原作前から始まって、原作突入前に完結します。
かなりの独自解釈、独自設定、原作改変を含みます。
全11話(本編9話+2.5話、4.5話)予定。
例えば、目の前で話している人物が、私は前世の経験を持っている、なんて言ったら頭がおかしい人だと大抵の人は思うに違いない。
かつては、私もそう思っていただろう。
だが実際に、私――
とは言っても、私が前世でいったい何者かと言った、自分自身のことに関してはほとんど覚えていない。
前世でどのように生まれ、どのような家族を持ち、どのような友人がおり、どのようにして生まれ変わることなったのか。そういった記憶は綺麗さっぱり抜け落ちているのある。
前世では私が男だったか、女であったかすらはっきりしない。
まあ、今世では立派な女の子であるため、前世が男であったというのはあまり考えたくない話である。
ではでは、どういう事を覚えているかというと、一般常識や国語数学理科社会と言った学問、スポーツでの体の動かし方など、自分以外の事に対しては大抵のことは覚えている。
自分で言うのもなんだが、これはいわゆる転生チートに近いものがあるのではないだろうか。
おかげで幼稚園では運動もお遊戯も楽勝だ。体力こそ幼稚園児そのものではあるので、勉強とあわせて、ありあまる時間と大人相当の集中力を活かして伸ばしていきたい。
特に勉強は大切だ。将来なにを目指すにしても基礎学力、知識は絶対必要になる。
ただ、周りの大人達に怪しまれないようには気をつけよう。
そんな風で、幼稚園ではお友達もできて、こっそり難しい勉強もしたり、ピアノの教室にも通って先生や両親にも上手だと褒められたりと順調に過ごしている。
そんな私にも、一つ。幼稚園で気になることがあった。
はしゃぎまわる子供達の中、いつも一人でいる男の子。
最初のうちこそ、それなりに他の子供達と一緒にいることもあったが、すぐに一人でいることがほとんどになった。
名前は、
また子供ながら、整った顔立ち。子供とは思えない、落ち着いた性格に、整った所作。
外見こそ幼稚園児でありながら、はっきり言って、幼稚園児とは思えない男の子。
周りの子達や先生に気を遣いながらも、一歩引いた態度がますます子供離れした印象を与える。
――そんなやけに大人びた男の子は、私にはどこか寂しげに見えた。
「ねえ、鳴海くん」
「……えっと、深山さんだっけ?」
鳴海くんに注目していた私は、当然鳴海くんの名前を知っているけど、今までほとんど交流のなかった子の名前をしっかり把握し、冷静に対応する。
こんなやけに大人びた所が、周りの子達との距離を作っているのだろうか。
「うん! わたし、すばる!
「で、なにか用?」
「鳴海くんっ、あそぼ!」
「なんで?」
「あそびたいから!」
「いいかげんだな、おい」
普通は幼稚園児が遊ぶのに理由なんて求めないよ、鳴海くん。
「別に、俺に構わなくていいよ」
「どーして?」
「みんな、兄貴の話ばかりするから」
「おにーさん? 鳴海くんおにーさんいるの?」
はて、お兄さんとな?
そういえば、いつも鳴海くんのお迎えに来る人を、今まで意識して見ることがなかった。
もしかして鳴海くんのお迎えは、お兄さんがしているのだろうか。
「わたし、鳴海くんのおにーさんの話しないよ?」
そもそも良く知らないし。
「ともかく、放っておいてくれ」
むう、幼稚園児らしからぬ塩対応である。
そのまま鳴海くんとまともに会話を試みるものの、うまくいかず、保護者が迎えに来る時間を迎える。
「おーい、歩。迎えに来てやったぞ、お兄さんに感謝するといい」
なんだこの美青年は。
鳴海くんとどことなく雰囲気が似ており、鳴海くんが大きくなったら、こうなりそうだなと気がする男性。
しかし、年が離れているせいかもしれないが、とてつもなく顔立ちが整っており、神聖さすら感じさせる。いっそ出来すぎと言っても良いくらいの人だ。
「なるみのおにいさんだーっ」
「あそんでーっ!」
そして、迎えに来ただけの鳴海くんのお兄さんに集まっていく園児達。
今まであまり気にしていなかったけど、たしかに毎日、迎えに来ている人にみんなが集まってる風景を私は目にしていた。
鳴海くんのお兄さんは軽く子供達の相手をした後、鳴海くんの方に歩いてくる。
「ほら、歩。帰るぞ」
「別に一人で帰れる」
幼稚園児が一人で帰るのは、無理とは言わないが危険だよ鳴海くん。
けれど、そんな鳴海くんの言葉は、幼稚園児ならではの背伸びとか、そういうものではなく、もっと根の深いものに思えた。なんとなくだけど。
「鳴海くん!」
私は、思わず鳴海くんに声をかける。
「……なに?」
「明日はあそぼうね!」
鳴海くんは、肯定も否定もしなかった。
鳴海くんに遊ぼうと初めて言った日から数日間。私は鳴海くんに声をかけつつも、周りの子達の様子を伺ってみた。
――鳴海くんのおにーさん、かっこいいよね。
――鳴海くんのおにいさんの絵、描いてみたの!
――今日も鳴海のお兄ちゃん、来てくれるかな。
……なんだこれ。
子供達みんな、幼稚園で一緒にいる鳴海くんを余所に、朝と帰りの送り迎えに来るだけの鳴海くんのお兄さん――
はっきり言って、違和感が酷い。
「ねえ、おにいさんは今日もくるの?」
子供の一人が、鳴海くんにお兄さんについて聞いてくる。これも私が鳴海くんを気にしてから毎日だ。
もしかして、今までもこんな感じだったのだろうか。
ここ数日だけがたまたまならまだいいけど、もし毎日こんな感じなら、そりゃ嫌になるよ。少なくても私ならうんざりする。
しかし、幼稚園児に鳴海くんについて、お兄さんの話ばかりしないようにと言っても、難しい話だろう。
つまり、これからも幼稚園では鳴海くんは自分そっちのけで、ずっとお兄さんの話をされるのかもしれない。
そんなの、あまりに悲しすぎる。
うん。私一人くらいはお兄さんのこと抜きで、鳴海くんのお友達になりたい。
ちっぽけで頼りない、平凡な女の子ではあるが、そこは我慢して欲しい。
私は私。『深山すばる』以外にはなれないのだ。
「あゆくんっ、おーはーよーっ!」
歩君の仲良くなりたいと決めてから、私は毎日、鳴海歩君――もといあゆくんに声をかけ続けている。
「……はあ、また来たのか」
子供らしからぬクールな対応をされる。だが、ここで引いていてはなにも始まらない。
「えへへ、あゆくん照れ屋さんだーっ!」
「ええい、ひっつくな歩きにくい!」
つれないあゆくんだが、ここは幼稚園児という立場を活かして、強制的に仲良くしてもらおう。
人懐っこいお子様として、あゆくんにスキンシップを図るのだ!
「そもそも、そのあゆくんってなんだ」
「鳴海歩くんだから、あゆくんっ!」
「前みたいに鳴海くんでいいだろ」
「えー、あゆくんの方がなかよしみたいだもん!」
「別に仲良しじゃない」
うーん、本当に幼稚園児らしくない。もう少し歳相応にはしゃいだり甘えたりしてくれて良いものを。
「ところで、おまえは兄貴のことは良いのか?」
「あゆくんのおにーさん? 私はあゆくんとあそびたいの!」
「……変な奴だな」
「むー! すばる変じゃないもん!」
それにしても、幼稚園児らしい受け答えするのは、ちょっと疲れるなあ。
あゆくんは異常に大人びた言葉遣いするから、余計に私の子供っぽい演技のわざとらしさが目立ってしまう。
「あとね、あゆくん、私はすばるだよ! おまえって名前じゃないよ!」
「こっちが、名前を間違えて覚えているみたいに言うな」
「え? どういうこと?」
「……なんでもない」
それからも、幼稚園でとにかく私はあゆくんに声をかけ続けた。
「あゆくんっ、おえかきしよ!」
「しない」
「あゆくんっ、ボールであそぼ!」
「遊ばない」
「あゆくん! かくれんぼしよっ!」
「やらない」
相変わらず、続・塩対応なあゆくんである。
でも仕方ないか。私以外、幼稚園の皆も、先生もあゆくんには、清隆さんの話ばかりしているのだ。幼稚園児としてはたまったものじゃない。
「あー、もしかしてあゆくん、私が見つけられないからしたくないんだ!」
「そんなことない」
「私はあゆくんならすぐ見つけられるよ!」
「おい、こっちの話をだな」
「じゃあ、今回だけ私がオニやってあげるね! ほら、みんなかくれてー!」
「勝手に始めるな!?」
ふっふっふっ! 私一人じゃあゆくんを打ち解けさせるのは無理でも、周りの園児達も巻き込んで打ち解けさせるのだ!
あゆくんには、常に周りの子達と交流を続けてもらう!
あゆくんと一緒に遊ぶことで、そのうち周りの子達も、あゆくん自身に親しみを持ってくれることを期待したい。
私がすぐ側であゆくんに話し続けることで、あゆくんのお兄さんの話題ばかりになるのも、ある程度は緩和できるはず!
……できるといいなあ。
「あゆくんみっけーっ!」
「見つけるの早すぎだろ!?」
「すばるすげー!」
「えっへん! あゆくんのいるところなんておみとーしだもん!」
かくれんぼみたいな遊びは経験がものを言うのだ。
いくらあゆくんが年齢より遙かに賢くても、初回でかくれんぼ熟練の私達には敵わない。
こうして、一緒に遊ぶことで、少しずつでも仲良くなれればいいな。
「あゆくん、もっと私達とかくれんぼして上手になろう!」
「別にいい」
「えー」
残念。でも、それなら別の手段で構いまくるのみである。
「あゆくん、明日ね、おかーさんがホットケーキ作ってくれるんだよ! それでね、あゆくんも誘ってあげなさいだって!」
「……別にいい」
「えー!? でも、おかあさんがあゆくんの分も材料買ってるからって言ってたよ」
「……はあ、分かったよ」
「やったー! えへへ、あゆくんといっしょ!」
「だから引っ付くな」
あゆくんのお兄さん――清隆さんに言って、明日はあゆくんをお家に連れてくることにした。
翌日、家に来たあゆくんがホットケーキを作るお母さんを珍しそうに見えていたが、訊いてみたところ、あゆくんは両親に手料理とか作ってもらうことがなかったし、そもそも料理する姿を見たことがないらしい。
……マジですか。
うん、お母さんに頼んであゆくんをちょくちょく家に連れてくることにしよう。
なんかお母さんも、その話を聞いてあゆくんに、なんでも相談してねとか、私にもあゆくんと仲良くしてあげてねと言って心配してたし、あゆくんを連れてきて良かったと思う。
以前、述べたが私には前世の思い出はない。
けれど、ピアノを好きでよく練習していたのは間違いないようだ。
初めてピアノを弾いた日。私は長い間、会っていなかった旧友に会ったような懐かしさと嬉しさを感じていた。
胸にこみ上げる想いを燃料として、勝手に動いて演奏しようとする手を止めるのに苦労したものだ。
初めてピアノに触れたお子様が普通に演奏したら、それははっきり言って異常以外の何物でもない。
だから、上達がやたら早い子供を一生懸命に装った。
まあ、子供のコンクールに出るような子は異様に上手い。そう長いこと演技の必要もなく、そのうちに好きにピアノを弾けるようになった。
どうも、前世の私はピアノが大好きだったみたいだ。ピアノを弾いていると時間を忘れてしまう。
機会があれば、私のピアノをあゆくんに聴いて欲しいなあ。
私は最近、あのいつも素っ気ないあゆくんをなんとしても楽しませてやろうとか、そんなことを良く考えていた。
あと数ヶ月で小学生になろうとしている、ある日のこと。
「皆の中でピアノ弾ける子いるかなー?」
幼稚園の先生が私達にピアノが弾ける子がいるか、質問してきた。
恐らく先生も弾けるのだろうけど、私達の中でピアノを弾ける子がいれば、その子に弾かせてあげようとしたのだろう。
「せんせー! 私ピアノ弾けるよ!」
私はすかさず手を上げる。
他に手を上げる子がいれば、譲るのも良いかなって思ったけど、手を上げたのは私だけだった。
「あら、すばるちゃん。それじゃあ伴奏お願いできるかな?」
「はいっ!」
あゆくんをちらりと見ると、いつもの落ち着いた表情に見えるが、よく見ると少しだけ意外そうにこちらを見ていた。
私がピアノを弾いていることは前からあゆくんに言っていたけど、さては話半分に聞いてたね?
ならば、自慢じゃないけどコンクール幼児部門で金賞を取った腕前を披露してあげよう!
あ、なんかあゆくんが変なこと考えているなといった感じで、私をジト目で見てる。人の思考を察して呆れるのはやめてもらいたい。君は本当に幼稚園児なのかな?
というわけで、あゆくんをあっと言わせてやろうと全力で弾いてやった。
とは言っても、伴奏だから主役はクラスの皆の歌だ。私のピアノはあくまで引き立て役である。
それはそれで、ソロの演奏とは異なる面白みがある。やっぱりピアノは楽しい。
皆の合唱と私の伴奏が終わり、あゆくんの方をちらりと見ると、目が合った。
少しの間、じっとこちらを見ていたままだったけど、気がついたように目を逸らす。
うーん、少しはあゆくんの心に届いたのだろうか?
別に私のピアノじゃなくても、子供らしくなにかしらに興味を持って欲しいなあと思う。
私、深山すばるは小学校に入学した。もちろん、あゆくんも同じ小学校だ。
「あーゆーくん! おはよう! 一緒に学校いこ!」
登下校も毎日一緒だ。いくらあゆくんが大人びていると言っても、小学一年生が一人で登下校するのは危ないだろうし。
それにしても、卒園式も小学校の入学式でも、あゆくんの保護者はお兄さんが来てたな。ご両親はどうしたのだろうか。
死別とかではないみたいだけど、あゆくんと一緒にいるところを見たことがない。
ご両親にも、お兄さんとは別方向で問題あるのか。あゆくん不憫過ぎない?
身なりや服装はきちんとしているし、虐待とかはなさそうだけど。
「やあ、すばるお嬢さん。今日も歩のお迎えすまないね」
あゆくんのお兄さんである、清隆さんが声をかけてくる。
このお兄さんもなかなかに謎だ。
どうも警察で働いているみたいだが、あゆくんの話振りでは真面目に仕事してないのに、とんとん拍子に昇進しているらしい。
「はっはっはっ、歩ももうこんなにかわいらしいガールフレンドができちゃったか、隅に置けないなあ」
「だれがガールフレンドだ」
「あゆくん、がーるふれんどってなあに?」
本当は、当然ガールフレンドの意味を知っているが、あえて知らない振りをする。
秘技、お子様だから難しいことは分からない振りである。
「おや、お嬢さん。ガールフレンドというのはだな――」
「説明しなくていい。バカ兄貴」
なんだかんだ仲良いのだろうか、あゆくんとお兄さん。うーん、良く分からない。
でも、卒園式でも小学校の入学式でも、子供も大人も皆、そこにいるだけの清隆さんに注目していたのは、はっきり言って恐ろしい。
あれは、あゆくんもいたたまれなくなるのも良く分かる。
「あゆくん、今日は体育と音楽の授業があるよ。体操服と教科書は持った?」
「持ち物は前日にちゃんと確認してる。いちいちアンタが確認しなくていい」
「そっか。あゆくんすごいね!」
「うん、すばるお嬢さんは将来世話焼き女房になりそうだな」
「せわやき……?」
「兄貴は放っておいていくぞ」
「あ、うん!」
「おい、歩。お兄ちゃんに対して放っておいてとか、ひどくないか?」
あゆくんは清隆さんをなかば無視する形で、私の手を引いて急ぎ足で歩き出す。
お兄さんは結構あゆくんに構ってくるみたいだけど、あゆくんが辟易する気持ちも分かる。問答無用で周りの人を惹き付けるお兄さんに四六時中側にいられたら、そりゃ嫌になるだろう。
いや、ずっと清隆さんの相手してたら遅刻するのもそうなんだけど。小学一年生の足じゃ学校まで行くのにも、時間掛かるんだから。
小学校に通い始めで、少し経ったある日。なんとあゆくんが私の通っているピアノ教室にやってきたのだ!
なんだろう、以前の私のピアノの演奏を聴いて、ピアノに興味を持ってくれたのだろうか?
だと嬉しいけど、たぶん違うだろうなあ。
「やっほー、あゆくん!」
私はあゆくんに笑顔で手を振って、駆け寄る。
「……なんでアンタがここにいるんだ」
あゆくんは、厄介な奴に見つかったみたいな顔をする。失礼な。
「わたし、ここの生徒だから。あゆくんは私のご近所さんなんだし、あゆくんも家の近くのピアノ教室を選んでここにしたんでしょ?」
「……それもそうか」
「えへへ、あゆくんとピアノも一緒にできるね! ここでは私はおねえちゃんだから、いろいろ聞いてくれていいんだよ?」
「いらない」
「もー、遠慮しちゃって。あゆくん、私がいろいろ教えてあげるからね!」
「すばるに聞くことなんて特にないぞ」
ほう、恐らく今まで家にあるピアノを弾いていただけのあゆくんが、前世からピアノを弾いている私に訊くことがないと? それは――って、今『すばる』って言った?
「あっ、私の名前呼んでくれた! えへへー、うれしいなっ」
あゆくんからは、今まで頑なに『アンタ』とか『おまえ』とか呼ばれていたけど、初めて名前で呼んでくれた。
少しは仲良くなれたのかな?
「人の話を聞け」
「今度から、ドンドンすばるって呼んでね、あゆくん!」
「嫌だ」
「もー、あゆくんは照れ屋さんだなあ」
あゆくんはぶっきらぼうに見えて、律儀に相手してくれるから、話していて楽しい。
あゆくんはとてつもない天才性を見せ、あっという間にピアノの腕前が上達していった。
そもそも、教室に来る前から、ものすごく上手だったけど。あゆくんのお家にあったピアノと教本で一人で練習していたらしい。なんだそれすごい。
うかうかしていたら、私もすぐに追い抜かされそうだ。これが才能格差か……とは言わないし、言えない。
あゆくんのピアノの練習量がそれだけ半端なかったし、真剣に、それでいて楽しそうにピアノに打ち込んでいたからだ。やはり私と同じでピアノが好きなのだろう。
「あゆくん、本当にピアノ好きなんだね」
「そういうアンタは、好きじゃないのか?」
「もちろん好きだよ?」
じゃなければ、真剣に取り組むこともできないし。
「私、ピアノも好きだし、あゆくんと一緒に練習するのも、あゆくんのピアノ聴くのも好き!」
「物好きな奴だな、アンタは」
「アンタじゃなくて、名前で呼んで! すばる!」
「アンタはアンタで十分だ」
「す・ば・る!」
「えーい、俺は楽譜見ているんだ、邪魔するな!」
「名前で呼んでくれなきゃ、私もあゆくんのこと、変な呼び方するからね!」
そう言うものの、あゆくんはガンスルーである。
「ガンスルーとカンガルーって語呂が似てるよね。カンガルー、るー、るー」
「何言っているんだアンタは」
「うん、なにかな。あーちゃん」
「なんだあーちゃんって」
「歩くんだから、あーちゃんだよ。ねっ、あーちゃん」
「その恥ずかしい呼び方はやめろ」
「すばるって呼んでくれたらやめてあげるよ、あーちゃん」
「なんでこんな脳天気な奴が、あんなにピアノ弾けるんだ……」
ごめん、それ前世の経験が土台になってるから、ちょっとズルしている。
もちろん、それだけじゃなく必死に練習を頑張ってはいるけど。
「あーちゃんには負けていられないからね。ちなみに私はあーちゃんのままでも良いよ?」
「……すばる。これで満足か?」
「えへへ、あゆくん大好きーっ!」
「だから引っ付くな!」
小学生低学年で大好きとは言っても、それはもちろん異性に対する好意ではない。
あゆくんに必要なのは、単純な好意や善意といったそういうものだと思う。
ずるいようだけど、子供の立場を存分に活かして、時間をかけてあゆくんに真っ直ぐに好意を伝えていくのだ。
私自身も、この素直じゃないし塩対応だけど、お人好しでなんだかんだノリの良いあゆくんといるのは楽しい。
小学二年生以下のピアノコンクール。それもかなり大きなコンクールで、あゆくんは見事金賞だった。
さすが『天使の指先』と称えられるだけのことはある。それ以上にあゆくんが頑張っているのを近くで見ていたので、その成果が実って嬉しいのが大きい。
もっとも、小学二年生以下のコンクールなので、まだまだこれからという思いもあゆくんにとって大きいのかもしれない。
「あゆくん、金賞だよ! すごいね!」
「すばるだって金賞だろ。というか、なんで俺の金賞で嬉しそうなんだ」
「えー、あゆくんは嬉しくないの?」
「まあ、嬉しいが。すばるの方がすごい演奏だったと思うぞ」
ちなみに私も金賞だった。
あゆくんに置いていかれないように、大人のメンタルも活かして一切手を抜かず頑張ってはいたけど、これはこれで自分のことながらビックリした。
「うーん、あゆくんすっごい頑張っているの見てたから! それに、あゆくんの演奏、私好きだよ? だからあゆくんが金賞で嬉しいなって」
「良く分からない奴だな」
「次も頑張ろうね! また一緒に練習しようよ!」
「本当に元気だな、すばるは。いつもそんなに話しかけてきて、疲れないのか?」
「えー、あゆくんと一緒に練習した方が楽しいし、あゆくんのピアノも聴けるもん。あゆくんはイヤ?」
「まあ、すばると一緒の方が、教え合えるから効率は良いかもな」
「こーりつ? あゆくんは難しい言葉沢山知ってるよね?」
「……なんでこいつが俺よりピアノ弾けるんだ」
本当は効率の意味くらいは知ってる。
小学一、二年生がみんなあゆくんみたいに大人びていると思ってはいけない。
いや、ピアノコンクールに出てくる子達、みんな本当に小学校低学年かって演奏する子ばかりだけど。