【完】再会した幼馴染オカルトマニアちゃんにお薬飲まされて何やかやあった後の話   作:いらえ丸

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 誤字報告もいつもいつも助けられています。ありがとうございます。

 アンケートのご協力、ありがとうございました。
 そのようにします。

 今回は妹のキリノ編です。
 ほとんど自己紹介回みたいなもんです。

 カヤノ編で描写したのですが、キリノの見た目はまんまロリオカルトマニアです。
 今後描写するか分からないので、一応。


【キリノ編1】貴方は貴方である為に生まれてきたのに、どうして貴方はみんなに合わせようと必死なの?

 アタシが4歳の頃だった。

 幼稚園でのお絵かきの時間。“あなたの好きなもの”を描くよう言われ、マジになったアタシは人生最高傑作を描き上げた

 この傑作をアタシは職員に見せて、「素敵でしょ?」と胸を張った。すると大人たちは「綺麗なモンスターボールだね」と言った。

 アタシはモンボを描いた訳ではない。描いたのはモンボの中で眠るドラパルトだ。

 

 仕方がないのでその絵にドラパルトを描き足してやると、大人たちは満足したように絵の出来を褒めてきた。

 説明されないと分からないくせに、上から目線で頭を撫でてきた。不快になったので、アタシは駄作になった絵をゴミ箱に入れた。

 大人というものは自分だけでは何も判断する事ができず、自分“たち”の主観を数字に置き換え、それを集約させて初めて“理解”したつもりになるのだ。

 実に、哀れな人たちだ。

 

 

 

 人生の命題とは、幸福になる事である。

 

 ヒウン大学の研究によると、人間は他人とコミュニケートする事で幸福を感じるらしいのだが、それが当時4歳のアタシにはイマイチ理解できなかった。

 ああいうデータやこういうデータというのは、所詮どこかの誰かから得られた数字の集積に過ぎず、決して世界の真理やら絶対的な真実などではない。妄信するなど、以ての外だ。

 こういった類の統計データは参考にはなるし実践にも値するが、真にハウツーといえるモノは個々人の主観の蓄積に他ならない。

 つまり、アタシにとってはフィスのコンポートを食べるよりも、冷やしキュウリを食べる方が幸せになれるという訳だ。

 

 人生は幸せになる為にあり、幸せとは個々人の主観により形成される。

 けれど、アタシはまだ生まれて数年しか経っていない。当然ながら、その間に取り込む事のできる情報には限りがある。

 自分だけのハウツー本は、未だ1ページ目なのである。

 

 ある日、通っている幼稚園でダンスのお遊戯があった。職員の教導で、園児が揃って簡単なダンスをするのだ。

 ダンスは楽しい。全身を動かすのだ、心臓が活発になって血流が促進される。すると脳が活性化して気分が高揚する。型の決まったダンスなど退屈だったが、音楽に合わせて踊るという行為は、それだけで刺激になるものだ。シュート大学の教授もそう言っていた。その通りだと思う。

 

 しかし、アタシにとっては簡単なダンスも、園児の中にはこれが難しくて出来ない子もいた。

 仕方ない、個体差だ。同じカモネギでも強いのと弱いの、賢いのと賢くないのがいるように、人間にも個体差がある。アタシには簡単でも他の子にできないなんてのは、これまでの人生ではありふれていた。

 どうしようもない事だ。怒りもないし、憤りもない。馬鹿にするつもりはないし、見下すつもりもない。

 けれどけれどもだけれども、そういった子に合わせて何度も同じダンスをするというのはいただけない。何故なら、アタシが退屈するからだ。如何に楽しいダンスでも、何度もやれば別の事をしたくなる。

 

 なので、アタシは職員の目を盗んで外に出た。

 カヤ姉なら出来ない子の面倒を見て自己実現をするのだろうが、アタシはしない。他にやりたい事が見つかったのだ。ダンスの反復を無意味とは思わないが、“今”のアタシには無価値であると判断した。

 大人には分かるまい。

 

 日向に行き、座る。目を瞑って、腹式呼吸を繰り返す。自身の意識に集中し、無駄な事を考えないよう集中する。

 繰り返すダンスより、こっちの方が有意義だ。瞼の裏の赤い闇を見ていると、脳から要らないモノが排泄されていくのが分かる。瞑想は頭の運動と例える書籍もあったが、アタシ的には瞑想=脳のトイレタイムのがしっくりくる。

 

 そうしていると、お外で瞑想するアタシの元に一人の老人が現れた。

 老人は園長先生と名乗った。園長先生の名前は知っていたが、顔は覚えていなかった。相変わらず人間というのは見た目の判別が難しい。色違いは沢山いてもみんな似たような見てくれをしていて判別し難くていけない。

 

 そんな事を思っているアタシに、園長は「皆と遊ばないのかい?」と訊いてきた。今は楽しさの優先順位が変わっただけで、その時が来たら遊んでもいいと答えた。

 すると、園長は日向ぼっこより面白い事をしようと言って、アタシを職員室に招いた。瞑想ももういいかなと思ったのでついていくと、職員室では色々なモノを発見した。

 複数のパソコンやファイルの奥に、今は使われていないと思しきボードゲームの類があった。これ何? と訊いてみると、園長はそれを開けてプレイさせてくれた。

 それは、チェスという駒を動かして戦うボドゲだった。ルールを教えてもらいプレイすると、なんとアタシは負けてしまった。

 

 アタシは頭が良い。パパもママもそう言うのだ。そんなアタシが頭を使うゲームで負けるなど、ビックリである。もう一戦とせがむと、園長は快く応じてくれた。

 二戦目、要領は掴んだ。ようするに少し時間を使って先の展開を思考すればよかったのだ。けれど、アタシは負けた。何故負けたのか分からなかった。園長はチェス歴40年のベテランだと自慢してきた。そんなのアタシが負ける理由になるかと思った。

 三戦目、より長い時間をかけて思考した。結果、アタシが勝った。まぁまぁ楽しかった。園長は驚いていた。

 四戦目、アタシが勝った。少なくとも、園長に勝つ方法は分かったので、難なく勝利できた。

 五戦目、思考時間を短縮した上で勝利。

 六戦目、ほぼノータイムで勝利。

 

 この頃になると、アタシはチェスよりも他のボドゲが気になり始めていた。将棋やオセロ、色んなゲームがあった。アタシは園長にアレヤリタイコレやりたいと言っていた。

 しかし、いつの間にかお家に帰る時間になっていた。ママがお迎えに来ていた。アタシは園長にお別れをすると、さっさと家族のところに行った。

 ママの運転する車で、今日あった事を話した。ママは「良かったね」と言って頭を撫でてくれた。

 嬉しかったので、幸せな気持ちになった。

 

 それから幼稚園では、園長の時間が空いた時などに何かしらのゲームをするようになっていた。

 将棋やオセロといった知能ゲームだけでなく、ほとんど運のゲームもあった。色々やってみて、勝ったり負けたりで楽しかった。

 

 そんな中、園長先生が「またチェスをしよう」と誘ってきた。

 結果は見えてるから嫌だと言ったのだが、園長は無視して駒を並べはじめた。仕方なしに一局打つと、予想通りアタシが勝った。

 が、意外な事に圧勝したその一局は普通に楽しかった。対戦ゲームというのは、自分が負けるかもしれないから楽しいのであって、自分が勝つと分かっているものなど楽しい訳がないのにである。

 すると、園長先生は笑った。

 

「キリノさんは私と遊ぶ時間を大切にしてくれた。だから、こうして一緒にチェスをしているだけで、楽しい気持ちになれるようになったんだ」

 

 言われて、アタシは心底納得した。

 タマムシ大学の創設者の自伝を読んだ時以上に腑に落ちた。なるほど、全くもってその通りである。頭で分かっていた事を、心でも理解できた感覚だ。

 

 パパとやるゲームは楽しい。それはアタシにとってパパが大切な人だからだ。ママとするお勉強は楽しい。それはアタシにとってママが大好きな人だからだ。

 同い年の子と遊んでも楽しくないのは、アタシにとって彼ら彼女らが大切じゃないから。職員さんと話してて眠くなるのは、アタシにとって職員さんが好きな人じゃないから。

 まさにデンリュウ下暗し。言われてみればその通りだ。ヒウン大学ごめんなさい、そういう事だったのだ。

 

 何度かチェスをしてお家に帰る時、ほんのちょっとだけ寂しい気持ちになった。けれど、明日また会えると思えば、登園が楽しみになった。

 幼稚園に園長先生がいない日も、次に会える時を想像すると楽しくなった。次は何をして遊ぼうか。次はどうやって戦おうか。一人で駒を並べるだけで嬉しくなった。

 園長先生がいたから、退屈の多い幼稚園がちょっと明るくなった。

 

 

 

 翌年、園長先生が亡くなった。

 おしゃべりな職員さん曰く、階段で転んで頭を打ったらしい。

 病気でも、事件でも、まして自殺でもない。

 何気ない日常の中で、アタシの大切な人が消えてしまった。

 

 その晩、アタシは号泣した。

 赤ちゃん時代以来、はじめて泣いた。

 ママの腕に抱かれて、パパに頭を撫でられて、それでも涙は止まらなかった。

 

 

 

 人生は有限だ。

 ならば、有意義に楽しく生きるべきだろう。

 

 好きな事をして、生きる。

 嫌いな事で、死なないようにする。

 アタシは、それを心に留め置いた。

 

 

 

● 〇 ●

 

 

 

 有限な人生を有意義に生きる。

 その為に、アタシは自分の幸せランキングを作ってみた。

 

 一位、大切な存在と過ごす。

 これは言うまでもない。大切な存在と一緒にいると、何をしてもしてなくても幸せになれるのだからコスパ最強だろう。ヒウン大学もシュート大学もタマムシ大学も言ってる。統計も主観でもそうなのだから間違いない。園長先生がくれた、最高の教えだ。

 また、言うまでもないが心を通わせたポケモンも同じく大切な存在になり得る。その点、我が家には大切な存在が沢山いて良いね。

 あと、どうやらアタシはゴーストポケモンとの相性が良いらしいので、将来はゴーストタイプのポケモンと仲良くなってポケモントレーナーになるつもりだ。楽しみだし、きっと楽しいに違いない。

 

 二位、ゲームをする。

 これはただの趣味だ。ただの趣味だが、生きがいと言っても過言ではないくらいには楽しい娯楽だ。そもそも、道楽に生きる事の何が問題というのだ。

 ゲームの種類に拘りはない。RPGでもSLGでも、カードゲームでもボードゲームでもいい。対戦系はすごく楽しいが、価値観を共有できる人相手じゃないとどちらも不幸になってしまうので、個人的には協力系のが好みだ。

 これに一位の要素をプラスすれば倍率ドン。みんな揃えば青天井だ。実に良い趣味だと思う。

 

 三位、娯楽作品を楽しむ。

 これは読書や映画鑑賞にあたる。アタシは幼児の頃から読書家だ。特に空想多めのオカルト本なんかは大好物だ。映像作品だって、監督や演出家の意図などを考えながら観ると最高である。

 これも同じく一位の要素を加えたら効果抜群だ。価値観を共有できるならなお素晴らしい。

 

 まぁ、アタシの幸せはそんな感じだ。これからはこの三つを軸に生きて行こうと思う。

 ただ、目標を立ててそれに突き進むというのは御免だった。何故なら、目標達成の過程とは枯渇状態と同義だからだ。枯渇していては苦しいだろう。できるだけ楽しく生きたい自分としては、苦しい状態は極力避けていきたい。

 だから、アタシはほんのり長く楽しむ事にした。急いては事を仕損じるし、急がば回れと誰かは言うし、夢に向かって突き進むなど面倒くさくてやる気になれない。

 

 好きな人と、好きな事して、気楽に生きる。まとめると、こうだ。

 そんなの将来の為にならないぞとか、こんなの何の役に立つのとか言われても気にしない。それこそ心が貧しいというのだ。生理的に受け付けない。迷惑メールと同じでゴミ箱にポイだ。ブロックだ。

 

 

 

 さて、卒園したアタシはスクールに通い始めた。

 楽しくはないが、アタシが良い成績を取ると両親が喜ぶから通っていた。大切な人を喜ばせるのはこっちも幸せになる無敵の近道だろう。

 

 幸せの近道といえば、園長先生はアタシに人生最高の教えを授けてくれた。大切な存在といる、これに勝る幸せはないという事だ。そして、この“大切な存在”というのは、時間を費やす事により増やす事ができるのだ。それを、アタシは頭でも心でも理解している。

 なので、スクールの面倒臭さに慣れた頃、アタシは友達を作るべく行動を始めた。

 けれども、アレコレとアタシの気力や感情を削ってくるような面倒な友達はいらないと思った。

 前に実際いたのだ、アタシにちょっかいかけてきた男子が。そういう奴には軽い悪戯をしてやった。カヤ姉からは「悪戯はダメだゾ」と言われたがそんなの知った事ではない。アタシを不愉快にする奴が100パー悪い。

 そういうのもあって、友達にするならデフォルト状態である程度気の合う子がよかった。

 友達は数じゃない、質だ。そして、質とは時間に比例し、時間を費やすには一緒にいて苦じゃない相手が望ましい。

 

 そこで目を付けたのが、クラスの日陰者であるロモジちゃんだ。

 ロモジちゃんは絵に描いたような陰キャちゃんであり、御年6歳にしてインターネット世界どっぷりの将来有望なオタク女子だった。加えてコミュニケーション能力が極めて低い子供でもあった。

 試しに話しかけてみると案の定まともに会話が成立せず、ロモジちゃんはもごもごむにゃむにゃと話すばかり。なるほどコイツぁ上物だぜ。

 おまけにロモジちゃんは勉強も運動もからっきしだった。そのくせアニメやゲームにはやたらと詳しく饒舌であり、他から見ると苦しそうに見えるオタ活を嬉々としてやっていた。また、彼女は男性同士の恋愛模様をこよなく愛する類の子であったらしく、クラスの男子と男性教師との間にバッテンを付けて遊んでいた。なかなかキャラが濃い。

 ふぅん、いいじゃんである。

 

 向上心メラメラの子は鬱陶しい。虚栄心ピカピカの子は喧しい。その点、ロモジちゃんはちょうどいい存在だった。

 自信はないが自尊心があり、向上心はないが己の好きなモノに没頭できる。一応、アタシもそれなりにアニメを見るし、ゲームの趣味も合っている。

 

 アタシは有無を言わせず彼女を友達認定し、半ば無理矢理一緒の時間を過ごした。

 すると、いつしか彼女の方もそれなりに仲良くしてくれるようになった。

 家族ほど大切な存在になれるかは分からないが、良い友達はできた。

 

 不思議なもので、友達ができると退屈が多いスクールがちょっぴり楽しくなった。

 勉強も、如何にロモジちゃんに伝わるようにかみ砕けばいいか考えていると、育成ゲームみたいで楽しかった。

 遊びに関しても、予想通りゲーマー同士気が合った。対戦じゃなく、協力プレイ。こっちのが好きだし、ロモジちゃんもそうだった。

 

 友達付き合いというのも、存外楽しくて充実しているように感じた。

 やってみないと分からないものである。

 

 

 

 ある日、突然カヤ姉がどう見ても暗黒の化身であろう謎ポケモンを仲間にしたいのだぜとか言いだした。

 そいつはダークライというポケモンで、真っ黒でふよふよしてて如何にも強そうなポケモンだった。白い毛の触り心地が面白い。兄が怯えてるのも面白かった。

 姉はそんなダークライをレンジャー協会公認で手持ちにする為、島めぐりというアローラ地方の風習に挑むのだという。飛び級して、試練を超えるべく努力していた様だが、あんまり楽しくはなさそうであった。

 楽しくない事に一生懸命な姉を見ていると、可哀想だなと思った。カントーやジョウトではそういうのを“美徳”として見る傾向がある様だが、アタシにはさっぱり分からなかった。

 

 しばらくして、アローラから帰って見事ダークライを手持ちにした姉は、暇を持て余すようになった。

 カヤ姉が暇になると、アタシとの時間が増えて嬉しい。しかし、暇人化していた姉はすぐに旅に出てしまった。

 別れて数日は実際寂しかったが、いつの間にか船を見ると姉との再会を楽しみに思うようになって心が躍った。お祭りの前ではないが、似たような気持ちになれたのだ。

 

 時が過ぎ、リュウ兄はスクールを卒業した。で、そのままアカデミーへと入学していった。

 アカデミーは基本的に寮生活なので、兄はたまにしか家に帰ってこない。これまた寂しい話である。

 いつかアタシもアカデミーに行くのだろうか。楽しいのかな、面倒臭いのかな。やってみないと分からない事が多いように、アカデミーにも行ってみないと分からない。分からないので、楽しみに待つ事にした。

 

 姉と兄がいなくなり、家にいる人間はアタシとパパママと赤ちゃんだけになった。

 新しい家族である双子の弟妹は、未だ関係性を構築中である。何たって未だ幼児なのだ。コミュニケーションは難しいし、お世話は大変だ。

 最初はママを独占してズルいなーと思っていた双子だったが、気づけば可愛く見えてきたのだから不思議だ。

 

 姉も兄にも合えなくなったが、ポケモンとは毎日顔を合わせていた。ポケモンとは生まれてからずっと一緒だったので、家族同様に一緒にいると幸せになる。

 けれど、彼らはあくまでパパとママの手持ちポケモンだ。だからといって区別するつもりはないが、やっぱり羨ましい。

 いつか、アタシも自分の手持ちポケモンで家をいっぱいにしたいものである。仮に家族全員が6匹手持ちにして同居しても、この家なら余裕で住めるだろう。

 

 

 

 そんな中、スクール唯一の友達であるロモジちゃんが、親の都合で引っ越す事になった。

 ロモジちゃんとは港でのお別れとなった。アタシは船が見えなくなるまで手を振った。ロモジちゃんも珍しく大きな声で「また会おうね!」と言ってくれた。

 何気に、友達との別れは初めての経験であった。これまた不思議な事に、涙は出なかった。園長先生と会えなくなった時はあんなに悲しかったのに、ロモジちゃんとの別れは、姉と同じく再会の楽しみが上で悲しい気持ちにはならなかった。寂しいのはその通りだが。

 

 さて、スクール唯一の友達を失ったアタシは、めちゃくちゃ暇になった。

 勉強も椅子でお尻を痛めるだけだし、運動も競争が主でつまらない。

 そこで、アタシも姉と同じように飛び級してやろうと思った。

 

 スクールからアカデミーへ。ゲームチェンジ。ステージを変えるのだ。そうすれば、今よりは良くなる気がする。そうでなくても、やる価値はあると思った。

 準備なんて必要ない。パパッと卒業資格をゲットだぜ。こうして、アタシは無事スクールを卒業した。

 

 兄がアカデミー入りした次の年、アタシもアカデミーに入った。

 パパママ双子と離れるのはちょっと抵抗があったが、いつでも会えると思えば大丈夫だった。

 それに、アカデミーにはリュウ兄がいる。もしかしたらロモジちゃんみたいな友達もできるかもしれない。行ってみないと、何が起きるかは分からないものだ。

 

 入学当日、パパとママから一つずつポケモンのタマゴをもらった。

 パパから貰ったタマゴからは、“ボチ”が生まれた。ママから貰ったタマゴからは、“ムウマ”が生まれた。

 ボチは人に懐きやすい性質であり、パルデアではメジャーなポケモンだ。ムウマは各地方に生息が確認されているゴーストポケモンだ。

 そして何より、二匹とも驚く程アタシと相性が良かった。もう可愛くって仕方がない。生まれてすぐ、アタシにとってボチとムウマは大切な存在になった。

 

 ところで、ヒウン大学の研究によると、手持ちのポケモンを触ると母性本能に関わるホルモンが分泌されて幸せを感じるとかあったのだが……。

 その通りだった。正解だった。ヒウン大学ごめんなさい、そういう事だったのだ。

 

「ふへへ……ボチもムウマもかわいいねぇ」

「わん!」

「むまぁ!」

 

 こうして、アタシのアカデミー生活が始まった。




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