2.
七耀暦1204年、3月31日。
公都〈バリアハート〉行き旅客列車。
「ルイン……ルイン!」
名を呼ばれ、肩を揺すられるような感覚に意識が浮上する。
少しだけ重い瞼を持ち上げると、少しだけ気遣わしげに俺の顔を覗き込む兄の姿があった。
「リィン……?」
「さっき車内アナウンスが入った。そろそろトリスタに到着するから起きてくれ」
言いながらリィンが向かいの席に座り直すのを眺めながら、俺は寝落ちしたことで崩れた姿勢を正して欠伸をひとつ。
それから窓の外に目をやった。
車窓から見える景色は瞬く間に過ぎ行くけれど、穏やかな青空は絶え間なく続いている。
新緑に色付いた木々が、今が春であると教えてくれていた。郷はまだ雪が残ってたんだがなあ。
「……大丈夫か?」
と、少し間を置いて尋ねられて視線を戻すと、リィンが俺を見て僅かに眉を下げていた。
「何がだ?」
「最近、昼間に寝ている姿をよく見る気がして……夜に眠れてないのか? 何か悩み事があるなら聞くぞ?」
その問いに、俺は思わず目を瞬かせる。
「……そんなに寝てるか?」
「みんなが心配するくらいには」
「マジか」
それはたいへんよろしくない。
品行方正な兄と妹、優しい両親に、郷に暮らすみんな。笑って欲しいからとおどけはしても、必要以上の心配は掛けないようにと気をつけていたつもりだったのに、近頃の昼寝でどうにも心配を掛けていたらしい。
「えー……? 気をつけてたつもりだったんだけどな……」
「ルインが俺たちをよく見てくれているように、俺たちもお前のことをよく見てるってことだよ」
くすくすと小さな笑みを零しながらリィンが言った言葉が、ほんの少しだけこそばゆい。
まるでみんなが俺のことを大切に思ってくれているんだ、と他でもない兄が代弁してくれているかのようで。
「ま、俺のお兄様愛も負けてませんけど?」
「何の話をしているんだ?」
途端にリィンは困ったような渋い顔をしたが、これは事実なので仕方ないのである。
リィンの言葉通り、トリスタ駅には間も無く到着した。
停車を確認してリィンと共に広い構内に降り立ち、そうして駅を出ればそこは近郊都市トリスタの街並みが広がる。
同じ年頃と思しき人の姿が多いが、開いた店先にはこの街の住人の姿もあって、決して騒がしすぎない落ち着くような賑わいを感じる。
ほっと息を吐くと、ひらりと薄紅色が視界を泳いでいることに気付いた。
「ライノの花か?」
「そうみたいだ。こんなに咲いているのは初めて見たな」
薄紅色に染まった木々から花弁がひらひらと空を舞う。
何本も並び、見事に咲き誇る様は実に圧巻だ。
そうした光景を眺めながら、俺は目を細める。
「いい街だな」
「ああ。……この街で過ごす二年間、良いものになりそうだ」
柔和な顔で言うリィンを見ると、俺も嬉しくなる。
それはリィンと考えが一致していた事への嬉しさもあるのかもしれないけれど。
と、その時、駅の方から歩いてくる女の子の姿が目に入った。金色の長い髪に羽と、花を模したような髪飾りをつけた同じ年頃に見える少女だ。
どうやら彼女もまた、俺たち同様ライノの花に見惚れているらしく、
「リィン」
「――え?」
「きゃっ……」
声を掛けた時にはリィンの背にぶつかり、よろけたまま尻餅をつきかけていた女の子の腕を、俺は咄嗟に伸ばした手で掴んだ。
「お、っと! 大丈夫か?」
「え、ええ。ありがとう」
どうにか女の子は尻餅をつかずに済んだが、彼女が手にしていたと思しきトランクがごとりと音を立てて地面に落ちてしまう。
かといって拾い上げるのもどうかと思って腕を掴んでいた手を離すと、振り向いたリィンが眉を下げて口を開いた。
「すまない、俺がぼうっとしてたせいで……トランク、落としちゃったみたいだけど大丈夫か?」
「ええ、心配しないで。それは大丈夫だから」
女の子はふ、と口元を緩めて言って、けれども俺とリィンの顔を見るときょとりと目を丸くした。
「同じ、顔……?」
ややあってそう言った彼女に、俺とリィンは言葉なく顔を見合わせて笑い合う。それを見てか、目の前の女の子は慌てたように口を開いた。
「あ、ごめんなさい! 不躾に、失礼なことを言ってしまって……」
「いいや、気にしてないさ。むしろ、その反応はわりと慣れっこ」
「初めて俺たちを見た人はだいたいキミのような反応をするからな」
けどそれも、同じ顔が二つ並べば仕方ないというものだろう。幾分かの好みとかの違いはあっても瓜二つ――俺とリィンは双子なのだから。
別段双子というものが珍しいという訳でもないとは思うんだが、それでもそれは存在が、というだけで実際に目にする事はなかなかないだろうしな。
だが目の前の女の子はまだ少し気にした様子が見て取れて、俺は育ちの良さを垣間見えたような気がしながらずっと思っていたことを口にした。
「それにしても、キミも俺たちと同じ色の制服なんだな?」
すると、女の子ははっと思い出したように、
「そういえば……みんな緑色の制服みたいだけど」
「ああ。どうなってるんだろうな? 送られてきた物を着てきただけなんだが……」
不思議そうな顔で小さく首を傾げたリィンに、女の子はこくりと頷く。
「それは私も同じよ。……でも他にも着ている人は見掛けたから、理由があるのかもしれないわ。それこそ同じクラスだったりとか?」
双子で同じクラス、というのもクラスメイトを混乱させかねない気もするが……まあ、リィンの悪評にならない程度には過ごすつもりだし、それを徹底しておけば大丈夫だろう。
俺のせいでお兄様の平穏な生活を脅かす気は毛頭ないのである。
それに、にこりと笑って言い括る彼女の言葉を否定しようとも思わないしな。
「それじゃあ、また。入学式の時に会えそうな気もするけど」
トランクを拾い上げ、緩く手を振って歩き出した背を、俺とリィンは並んで見送って、
「……あ」
呆けたような声を上げた兄に、俺は首を傾げる。
「ん?」
「名前、聞きそびれちゃったな」
「え、お兄様はあの子とお近づきになりたい感じ?」
「何を言ってるんだお前は」
「だって名前を聞いとけば、とか言い出しましたし?」
「礼儀の一環だと思うんだが……」
「そぅかぁ?」
「ルイン?」
半目で睨みつけられてしまった。怖いんだからなあ、お兄様は。
けれども冗談だよ、と手を上げて降参の意を示せばリィンはすぐにまったく、と溜息をついて表情を緩めてくれて。
「まあ、あの子の言う通り同じクラスだろうがなかろうが、この先に顔を合わせる機会くらいはあるだろ」
目を細めながら言えばリィンはだな、と同意を示し、それから思い出したようにポケットからあるものを取り出した。
「しかし同じ色の制服だったが、彼女も俺たちのように制服と一緒に
それは、真新しい装置――
リィンだけではなく、俺にも制服と一緒に届いたものだが、これが何のためのものなのかという説明は何も添えられておらず、所持品として持ってくるようにという指示しかされていない代物だ。
カバー部分の凝った感じを見る限り、ただの備品とは思えないが……現状の俺たちにはそれ以上わかることはないんだよな。
「さて、どうだろう? ただそれも入学すれば分かるだろ、多分だけどな」
肩を竦めながらおどけたように言うと、リィンはふ、と表情を緩めて、
「そうだな。……じゃあ、俺たちもそろそろ行こう。学院――〈トールズ士官学院〉は街の北側にあるらしい。まだ時間はあるけど、入学式に遅刻なんて洒落にならないしな」
目的地へと向かっていく、とはいっても入学式にはまだ時間があるのもまた事実で。
「リィン、礼拝堂があるぞ?」
ふと街中に礼拝堂を見つけて知らせると、リィンは俺の示す先を見て口を開いた。
「折角だから、軽く祈って行くか」
言うやいなや礼拝堂に向かうリィンに遠慮はなく、俺に尋ねることもない。俺のお兄様は俺が礼拝堂を見付けて声を掛けた時点で、俺が祈りを捧げたいと思っていることなんてお見通しなのである。
これは一種の双子ミラクルってやつだよなあ。
なんて思いながら、立ち止まっていた間に随分と先に行ってしまったリィンを俺は小走りで追い掛けるのだ。
礼拝堂の中は当たり前だが厳かな雰囲気があった。
内部の広さは郷と変わらないくらいだろうか。
そんな礼拝堂の奥、佇む神父と向かい合うように、膝を折って祈りを捧げる人影があった。
遠目からでもわかる恵まれた体躯のその少年――否、青年は駅前で会った少女と同じように俺たちと同じ色をした制服を身につけている。
彼は静かに、それでいて長く祈りを捧げていた。
俺とリィンが近付いても気にとめないその様子からも、恐らく
その大きな背をしばし見守るようにしていると、青年は立ち上がり、傍らに置かれたバッグを手に取るとリィンと俺を見て、僅かに眉を下げた。
「……すまない、邪魔をしたか?」
「いや、大丈夫だ」
「気にしないでくれ」
「そうか、……では、失礼する」
俺たちの返答に僅かに口元を緩め、彼は足早に礼拝堂を立ち去っていく。
俺たちと同じ入学生、なんだとしたらやっぱりめちゃくちゃ身長が高いな。少し羨ましい。
それに、褐色の肌をしていたから帝国人ではなさそうだが、腕にあった模様と大きなバッグ……うーん。まあ、いいか。
ちら、とリィンを見ると、丁度彼も同じことを考え、成そうとしていたらしく、そのまま祈りを捧げて礼拝堂を後にした。
礼拝堂を出てしばらく学院への道を歩いていると、学生たちの多いその道中に老執事から荷物を受け取る青い髪の少女の姿を見付けた。
彼女もまた赤い制服を身につけていて、凛とした佇まいのままに綺麗な礼を取る老執事に見送られて颯爽と学院へと歩いていく。
間違いなくあの子は貴族だろうな。それにあの立ち振る舞いからするに、名のある武門の出かもしれない。
老執事はしばらくそうして少女を見送っていたが、姿勢を正すと彼を避けて通るべきかと足を緩めていた俺たちに気付いて短く謝罪の言葉を口にし、その顔に柔和な表情を浮かべた。
「よき日和で御座いますな。この度はご入学、誠におめでとう御座います」
突然に流麗な執事の礼を取られてリィン共々戸惑ったのは極僅か。
「――ええ。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
老執事は俺たちの言葉に満足げに目を細めると、そのままその場から立ち去って行く。
それを軽く見送って、俺たちは並んで学院へと続く坂道を進んだ。
そうして少し行けば、ついにそれを真正面から拝むことが出来た。
「ここが……」
「〈トールズ士官学院〉……」
トールズ士官学院。
かのドライケルス大帝が創設したと伝えられる学校。
そして二年間、俺とリィンが通うことになる学校でもある。
リィンと並んで学院を眺めていると、不意に背後からクラクションが鳴り響き、俺とリィンは慌てて道の端に避けた。
そうして振り向くと、導力リムジンが校門前につけ、運転席から降りてきた運転手により開けられたドアから一人の少年が降りてくる。
金色の髪の少年は荷物を手にしたまましばしライノの花の舞う空と学院を見詰めていたが、運転手と少し話を交わした後に学院へと一人で向かった。
「……あの導力リムジン、ラインフォルトの最高級モデルだな」
「やはり大貴族の子弟も入学して来ている、か」
走り去るリムジンを見送りながら、短く言葉を交わす。
それに、あの大貴族の子弟らしい彼も赤い制服を着込んでいた。とすると、俺たちと何かが同じなんだろう。
しっかしどういう基準で選定されているんだか、学院まで来ても全くわからんな。
ひとり眉を顰めながら、それでもリィンと並ぶように校門を潜ると、
「――ご入学、おめでとうございます!」
軽やかな明るい声が掛けられた。
そちらを見ると、小柄な女の子と作業着姿の恰幅の良い青年が俺たちに近寄ってきていた。
「えっと、君たちで最後だね。リィン・シュバルツァー君と、ルイン・シュバルツァー君でいいんだよね?」
女の子はそう言って俺たちを見るが、そこは同じ顔をした双子。どっちがどっちだかわかっていない様子がバシバシ伝わってくる。
俺たちを出迎えてくれたということは、この小柄な少女も作業着姿の青年も先輩なのだろうが。
「はじめまして、先輩方。俺がルインです。で、こっちがリィン。人当たり良さそうな真面目そうなのがリィンだと覚えていただければ、それで」
「ルイン。お前だって……いや、今するべき話ではないな。あの、どうして自分たちの名前を?」
不思議そうにリィンが尋ねると、女の子がにっこりと笑い、
「えへへ、それには少し事情がありまして。でも今はあんまり気にしなくて大丈夫だよ」
かと思えばすまなそうに眉を下げた。
うーん、表情がころころとよく変わるひとだなあ。
「案内書にあったと思うけど、申請した品を預からせてもらってもいいかい?」
と、作業着姿の青年に言われて、俺とリィンは肩に掛けていた包みを彼に手渡す。
案内書には予めの申請を入学前にはしていくことが必要とされていたし、躊躇いとかはない。作業着姿の青年もちゃんと後で返されるから、と言ってくれているしな。
「入学式は講堂であるから、このまま真っ直ぐどうぞ」
「ありがとうございます」
掛けられた声にそう答えると、女の子は嬉しそうに笑ってこう言葉を付け足した。
「〈トールズ士官学院〉にようこそ! 充実した二年間になるといいね!」
その言葉と、作業着姿の青年の笑顔にも見送られるような形で、俺たちは講堂へと向かい歩き出す。
「さっき、俺たちで最後と言っていたが……」
ぽつ、とリィンが口にした言葉に俺は彼を横目に見遣り、
「十中八九、この他とは違う制服のことだろうが……」
息を吐きながら言えばリィンもまた頷き――その時、チャイムが鳴り響いた。
そろそろ入学式の時間だ。
となれば、わからないことを考えるよりこれから二年間ある学院生活に意識を向けるべきだろう。
「まあ、何があっても俺はお前と一緒にいるからさ。気楽にいこうぜ」
気持ちを入れ替えるように伸びをして声を掛けると、リィンはきょとりとした表情を浮かべて、ふっと吹き出すように笑った。
「……ルインのそういうところに救われてるよ、俺は」
ふっふ~ん、当然!
俺はリィンたちの笑顔を見たいといつも思ってるし、自慢の弟ではありたいとも思ってるんだからな!
3.
「――最後に君たちには一つの言葉を贈らせてもらおう」
講堂で始まった入学式とい式典の最中、学院長の話の締めくくりはそう切り出されて始まった。
綺麗に並べられた椅子に腰掛けて俺を含めた学院生たちが向ける視線の先、壇上に立つ男性――ヴァンダイク学院長は言う。
この学院――トールズ士官学院が設立されたのはおよそ220年前のこと。
創立者はかの〈ドライケルス大帝〉。
〈獅子戦役〉を終結させた、エレボニア帝国、中興の祖。
彼の即位から30年あまり、晩年の大帝は帝都かたほど近いこの地に兵学や砲術を教える士官学校を開いた。
近年は軍の機甲化が進んだことで学院の役割が大きく変わり、生徒の中には軍以外の道に進む者も多くなったが、それでも大帝の残したある言葉は今でも学院の理念として息づいている。
「『若者よ――世の礎たれ。』」
身を乗り出すようにして、ヴァンダイク学院長は力強い声で言った。
「世、という言葉をどう捉えるのか。何をもって礎たる資格を持つのか。これからの二年間で自分なりに考え、切磋琢磨する手掛かりにしてほしい」
その言葉を括りとして、ヴァンダイク学院長は笑顔を浮かべて話を閉じた。
そのまま壇上から降りる学院長を感謝を込めた拍手と共に送って、俺はぼんやりと考える。
「(世の礎たれ、か……)」
流石は〈獅子心皇帝〉。
笑顔を浮かべれば好々爺のような雰囲気こそあるが、帝国軍名誉元帥である彼の言葉は単なるスパルタよりも厳しく、とても重い。
でも学院長の語った理念は、しっかりと心に刻んで置かなければならないだろう。
俺だってただただリィンについてきたくて此処にいるわけじゃない。
それも確かな理由だが、それだけで此処での学院生活を送ろうなどとは決して思いも言えもしない。
「(……これが、帝国にとって益のあることなのかはわからないが、それでも)」
俺は、この信念を貫き通す覚悟を決めたのだ。
小さな頃からずっと変わらない。ずっと定め、抱えてきたこの思いを。
なぁんて、深刻ぶるのは柄じゃないな。
ちらりと目を向けると、リィンが隣に座る少年と小声で言葉を交わしている様子が見えた。
赤毛のその少年もまた、赤い制服を着ている。
講堂に来たらよりはっきりと分かったことだが、やはり多くの新入生は緑色の制服を着ている。
少数ながらも白い制服姿の新入生もいるが、赤い制服を着る生徒はさらに僅かだ。
……本当に、どういうことなんだ?
「――以上で〈トールズ士官学院〉、第215回入学式を終了します」
と、その声に視線を向けると、壇上で貴族風の男性はさらに言葉を続けた。
彼が言うには、このあとは入学案内書に従って指定されたクラスへの移動をし、カリキュラムや規則の説明を受ける事になるらしい。
…………入学案内書案内書にそんなこと、書いていたあった覚えがないんだけど?
解散の声を皮切りに立ち上がり移動を始める生徒たちの中に混じり、俺は少し離れた席にいるリィンへと近寄った。
「リィン。クラスなんて書いてあったか?」
声を掛けると、リィンは振り向き緩く顔を横に振って、
「いや、書いてなかったはずだ。だからてっきりこの場で発表されると思っていたんだが……」
「だよな。俺の見落としか記憶違いかとも思ったが、二人揃ってそんなミスをするはずもなし」
俺ひとりで勘違いしてるならまだしも、なんだけどなあ。
思わず頭を掻いて息を吐いていると、式典中にリィンと話していた少年が、目を丸くしたぽかんとした顔で俺を見ていた。
「同じ声に、同じ顔……双子?」
顔立ちがどことなく幼い彼が驚いた様子で零した言葉に、俺はふ、と笑みを浮かべながら頷く。
「そう、双子。驚かせてしまったなら悪い。俺はルイン、そっちのリィンの双子の弟」
どうぞよろしくー、と笑って見せれば、少年は慌てた様子でこちらこそ、と応えて――丁度その時だった。
「はいはーい、赤い制服の子達はこっちに注目~!」
明るい声が耳を叩く。
その声に振り向けば、そこに立っていたのは女性。
式典中に講堂の奥で佇んでいた教官と思しきひとりだった。
「どうやらクラスがわからなくて戸惑っているみたいね。実はちょっと事情があって……君たちにはこれから『特別オリエンテーリング』に参加してもらいます」
………うん? 特別、オリエンテーリング? どういうことだ?
講堂に残った赤い制服の生徒はそれほど多くはないが、呆けたような戸惑ったような声は各所から上がる。
けれども女性教官は気にした様子もなく、というよりは想定内といったほんの少しだけ困ったような顔を浮かべながらも言葉を続け、
「とりあえず全員、あたしについてきて」
歩き出した彼女を追いかけない選択肢はない。
戸惑いながらでも教官を追う同じ赤い制服の生徒たちを追って歩き出した後方で、少年が困ったような声をあげる。
「ホント、どういうことなのかな……?」
「わからないが……」
ちらりとリィンがこちらを見る。
立ち止まっていた俺は強気に笑んで、
「俺達も行こうぜ、リィン。それと……キミの名前は?」
少年が瞬きをひとつ、ふたつ。それから、
「僕は、エリオット・グレイグ」
「ん。じゃあ、リィンにエリオット。早く行こう、ほかの奴らや教官に置いてかれるぞ」
他に行くあても行動の指針があるわけでもなし。ならば動いたほうが吉ってもんだ。
早く早く、と手招きすれば、リィンと少年――エリオットがひとつ顔を見合わせ、小走りでこちらに駆け寄ってきた。
その奥、まだ残っていた数人の貴族の新入生がこっちを見ていたが……今は覚えておく程度で十分だろう。
4.
女性教官に着いてたどり着いたのは、学院の裏手だった。
「ここは……?」
「ずいぶん古い建物みたいだな……」
そこにあったのは、古びた建物。
それを見上げて呆けた声を上げながらも未だ何があるかわからずにいる俺たちの視線の先で、教官は鼻歌混じりで閉ざされていた扉を開け放ち、ひとりで入っていってしまう。
「何がしたいんだろうな、あの教官……」
「さ、さあ……? それに、ここ……何か出そうじゃない?」
少しだけ怯えた様子のエリオットを見て、俺は察した。
俺は察したが、
「そうだな……」
肯定した我がお兄様は多分察してない。
「お兄様はなー、なーんか妙にズレてる時があるんだよなー?」
「うん? 何の話だ?」
「なーんでもない! さ、俺らも早く中に入ろうぜ」
でも俺、時折リィンが見せるポンコツ具合というかズレてるとこが大好きなので、敢えて何も言いません。
俺の兄貴はこのままでいいんだ。変わらんでいいとこは変わらんままで全然いいんだ。うん。
* * * *
落ちている感覚があった。
どん、と強い力で突き落とされるような感覚があったのだ。
それはどうしてだっけ?
考えても思い出せない。思い出せない。思い――思い出した。
「……ごめんな」
その言葉と共に、わたしは突き落とされたんだ。
その苦しそうな表情と言葉と共に、わたしは兄さんに突き落とされた。
大好きな兄さん。
わたしと弟を守り導き、愛してくれた大切な家族。
とっても優しい兄さんが苦しそうにそんなことをするだなんて、わたしたちを決して無為に傷つけることはしない人なのだから、言ってくれさえすればそんな顔をさせることもなかったかもしれないのに。
言ってくれさえすれば。でも言ってくれなくても、そうね。
わたしに出来ることなら、出来る限り頑張るわ。
でも終わったら、兄さんのことを叱らせてね。
何も知らされないままは、寂しいし悲しいもの。
だからね、だから、どうか。
「ねえ、泣かないで、
ああ、なんだか、とっても……ねむい……――。
* * * *
建物の中は静けさに包まれていた。
きょろきょろと辺りを見回していると、教官は俺たちより少し高い場所に登り、
「サラ・バレスタインよ。今日から君たち〈Ⅶ組〉の担任を務めさせてもらうわ。よろしくお願いするわねっ」
にっこりと、それこそ語尾にハートマークでもついていそうな茶目っ気で女性教官――サラ教官は俺たちにそう告げた。
いや、いやいやいや。
「な、〈Ⅶ組〉……?」
「それに、君たち、って……」
「ふむ? 聞いていた話と少し違うな」
「あ、あの教官? この学院の一学年のクラス数は五つだったと記憶していますが……それも身分や出自に応じたクラス分けで……」
戸惑った声を上げたのは眼鏡の少年とエリオット。
不思議そうに首を捻ったのは青髪の少女。
それから眼鏡を掛けた少女がおずおずと問い掛けると、
「流石は主席入学の子ね、よく調べてるじゃない」
サラ教官は嬉しそうに声を弾ませながらさらに言葉を続ける。
「そう、確かにその通りこの学院の一学年には五つのクラスがあって貴族と平民で区別されていたわ――去年まではね?」
「え?」
「今年からもう一つのクラスが新たに立ち上げられたのよ。すなわち君たち――身分に関係なく選ばれた特科クラス〈Ⅶ組〉が」
「特科クラス〈Ⅶ組〉……?」
オウム返しのように口にすれば、サラ教官はしっかりと頷く。
途端、金髪の少女が声を上ずらせるようにしながら問いかけた。
「み、身分に関係ないって、本当なんですか……!?」
けど一方で、
「冗談じゃないっ!」
憤ったような、慌てたような、責めるような、理解が出来ないといったような様子で叫んだのは眼鏡を掛けた少年。
「身分に関係ない!? そんな話は聞いていません!」
「君は、確か……」
「マキアス・レーグニッツです!」
声を張り上げて名乗る少年――マキアスは、そのまま教官に言い募る。
「それよりも教官、自分はとても納得しかねます! まさか貴族風情と一緒のクラスでやっていけっていうんですかっ!?」
「そう言われてもねぇ……同じ年頃の子達ばかりなんだから、すぐに仲良くなれるんじゃない?」
「そんなわけないでしょう……!」
うーん、圧倒的貴族アレルギー的な何かを感じるなー。
ただまあ、彼の気持ちの全てが分かるわけじゃないが、それでも貴族と平民とでは思うよりもずっと垣根はあるんだろうと思う。
こうした場でこんなにもはっきりと暴言を言い放つこと自体は歓迎すべき事ではないけれど、彼にそれほどまでの感情を抱かせるような何かはきっとあるんだろうから。
だから俺は、彼の事情を知らない以上は彼を一方的に責めようとは思わない。思わないんだが、
「フン……」
こうした俺の考えとこの場にいる貴族と呼ばれる身分にある生徒がそれぞれどう思うかは、全く関係がないんだわ。
案の定というべきか、マキアスの言動を鼻で笑ったのは今朝導力リムジンで学院まで来ていた大貴族の子弟らしき金髪の少年。
それが何を意味していたのかなんてもちろんわからない。
だが続く言葉こそなかったが、マキアスにとっては無視出来ない態度だったんだろう。
「何か、文句でもあるのか?」
マキアスが睨むように金髪の少年を見て問うと、彼は表情を変えないままちらりとマキアスを見て、
「別に。平民風情が騒がしいと思っただけだ」
「これはこれは……どうやら大貴族のご子息殿が紛れ込んでいたようだ。その尊大な態度、さぞ名のある家柄と見受けるが?」
「ユーシス・アルバレア。貴族風情の名前ごとき、覚えてもらえなくても構わんが」
「っ!!」
途端にマキアスが驚愕の表情を浮かべた。
金髪の少年――ユーシス・アルバレア。
アルバレアの名は、知識がある者なら知らない者はいないだろう。
「〈四大名門〉……東のクロイツェン州を治める〈アルバレア公爵家〉の子息か……」
このエレボニア帝国の中央部にある帝都ヘイムダルから東西南北に位置する各州を統括する、〈四大名門〉と呼ばれる貴族のひとつ、東部クロイツェン州を治めるアルバレア公爵家。
大貴族の中の大貴族だ。そのへんの貴族とはわけが違う。
それを聞いて、青髪の少女がぽつりと、
「なるほど……噂には聞いていたが……」
こっちのお嬢さんも大概な家柄の気配がするー。
などと少しだけ震えていると、ぐっと奥歯を噛んだマキアスが吠えた。
「だからどうした! その大層な家名に誰もが怯むと思ったら大間違いだぞ!」
マキアスはそのままユーシスを睨みつけ、
「いいか、僕は絶対に――」
「はいはーい、そこまで!」
その先の言葉は続くことなくサラ教官の声と数回の柏手で遮られた。
「いろいろあるだろうけど、文句は後で聞かせてもらうわー。そろそろオリエンテーリングも始めないといけないしね」
言って教官はじっとマキアスを見詰める。
そうして少し、悔しげにながらも既にサラ教官へと向き直っていたユーシスを睨むのをやめて、マキアスもまた教官へと向き直った。
「オリエンテーリング……それって何なんですか?」
「そういう野外競技があると聞いた事はありますが……」
金髪の少女と眼鏡の少女の問いに、教官はすぐには答えなかった。
とはいっても俺たちから何か答えが出るとも思っていなかったんだろうが。
「もしかして……校門で預けたものと関係が?」
いつの間にか考え込んでいたリィンがぽつりと口にした言葉に、サラ教官は少しだけ驚いた様子で目を見張り、それからにんまりと笑い、
「いいカンしてるわねぇ」
後ろ歩きをすると片手を何かに伸ばし、茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。
「それじゃあ――はじめましょうか♪」
刹那、地響きが鳴って、さらに間髪いれることなく変化が起きた。
「え?」
「っ!?」
「しまった!」
床が傾き始めたのだ。
突然の事に誰もが姿勢を崩し、成すすべなく体が滑り落ちていく。
それでもどうにか咄嗟に伸ばした指を僅かな凹凸に引っ掛けられたのは、視認出来る限りでは俺とリィンだけ。視線をやれば既に大半は真下にある暗闇に飲み込まれていた。
運良くまだ落ちてはいなかったらしい金髪の少女も、ついぞ滑り落ちるのを見たリィンが意を決したように飛び込んだのを見送る視界の端で、
「やっ」
しゅるりと下方向から伸びてきたロープか何かを天井付近にある何かに巻きつけたのか、傾く足場を蹴ってぷらん、と中空に浮かんだのは赤い制服を着た生徒の中でも一際小柄な女の子。
それをリィンは落ちてしまったし、と諦めて落ちることを選びながら眺めていると、少しして彼女もまた落下してくる様子が見えた。
許されなかったんだなー、そうだよなー。
オリエンテーリングだって言ってたもんなあ。
苦笑をしながら見上げていると、猫のようにしなやかに姿勢を変えた女の子が俺の苦笑を見てだろう、残念そうに溜息をついた。
この先めんどくさい気配しかしない、ってめちゃくちゃ伝わってくるけど頑張ろうな、猫みたいなお嬢さん。