ルドルフのこれが書きたくて始めたとこある。
この3年間を共に駆け抜けてきた彼が倒れたのを知ったのは、雪が降りしきる中指示されたトレーニングメニューをこなしていた時だった。
青い顔をしたたづなさんからその事と彼が運ばれた病院の名前を聞くと、彼女の静止を振り切って走り出していた。
パニックになりかける感情とは別に理性の部分が病院までの道程と最適なペース配分を最速で導き出す。タクシーを待つより走る方が早いと判断し、レースと遜色ない速度でウマ娘専用レーンを駆ける。
途中、トレーニング中の生徒からぎょっとした目で見られるがシンボリルドルフと認めるとすぐさま道を譲ってくれる。それは私のただならぬ様子ゆえか、はたまた現最強ウマ娘の肩書きのおかげか、いずれにせよ好都合だった。
15分ほどで目的地にたどり着くと、学園側から連絡があったのか受付の看護師が端的に部屋番号を伝えてくる。
「すまない、礼はまた後ほど」
会釈もそこそこに部屋へ移動を開始する。病院であっても注目されっぱなしだが、今だけは対応を後回しにしひたすら歩を進める。
はたして
「やぁ、そろそろじゃないかと思ったよ」
そこにはベッドに体を預けた彼がいた。上体を起こしてはいるものの、普段の身震いするほどの覇気は無かった。
「なぜ言わなかったッッ!!」
病院で、病人に出していい声量ではなかった、が、言わずにはいられなかった。以前の私のように、全てを1人で抱え込んで。それを諭したのは彼自身ではなかったか。
「いやいや、検査入院でおおげさだな」
「は.....?」
やたら愉快そうなトレーナーの様子を見て、頭が冷える。1度冷静に情報を整理するために、質問を投げつけていく。
「倒れたというのは?」
「ほんと。でも、貧血だと思うよ」
「入院というのは?」
「いやー、生まれつき体が弱くてね、両親がどうしてもと聞かなかったのさ」
「ここ数週間のトレーニングメニューを用意していたのは?」
「こうなる気がしてさ。ほら、俺って勘だけはいいだろ?」
なるほど.....
「私は.....なんてことを」
がっくりと項垂れる様子を彼は大笑いしていた。
たづなさんの話をよく聞かなかった私に非があるのだろうが、いささか癪に障る。
「笑いすぎだぞ、トレーナー」
「あぁ、すまんすまん。心配させたな」
彼はベッドの縁をポンポンと叩く。大人しく腰掛けると頭を撫でられた。途端に不安が霧散していく。
「まったく、ルナは甘えん坊だな」
「んなっ」
ただでさえ恥ずかしいというのに、そんなことまで言われたらたまらない。ただ、この手から離れたくはなくて視線だけ抗議の意を込めて逸らした。
暫く無言の時間が続く。と、ぽつりと彼が呟いた。
「というわけで、有馬に間に合うかわからん。いけるか?」
「ふっ、見くびらないで貰おう」
「お、さすが皇帝様」
今週末に予定されているレースの心配をするのは彼らしいというか、なんというか。少しは自分の体を労わって貰いたいものだ。ここに至るまで、散々酷使された体はきっとボロボロだ。
ほれ、と手渡されたのは1冊のノートだった。
「今後のトレーニング予定とレースの展開予想だ。読み込んどけ」
「あぁ」
ちらっと流し見ただけでも相当な情報量だ。いったい作るのにどれだけ時間がかかったのか。こんな状況でもウマ娘第一は変わらない。
「なぁ、ルドルフ」
ふと視線を戻すと、いつになく真剣な表情の彼がいた。
「皐月、ダービー、菊花、春秋天皇賞、宝塚にジャパンカップ。お前はここまで積み重ねてきた。有馬二連覇は最後の仕上げだ」
あらためて、凄まじい偉業だと思う。彼曰く、これでもだいぶ余力を残したローテーションらしいが、はたしてこの重賞すべてに1回でも勝てるウマ娘が何人いることか。それを3年で、無敗で獲り続けた私と、何よりも無名の新人だった彼の凄さたるや。
「わかっているとも。私は負けない」
「あぁ、そうだ。ルドルフ、お前は強い」
周囲の期待に潰されそうになったこともある。1人で抱え込んで、躓いたことだって。だが、それでもここまで来れたのは。
「君となら、どんなレースにも勝ってみせる」
トレーナー、君が私の杖として、私を支えてくれたからだ。
ふと、胸の奥の違和感に気づく。そう、違和感だ。
先程の早とちりも、らしくない。この違和感があったからと考えれば多少は説明がつく。
「なぁ、トレーナー」
「なんだ?」
レースに関わる話だからか、普段の覇気が戻ってきている彼に、つい問いかける。
「本当に大丈夫なんだな?」
思えば、倒れそうな予感がしたならばまず私に話すべきなのだ。彼の勘は説明ができないほど当たる。それを黙って、トレーニングメニューを使った自主トレに切り替えて。自分でトレーニングを組む練習と言われ納得してしまったが、大事なレース前にそんなことをするトレーナーだっただろうか。レースには一切妥協しないのが、彼のスタンスだったはずだ。これではまるで、彼がいなくなる事態を想定していたかのようではないか。
彼は一瞬驚いた顔をすると、優しく微笑んだ。
「あぁ、ルドルフと立てた理想を実現するまで死なないさ」
「そ、そうか」
安心させるかのような優しい手つきに、再び身を任せる。そうだ、彼は約束は破らない。やはり、レース前で緊張しているのだろうか。
「しょーがない。俺も退屈だったんだ。レースの戦略でも話すか」
「む、無理は禁物だからな!?」
「へーきへーき」
当然のようにノートを奪い取ると、すらすらとレース展開を描いていく。それに対し私が仕掛け、彼が批評する。
雨の時によくやったイメージトレーニングだが、彼と2人きりであーでもないこーでもないと話すこの時間が、私は好きだ。
結局その日は看護師に注意されるまで話し込んでしまい、そそくさと病院を後にした。
─────────────────
有馬記念当日。
「はぁ、会長の晴れ舞台だというのに、あのバカは.....」
「まぁそういうなエアグルーヴ。彼が1番悔しがっているさ」
そう、検査入院といいながら結局彼は間に合わなかった。今頃病院を抜け出そうとして取り押さえられているのではないか。
「ほら、ソイツからだと」
「む、ブライアン。ありがとう」
彼がいない分、試合前のケアとしてエアグルーヴとブライアンが世話をしてくれている。これも本来彼の役目なのだが、まぁ、致し方あるまい。
そのブライアンから電話を受け取ると、やはりいつもの彼の声が聞こえてくる。
『すまない』
「いや、気にするな」
『問題ないか?』
「あぁ」
『お前はお前の走りをしろ』
「そうすれば勝てるように、ここまでやってきた、かい?」
『あぁ。ルドルフ、お前は強い』
この会話も、いつものことだ。
最初こそ謙遜していたが、今となっては彼が言うならばそうなのだろうなと胸の内にストンと落ちてくる。レース前の強ばりが消えていく。
『勝ってこい。俺にお前の理想の果てを見せてくれ』
「無論だ」
通話を切るとケータイをブライアンに投げ渡す。
怪訝そうに掴んだブライアンとエアグルーヴの毛が、一斉に逆立った。
「さぁ、いこうか」
もうこの気持ちを抑える必要はない。
勝利を。
我々の手に栄光を。
────────────────────
『強い!強すぎる!並み居る強豪をなぎ倒し、完膚なきまでに力の差を見せつけたのはシンボリルドルフ!今、伝説が刻まれました!!!』
当然だった。
なるほど、この舞台に立つということは、強いのだろう。
運、才能、そして努力。
どれ1つとして欠けては立つことすら能わない。そういった類の場所であることは理解している。
だからなんだというのだ。
その程度で止められるものか。彼が私を支え、私が思うように走れた時、私たちの勝利は確定する。そうやって今まで勝ってきた。
「ふむ.....」
いつもならすぐさま駆け寄ってくる彼がいないのは残念だが、とりあえずは勝利を喜ぼう。今、私たちは確かに伝説を刻んだのだ。
「会長ッッ!!」
ふと見ると、エアグルーヴがこちらに走りよってくる。感極まったかと思ったが、どうにも様子がおかしい。
「トレーナーがッッ」
あたまがまっしろになった
───────────────────
ウイニングライブを放り出して、彼の家から出された送迎車に乗って。
たどり着いた彼の病室は、物々しい雰囲気に包まれていた。
呆然と立ち尽くしていると、彼の両親が気づきベットの横まで連れて行ってくれた。
「1度心臓が止まっているの。たぶん、もう.....」
お母様が言葉を続けられず俯く。お父様は厳しい顔をしたままだ。
「嘘.......だろう?トレーナー」
まるで眠っているかのようだった。すぐにでも起き出して、よくやったと褒めてくれそうな。
だが、弱々しい心電図が、そんな幻想を消し飛ばす。
彼は嘘をつかない。ウマ娘に対して誠実にあろうとするからだ。
でも、ならなんで
──泣くなよ、ルナ
バッと顔を上げると、彼の目と合った。
「.....信じられん」
呆気に取られる周りを尻目に彼は体を起こした。慌てて周りが止めようとするが、手を翳す動きで止められる。彼は、煩わしいとばかりに呼吸器を剥ぎ取った。
「よくやったな」
あぁ
あぁ
一体その言葉をどれほど待ち望んでいたのか
だが、思わず飛び込もうとしたのを察してか、彼に止められてしまった。
「悪いな、時間が無い。俺の勘はよく当たるんだ」
時間が無い?時間が無いとはどういうことだ。現に今、こうして
そこで
どうしようもなく弱々しい鼓動を、この耳は捉えてしまった。
そんなはずはない。今すぐ休めばきっと。
そんな理屈も、彼がいうならばそうなのだという信頼感が押し流していく。
「屈んでくれ」
わけも分からないまま、言われた通りに頭を差し出す。それに、彼の手が優しく、本当に優しく載せられる。
「よくここまでやってくれたな。理不尽な期待を背負わされ、無謀と揶揄されても、お前は理想を諦めなかった」
「そ、それはトレーナーくんが.....」
いてくれたから。そんな言葉も涙に呑まれてしまう。違う。これではない。彼に伝えなければならないことは、こんなことでは。
「今から伝える俺の願いは、お前にとっての呪いだ。だが、ルドルフなら、きっと成し遂げてくれると信じている」
「なんでも.....なんでも言ってくれ。シンボリの名にかけて、必ず」
「幸せになってくれ」
「ぁぇ?」
わからない。わからない。彼が何故そんなに辛そうなのかがわからない。おかしい。トレーナーと過ごした日々は、この程度の意思疎通、簡単だったはずなのに。
「ルドルフは真面目だからな。きっと俺の事も背負おうとするんだろう。だけど、だめだ。全てのウマ娘の幸福を、だろ?それには、お前も入っていなきゃいけないんだ」
「い、いやだ!」
思わず口をついて出た言葉に、彼は困ったような顔をした。
いけない。彼を困らせたい訳では無い。けど、彼の願いは
「私には君が必要だ!たのむ.....たのむよ.....」
思わず彼の手を取り握りしめてしまう。彼は抵抗しなかった。この手の優しさが、今はどうしようもなく弱さを表している。
「約束、守れなくて、ごめんな」
ハッとする。ここまでウマ娘の前では1度も見せなかった弱音を、ようやく私に見せた瞬間だった。同時に、もう取り返しのつかないところまで来ているのを察する。
「待って!待ってくれ!私はまだ何も!何も返せていないのに!」
「ルドルフ」
突然、彼の体から力が抜け崩れ落ちる、前に私が抱きとめる。最早鼓動が聞こえておらず悲鳴をあげそうになる。
「はは、疲れたかな。なんだか眠いや」
「トレーナー、しっかりしろ!」
体に力が入らないのかもぞもぞともがくと、諦めたかのように私の肩に顎を置いた。
「既に俺はお前にたくさんもらっている。ずっと夢だったトレーナーになってウマ娘と共に夢を追いかけることが出来た。もう満足だよ」
「ッッ」
もう、だめだった。引き止めるには、彼は疲れ果てていた。今この瞬間も、ただただ、私のためだけに意識をつなぎとめているに過ぎない。
ならば、彼に見せる最後の姿が、このような情けない姿など
あってはならない!!!
「トレーナー、よく見ろ。これが、伝説を刻んだ、君が担当したウマ娘だ」
彼を支えながら目を合わせる。どんな時も、こんな時でさえ、彼の瞳には力があった。
「誓おう。君との約束は果たす。必ず幸せになってみせるとも!」
「ははっ、まったく、俺の愛バはかっこいいなぁ」
だが、その瞳もついには。
「あぁ、ごめん。もう、眠いや」
「.....おやすみ、トレーナー。またいつか会おう」
最後の声は、震えてはいなかっただろうか。
どれだけ待てど、返事は帰ってこなかった。
─────────────────
トレーナーの葬儀は小さなものだった。
家族と、トレセン関係者数人と、私。
あれだけ輝かしい成果を挙げた時の人だ。もっとマスコミなどが押し寄せるかと思ったが、どうやら上の大人達が頑張ったらしい。
最後の別れも、彼が火に包まれる時も、
涙は既に枯れ果てたとばかり一滴たりとも流れてはくれなかった。
─────────────────
今日は休めとエアグルーヴに諭され、久しぶりに早い時間に自室に戻ってきた。今まで有馬の後始末に追われていたが、むしろ好都合だった。手を動かせば、何も考えなくて済むから。
窓際に飾られた数々のトロフィーをなんとなく見つめる。
───あれは皐月賞。トレーナーが唯一緊張していたな。激励中に噛んでしまって恥ずかしがる彼を見て、むしろ緊張が解れてちょうど良かったくらいだ。
───あれは菊花賞。初めての長距離レースに緊張して体力を出し切ってしまい倒れてしまった。その時駆け寄ってきたトレーナーの必死さたるや。初めて彼の本気を感じた気がする。
───あれは
───あれは
───あれは
「くっ」
いくらでも思い出は浮かんでくるというのに、そのひとつひとつが私の傷を深く抉る。
そしてなによりも
その痛みすら過去になるという事実が、たまらなく怖かった。
「なぁ、トレーナー。幸せになるって、どうするんだい?」
『あぁ、それはな』
どんな質問だろうとすぐに返してくれた彼は、もういない。
「教えてくれたまえよ、トレーナー」
皇帝の杖は折れてしまったのだ。
ふと、彼がいた頃に朧気ながら思い浮かべていた未来を思い出した。
この先、レースを引退した後も。2人でならどんな困難も乗り越えられると。理想に向かって進むことができると。
「そうか.....」
私は、君のことを
「好いていた、のかもしれないな」
なるほど、と意外な程にそれは私に深い納得をもたらした。
私は最愛の人を失ってしまったのだと。
「.....うぐ.....ひっく.....う、あぁぁあ」
あれほど出なかった涙は、むしろ今までの分を取り返すかのように溢れてきた。
今までの思い出が、愛しさと激しい切なさを伴って溢れ出てくる。
その日、シンボリルドルフは泣き疲れて眠るまで、彼の名を呼び続けた。生前ついぞ呼べなかった、彼の名を。
──────────────────
あれから3年。
色々あった。次のトレーナーはどうするだとか、レースは出るのかだとか。
「まったく、休む暇もなかったよ」
彼の墓の前で、そう独りごちる。
月に1回は来ているものの、やはり節目の日というのはある。
「期待の新人も出てきた。生徒会長の仕事も順調に譲渡が進んでいる」
行儀が悪いが、周りに人の目は無い。思い切って腰掛け、体を預けてみる。
「あぁ、約束のことなんだが暫くは果たせなさそうだ」
いつかのように、私が話し、彼が聞く。
「愛しているとも、トレーナー」
彼が苦笑いしているのが見えるかのようだった。
だが、これくらいは許して欲しい。私は諦めが悪いんだ。それくらい知っているだろう?
「そうだ、今日はとっておきのダジャレを考えてきてな。是非とも聞いて欲しいんだが」
穏やかに時間が過ぎていく。
私はこの時間が、好きだ。
ルドルフが折れたままなのが想像できなくてフツーに乗り越えてしまった。やっぱバケモンよ。
それはそれとしてウマ娘に呪い押し付けて死にてぇな俺もなぁ。