真田美奈《さなだみな》は深夜に携帯電話の着信で目が覚めた。こんな非常識な時間に電話をかけてくる相手を確認しようとしたが、瞼がなかなか開かない。美奈は仕方なく目を閉じたまま電話に出る。
「あい……」
かすれた声が出る。
「寝てたか?」
美奈はその一言で電話の相手を理解した。
「ったりめーだろ。夜中に電話かけてきやがって。何時だと思ってやがる」
覇気のない声だが、美奈は寝起きで悪態が止まらない。
「一時間待ってやる。準備しろ。行先は事務所で話す」
要件を言い切ると通話が終わる。
「おい!」
美奈の叫びは相手に届かなかった。美奈はアッシュブロンドの髪を掻きむしる。
「何時なんだよクソ」
光に慣れてきた目で時間を確認する。深夜二時半だった。美奈はため息をつき、また眠りについた。
このまま寝過ごしても電話の相手が起こしに来るだろうと美奈は思ってた。
次に起きたのは三時過ぎ、三十分ほど寝ていた。今からでも約束の時間に間に合う。仕方なく美奈は出かける準備をした。白いシャツに黒のジーンズ。
お気に入りだったピンクのスニーカーを履き外に出ると、夜風が身体に当たり身震いをする。上着を着ようか迷ったが、事務所まで三分もかからない。美奈は速足でアパートの階段を降り、夜道を歩き始めた。
電話で言われた事務所とは、都内にある指定暴力団の事務所の一つだった。住んでいるところもその暴力団に用意してもらったアパートだ。お金も定期的にもらっている。
しかし、暴力団の組員と言われれば違う。ましてや現在、その暴力団が敵対している集団に美奈は所属している。それでも彼らが美奈に仕事を任せるのは、美奈の特殊な能力によるものだった。
ややこしい関係だが、どちらからもお咎めがないので美奈はあまり気にしていない。
事務所は雑居ビルの二階にあった。下から覗くと深夜だが窓から灯りが漏れている。道路には二台の車が停まっていた。一台は黒の高級外車。もう一台は黒のワゴン車。
「江角《えすみ》さん来てんのかよ」
美奈はその横を通って階段を上り、表札のない扉を開ける。中に入ると狭い待合室に五人の男達がいた。
ソファに二人が座り、残りの三人は横並びに立っている。
「よう。遅いぞ」
声をかけたのはソファに踏ん反り返る少年だった。美奈に電話をかけてきた人物だ。
外見は近づきがたい見た目をしている。切れ長の二重の目に細い眉。ツーブロックの髪形、ウェーブのかかった髪を右に寄せている。両耳には銀のリングピアス。まだ未成年で年相応の幼さが顔に残る。白のタンクトップに黒のジャンパー、迷彩柄のズボンにコンバットブーツ。
近藤侑人《こうどうゆうと》。美奈を暴力団と引き合わせた人物。彼も美奈と同じく暴力団と敵対している集団に属していた。交友関係から、現在その集団の中で彼は腫物扱いされている。
美奈は悪態を返したかったが、青年の横に座っている男に気を遣い、テーブルを挟んで置かれている向かいのソファに黙って腰を落とした。
「江角さん。遅れてすいません」
「気にすんな美奈。深夜に出てもらってすまんな。また寿司連れてってやるよ」
不機嫌そうな美奈の顔を見て、ソファに座る男が微笑みながら諭す。
名前を江角俊矢《えすみとしや》。美奈はよく知らないが、他の組員からは若頭と呼ばれている。温厚そうな顔の輪郭は角張っている。髪は整髪料を使ってオールバック。見た目は四十前後だ。
いつもの高そうなスーツ姿。今はネクタイをしておらず、シャツのボタンを外している。少し酒の匂いがする。シャツの襟元から緑色の入れ墨が顔をのぞかせていた。
「江角さん。あんまりこいつを甘やかさないでください」
そう言った侑人を美奈が睨む。そんな二人を見て江角は笑い、煙草を口にくわえた。横で立っていた男が素早くライターで江角のたばこに火をつける。
「それじゃあの。後はよろしく」
江角は立ち上がり、事務所を出て行った。立っていた男の中の一人が後に続く。
事務所に残ったのは美奈と侑人、そして横に立つ二人の男だった。
立っている男の一人は面識があった。半袖の黒いシャツに夜中なのにサングラスをしている坊主の大男。美奈は彼を運転手と呼んでいた。名前は知らない。
過去三度、侑人と『探索』に行ったとき、いつも車を運転していた人物だ。
その横で立っている人間は全く知らない。細見の外見に一重で黒髪。英文がプリントされた白いティーシャツに青のジーンズ。一言でいうと特徴がない。姿を見た五分後には顔を思い出すことができないだろう。一見では暴力団の組員には見えない。
「まぁ、これを見ろ」
侑人はテーブルに置かれていたタブレット端末を美奈に渡す。すでに画面が表示されていた。ニュースサイトの記事らしい。画像が一枚あり、神社の拝殿とその手前の大木が写されていた。記事の見出しには「白鈴の犬神」という文字がある。
「どこからの情報?」
「ネットニュース」
侑人の返事に美奈は呆れた表情になった。
「嘘。冗談でしょ?」
「嘘じゃねーよ。中からの情報じゃもうだめだ。ほとんどあいつらの息がかかってる。まぁ、最後には全員俺がぶっ殺すけどな」
美奈はしぶしぶ記事に目を落とす。
「強がって。前に殺されかけたじゃん。人形使いだっけ?」
大きな音がする。侑人がテーブルを叩いた音だった。
美奈は動じずにタブレットで記事を読み続ける。
「油断しただけだ。顔面殴りつぶしても動き続けるのは反則だろ。次はぶっ殺す」
「次があればいいね」
「どういう意味だよ」
「読んだよ」
まだ記事全てを読み終わっていないが、話を進めるために美奈はタブレットを侑人に返す。
侑人は美奈を睨みながらもタブレットを受け取り、テーブルに投げ捨てる。
「で、どうするの?」
「ここに行く」
「ちょっと待って! 行くって今から?」
「大丈夫です。時間はかかりますが今日中には帰ってこれます」
答えたのは運転手だった。
「全然大丈夫じゃないし。今日は平日、学校なんだけど」
「高校なんて早く辞めちまえよ。俺たちには意味ねーだろ」
「休日まで待てないの? ……ってか朝まで待てないの?」
「待てねーな。俺は毎日が休みだし、起きてるのは夜だ」
「死ね!」
美奈のストレートな悪態に侑人は大声を出して笑った。
「元気じゃねぇか!」
侑人はひとしきり笑うと、美奈に顔を近づけた。
「組内に内通者がいる」
「内通者って……誰?」
「さあな。だけど、俺達がやってたことを全部ハルが知ってた」
ハルとは、美奈と侑人が属している集団のリーダー的人物だった。
「組とつるんでても何も言ってこねぇと思ったが、俺達がやってたことは筒抜けだったってことだ。まぁそれでも俺はかまわねぇが、今回やることはしばらくハルに見つかりたくねぇんだ。だから夜中のうちにこっそりと出る」
「ハルに見つかりたくないってどういうこと?」
「欠片を手に入れたら、俺はあいつより強くなっちまうだろ」
侑人は笑って言った。嘘だ。美奈は思った。美奈は人の感情を読むことができた。それによって、その人物が嘘を言っているか判断することは容易だった。
「ほら行くぞ。もう江角さんに許可も取ってある」
侑人は美奈の表情の変化を知って、素早く運転手から車のキーを受け取るとそのまま事務所を出て行った。
「戸締りがありますので先に車へ」
運転手は大柄な体を丸めて、座っている美奈の耳元でささやく。小声で言う必要があったかと美奈は疑問に思った。
美奈はわざと大きくため息を吐いたあと、立ち上がり事務所を出る。
美奈は考えを巡らす。
近藤侑人は近いうちに死ぬだろう。実際に過去の衝突で敵に重症を与えられている。
それでも戦いを恐れていない。狂っている。このまま行けば共倒れだ。
引き際を考えなくてはならない。
欠片だ。そうだ欠片のために近藤侑人に近づいたのだ。欠片を手に入れられればそれでいい。
近藤侑人はどうなってもいい。
欠片を手に入れるんだ。
そうすれば、またノンちゃんに会える。
◇
美奈達はワゴン車で白鈴神社に向かっていた。『運転手』が車を運転している。侑人がその後ろの座席に座り、美奈は侑人の横で外の景色を見ている。
もう一人の名前も知らない人物は、美奈達の後ろの席、サードシートでスマートフォンを操作している。彼は乗り込むときに二つの大きな鞄をバッグドアから車に積み込んだ。車が揺れるたびに鞄の中からは金属音がした。鞄の中身は彼らが自衛を行うための武器だと美奈は思った。場合によっては戦闘に巻き込まれる羽目になる。
車の中で白鈴の犬神について詳しい説明を美奈は受けた。
一ヶ月程前に昔の事件がテレビで取り上げられ、それが話題になったそうだ。
人の大きさを超える野犬など与太話だろうと普通の人間なら思う。しかし、そういった類の怪物を美奈達は知っている。
「私達が生まれる前の話でしょ? すでに犬神ってやつは処理されてるんじゃないの?」
「だろうな。そうじゃなくても移動して神社にはもういないだろう」
「じゃあ何しに行くんだよ」
「もう片方だ」
「片方?」
美奈は侑人を見た。彼は腕を組んで目を閉じていた。いつ寝てもおかしくない様子に美奈は少し腹が立った。
「殺された女だ」
「あぁ……」
美奈はまた外に視線を戻す。街灯の光がリズムよく流れていく。
「そっちも『幻想郷』の人間だったんじゃねぇか?」
「でしょうね」
「墓がその神社の近くにあるらしい」
「待って。墓荒らしでもするの? 私はパス。車で待ってるから」
「ちげぇよ。人の話を最後まで聞け」
美奈は再び侑人の方を向く。侑人も美奈を見ていた。
「女の持ってた代物も神社が引き取ったらしい。そこまでするか?」
「何が言いたいの?」
「白鈴って神社は、まだ『幻想郷』のやつらと繋がりがある」
「あるの?」
「さあな? 二十年も前の話だ。それを今から調べに行くんじゃねぇか」
侑人は腕組をやめて小さく伸びをした。自然とあくびが出る。
「クソ! 結局何もわかってないじゃない! 何だよそれ。勿体ぶりやがって」
美奈が悪態をつくと侑人は含み笑いをする。どうも彼は美奈を怒らせることを楽しんでいる節がある。
「今まで隠されてたこともお前なら何か分かるかもしれないだろ。頼むぜ相棒」
美奈は悪口を何か返そうとしたが、うまく口に出せなかった。それ以降、侑人は何も話さず、しばらくするとうなだれて寝たことがわかった。
美奈にも急に眠気が襲ってきた。彼女は窓ガラスに頭をあずけて目を閉じた。走行音しかしない車内は心地よく、美奈が眠りに落ちるまで時間はかからなかった。
次に美奈が目を開けたとき、車窓の外では低いビル群が流れていた。すでに外は明るく、会社に出勤する人々の姿が歩道にあった。時間を確認すると車に乗って三時間以上経っていた。横に座る侑人はまだ寝ている。
美奈は高校への連絡を考えた。電話をすると外出していることがばれてしまう。少し悩んで美奈は同級生に携帯でメッセージを送った。熱が出て休むので、この文章を教師に見せて伝えてほしい。無理があるお願いだが、すぐに『OK!』とだけ返信が来た。持つべきものは頼れる友達だ、と美奈は思った。
それからしばらく走行したあと、二十四時間営業しているファミリーレストランで四人は食事をとった。パンとサラダだけを食べる美奈に、侑人は「腹に詰めこめ」と言ってハンバーグをサラダの上にのせてきた。美奈は侑人の顔面に皿ごとサラダを投げつけてやりたかったが、店内で騒ぎを起こすことを避け、ハンバーグをよけて肉汁の付いたサラダをおとなしく食べた。
そのあとコンビニに寄り、美奈はペットボトルのコーヒーと黒のマスクを買った。
車に乗り込むとまた移動が始まる。運転手はあくびも見せず、機械のように運転を続けている。
出発してから国道は走ったが、高速道路は使わなかった。店の看板などを見て、美奈は県境をすでに越えていることに気づいた。段々と景色にある建物の数が減っていき、山道に入った。
「もうすぐです」
運転手のその一言で、美奈は狭い車内で小さく伸びをする。
山道を抜けると、目の前がひらけた。一面の田んぼといくつかの家が見える田舎の風景。美奈は窓の外を見渡した。けれども、人影は田んぼの近くを老人が一人歩いているだけだった。
走る車の右側に斜面があり、その前方に石段が見える。
車はその石段の前で止まった。左側にある砂利の駐車場にバックで入っていく。
美奈は辺りの気配を探る。
彼女は人の気配、感情を『見る』ことできた。これは彼女の生まれつき持った特殊能力の一つだった。人が嘘をついているかを見破ったり、集中すれば壁の向こうの人の数までわかる。
侑人が美奈を『探索』と称する行為につれてくる理由だった。美奈は普通ではない人間、つまり幻想郷の住人のような存在を見分けることができた。
美奈はしばらく神社周辺を探った。しかし、特段注意すべき気配は感じない。わざわざ遠くまで出向いたが、やはりハズレかもしれない。美奈はため息をついて、顔にマスクをつける。
「まずは私一人で行ってくる」
「大丈夫か?」
「あんたみたいなやつが来たら一般人ビビるでしょ」
「茶化すな」
侑人は美奈を真剣な表情で見ている。美奈はその視線を背中で受け止めながら、スライドドアを開ける。
「今のところヤバそうな気配はないよ。大丈夫。何か出てきたらすぐに逃げ帰ってくる。逃げるのだけは自信あるから」
それ以上、後ろの侑人から言葉はなかった。
美奈は座席に深く腰掛ける侑人を一瞥したあと、車を出て石段を上っていった。
◇
石段を上りきり、美奈は鳥居をくぐる。石畳の先に社殿が見える。左手には大木。社殿と鳥居の中間辺りに木はあり、根が石畳を侵食しようとしている。しめ縄がされていて周囲の木の倍の高さはある。石段の下からでも木の上部が見えていた。タブレットで見た画像とほぼ同じ構図だ。画像は美奈がいる場所から撮られたらしい。
右を見ると離れたところに一軒家がある。美奈はその家に意識を集中する。中にいる人間は一人。この神社の管理者だろうか。年寄りのようだ。注意を払う必要はなさそうだった。
美奈は鳥居の辺りで数分立ち止まっていた。境内には美奈以外いなかったので、人の目を気にする必要はなかった。
危険な存在がいないことを確認すると、美奈は社殿に向かった。
途中、神木の横を通ったとき、違和感を感じた。頬を撫でる風が急に止んだ、そんな些細な感覚。美奈は神木に目をやるが、歩みを止めることはしなかった。
社殿の屋根の下には古びた賽銭箱があった。美奈はジーンズのポケットから財布を取り出して中身を確認する。彼女は小銭を取り出すと、それを賽銭箱に投げ入れて手を合わせた。
参拝者を演じる美奈。社殿の前に来たとき、監視カメラを屋根の近くに見つけたためだ。機械に気配はない。近づくまで彼女は気づけなかった。
美奈は周囲の警戒を再び強めた。しかし、視覚でも新しい情報を得ることはできなかった。
そもそも、侑人が語っていた『幻想郷のやつら』がここに潜んでいる可能性は低い。全国で有名になった殺人事件が起きた神社だ。わざわざそんな場所に留まることはしないだろう。
ここに幻想郷の住人と関りがある人物がいる。侑人のその仮説が正しかったとしても美奈には正誤を判断できない。一軒家を訪ねて、住人に直接問いただしても良いが、自分の仕事ではないと美奈は思った。そう思った理由の中には一般人を巻き込みたくないという気持ちもあった。
美奈は社殿を離れて、来た道を戻る。あとは侑人に「何もなかった」と伝えるだけだ。
美奈は神木の前を再び横切ろうとした。しかし、今度は立ち止まった。また違和感があったからだ。先程と同じ感覚。初めての種類の気配。この気配が危険かどうか、美奈にはわからなかった。
少女の死体は神木に寄り添った姿で発見された。侑人の説明を美奈は思い出した。車での会話は深夜の睡魔が襲ってきていた時間。今まで美奈が事件の詳細を忘れていても仕方なかった。
美奈は神木に意識を持っていく。やはり違和感は間違いではなかった。気配の中心は地面と神木が接する辺りからだ。とても微かな気配。美奈でなければ気づけなかったかもしれない。
「隠れている?」
気配を遮断できる術《すべ》があることを美奈は知っていた。美奈もその能力に長けている。
まさか人間が神木の中に埋まっているのか。ふと、美奈はかぐや姫を連想した。けれどもすぐに可能性の一つからそれを排除した。
神様の類かもしれない。神木であるということから美奈はその可能性を考えた。そして、そんな考えに至った自分自身を嘲笑した。彼女は思った。神様なんかがいたら私は今こんなところにいない。
美奈は深呼吸をして、この奇妙な気配について一から考察しなおした。
そして、神木を媒体として神社を監視している存在がどこかにいるという結論に美奈は達した。
美奈は過去に無機物を遠隔で操作する存在と対峙したことがあった。人形使い。その存在はそう呼ばれていた。重火器や刃物を仕込んだ人の大きさの戦闘人形。三回目の『探索』のターゲットが雇っていたボディガードだった。美奈と侑人は返り討ちにあい、侑人は肩に銃弾二発と刃物で腹部を刺される重症を負った。
人形は破壊したが、最後まで人形使いは姿すら見せなかった。相討ちとは到底呼べなかった。
あのとき美奈が見た人形、その気配に神木は似ていた。意思を感じるが、そこに生きているものが放つ生気はない。
しかし、異なる点もある。人形からは『枝』が伸びていた。呼び方はわからない。けれども、美奈の目が捉えたそれの形状は枝に近かった。そのため、便宜上『枝』と美奈は命名している。
動き始めた人形からは、頭、手、足から『枝』が伸びていた。人間が放つ気配とは違う。幻想郷の住人が放つ霊気や妖気と呼ばれる種類の気配。その『枝』は一方向に向かって伸びて、途中で壁をすり抜けていた。きっとその先に人形使いの本体がいたはずだと美奈は思っている。人形に命を狙われ追うことはできなかったが、気配を辿ることはできた。
けれども、この神木からは『枝』が出ていなかった。相手の居場所を掴めない。彼女は周囲への注意を最大限高めた。こちらを監視している存在が近くにいるはずだ。方角はわからない。
平屋の中にいる老人かと美奈は考えた。しかし、わざわざこのような監視をするならば、むやみに位置を晒すことはしないと判断してその可能性を除外した。
少し考え、美奈は結論を出した。あの老人は気配を探らせるために置かれた囮だ。平屋を探る行為でただの参拝客ではないと、まだ姿を現していない誰かにばれてしまった。美奈は小さい音の舌打ちをする。
不可解な点は一つ。美奈が立ち止まったときになぜ神木の使用を止めなかったのか。そうしたならば、美奈は何も気づかずに神社を去っていた。今も木の中からは変わらず気配がする。
監視されていることを認識させて、こちらに警告しているのかもしれない。この推測が違ったにせよ、ここに留まるのは得策ではない。時間がかかれば別の場所から敵が来る可能性もある。
美奈はここでやっと石段を上ってくる存在に気づいた。
車で残っている三人とは違う気配。そちらには侑人がいると思って美奈は警戒をあまりしていなかった。しかし、それでもここまで接近されるまで気づけなかったことに美奈は驚いた。美奈は自分の視野が思っている以上に狭くなっていることを自覚した。
気配の正体は若い女性だった。今は鳥居の前にいる。白い薄手のカーディガンにひざ下まである紺色のスカート。両手には買い物袋を持っていた。彼女も美奈を見ていた。ここの住人らしい。
美奈は女性に頭を下げて、すぐに神木へ視線を戻した。神木の気配に動きがあったからだ。ほんの少しの揺らぎ。
状況の変化は女性が境内に入ってきたこと。美奈が女性をまた見ると、彼女は家に向かって歩き始めていた。やはり、ここの住人らしい。美奈は女性の背中を凝視する。気配に不思議なところはない。けれども、ぼやけて見えた。気配が二重に見える。
短時間に集中しすぎたため、疲れたのだろうか。美奈は目を閉じて頭を振った。そして、鳥居をくぐり境内を出た。石段を下りているとき、美奈は奇妙な解放感を覚えた。
◇
白鈴神社から石段を下りて、美奈はワゴン車に戻ってきた。スライド式の後部座席のドアを開けて乗り込む。
音楽やラジオなどはかかっていない。中は冷房が効いており、汗をかいていた美奈には少し寒かった。
「時間がかかったじゃねぇか。で、どうだった?」
沈黙を破り、美奈に話しかけてきたのは侑人だった。美奈の横でシートを後ろに下げ、足を投げ出して座っている。
「……わからない」
美奈は黒いマスクを外しながら答える。
「わからないはねーだろ」
侑人は美奈をあざ笑った。
すぐに侑人の笑顔は消え、狭い車内で美奈に詰め寄る。
「何がいた?」
「あのでかい木に監視されてた」
美奈の言葉を聞いて侑人は声を出して笑う。
「木に意思があるって言いたいのか?」
「違う! 人の話を最後まで聞けよ」
美奈は侑人を睨んだ。
「木を媒体にしてるのかもしれない。前に人形でそれをやってるやつを見たでしょ?」
人形という単語に一番反応したのは運転手だった。大きな体を捻り、美奈を見る。自然と車体が揺れた。口を開き何か発言しようとするが、息を吸い込んだだけで運転席に座りなおした。
当然の反応だった。前回の『探索』で、人形使いにやられて血まみれの侑人を運転手は車に乗せている。彼は同じような戦闘が起こると身構えた。
侑人は美奈から視線を逸らして黙り込んだ。
美奈はかまわず神木について境内で感じたことを侑人に説明した。神木から気配があったこと。神木を操作している人物が近くにいるだろうということ。それ以上は何もわからなかった。言葉にすると情報量の少なさを美奈は実感した。
美奈は一通り説明し終わると、侑人の言葉を待った。前と後ろにいる男達はこの会話に入ってこない。
「人形使いと一緒って言いたいのか?」
「わかんないけど……」
また明瞭ではない答えが美奈から返ってくる。けれども、侑人は先ほどのような反応はしない。手で顎をさわり、何かを思考している様子だ。
間を置いて、侑人は前の座席に顔を出して外を見た。視線は神社の鳥居辺りだ。
「さっきの女は?」
「荷物持ってた人? 特に何も感じなかったけど、ここに住んでる人かな?」
「ここの神社の神主っすね」
美奈の質問に答えたのは侑人ではなく、後ろに座っている男だった。
美奈が振り返ると、男はスマートフォンを操作してから画面を美奈達に向けた。
画面には先ほど見た女性の装束姿が映っていた。侑人もその画面をのぞき込む。
「こいつが邪魔してんのか?」
「多分違う。さっきまで出かけてて、いなかったんでしょ?」
「横の車に乗って出かけてたみたいっすね」
答えたのはまたスマホ男だった。理解できる会話には参加してくれるらしい。
「食料買い込んでたっぽいですね。さっき調べてたんすけど、隣町にスーパーがあるっすね。三十分ぐらい車で走ったとこ。不自然な点はなさそうっすね」
「むっちゃしゃべるじゃん」
美奈は男の早口がおかしくて笑ってしまった。スマホ男は素早く首を縦に振った。
「他に人間はいたのか?」
「上にのぼって右に家があったけど、そこにもう一人いた。そっちの人間も特に何も感じなかった。けっこー年寄りかも」
「さっきの女にじいちゃんがいます」
後ろの男が補足してくれる。
「他は?」
「それ以外はわからない」
「あのでかい木を使ってるやつがどこかに潜んでるのか?」
「そう……だと思う」
そこで会話は止まった。侑人はシートに座りなおして目を閉じる。それからの沈黙は長かった。侑人は腕を組み動かない。傍からは寝ているように見えるが、美奈には侑人が高揚していることがわかった。
「やってやろうじゃねぇか」
車内にいる人間ではなく、侑人自身に向けてつぶやくような言葉だった。
「いいか、よく聞け。夜になったら神社を燃やす。中にいる人間は皆殺しだ」
「はぁ!?」
侑人の気持ちの高ぶりの意味を知り、美奈はひどく驚いた。
「ちょ、ちょっとふざけないでよ! ちゃんと私の話聞いてた? 今上にいる人間はただの一般人。殺しても何も出てこない」
「こそこそ隠れているやつが出てくるじゃねぇか」
「まだ本当にいるかもわからない」
「それでもいい。美奈、お前が何も見つけなくてもやることは決まってた。あいつらを殺したら人形使いが出てくる」
「侑人……何か私にまだ話してないことない?」
唐突な人形使いという言葉に美奈は疑念の目で侑人を見る。美奈の質問に侑人は口角を上げた。
「やっぱお前には隠しごとはできねーな。白鈴の犬神に殺された女が持ってたもんをこの神社が引き取ったって言っただろ? そいつは一度盗難にあってる。それを取り返してこの神社に返したのが人形使いのやつらだ」
「何それ? その情報もネットニュースってわけじゃないでしょ?」
「江角さんからだ。白鈴の犬神ってやつ自体も江角さんから聞いた」
江角俊矢。その名前を聞いて美奈はそれ以上追及できなかった。美奈達と敵対する暴力団の組員ながら侑人に近づいてきた。そのあとに美奈は侑人から江角を紹介された。利用できるならそれでいいと美奈は割り切っていたが、幻想郷について美奈達ですら知らない知識をいくつも持っていた。得体の知れない男という印象を美奈は会ったときから抱いていた。
まだ江角の歳は四十を超えていないはずだ。白鈴の犬神の事件が起きたころはまだ少年だったはず。江角はこの情報をどこから得たのかを美奈は考えて黙り込む。
「待ってください。かたぎに手を出すんですか?」
会話の継ぎ目を狙って運転手が声を出した。
「ああ。そのための準備もしてある」
「聞いてないです。若頭はこのこと知ってるんですか?」
「許可はもらってる。こいつも江角さんがよこしてくれた」
侑人はそう言って、後ろに座っていたスマホ男を親指でさした。
「はい。自分は江角さんに現場の処理頼まれました。一応火をつけるだけって話っすけど、見た感じ俺でもやれそうです。殺しのほうもやっときましょうか?」
スマホ男は淡々と話す。男の感情の揺らぎの少なさに美奈は鳥肌が立った。
「頼もしいね。それじゃあ任せますか。俺は釣られた魚を殺さなきゃならねぇからな」
侑人は笑みをこぼす。その顔からは嬉しささえうかがえる。美奈は自分がいつからこのような狂人達に囲まれていたのかと、急に恐怖が全身を襲った。このとき、わざわざ深夜に事務所を出発した理由を美奈は理解した。ハルに見つかりたくないと侑人が言ったのは、今から行う殺人のことだ。
「美奈」
侑人に呼ばれた美奈は唾を呑んだ。
「何?」
美奈はうわずりそうになる声を必死に抑える。
「お前は帰れ。様子見は終わった。やるのは夕方になってからだ。駅まで送ってやるよ」
優しさを含む声で侑人は美奈にゆっくりと語りかけた。
「はぁ? 私言ったよね。監視されてるって。待ってたら敵が待ち構えてるかもしれないでしょ?」
「それを待つんだよ。そいつをぶっ殺すことが俺の目的だ」
「俺『達』でしょ」
美奈は自分を指さしながら言う。ここで引き下がるわけにはいかないと美奈は思った。侑人は息を吐きながら笑った。しかし、美奈をあざけるような様子はなかった。
「欠片を手に入れることが目的だ。それができたらこの神社は用済みだ。何もせずに万歳して帰るぜ。けど、何も出てこなかったら火をつける。上にいるやつらも殺す。俺は本気だぜ」
「……わかった。だから私も残る」
美奈は了承した。その言葉の重みが口を出てから襲ってくる。美奈は深く呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
「ビビんなよ」
侑人は美奈の肩を叩く。
「ビビってねーよ。私も人を殺したことがある。また同じことをするだけ」
美奈は右のてのひらを見る。その手は過去に人を殺めている。水の張った浴槽。その中から浮かび上がろうとする頭を抵抗がなくなるまで押さえつけた。さきほど境内で目が合った女性を、同じ手段で殺すことを想像する。すると、美奈の中にあった恐れが急激に萎んでいった。
人を殺めたあとのことを美奈は知っている。静かであっけない。終わればそこに残るのは人間だった入れ物だけ。殺しのあとは高ぶっていた心がだんだんと落ち着いていき、心は緊張から解放され穏やかになる。喜びに似た感情も湧いてくる。
「テメェが人を殺すわけじゃねぇぜ」
「わかってる」
そう言った美奈の顔は笑っていた。
「若頭に確認の電話を入れていいですか?」
また運転手が言葉を発する。まだ決心がついていない様子だった。
「勝手にしろよ」
侑人はつまらなそうに許可を出した。運転手は頭を下げて、携帯電話を取り出す。
そのときだった。美奈に悪寒が走った。唐突に旋風が吹き荒れた感覚だった。ワゴン車の周りを敵意が覆ったのだ。殺意に近い。
侑人もその殺気に気付き、ドアを開け放ち車の外に出た。美奈にはその勇気はなく、窓から外を見渡した。
「どうしたんすか?」
「黙って!」
話しかけてきたスマホ男に美奈は怒鳴る。彼は呆気にとられて、それ以上話しかけてこなかった。
運転手も電話をかけることを中断した。緊迫した二人の様子にハンドルを握って待機する。
美奈は敵の位置を探ろうとした。ところが、意識を集中すると、霧のように辺りに充満している敵意で平衡感覚を失いそうになった。美奈は視覚での確認に切り替える。小動物のように頭の向きを変えて、窓から車の周りを見渡す。幸い周りに遮蔽物はない。
侑人は車から二メートルほど離れた位置で、車に背を向けて立ったまま動かない。目玉だけを動かして辺りを警戒する。
次第に気配は薄れていった。侑人が車内に戻ってきたところで、美奈も警戒を解いた。
「美奈」
「人の気配は全然しなかった。もうここを離れてるのかも。まだ近くにいるなら相当隠れるのが上手いやつだ。私じゃ見つけられない」
「お前が無理なら俺も無理だな。でもまあ、ここまでしておいて出てこないってのも変だな」
「脅すのが目的なのかも。会話が聞かれていたのかもしれない」
「上等じゃねぇか」
車の近くまで敵に忍び寄られていたことを想像して美奈は顔をしかめた。神社から出て、安心しきっていたことを彼女は反省した。
「何があったんです?」
運転手が二人に問う。額に汗をかいていた。
「喧嘩売られてたんだよ」
侑人は楽し気に話す。
「長居しすぎたな。一旦ここを離れるぞ」
侑人の言葉で、運転手は車を動かし駐車場を出て神社を離れていった。
美奈達が去り、静まり返った境内。木の葉が風に揺らされ心地よい音を鳴らしていた。