深山すばるは、鳴海歩くんの幼馴染   作:タンポポ雲

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第2話 あゆくんの苦悩と、語り合った日

 あゆくんが小学三年生のとき、あゆくんが転校するとかそういう話が持ち上がった。

 発端は清隆さんが洗濯物がたまって困るからとか、家事する人が欲しいとかいう、ふざけた理由で清隆さんが一人暮らしをしていたマンションに、あゆくんを置こうとしたことらしい。

 いい大人が小学三年生を家事要員として期待するな。清隆さんは何を考えているんだ、本気で。

 しかし、どうやらあゆくんのお母さんは心の病気を抱えているみたいで、お父さんもほぼ奥さんにつきっきりで、二人とも、清隆さんにも、あゆくんにもほとんど無関心らしい。

 なので、あゆくんは以前から、ほとんど家で一人も同然みたいな状況だったらしく、あゆくんが鳴海家で住み続けるのはそれ以上にまずいと清隆さんは述べたらしい。

 以前からあゆくんのことに気を配ってくれていた私の両親は、お兄さんと一緒にウチの家の近くに来ないかと提案した。

 それなら色々とサポートできるし、すばるもいるしとのことらしい。

 最後はあゆくんにとって、そこまでプラス要因になるのか疑問だ。

 あゆくんとの距離が遠くなることがなくなって、私は嬉しいけど。

 ……あゆくんも嬉しいと思ってくれているかな? もしそうなら嬉しい。

 

 なにはともあれ、あゆくんは転校もなくなった。

 それからというもの、私の両親は小学生のあゆくんを心配して、ほぼ毎日、あゆくんを深山家に招いて、ご飯を一緒にしたりしていた。

 けど小学四年生も後半になると、あゆくんは変に遠慮して、毎日はウチに来なくなった。

 なので今度は、私や、私のお母さんがあゆくんのお家に訪ねるようにしている。

 いくらあゆくんが年齢より遙かに成熟しているとはいえ、料理中に怪我でもしたらどうするつもりなのか。私もお父さんもお母さんも、あゆくんが心配なんだぞ。

 

「あゆくん、今日も夕ご飯は私達と食べれば良いのに」

 

「そうは言っても、毎日のように深山家に頼るわけにもいかないだろう。兄貴の分のご飯も作らないといけないしな」

 

「お父さんもお母さんも気にしないよ。むしろあゆくんが来てくれると、喜ぶし。あっ、もちろん私もね!」

 

「だから余計に気が引けるんだ。小学生の俺じゃあ、すばるにはともかく、深山のご両親にろくにお返しもできないじゃないか」

 

 小学生のうちから変な遠慮を覚えているあゆくんも、それはそれで悲しい。

 

「それに俺一人ならともかく、兄貴も一緒にはさすがに気まずい。良い大人が毎日、隣人に飯をたかるのはヤバすぎる。そう考えると俺が作った方が結局は楽なんだよ」

 

「清隆さんには適当に食べて貰えば良いじゃない。それこそ良い大人なんだから」

 

 あゆくんが清隆さんと住み始めると、家事のほとんどあゆくんに丸投げするようになりやがった。

 小学三、四年生に毎日の食事の支度とか、掃除、洗濯はおろか、ご近所付き合いまでやらせるな。それで良いのか警部殿。

 そしてそれをそつなくこなしてしまう、あゆくんもそれはそれでどうかと思う。

 私も両親のサポートを受けながらという体裁を取りながら、あゆくんを手伝っているけど、すぐに私や私の両親のサポートがいらないくらいになっているし。

 

「おいおい、冷たいことを言わないでくれないか、お嬢さん」

 

 まだまだ子供のあゆくんや私に好き放題言われても、気にしない風に返す清隆さん。

 平日ならまだ100歩譲るにしても、休日で家にいるときまで一切の家事をあゆくんにやらせるダメな大人だ。

 

「小学生のあゆくんや私に晩ご飯作らせたり、掃除させたりするダメな大人に対する、当然の対応だと思いますけど?」

 

 いや、あゆくんにまともに接してくれる、唯一の家族ではあるのだけれど。

 それはそれで、ダメなものはダメである。

 

「そうは言っても、これでも私は忙しい身なんだぞ? 大人は君達子供と違って、いろいろと大変なんだ」

 

「兄貴しょっちゅう仕事サボってるらしいじゃねーか。この前ご近所さんから聞いたぞ」

 

「あゆくんも噂になってるよ。お兄さんと違って、ちゃんとした弟さんねって」

 

「そういうすばるも噂になっているぞ。とてもしっかりしたお嬢さんだとさ。この脳天気少女に対する評価とは信じられないが」

 

「もう、私だっていつまでものーてんきじゃありませんよーだ。あゆくんタマネギ切れたよ」

 

「サンキュ。こっちもソースできたぞ」

 

「おお、今日の晩ご飯はなんだい?」

 

「えっとね、今日はハンバーグだよ!」

 

「ほう、美味しそうだな。よし、普段二人に任せっきりな私だ。今日はこの私が特別に手伝ってあげようじゃないか! 私が家事をすることなんて滅多にないぞ! 二人とも感謝すると良い」

 

「いらない」

 

「別に良いです」

 

「おいおい、手伝ったら手伝ったで文句言うとか酷くないか?」

 

「兄貴が手伝うとか、どうせろくでもないことするだろ。きちんとやったら俺より上手に作るくせに、おふざけを入れるから大抵変なことになるんだ」

 

「それに偉そうだし。そんなドヤ顔されると、じゃあ別に手伝ってくれなくてもってなりますよ」

 

「偉そうじゃない。現に私は偉いんだ。警部だぞ私は」

 

 清隆さんは勤務態度最悪でありながら、様々な難事件をあっさり解決して、いろんな偉い人から頼りにされまくっているらしい。それで警視庁の名探偵とか呼ばれているとか。

 どこの創作世界の住人なんだ。でもそれ、料理と関係ないよね?

 

「うわー。料理にまったく関係ない立場を持ち出してきた。なんて大人げない」

 

「放っておけ、すばる。兄貴は構えば構うだけ調子に乗るぞ」

 

「ひどくない? 二人ともお兄ちゃんに対する態度ひどくない?」

 

「清隆さん、あんまりうるさいと清隆さんのハンバーグはひき肉抜きにしますよ?」

 

「肉抜き!? それハンバーグじゃないなにかだろう!?」

 

「そうされたくないなら、お兄さんはあゆくんにもっと気遣うべきです」

 

「身内の俺はまだしも、兄貴はもっと深山のご両親とすばるに感謝すべきだろ」

 

「仏頂面の弟に手料理作られて感謝とか言われてもなあ。せめておまえが妹なら、『お兄ちゃんのために頑張って作ったのよ、味わって食べてね。えへへ』って感じでかわいげのあるものを」

 

 なんだその妄想の世界にしかいそうにない妹像は……だが、それがリクエストなら答えてあげようではないか。

 

「お兄ちゃんのために頑張って作ったのよ、味わって食べてね。えへへ」

 

「棒読みで言われても、これっぽっちも嬉しくないぞ、すばるお嬢さん。しかもそれ歩が作ったソースじゃないか! これ単体で渡されてどうすればいいのだ?」

 

「そんな……お兄ちゃんのために一生懸命作ったソースなのに……一気飲みしてくれないの?」

 

「ソースを一気飲みさせる妹がどこの世界にいる!?」

 

「こら、すばる。そこまでにしておけ」

 

「はーい。あゆくんが止めるなら仕方ないね」

 

「おお、歩。やはり歩は、兄である私をちゃんと心配して――」

 

「兄貴に飲ませるソースがもったいないだろ。食べ物を粗末にしないやり方なら推奨するから、むしろもっとやれ」

 

「もうやだこの幼馴染コンビ。どっかで教育間違えているだろう絶対」

 

 失礼な。私もあゆくんも、清隆さん以外にこんなことしないから。もっと言うなら、あゆくんへの負担を軽くしてくれるなら、まともに対応するよ?

 

 

 

 小学五年生になったある日。明らかにあゆくんの様子がおかしかった。

 表向きは何事もないように振る舞っているが、受け答えはどこかずれているし、どことなく上の空だ。

 小学校のクラスメイト達はあゆくんの様子に特に気づいていないようなので、私の気のせいという可能性もあるけど……いや、やっぱり変だ。

 

「あゆくん、なにかあったの?」

 

「なんだ、いきなり。別になにもないぞ?」

 

「悩み事があるなら、話して欲しいな」

 

「……だから、別になにもない」

 

 本人がそういうなら、無理に聞き出すのも逆効果かなあ。けど、話してみて改めて相当落ち込んでいるのが分かるし、なんとかしてあげたいけど……

 

「あゆくん。今日もピアノの練習、一緒に行こ!」

 

「……そのことなんだけどな、すばる」

 

「なぁに、あゆくん?」

 

「俺はピアノをやめた」

 

「……はい!? え、やめた!?」

 

「ああ、それだけだ。これからは二人でやってた練習はおまえ一人でやってくれ」

 

「えっ、ちょっと!? いったいなんで!?」

 

「別に、俺にはピアノの才能がないって分かっただけだ」

 

「え、なにそれ? あちこちのコンクールで賞をかっさらってるのに、それ嫌み?」

 

 私の今の言葉はもちろん本心じゃない。けど、なんとかあゆくんをたき付けようととっさに言った。

 

「……そういう意味じゃない。それにすばるは俺なんかよりピアノ弾けるだろ。じゃあな」

 

「ちょ、ちょっとあゆくん!? 待ってよ!」

 

「ついてこなくて良い。すばるは大成できる才能があるんだ。ちゃんと練習しろ」

 

「ついていくよ! あゆくんどうしたの!?」

 

「ついてくるなって言ってるだろ!」

 

 あゆくんが今までにない大声を出す。

 その様子に、クラスメイト達も何事かとこちらを見ている。

 いつも小学生とは思えないほど落ち着いて、冷静なあゆくんがここまで声を荒げるのは、クラスメイト達はもちろん、私ですら初めて見た。

 

「っつ……悪い」

 

「ううん。あゆくんにとって、とっても辛いことがあったんだよね」

 

「怒鳴った俺が言うのもなんだが、怒鳴られて、その返答が心配なのはどうなんだ?」

 

「分かるよ。あゆくんがそこまで落ち込んでいるなんて、よっぽど辛いことがあったとしか考えられないもん」

 

「……はあ。おまえは、本当にどうしてそうなんだ」

 

「そうって、なにが?」

 

「なんでもない。そうだな、ずっと一緒に練習してきたんだし、すばるにだけは話しておかないと、さすがに不義理……というか納得しないか、おまえは。ああ、面倒くさい」

 

「面倒ってなによ。でも、あゆくんが話してくれるなら、もちろん聞くよ。今からでいい?」

 

「いや、おまえは練習行けよ」

 

「あゆくんを放っておけないもん。あゆくんの話聞きたい。聞かせて」

 

「ダメだ。練習に行かないなら、俺も話さない」

 

「むう。あゆくんの頑固者」

 

「頑固なのはお互い様だ。それじゃあ、また後でな」

 

 それにしても、あゆくんはどうしたんだろう。

 清隆さん辺りがあゆくんになにかしたのだろうか。

 あのお兄さんは、ろくなことをしないし。というかなにがしたいんだろう、清隆さんは。

 あゆくんに愛情がないわけではないのだろうけれど。

 

「なんだ、鳴海はどうしたんだ」

 

「あいつがあんなに大声出すの、初めて見た。いつもめっちゃ冷静なのにな」

 

「でも、鳴海くんがピアノ止めるとか言い出すなんて、どうしたのよ。ずばる、なにがあったの?」

 

「いやいや、すばるもたった今聞かされたんでしょ。一番ショックなのはすばるじゃない」

 

「鳴海がピアノ止めるなんて、もったいねえな。ホントすげえのに」

 

 クラスメイトが口々にあゆくんの心配をしてくれる。

 

 あゆくんは素っ気なくて協調性に欠けているように見えて、本当はすっごく優しくて、気配りができる。

 交流があんまりなければ、分からないけれど。私がクラスであゆくんに毎日のように、クラスメイトを巻き込んで話していれば、クラスの子達もあゆくんに好意的になるのもそう時間は掛からなかった。

 ちゃんと接していれば、あゆくんの良さに気づく子はこんなに多い。

 清隆さんに敵わなくても、あゆくんの価値を認めてくれる人はちゃんといるんだ。

 クラスのみんなは、清隆さんと会わないからというのはあるかもしれないけれど。

 

 それにしても、なんであゆくんは自分をそんなに低く見るのか。

 私だって、あゆくんのことはとても大切だと思っているし、もっとあゆくんには自分の価値を認めて欲しい。

 

「みんな、ありがとうね。あゆくんは私が話してみるから、取りあえず私に任せて」

 

 私は友達の皆を安心させるように宣言する。

 

「まあ深山が一番、鳴海のこと分かってるだろうし」

 

「そうよね、鳴海君の嫁さんに任せましょ」

 

「いやお嫁さんじゃないよ?」

 

 清隆さんが言うには、あゆくんの好みのタイプは、『パッと見カッコイイけど中身は可愛らしい年上の女性』らしい。

 幼げ(小学五年生だから当然だが)で、中身の可愛らしさもなく、同じ年の私はなにもかも異なる。

 

「いつもあゆくん、あゆくん言って引っ付いてるのに?」

 

「あゆくんはいつも皆の世話焼きさんだから、あゆくんのお世話は私がする! とか言ってるのに?」

 

 なんか好き放題言われてる!?

 いやいや、小学生がほぼ一人暮らし(しかも、お荷物と化しているお兄さん付き)なんだから、昔からの友達として世話を焼くのは当然だから。

 

「そもそも、あゆくんは私になんて興味ないよ?」

 

「えー? クールに振る舞っている鳴海君も、なんだかんだすばるには甘いよねー」

 

「さっきもすばるのこと、よく分かっているようなこと言ってたしねー」

 

「もー! 私はともかくあゆくんをあんまり変な風に言わないの!」

 

 あゆくんは、同年代でピアノや勉強、料理とかで話が合い、かつ近くにいる人がたまたま私ってだけなのと、私の両親に色々と世話になっているから、娘の私をあまり邪険にできないってだけだと思う。

 ……でも、仮にも女の子が年中すぐ側にいるのに、まったく意識されないっていうのもそれはそれで悔しい気もする。

 って、小学生の身でなにを考えているんだろう私は。

 

 

 

 その日の夕方。約束通りあゆくんの部屋に訪問したが、それはもうすごく落ち込んでいるあゆくんが待っていた。

 クラスメイトの前では、落ち込んでいる姿を見せまいとしていたのだろうか。

 まだ小学生のあゆくんがそこまで気を遣ってしまうところが、なんだかもの悲しい。

 

「昨日、初めて知ったよ。兄貴もピアニストだったってな。しかも、世界的に有名になるほどの」

 

 淡々と、しかし感情を押し殺すようにあゆくんは言葉を紡ぐ。

 

「知ってからすぐに、兄貴にピアノの演奏を聴かせてもらったよ。数年もピアノに触れてすらいないはずなのに……その演奏は俺が一生掛かっても、届かないと思わされる理想の演奏だった」

 

 普段は冷静なあゆくんらしくなく、断片的に自分の思いを語っていく。

 自分が興味を持つあらゆるものに対して、お兄さんである清隆さんが自分の遙か上を行くと。

 そして自分がのめり込めて、才能があるって思っていたピアノもまた、清隆さんはかつて世界トップになっていて、敵わないと思い知らされたと。

 

 清隆さんがあゆくんにとって他人であれば、ここまで苦しむことにならなかったかもしれない。

 けれど、両親が無関心なあゆくんにとっては、唯一家族として接してくれる清隆さんの存在はとてつもなく大きいのだろう。だからこそ、自分が成長しても届かないと思うほどの差がお兄さんとあることが、辛いのだろう。

 

「俺が思い描く理想の演奏をして、兄貴はなんて言ったと思う? 『これが人を感動させられる音楽か?』だとさ」

 

 両親には、そもそも『鳴海歩』として見てもらうことすらされず。清隆さんを知る人達からは、『鳴海清隆の弟』として見られる。

 そんな境遇に置かれたあゆくんにとって、ピアノが自分の拠り所だったのだろうか。

 ピアノを弾いているときだけが、あゆくんが自分を表現していられる時間だったのかもしれない。

 

「じゃあ、一生掛かっても兄貴に遠く及ばない俺のピアノはなんなんだ……? 兄貴に似た、けれどそれに遙かに劣る俺のピアノは、兄貴の稚拙なレプリカ以下じゃないか」

 

 そんなピアノですら、『鳴海清隆の弟』でしかないことを突きつけられた今。あゆくんの唯一の拠り所すら失われようとしている。

 

 辛そうなあゆくんを見るのが辛い。

 苦しそうに言葉をつむぐ、あゆくんの声を聞くと、胸が苦しくなる。

 

 できることなら、なんとかしてあげたい。あゆくんに、元気になって欲しい。

 そんなに辛い思いをして欲しくない。

 

 けれども。悔しいけど、私があゆくんに対してできることなんて、ほとんど無い。

 しょせん、私はちょっと大人の精神と経験を持っただけの、ちっぽけな小学生だ。

 なにもできない自分が、本当に歯がゆい。

 

「――でも、あゆくんの演奏。私、好きだよ」

 

 私には、あゆくんの苦悩を取り払うことなんて、不可能だろう。

 せめて精一杯、自分の思いを伝えるしかない。

 

「あゆくんの演奏、先生も褒めてくれたじゃない。『天使の指先』だって、褒めてくれた批評家の人も」

 

 あゆくんの演奏を好きな人が一杯いることを伝えようと、言葉をかけていく。

 

「クラスの子達も、それに、私のお父さんも、お母さんも、あゆくんのピアノ、すごく気に入っているし――」

 

「その、『天使の指先』って言ってくれた人なんだよ。昨日、俺のピアノが、兄貴の拙い模倣でしかないって言ったのは」

 

「……え?」

 

 けれど。私の言葉は、あゆくんの発言によって切り捨てられる。

 

「なにを思ったのかは分からないが、兄貴がその人の前で、数年振りにピアノを弾いたらしい。その批評家の人の前でな。その兄貴の演奏を聴いた後だと、俺の演奏なんて酷いものだったのかもしれないな」

 

 あゆくんの絞り出すように言う言葉の内容が、酷く遠い世界のもののように思える。

 

「俺が生涯をピアノに捧げたしても、指を怪我して、数年間のブランクがある今の兄貴にも遠く及ばないだろうって、すげなく言われたよ」

 

 そんな理不尽、あって良いのだろうか。

 神がかった才能があれば、あゆくんからピアノを奪っても、許されるというのだろうか。

 分かっている。清隆さんがなにも悪意を持って、故意にあゆくんを追い詰めているわけではないだろうということは。

 それでも清隆さんの、周りの人を狂わせるほどに強すぎる才能のせいで、今ここにいるあゆくんは苦しんでいる。

 清隆さんの演奏の後には、自分の演奏はなんの価値もないものだと。あゆくんはそう思ってしまっていて。実際、そう言われたのだ。

 

 だけど。それでも、あゆくんの演奏が、好きだと言い切れる人はここにいる。

 

「私は――私は、あゆくんの演奏は大好きだよ! 私は、他のどのピアニストより、あゆくんの演奏が一番好き!」

 

 私は、あゆくんを抱きしめる。まだ子供なのに、こんなときに泣くことすらしないあゆくん。

 素っ気なくて、唐変木で、塩対応で。でも、優しくて、お人好しで、妙に料理にこだわりがあって、ピアノに真摯な『あゆくん』が好きだということ。

 辛いときには、頼っても良いんだよってことを。

 

「例え、皆があゆくんのピアノを認めないって言っても、私はあゆくんのピアノが好き。嘘でも、お世辞でもない。あゆくんは、私のライバルで、尊敬して憧れる練習のパートナーで、あゆくんの演奏を一番聴いている大ファンなんだから」

 

 私の、ありったけの思いを、あゆくんに伝えたかった。

 

「……っ」

 

 いつもは引っ付くなって私を引きはがそうとするあゆくんも、今ばかりは私の胸の中で、必死に泣き声を押し殺していた。

 まったく。辛いくせに、どこまでも意地っ張りな幼馴染だなあ。そんなところもかわいいけど。

 

「もちろん、私のお父さんもお母さんも、私もあゆくんが好きだよ……大好き。あゆくんにとって、私は頼りにならないかもしれないけど。辛いときくらいは、頼って欲しいな」

 

 私はそう言いながら、あゆくんの髪をそっとなでる。

 

「まだまだ小さい私じゃ頼りにならないかもしれないけど、ね」

 

「いや……それは」

 

「もー、まだあゆくんは意地を張るのかな? 少なくても私は、あゆくんが遠慮して頼ってくれない方が辛いよ?」

 

「……ほんと、すばるは強情だよ」

 

「あゆくんには負けるけどね。あゆくんは普段から周りに気を配ってばかりなんだから、私にくらい甘えていいの」

 

「脳天気なすばるに頼れって言われてもな」

 

「えー? 私、脳天気だからあんまり難しいことわかんなーい」

 

 そう言ってちょっとだけ抱きしめる力を強くしてあげる。

 

「えっと。その、だな。すばる」

 

「はい、あゆくん」

 

「改めて考えてみると、俺がピアノに真剣に取り組もうと思ったのは、すばるの演奏を聴いてからなんだ」

 

「……そうなんだ」

 

「幼稚園のとき、すばるがピアノ弾いたことあっただろ?」

 

「あゆくん、覚えてたんだ」

 

 あのときは、あゆくんにあっと言わせてやろうと思ってピアノを弾いたんだっけ。

 

「そのピアノを弾いて、すごいなって思ったんだ。いつもすぐ近くではしゃいでいるすばるが、とても綺麗な音を奏でてて、一瞬、遠い存在に感じた」

 

 ……あのとき、あゆくんからそんな風に思われていたんだ。

 私としては、あっと言わせてやるとは思ったけど、でも実際のところは少しでもあゆくんの心に響けばいいなってくらいに思ってたんだけど。いや、全力で演奏はしたけど。

 

「でも、そんなとても綺麗な演奏をしているすばるだけど、とても楽しそうにピアノを弾いてて、演奏が終わったら、いつものように無邪気にはしゃぎだして、『ああ、いつものすばるだ』って思わされたな」

 

「え? それ褒めてる?」

 

「……褒めてるぞ?」

 

「じゃあこっちを見て言ってね、あゆくん?」

 

「……」

 

「おい、こら。なんで目を逸らす?」

 

 でも、こんないつものやり取りも楽しい。

 

「楽しそうで、でも心に響く演奏をする、すばるを見て、俺もこんな風にピアノを弾ければって、そう思った。だから……俺の理想のピアニストは、兄貴じゃなくて、すばるなんだよ」

 

「え、えっと……そう言われると照れるけど……ありがとう、かな?」

 

「いや、俺がピアノを好きになったのはすばるのおかげだ。ありがとう」

 

「うん、どういたしまして。いつも私の方がお世話になっているんだし、これくらい、お安い御用だよ」

 

「世話になっているのはこっちの方だ。借りはちゃんと返す」

 

「うーん。私だっていつもあゆくんに助けられているんだから、気にしなくて良いのに」

 

「すばるに世話になったままだと、俺が気にするんだ……それと」

 

「なぁに、あゆくん?」

 

「しばらくは、ピアノで表舞台には出ることは止めようと思う。いつ、また兄貴の模倣と言われるとも限らないからな」

 

「……あゆくん」

 

「けれど、もうピアノを止めるとは言わない」

 

 あゆくんは静かに、けれど力強く言う。

 

「例えピアノにかじりついてでも、練習し続ける。兄貴に届かなくても、拙い模倣なんて言われないくらいにはなってやる」

 

「うん……うん! あゆくんなら、大丈夫だよ」

 

 あゆくんの言葉が嬉しくて、あゆくんをもう一度強く抱きしめる。

 

「ああ……ところで、そろそろ離してくれないか?」

 

「どうして? もう少しこうしてても私は良いよ?」

 

「俺が気にするんだ」

 

「なんで?」

 

「その……当たってるんだよ」

 

 当たってる? なにが?

 ……あっ、胸か。え、小学生の胸が当たってるの、そんな気にするところ?

 ま、まあ、あゆくんも小学生だし、そういうものなのかな?

 

「別にあゆくん相手なら、私は気にしないけど?」

 

「少しは気にしろっ!?」

 

 『パッと見カッコイイけど中身は可愛らしい年上の女性』の胸でなくて申し訳ないけど、ここは私の胸で許容して欲しい。

 そう言いつつも、あゆくんがそういう反応するせいで私まで恥ずかしくなってきた。

 これからもあゆくんを一人にするつもりはないので、あゆくんには今から慣れて欲しい。




歩を褒めてた人が、清隆のピアノ聴いたら手のひら返されたというのは独自設定ですが、原作の歩のどんなに努力しても、どうせ兄貴に全て奪われるっていう考えを見ると、これくらいか、もしくはそれよりも酷い目に遭っているのかなと。

しかも小説では「結局歩は誰にも助けてもらえなかった」と述べられている。悲しい。
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