――――夜の町。提灯の灯り。笛の音。 少年は夏祭りの喧騒を歩いてゆく。
※この作品は「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています。

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夏祭り

 

 

 夏祭りだった。

 

 

 空は薄暗い。町は夜を迎えようとしている。並んで吊るされた提灯の照らす商店街だけが明るく賑わっていた。どこからか笛の音が響いている。

 夏の夕暮れ時に流れる生暖かい空気が頬を撫でた。

 

 少年は、年に一度しかないこの日を待ちわびていた。

 

 辺りを見渡せば通路の両側にずらりと出店が並んでいる。射的や金魚すくいも面白そうだ。りんご飴やチョコバナナなど、甘いもので舌を喜ばせるのもいい。

 あまり楽しみにしていたものだから、いざその時になってみると迷ってしまう。心の中で沢山の声がせめぎ合っていた。

 

 懐事情が狭いこともある。

 少年は半ズボンのポケットに手を突っ込んだ。百円玉硬貨が六枚入っている。

 料金はどこも二百円くらいだから、まわれる店は三つだ。

 少年は胸の内で議論を尽くした。

 

「いらっしゃい。一回二百円。ポイは一度だけ換えられるよ」

 彼が最初に足を運んだのは金魚すくいのお店だった。少年はいかにも祭り好きそうなおじさんにお金を渡した。頭に鉢巻きをしていて、背中に赤い文字で「祭」と描かれた法被を着たおじさんだった。

 

 目前の子供用プールに目を落とす。数えきれないくらいの金魚が窮屈そうに泳いでいる。赤や橙の鮮やかな色彩が、水中で光を照り返して煌いていた。

 

 少年はポイを構えた。中くらいの赤い金魚を狙う。前に、端っこのプラスチックでできた部分を使えば掬いやすいと聞いた。網を少し傾けて、水上を掠めるように滑り込ませる。

 バシャッと水の弾ける音がした。

 

「あ」

 

 網に乗りかかった金魚は器用な動きでぬるりと逃げてしまった。焦って掬い直したら、今度は網が破けてしまった。

「残念。ほら、もう一本」

 鉢巻きのおじさんがポイの換えを渡してくれる。

 

 少年は深呼吸して心を整える。無理はせず小さいのを狙うことにする。先程と同じやり方で網を滑らせる。

 

「お」

 

 少年の小指くらいの金魚が網に乗った。掬い上げると、水滴を飛ばしながらぴちぴちと跳ねている。

 少年は急いで金魚を椀に移した。

 

「よかったな、ボウズ」

 おじさんがにこやかに言う。

「うん」

 

 少年はプールの中を見て、どこか感心したように言った。

「おじさん。こんなに小さいプールなのに、こんなに沢山の金魚が泳げるなんて凄いね」

「そうだなぁ。俺達はこんな風に入れねえからなぁ」

 おじさんも金魚たちを見つめて感慨深そうに答えた。

 

 少年は金魚の泳ぐ透明な袋を片手に歩き出した。

 

 食べ物を売っているお店を探した。綿飴を作っているのが目に留まった。

 お店の人が機械の上で細い棒をくるくると回していた。するといつの間にか白くてふわふわしたものが纏わりついている。

 

 けれど、それは少年が何度も繰り返し目にした光景だ。彼の歩みを留めたのは、もっと別のことだった。

 少年と同じくらいの女の子が、綿飴が作られているのをじっと見ていた。

 女の子はおかっぱ頭で、紺色の浴衣を着ている。淡い桃色の花柄が散りばめられている。

 

「ねえ、どうしてずっと見ているの?」

 

 少年は何となく話しかけてみた。

 

 女の子は綿飴のお店に目をやったまま薄い唇を開いた。

 

「美味しそうだなって」

「面白いから、見ているのではないの?」

「ううん。もう何回も何回も見てきたから」

「綿飴が食べたいの?」

「うん」

「お金がないの?」

「うん」

 

 女の子と話していたら少年も綿飴が欲しくなってきた。

 少年は残ったお金の半分で綿飴を買った。

 

 もふもふと白い塊は雲のようだ。空に浮かぶ雲を食べる様子を想像したら、少し不思議な気分がした。

 女の子の所に戻って来ると、口をつける前に聞いてみる。

 

「少し食べる?」

「ううん。私はだめだから」

 少年は足元に視線を下げて、それからもう一度女の子に目を向けた。

「そっか」

 

 少年は綿飴を頬張りながら歩き出した。口に含むと、ふわふわした感触が途端に溶けて甘みが広がってゆく。やっぱり雲や霞を食べているみたいだと思った。

 

 女の子は付いてきた。

 

「あのね」

「何?」

「向うに珍しいものがあるから、一緒に見に行こうよ」

「いいよ」

 

 もう二百円しか残っていない。すぐに使い切ってしまうのもつまらないので、女の子に付き合うことにした。

 

 女の子は迷いなくどこかへ向かって歩いてゆく。少年が綿飴を食べ終えても、女の子はまだ足を止めない。やがて明りに賑わう商店街から外れた。暗い林に踏み込む。木々の隙間から漏れるわずかな月の光だけが頼りだった。

 

 女の子は歩くのが早かった。少年は先を行く女の子の背中を見失わないように追いかける。左の腕に提げた金魚の袋がたぷたぷと揺れていた。

 

「どこに向かっているの?」

「もうすぐだよ」

 

 女の子は林の奥へ奥へと歩を進める。

 やがて足を止めて振り返った。

 

「ついたよ」

 

 周りを見渡しても鬱蒼として不気味な木々があるばかりで、目に留まるものはない。暗かったのと、少し俯いているのもあって女の子の表情は見えなかった。

 

 少年は窺うような声色で尋ねる。

 

「ここがそうなの? 何もないよ」

「そんなことないよ」

「じゃあ、何があるの? 教えて」

 

 女の子は口元にうっすらと微笑を浮かべた。

 

「それは――――――それはね」

 

 女の子が顔を上げた。

 

 

 

 

「あなたの体よおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 

 

 

 やまんばのように口の端が吊り上がっていた。風のような速さで少年に迫る。女の子の足元は透けていて、その体は地面から浮いていた。狂喜の笑みと共に白い手が伸ばされる。

 

 女の子の指先が触れる寸前だった。少年は押しとどめるように片手を前に挙げた。

 

「いや、もう満員だから」

 

「え」

 女の子の動きが硬直する。ふんわり浮遊したまま固まっている。しばらくして相貌から笑みが消える。 

 女の子は悲しそうに呟いた。

 

「また外れかぁ。残念だな」

 

 女の子はしょんぼりと肩を落として祭りの喧騒に帰っていこうとする。

 少年はその背に呼びかける。

 

「どうしてこの子にしたの? 女の子を誘えばよかったのに」

「だって、商店街で見かけた女の子は誰も空いてなかったのだもの。だから我慢してその子にしようと思ったのに」

 少年は頷いた。

「それなら、金魚掬いのおじさんが、まだ何人か入れそうだったよ」

 

 女の子は不機嫌そうに顔を顰めると、べーっと舌を出して見せた。それから音もなくすうっと林の中に消えていった。

 

 少年も来た道を引き返し始める。ポケットに残っているのは二百円。次で最後だ。使い道は決まっていた筈なのだけれど、直前になると心が揺らいできた。

 少年の中でまた沢山の声が騒ぎ出す。

 娯楽に楽しむのもいい。美味しいものを食べるのもいい。

 

 さて、今年は何で締め括ろう?

 

 年に一度の夏祭り。

 

 彼らが深い眠りから目覚めて生者に還れる日。

 

 昨年の今日が過ぎ去った時から待ち焦がれていた。

 

 祭りはまだ終わらない。

 

 

 

 時計の針が十二時を回って、再び彼らが眠るその時まで。 

 

 

 

 


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