クロスオーバー短編集   作:ふみどり

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存在しない渋谷の記憶。
海月や佳乃が羂索と対峙したらどうなるのかな、という好奇心から読みたいところだけ書きました。なのでとびとびですしナナミンと灰原くんが生きてます。前後は考えてない。あしからず。


海月と佳乃と渋谷IF

 拳には確かに感触が残っていた。皮膚に触れ、肉を叩き、骨に響かせた感覚。久しく感じるのことのなかった感覚に、確信を得る。やはり、と安堵したと言ってもいい。視界の端でその顔が歪むのを見る。く、と肩が揺れた。

 衝撃の残る拳を握りしめ、真正面からそいつを見据えた。

 

()()()()?」

 

 その身体、呪力は間違いなくあいつのものだった。笑い方も、声も、おそらくは記憶すらも持ち合わせているが、だがそれでもやはり違う。

 

「……何を言っているんですか、クラゲさん」

 

 口元の血を拭う仕草を、つい鼻で笑ってしまう。

 脊髄反射レベルでの反応やわずかな身体の癖は確かにあいつのものでも、頭の中が違う。戦略の練り方も違えば、術式の使い方も。

 こんな()()()()()戦略を、あの傲慢は選ばない。――まして。

 

「本物の夏油傑なら、今の一発くらい軽く躱す」

 

 一級術師に一発入れられてしまうような奴に、特級術師は名乗れない。

 そう言ってみれば、後ろにいる後輩たちの呪力が一瞬揺らいだような気がした。夏油の顔をした「誰か」は、僅かに目を細める。

 

「夏油ってさ、わりと脳筋なんだよな。呪霊操術の使い手のくせに、手持ちの呪霊と同じくらい自分というカードを重く使う。たぶん、そもそも呪術より体術のほうが性に合ってるんだろうな。呪霊に任せて十分な場面でも、意外と自分の手でとどめを刺したがるっつーか。だから、他の術師に対しても体術という選択肢を消すことはない」

 

 夏油の前で体術なんか見せたことなかった俺相手でも、間違いなく拳や蹴りのひとつくらい警戒してくる。刀を使う相手だからって刀のみで攻撃してくるなんて考え方は絶対にしない。

 むしろ、そういった術師らしくない戦略のほうを夏油ならば警戒してくる。

 

「確かに脊髄反射レベルでの反応や呪力、その呪霊操術も含めて、その肉体は夏油のなんだろうな。だが、頭の中が違う。戦略の組み方も、相手の手筋の読み方も、夏油のものじゃない」

 

 術式をメインに戦略を組み、呪霊操術を使いこなし、相手の術式を強く警戒した上で、こちらの呪力の流れを読みながら対応をしている。まるで教本にでも載っているような、術師らしい戦い方。

 

「その場その場の最善手を打ってくる辺り、相当に戦い慣れしてんだろな。助かるよ、おかげで()()()()()

 

 幾千幾万の可能性の星、その中でも一番最善の、一番勝率の高い星を必ず選んでくれる。たとえ相手が格上だろうとも、次の行動がほぼほぼ完全に読めるなら、少しはやりようがある。

 脳内を巡る星、一番輝きの強い星だけを検索サーチする。

 

「七海、灰原、頭切り替えろ。敵は夏油と同じ手札を持っている、対術師の戦闘に慣れきった老練の呪詛師だ。俺の考えを読んだ上で動きを合わせろ、いいな」

「うっわ、僕がすごく苦手なやつですね!」

「灰原。……何とかしましょう」

 

 ふたりの呪力が燃え上がるように高まっていく。ざ、と地面を踏みしめる気配がした。そんなふたりを眺めて、いかにも先輩らしく、その顔は笑う。

 

「……強くなったね、ふたりとも。先輩として誇らしいよ」

「夏油さんの口で夏油さんの言葉を吐くな」

「貴方に言われる筋合いはありませんね」

 

 怒りをはらんだ硬質な声に、迷いはなかった。いや、仮に本当に夏油が相手だったとして、手心を加えるようなふたりでないことは知っている。どこまでも術師に向いていないふたりは、変わらないまま術師として強くなった。今や、俺と並ぶほどに。

 こちらの目的は偽夏油を倒すことではない。その懐に封印されているあの最強を取り返すこと。俺と、後輩ふたりと、それから奥の手のひとり、あとこちらに向かっている増援が間に合えば、可能性はゼロではない。低くても、ゼロではない。

 やりようは、いくらでもある。俺の手が刀に掛かると、そいつは夏油の顔で苦笑した。

 

「参ったな。……やはり先に殺しておくべきだったか、家入海月」

「そいつはご愁傷さん。心配すんなよ、()()()()俺くらい瞬殺だ」

「……言ってくれる」

 

 刹那、地面を蹴る。強く輝く星を辿り、刀を抜いた。少し遅れて、背後の気配も動きだす。目前に突如現れた呪霊の群れに構わず飛び込んで両断する。

 こんな雑魚どもに構っている暇はない。狙うものはただひとつ。

 

「返せよ、それ」

 

 夏油の顔には、到底あいつがするわけもない、ひどく歪んだ笑みが乗っていた。

 

***

 

 いつでも逃げられる状況だからこそ、性格の悪い偽夏油は余裕ぶって俺たちと対峙する。

 

「……少々分が悪いね」

 

 逆に、戦況が悪くなれば当然、そいつは逃げることを考える。その想定はできていた。彼女に奥の手として隠れていてもらったのは、背中を見せようとしたそいつの動きを確実に封じるため。

 攻撃でなく逃亡に思考をシフトしたとき、そいつは「強大な敵」でなく「獲物」になる。

 

「《山椒魚は悲しんだ。》」

 

 彼女の凜とした声は、土煙の揺らめく中でもはっきりと響く。

 

「《彼は彼の棲家である岩屋から外に出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。今はもはや、彼にとっては永遠の棲家である岩屋は、出入口のところがそんなに狭かった。そして、ほの暗かった。》」

 

 偽夏油の目が今度こそ見開かれる。灰原はその声に楽しそうに笑い、七海の口元にも笑みが浮かぶ。こいつら同期のこと信頼しすぎだろうと、俺も少し呆れて笑った。

 こぷり、と泡の音が聞こえたような気がした。水の中にいるように世界の音が遠くなり、手足の動きが鈍くなる。いつのまにか土煙は岩となり、偽夏油のまわりを取り巻いていた。動こうとするその手足を、苔や水草が邪魔をする。

 

「《強いて出て行こうとこころみると、彼の頭は出入口を塞ぐコロップの栓となるにすぎなくて、それはまる二年の間に彼の体が発育した証拠にこそはなったが、彼を狼狽させ且つ悲しませるには十分であったのだ。》」

 

 偽夏油の周囲に組み上げられた岩屋。その顔の一部だけがわずかに見える出入口。呪力を用いて作り上げられた空間と物質、そのクオリティはここが彼女の領域の中かと錯覚するほどに見事だった。なるほど、これはそう簡単には出られない。

 奇人変人デタラメ術式の美作、その当主たる彼女の「芸術」は、あの五条が認めるほどに洗練されている。

 

「《「何たる失策であることか!」》」

 

 自身への嘲りを含んだ山椒魚の言葉で、岩屋がはっきりと輪郭をもった。

 

「……井伏鱒二『山椒魚』より」

 

 世界が閉じた感覚があった。彼女の「芸術」は完成した。これで領域展開じゃないとか、むしろ彼女が領域を展開したらどうなるんだと思えるほどのそれ。うわこれまじで狙われたら俺逃げられねーなと思わず遠い目をした。彼女を怒らせないように気を付けよう。

 

「夏油先輩の記憶は持っているという話でしたっけ? 懐かしいでしょう『山椒魚』、貸してあげたの覚えてます?」

「……寝れない夜の課題図書、だったね。さすがは美作の『芸術』、素晴らしい術式だ」

「どうも。どうやらそれは夏油先輩じゃなく『中身』の言葉のようですね。うちに刺客という刺客送ってくださってどうもありがとうございます。おかげで腰の重い親類一同もいやいや動いてくれましたよ、私たちは『芸術』の邪魔をする無粋な輩が死ぬほど嫌いなもので」

 

 本当に面倒な、と心底嫌そうな顔で言う彼女と、わずかに顔を歪ませた偽夏油。術式に重きを置く老練の術師だからこそ、美作家の「芸術」は警戒していたのだろう。この渋谷に彼女が来ることのできないよう、彼女の実家に刺客まで送り込んで。

 その結果、残念なことに眠れる龍を呼び覚ましてしまったというわけだ。

 

「今後、貴方の思惑の全てを阻止したと確信するまで『美作』は貴方の邪魔をし続けます。呪術界の上層がうるさかろうが、御三家が様子見を決め込もうが、美作だけは断固として貴方の敵になると断言しましょう。よくも私の稀書を汚してくれましたね十回殺しても足りないんだけど」

「美作、最後の本音は隠してほしかったかな!」

「美作さんは美作さんでしたね」

「世界で数冊しかない本に傷を付けやがったんだから当たり前!!」

 

 うーん、すがすがしいほど自分の事情。まあ、彼女らしいと思っておこう。

 さて、と改めて刀の汚れを払い、ほぼ目元と額しか見えない哀れな「山椒魚」を見る。彼女の術式のクオリティならそう簡単に出ることは叶わないだろうが、それでも油断はできない。蹴りを付けるなら、急ぐべきだ。

 

「やっぱ肉体は夏油なんだよな。だが、思考が夏油じゃない。加えて、気色悪い額の傷。もしかしてまじで脳みそ取り替えとかそういう感じか?」

 

 偽夏油は答えない。その呪力も静かなまま。

 

「美作さん、そういう術式聞いたことある?」

「美作の記録にはありませんね。そんな悪趣味で無粋な術式、一度読んだら忘れません」

「だよな。……天元とはまた違う、ある意味の『不死』の術式ってことになる」

 

 脳みそを移し替えることで相手の肉体を乗っ取ることができるのだとしたら。記憶や術式や、呪力を自分のものにできるのだとしたら。

 肉体を取り替え続けることで、生き延びてきたのだとしたら。

 

「老練の呪詛師ってのも、あながち間違いじゃなかったのかもな」

 

 ちゃき、と刀が音を立てる。幸いにも、山椒魚には通れない狭い出入口からでもその縫合痕はよく見える。

 

「わからない以上は、何でもやってみるしかないか」

 

 俺の刀の切っ先が、その異様な縫い目へとまっすぐに走る。

 

***

 

「君は見てみたいとは思わないのかい、家入海月。人間がどれだけの可能性を秘めているか、詳星呪法を使う君は誰よりもそれを知っているはずだ」

 

 そして君は、それを見るのを好んでいただろう?

 夏油の口を借りた「誰か」の言葉で、脳内に蘇る数多の記憶。あがき、苦しみ、考え、己のカタチと可能性を掴み取ってきたやつらを俺は大勢見てきた。あんまりにも必死で、滑稽で、見ていられなくて、でも目を離すことはできなかった。実現確率の低い「星」ですら叶えてみせたのを見たときは、俺の術式の限界を理解するとともに、どこか嬉しかった。まぶしくさえあった。

 お前だってそうだったのにと、その顔を見ながら思う。その顔に言われるなんてどんな皮肉だと、笑うしかなかった。

 

「……そうだな、人間は可能性の塊だ。その可能性を追究したいという気持ちは、まあわからないとは言わねーよ。……けどな、」

 

 ぐ、と奥歯を噛みしめる。理解は出来る。だが違う。

 そう、全くもって、違うのだ。

 

「お前が言ってるのは、あくまでも呪力の塊としての人間の可能性だろ。呪力なんざ人間にとってひとつの要素でしかない。ほんの一部分を切り取って『人間の可能性』語るとか、どんだけ視野狭いんだよ」

 

 こいつが語ってるのは人間の可能性じゃない。呪力の可能性、呪術の可能性だ。まるで人間には呪術しか意義がないと言わんばかりの、人間という生き物への軽侮。――嗚呼、反吐が出る。

 人間は可能性の生き物だ。どんな小さな可能性でも、もがきあがいて掴み取ることが出来る生き物だ。そうやってここまで生き残り、発展してきた生き物だ。その可能性のひとかけらに呪術があったとしても、それは決して全てではない。

 人間の可能性は、呪術なんか縛られるようなものじゃない。

 

「いい歳して人間舐めすぎだろ。術師の傲慢ここに極まれりって感じ?」

 

 その老朽化した脳みそとっとと捨てた方がいいぞ、と中指を立ててやれば、背後で誰かが笑ったような気がした。

 

 

 

※井伏鱒二『山椒魚』新潮文庫(2011)より引用しています。




海月と羂索は出逢い方次第で「気に入らんけど利用だけはできる悪友」か「生涯の天敵」になるような気はします。佳乃は無理ですね。無理です。
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