席にはサングラスをかけた男性がいた。坊主の髪形に半袖の黒いシャツを着ており、筋肉質で大柄だった。

 さくらに数週間前の事件の記憶がよみがえる。さくらは黒い車を避けて隅に車を止めると、後部座席の荷物を素早く持って石段を上った。

 石段の中間まで来たところで、さくらは息をしていなかったことを思い出して大きく息を吸い込んだ。落ち着きを取り戻すと、さくらは後ろを振り向かずに残りの石段を上っていく。

 さくらが鳥居まで来ると、神木の前にいる女性が目に入ってきた。下に駐まっているワゴン車で来たのだろう。

 彼女のほうもさくらを見ていた。神木に身体を向けて、頭だけさくらのほうにひねっている。顔は黒いマスクをしていてよく見えなかった。肩まで伸びたアッシュブロンドの髪。モデルのような体型で、タイトな長袖の白いシャツを着ており、くびれがはっきりとわかる。下は黒のジーンズにピンクのスニーカーを履いている。

 女性は自分の足元を見て、一拍置いて視線を元に戻した。さくらはそれが頭を下げているとすぐに気づけなかった。

 さくらは慌てて頭を下げる。ふたたび女性を見ると、すでに視線は神木に戻っていた。

 さくらは女性が気になったが、荷物を置くために自宅へ戻ることを優先した。

 その後ろ姿を女性が凝視していることにさくらは気づけなった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。