1.
七耀暦1204年、4月17日。
第三学生寮。
学院生活は気付けば特別オリエンテーリングを擁した入学式から、二週間過ぎていた。それもあっという間だ。
文武両道を掲げている士官学院なのだから当然だが、戦闘訓練はもちろん勉学の内容も高度そのもので、エリオットがうんうんと頭を悩ませている姿を見るのも慣れたものだ。
もちろん俺も似たようなもの。
幸運にも〈Ⅶ組〉には主席入学者と次席入学者がいるし、他にも好成績をおさめたやつらが多いから素直に助けられてはいるけど。
「エマ! と、アリサもいたのか、丁度良かった!」
身支度を済ませて向かった寮の玄関先で談笑する二人の女の子の姿を見て、俺は少しだけ張り上げる。
すると二人――エマとアリサは俺を見て、その表情を和らげてくれた。
「おはよう、ルイン」
「おはようございます、ルインさん」
「ああ、おはよう、二人共」
小走りに駆け寄りながら挨拶を済ませると、アリサが不思議そうに首をかしげて、
「それで、丁度良かったって言ったけれど、何か私達に用でもあったの?」
「用事っていうほどの用事、ってわけじゃないんだけど、此処。此処がいまひとつわかんなくてさあ、ちょっとアドバイスをもらえれば、って思ってたとこにエマとアリサがいて、ラッキーって感じだな」
手にしていたテキストを見せつつ指でその箇所を示すと、エマとアリサはそこを覗き込み、
「此処は、こちらと基礎の部分は同じなので……」
「え? どこ?」
「こっちの、ここ。確か、ルインは基礎の部分は出来てた筈だから、応用の方法をちゃんと覚えればすんなり解けると思うけど」
「んえ……? ……うん。これは分かる」
「でしたら、此処のポイントを忘れなければ……」
「…………あ。あー! なるほど! そういうことかあ!」
丁寧に示して教えてもらいながらテキストとにらめっこをすると、確かにすんなりと理解ができて思わず大きな声が出た。
ハッとして口元を抑えてエマとアリサを見遣ると、彼女たちはキョトンとした表情を浮かべていたかと思えば直ぐに吹き出すように微笑み、
「ルインは大袈裟ね」
「……これでもまだ抑えてる方なんですけど」
「そうなんですか? でも、ルインさんらしくて良いと思いますよ。いつも元気で、明るくて」
「いやいや。無駄に騒がしいだけだよ、俺は。リィンによく叱られてんのも知ってるだろ? 家では妹にも叱られてたんだから」
嘘はひとつも言ってない。
二週間の間に俺は何度もリィンに叱られているし。実際に実家では妹にも叱られてたし。
だが目の前のいる優しいクラスメイトたちは気にしてない、と言わんばかりに微笑むだけなものだ。
君達はまだ付き合いが短いからそんな顔出来るんだぞぅ!
と、そんな事を思っていた時だ。
後方から足音がふたつ近づいてきたと思ったら、気付いて視線を遣ったアリサの表情が歪んだ。それとは対照的にエマが笑顔を浮かべ、丁寧にお辞儀をする。
「リィンさんにエリオットさん。おはようございます」
俺も振り向くと、そこにはリィンとエリオットの姿。
「おはよ。リィン、エリオット」
片手を上げて挨拶をすると、リィンは何とも形容し難い表情で、エリオットは苦笑混じりに、
「ああ……おはよう」
「おはよう。アリサ、委員長、それにルインも」
エリオットの言う委員長とはエマのことだ。
なぜそう呼ばれているかといえば、何を隠そうエマが〈Ⅶ組〉の学級委員長だからである。
だから、委員長。
俺はそう呼ぶことはあまりなく、エマって呼んでるけど。
「三人とも何をしてたの? そろそろ登校しないといけない時間だと思うけど……」
と、不思議そうに首をかしげたエリオットに、俺は手に持ったままのテキストを見せつつ、
「ちょっと勉強を教えてもらってたとこ。少しわからないところがあって、丁度玄関で二人を見掛けたから」
「教えた、といってもほんの少しアドバイスをしたくらいですけど」
「そのほんの少しのアドバイスが助かるんだよ」
小さなつまづきは、後の大きな問題に繋がりかねないわけだし。それをわかりやすく教われるのはめちゃくちゃ助かるんだぞ?
そういえば感謝の言葉を言ってなかったな、と思い出して二人にありがとうと告げると、エマとアリサは小さく微笑みながらどういたしまして、と言って、
「エマ、そろそろ私たちも行きましょ」
「はい。それじゃあ、また教室で」
そのまま玄関から出て行く二人を見送ると、俺のお兄様が溜息を吐きながらがっくりと肩を落としたのであった。
「思ったよりも長引いちゃってるみたいだね」
そう言葉を掛けるエリオットの表情は、困ったようなそれだ。そしてリィンは何も答えられずに項垂れたままである。
リィンとアリサの間にある溝は、この二週間変わらないままだ。
というのも、リィンが謝ろうにもアリサに避けられ続けているものだから、その機会すら得られないままなのである。
とはいえアリサももうアレが不可抗力の事故だったことはわかっていると思うんだけどなあ。
だからといって外野に出来る事は何もない。一応俺も、エマやエリオットなんかも心配はしてるし、手を尽くしてはいたんだけど、力及ばなかったよな!
「ユーシスとマキアスも変わらないどころか悪化してるもんなあ」
リィンとエリオットと並んで通学路を歩きながらぽつりと零すと、エリオットがああ、と困ったような声を発した。
「二人が同じ場所にいると、空気が緊張するんだよね……」
「話してみるといい奴らなんだけどなー」
「ルインって肝が座ってるっていうか、怖いものなしって感じだよね」
まあ、こればかりは人によるといえば人による捉え方なんだろう。
エリオットは未だにユーシスとラウラには遠慮がちだし、傍から見ても緊張しっぱなしだ。
本人たちが気にしてないのだから気にする必要はないとは思うが、本来ならば平民クラスに入り、貴族クラスの生徒とは最低限の接触しかなかったであろうことを思えば仕方ないといえば仕方ないんだけど。
「ユーシスの方も無用に挑発的だから……そう簡単には打ち解けられないだろうな」
どちらかといえば、ユーシスとマキアスの方が外野に出来る事はない。
せいぜい一触即発な雰囲気になりがちな二人を、そうなりかけた時には引き剥がすくらいが出来る最大限だ。
だから早いところリィンとアリサには仲直りしてもらいたいけど、それもいつになるやら、とリィンを横目でちらりと見つつ、視界に入った建物から出てくる緑色の制服の生徒――平民クラスの生徒の姿が見えた。
平民出身の生徒が住む〈第二学生寮〉。
そして貴族クラスの生徒が住む〈第一学生寮〉。
本来なら俺たちもエリオットも、それにほかの奴らもそれぞれこれら二つの学生寮に入寮するはずだったんだろうが、現実には〈Ⅶ組〉である俺達はこのふたつの寮ではない〈第三学生寮〉に入寮し、生活している。
第三学生寮は俺たちが入るのに合わせて古い空家を改装したもので、雰囲気も悪くないし清潔ではあるんだが、学院からは一番遠い場所にあるのが善し悪しってところだ。そういうのも含めて俺は気に入っているけど。
なんて考えていた時のことだった。
「――邪魔だ。どくがいい」
不意に聞こえた声に俺達は足を止め、声の聞こえた方へと振り返る。
そこにいたのは、三人の白色の制服を身に纏った学院生――貴族クラスの生徒だった。
……うん?
というか、こいつら確か入学式で俺たちを見てた奴らのような……?
「フン……〈Ⅶ組〉の連中だったか」
ゆったりとした足取りで歩いてきた三人組の先頭に立つ金髪の生徒が、俺たちを見てそう言った。
そのまま足を止めた三人組――主に先頭の金髪の生徒は俺たちを無言のまま値踏みするようにして眺めると、
「フッ……所詮は寄せ集めの連中か。行くぞ、みんな」
「はい、パトリックさん!」
「まあ、せいぜい分を弁えるんだな」
終始上から目線の言動をしながらそのまま去っていったのだった。
「……なにあれ?」
「……さあ?」
指はささずも問いかけるけど、リィンが答えを知るはずもなく。何せあんな知り合いはいないからな。
「貴族クラスの生徒かあ。……やっぱり緊張するなぁ」
「まあ、貴族といえば今みたいなのが普通だからな」
「そう考えると、ラウラもユーシスもとっつきやすいって思わないか?」
「あはは、そうかもね」
深く息を吐いたエリオットに問い掛けると、一瞬きょとんとして直ぐに笑顔で首肯してくれて。
予鈴が鳴り響いたのはその直後のことだった。
2.
始業のチャイムが鳴り、エマの声で礼を済ませれば授業が始まる。
「――皆さんもご存知のように、かつてエレボニア帝国は存亡の危機に瀕していました」
そう話し始めたのは眼鏡を掛けた教官。
歴史を担当するトマス・ライサンダー教官だ。
教官が話し始めたのは帝国に住んでいれば子供でも知っている〈獅子戦役〉という逸話のこと。
250年前に起きた、時の皇帝亡き後に帝位を巡り、有力な帝位継承者たちが数年にわたって繰り広げた内戦。
それが〈獅子戦役〉だ。
この内戦は長期化し、各地の有力貴族も巻き込み泥沼の様相を呈した。多くの傭兵は野盗化し、略奪を行う騎士団すら現れたくらいには。
当然国土は荒れ、人心は乱れていく。
そんな中、民を顧みずに続けられた骨肉の争いに終止符を打つべく、ある一人の流浪の皇子が辺境の地で立ち上がった。
それが――ドライケルス・アルゼ・ライノール。
第73代エレボニア皇帝にして、〈獅子心皇帝〉とも呼ばれる中興の祖。この士官学院の創設者でもあるその人だ。
ドライケルス軍は挙兵当時は非常に少数だったが、帝国各地で人心を掴み心ある実力者たちの協力を得ることで、一大勢力にまで上り詰めた。
「そのドライケルス皇子が最初に挙兵した地ですが……」
と、トマス教官は手元の教科書から視線を外すと教室にいる俺たち全員を順に見て、
「リィン・シュバルツァー君。その地がどこか、ご存知ですか?」
穏やかな声音でリィンに問いを投げ掛けた。
リィンは少しだけ考えた後に立ち上がり、はっきりと答える。
「〈ノルド高原〉――帝国北東に広がる高原地帯です」
「おお、よく知っていましたね」
トマス教官は関心したような声をあげ、リィンが席に着きなおすのを見届けると更に話を続けていく。
当時ドライケルス皇子は放浪の果てに異郷の地ノルドで遊牧民たちと暮らしていたが、帝国本土での内戦を聞き遊牧民の協力を得て挙兵したのだ、と。
その話を聞きながら視線を遣ると、ほっと安堵した風のリィンの隣の席についているアリサの机の上に置かれていたノートが、何故かリィンに見えるように開かれていた事に気付いた。
当のリィンは気付いていなかったみたいだが、なんかこう微笑ましいというかいじらしいものを感じるよな。
でもうちのお兄様は手強いからなあ……これが仲直りのきっかけにでもなったら良かったんだろうが……。
「(うちのお兄様はそういうとこ、てんで駄目なので)」
筋金入りよ、筋金入り。
郷、というか実家でもよくあの子に的外れなことをしてたもんなあ。……わかりやすいものでもダメなんだからダメなんだと思うよ、うちのお兄様。
いつか見てみたいもんだよなあ、そういう駄目なものに逆に四苦八苦してるリィンの姿。
……おもしろがったりしてないよ?
面白がったりしてないし、本当にそういう姿を見れても面白がったりしないしない。
俺はリィンの幸せを心から願い、過ごしていますので。
日が傾き始めた夕方。
学院での一日が終わる、そんな頃。
「おつかれさま。今日の授業も一通り終わりね」
チャイムとほぼ同時に始まったホームルームは、サラ教官の愛嬌たっぷりなその言葉から始まった。
放課後の前にはこうしてサラ教官が改めて今日や明日以降の予定を改めて告げてくれる。
なので、今日のサラ教官の口から告げられたのも明日が〈自由行動日〉であることを最終確認する内容だ。
〈自由行動日〉と聞くと休日のようにも聞こえるが、厳密には休日ではない。
けど授業はないし、何をするにも生徒たちの自由に任せられている、それが〈自由行動日〉だ。
「帝都に遊びに行ったっていいし、何だったらあたしみたいに一日中寝てても構わないわよ?」
サラ教官は本気か嘘かわかんないこと言うけど、これは本気な気がするのが恐ろしいよなあ。
それはさておきとして、〈自由行動日〉にも学院内の施設は開放されているらしい。
クラブ活動もこの日に行われていることが多いようで確認しておくように、との言葉に反応を示したのは既にクラブに参加しているガイウスやラウラだが、俺は特定のクラブに入る予定はないしリィンも決め兼ねているようだから、これはあまり関係ないだろう。
「それと、来週なんだけど……水曜日に〈実技テスト〉があるから」
「〈実技テスト〉……それは、具体的には一体何を?」
「ま、ちょっとした戦闘訓練の一環ってところね、一応、評価対象のテストだから体調には気をつけておきなさい」
なまらない程度に体を動かしておくのもいいかもしれない、と言葉を付け足したサラ教官に対する反応は様々だったが、否応なくその日は訪れるものだし、忘れないようにはしておかないとなあ。
……大あくびをするフィーちゃんは聞いてますかね。
大丈夫でしょうか。俺は心配です。
「そして、その実技テストの後には、改めて〈Ⅶ組〉ならではの重要なカリキュラムを説明するわ」
と、少しだけ真剣な面持ちで告げられた内容に、教室内に少しだけ緊張が張り詰めた。
ついにか、というのが本音だ。
というのもこれまでは別段特別なカリキュラムなど組まれていなかったのだから。
「ま、そういう意味でも明日の自由行動日は有意義に過ごすことをお勧めするわ」
にっこりと笑って、サラ教官はホームルームの終わりを告げる。
挨拶を任せられた副委員長――マキアスが号令を取れば、ひとりまたひとりと立ち上がって教室を後にしたり、談笑し始めたり。
俺はといえば、まあ言うまでもなくリィンの席に近付いて、同様に集まってきたエリオットとガイウスも交えて言葉を交わすのであった。
3.
「〈実技テスト〉かぁ……ちょっと憂鬱だなぁ」
エリオットが言いながら肩を落とす。
未だに魔導杖を上手く使いこなせていないと感じているエリオットにとって、戦闘訓練は変わらず苦手な分野らしい。
俺から見れば十分頑張ってるし、十分な実力はついていると感じるんだが、苦手意識って払拭するのは大変だもんなあ。
「そんなに心配なら、一緒に稽古でもしておくか?
背中をぽふぽふと叩きながら励ましていると、リィンがエリオットにそう投げ掛けた。
それを聞いたエリオットは顔を上げ、けれども申し訳なさそうな表情のまま、
「ありがたいんだけど、実はこのあとクラブの方に顔を出そうと思ってるんだ」
「あれ? もうクラブを決めたのか?」
今朝はまだ決めてない様子だったのに、意外な返答に聞き返すと、エリオットは首肯をひとつ。
「うん、吹奏楽部だよ。といっても、担当するのはバイオリンになりそうだけど」
「へえ……バイオリンなんて弾けるのか。趣味でやっていたのか?」
「えへへ、まあね」
笑顔を浮かべてリィンの言葉に答えるエリオットは、どこか誇らしげだに見えた。
きっとエリオットにとって吹奏楽は間違いなくやりたいことなんだろう。
「ガイウスはどの部に入るか決めたの?」
と、エリオットに見上げられたガイウスは柔和な表情を崩さないまま頷き、
「オレは美術部というところに入ろうと思っている」
「それは少し意外だな……絵とか描くんだな……」
「故郷にいた頃に趣味でたまに、程度にな。ほぼ我流だから、きちんとした技術を習えるのはありがたいと思ったんだ」
「そっかぁ……」
「ちょっと見たい気もするな」
俺も大変興味がある。
良ければそのうち見に行っても大丈夫だろうか、と機構としたその時。
「よかった、まだ残ってたわね」
そう声を掛けられて振り向くと、そこにはサラ教官の姿。
「サラ教官?」
「どうしたんですか?」
エリオットが至極当然な疑問を口にすると、サラ教官は眉を下げて笑いながら頭を掻きつつ口を開いた。
「いや~、実は誰かに頼みたいことがあったのよ。この学院の〈生徒会〉で受け取って欲しいものがあってね」
「受け取って欲しいもの? 生徒会で、ですか?」
「学院生活を送る上で欠かせないアイテムを、ね。誰でも良いから全員分、受け取ってきて欲しいのよ」
大事なものなら忘れてはダメだったのでは、というツッコミは野暮だよね、知ってる。
でもそうか、誰かが受け取りにいかなきゃならないなら、そうだな。
「リィン、俺は大丈夫だけど?」
「ああ、助かる。サラ教官、俺とルインで受け取りに行ってきますよ」
見遣り声を掛けた先、リィンがサラ教官にそう言うと、エリオットとガイウスが驚いたように俺とリィンを見た。
「え、でも……」
「いいのか?」
「二人はこれからクラブの方に行くんだろ? 俺とリィンはまだ決めてないし」
「見学がてら受け取ってくるさ」
「そっか……じゃあ、お願いしようかな」
「よろしく頼む」
「ああ。お願いされたし、よろしく頼まれました」
に、と笑んで見せると、エリオットとガイウスも小さく笑ってくれて。
「生徒会室は、この本校舎の隣の〈学生会館〉の二階にあるわ。遅くまで開いてるはずだから、最後に訪ねても大丈夫よ」
遅くまで開いてる、ってそれは一体……?
気にはなっても笑顔のサラ教官に聞き返すことも出来ず、かくしてこの放課後は生徒会室に赴くことになったのだった。
さてさて、生徒会室は本校舎の東隣にある学生会館の二階にあると聞いたが。
「急ぎの用ではないっぽいし、学内を少し散策してから向かわないか?」
本校舎を出たところで隣を歩くリィンにそう問い掛けると、リィンは悩む様子もなく、
「ああ、いろいろ見て回ってみよう。……ただし、あまり遅くならない程度にな」
「もちろん!」
いくら遅くまで開いてるって言ったって、誰かがそこにいるのなら負担にならない頃に訪問すべきだろうからな。
にんまりと笑って頷くと、リィンは小さく微笑んでくれた。
トールズ士官学院には、いろんな教室のある本校舎以外にも施設がある。
分かりやすいのは講堂とグラウンド。
講堂は入学式といった式典で利用される施設で、普段はそこまで世話になることはないし、出入りもそうそうしない。
グラウンドは実技にも使われる運動場で、授業以外では馬術部とかラクロス部といった運動部が主に使っている。
これ以外には
技術棟はオーブメントを整備するための設備が揃ってて、技術部が管理しているそうだ。
図書館はそのまんま、図書館。資料や書物を閲覧出来るし、自習スペースがある。
学生会館はその名のとおり、学生が集う為の施設で、一階には食堂と購買がある。生徒会室があるっていう二階は文化部と呼ばれるクラブの部室が、三階には貴族生徒専用のサロンがあるが、ここはあまり世話にはならないだろうなあ。
「広いよなあ、この学院」
あちこちを適当にほっつき歩きながら呟くと、リィンが不思議そうに首を傾げる。
「迷子になりそうか?」
「流石にその可能性はないかな。最初の頃は正直思ってたけど」
「やっぱりか」
そりゃこの広さだもん、思わないわけ無いでしょうよ。覚えてきた今では、そういう不安や心配はないけど。
吹き出すように笑って、そういえばとリィンを見遣る。
「どうせだし、吹奏学部と美術部の方にも行ってみるか?」
「迷惑にあるかもしれないからやめておこう。そのうち二人に聞いてみてから、はどうだ?」
「それでいいよ。むしろさっき、それをガイウスに聞いてみようかと思ってた」
他愛ない会話だ。
本当に他愛なくて、どうでも良いような会話。
そうした話しをしながらさらっと歩き回って、のんびりと辿りついた学生会館前。
「此処の二階に生徒会室があるとは聞いたが、具体的にどこにあるかは……」
「リィンが知らないのに、俺が知るわけないぞー?」
「だよな」
入口前で並んで建物を見上げながら言葉を交わしていると、
「よ、後輩君」
不意に飄々とした声が掛けられた。
名前を呼ばれたわけじゃない。けど俺たちに対して掛けられたのだとわかったのは、近くに俺たち以外の姿はなかったからだ。
「お勤めゴクローさん」
振り向いた先から歩いてきたのは荷物を肩に掛けた男子生徒。
バンダナをしたその青年は緑色の制服を着ているから平民クラスなんだろうが、見覚えのない先輩らしき生徒だ。
はて、俺にはこの学院の先輩に知り合いはいないし、せいぜい顔を知っているのは入学式の日に校門で迎えてくれた二人くらいなものなのだが。
リィンは知っているだろうか? と見ると、同じ事を考えていたらしいリィンと目が合って、同時に首を横に振って互いに知り合いではないと教えるだけとなった。
「入学して半月になるが、調子のほうはどうよ?」
にも関わらず、バンダナをした先輩はさも当たり前のように親しげに問いかけてくる。
このお構いなしにグイグイくる感じ、俺は嫌いじゃないです。むしろ尊敬できるぞ、その遠慮のなさ。
まあ、リィンには戸惑いが強い相手かもしれないけど。
流石に初対面の先輩を、俺相手みたいに雑には扱えないもんな。
「あ、ええ……正直大変ですけど、今はなんとかやっている状況です」
「授業やカリキュラムが本格化したら目が回りそうですけどね」
「はは、わかってんじゃん」
至極楽しげにバンダナの先輩は笑う。
銀灰色の髪を僅かに揺らしながら、少しだけ目を細めて先輩は言葉を続けた。
「特にお前さんたちは色々てんこ盛りだろうからなー。ま、せいぜい肩の力を抜くんだな」
「は、はあ……」
うーん……、うーん?
応援をしてくれているのだとは思う。
それは俺たちを後輩と見てってのも確かなんだろうけど、それ以外にも何かありそうな含みを感じるような違和感があった。
だからといって悪意は欠片もなさそうではあるんだけど。
「あのー……お名前を伺っても?」
困惑しきりのリィンの横で、いくらノリは嫌いじゃなくても流石に名前も知らないままでは不便だし、と思って首を傾げると、バンダナの先輩は変わらず楽しそうに口を開いた。
「まあまあ、そう焦るなって。まずはお近づきの印に、面白い手品を見せてやるよ」
「手品……?」
思いもよらない言葉に聞き返した俺も、それにリィンも同時に首を傾げると、先輩はおかしそうに笑いながら50ミラを貸してほしい、と俺たちに言った。
それに先に応じてコインを取り出したのはリィンだ。
リィンが取り出した50ミラを受け取った先輩は、リィンに短くサンクス、とだけ言って荷物を降ろし、
「そんじゃあ――よーく見とけよ?」
直後、彼は俺たちの前で指に乗せたミラコインを弾き、中空に舞わせると、落下するそれを素早くも簡潔な動作をもって左右のどちらかの手でキャッチしてみせると、
「さて問題。右手と左手、どっちにコインがある?」
先輩はにっ、と口角を上げて強気な笑みを浮かべながら俺たちにそう問いかけてきた。
きょとり、目を瞬かせる俺とリィン。
それからはからずも互いに顔を見合わせる。
顔を付き合わせて、左右のどちらもだなんて選択はできないし、とミラコインを渡したのはリィンなのだからと回答を促すと、リィンはひとつ頷き口を開いた。
「左手、ですか?」
と、リィンからの回答を受けたバンダナの先輩は、笑みを浮かべたまま両目を閉じて、
「――残念、ハズレだ」
言いながら開いた左手には、確かにコインは乗っていなかった。
それを見てリィンは至極素直に参りました、と呟く様に言ったが、少し待って欲しい。
「せんぱーい? そもそもこれって、手品、ですよね?」
この青年は俺たちに手品を見せる、と言ってミラコインをリィンから借りて先ほどの動作を取り、問いを俺たちに投げ掛けてきた。
であるのならば、彼がいま俺たちに見せてくれたのは手品以外の何物でもなくて。
つまりはそういう事なんじゃなかろうかと首を傾げると、先輩は俺を見てにんまりと笑って、
「お、察しが良いな。そういうこった」
普通に考えれば50ミラが握られている筈の右手が開かれるが、そこには何も乗っていなかった。
あ、やっぱり。
と右手から先輩の顔に視線を移すと、先輩はどこか誇らしげに笑みを浮かべて言葉を続ける。
「フフン。まあ、その調子で精進しろって事だ。せいぜいサラのしごきにも踏ん張って耐えていくんだな」
「……先輩? もしかして、先輩も俺たちのオリエンテーリングに一枚噛んで、」
先輩、サラ教官のことサラって言わなかった?
というか、いくらこの制服が〈Ⅶ組〉だっていう分かりやすい目印とはいえ、どうにも訳知りの口ぶりのようにしか感じないんだけど?
続けられた言葉に疑問が生じて口に出すが、バンダナの先輩は気にした様子もなく荷物を手にして、
「ああ、そうそう。生徒会室なら二階の奥だぜ」
「ちょっと、先輩? 俺の話聞いて、」
「そんじゃ、よい週末を」
「ちょっ、せんぱーい!? 名前さえも聞いてませんけど教えては貰えずですかー!?」
妙に様になったウインクを披露してそのまま去っていったのであった。――俺の話を綺麗に受け流して。
「ルイン、どうどう」
「どうどうじゃないんだよ、リィン……」
いやまあ、別にいいんだけどね?
あの先輩はことこの件に関しては悪巧みとかしてなさそうっていうか、そもそもそんなことに使えるような事でもないし。
何なら一番知っておきたかったのは先輩の名前だけど、それも出来ればってくらいだからな。……それでも叶うなら裏事情を知りたかったけど。
俺は小さく息を吐きつつ、宥めるように背をぽふぽふと叩いてくれる呑気なリィンを見遣り、
「というか、お前さ? あの先輩に50ミラ持ってかれたって、気付いてる?」
「……あ」
聞いてください、うちのお兄様はどこか変なところでポンコツを発揮するんです。
普段は本当にしっかりしてる、自慢の兄貴なんだけどね?
でもそれに安心する俺がいるので、やっぱりこういうとこは変わって欲しくないな。リィンが駄目な時は、俺がそこはかとなく頑張ればいいわけだし。
やられた、と言った様子で眉を顰めて肩を落としたリィンを見て、俺は眉を下げて吹き出すように笑いながらそんな事を思っていた。
本格的な本編の開幕となる1章、開幕です!
アニメもなかなか面白そうだなあ、という勢いでの更新です。
リィンと同じ顔に同じ声や背格好ながらも確かに別人であるルインの視点での学院生活を、どうぞ楽しんで頂けましたら嬉しいです。
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