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すばるに、ピアノを止めないと決意を告げたあの日から。俺は表舞台でピアノを弾くことはなくなった。
兄貴が気まぐれにちょっと人前でピアノを弾けば、今の俺など簡単に評価が地に落ちるだろう。下手に悪評が広まり固定されてしまえば、そこからの再起は困難だ。
最悪、二度とピアニストとして人前に出ることすら許されなくなる恐れすらある。そのためには、兄貴の演奏を聴いた人からでも、兄貴の偽物だとか、劣化コピーなどと言われないくらいの実力を身に付けるか、もしくは兄貴とは違う音を出せるようにするしかない。
言うだけなら簡単だが、非常に難しいことだ。
兄貴は成人する前に自ら指を折り引退したとは言え、それまでの短い活動期間でピアノ界の伝説とまで謳われた存在。
そして、俺と兄貴は非常に似ている。いや、俺が兄貴に似ているというべきか。
好きな食べ物、教科、音楽。ちょっとした仕草、雰囲気。そして、ピアノの弾き方すらも、そっくりだった。
俺自身は兄貴に似せているつもりは毛頭なかったが、周りの人からはよく兄貴に似ていると指摘される。
あまりにいろんな人からそう言われるのは、辟易するが。
兄貴と違う音楽を手に入れる。兄貴に嫌になるほど似ていて、だが兄貴に遠く及ばない俺がそれをなすのは、とても困難な道のりだろう。
もしかしたら、生涯をかけても無理かもしれない。そして、ピアノで大成できない場合に、いつまでもピアノに専念できるわけでもない。その場合は、ピアノを諦めて他の道で食べていくしかないのだ。
もっとも、他の道でも兄貴の影がつきまとうわけだが。
ピアノや絵といった芸術分野だけじゃない。スポーツでも、勉強でもそうだ。最初は俺のことを褒めていても、兄貴の過去の映像や功績を知ると、兄貴の出来損ない、兄貴に遠く及ばない才能しかないのに、見苦しく兄貴の真似をしようとする偽物と非難する目を見せた。
ならばいっそ、全てを諦めてしまえばいいのではないか。そう思ったことも、一度や二度じゃない。
望むものを手に入れる努力をすれば、裏切られ、平凡に生きることすらできなくなるかもしれない。
目立たない様にひっそりと生きて、学校を卒業したら兄貴から遠く離れた場所に行き、どこかに就職して平凡な社会人として生きる。そうすれば少なくても平穏に生きることはできる。
今まではまだ子供だからと許されることもあった。だがこの先、俺がある程度評判を得て大人になった後に、気まぐれに兄貴が同じ分野でその才能を披露すれば、最悪破滅だ。
兄貴の音楽や作品の贋作者と大勢から非難されて、社会的に死ぬことになれば、普通に生きていくことすらできなくなる。
鳴海清隆は、それだけのことがたやすくできる存在だ。そして、俺はそれに抗う力などありはしない。
それでも、やっぱり俺はピアノが好きだった。他のものは諦めることができても、ピアノだけはどれだけ辛くても、例え見苦しくしがみついてでも、諦めきることができなかった。諦めることができれば、苦しまなくても済むと分かっていても、ピアノから完全に離れることはできなかった。
「あゆくん、どうしたの?」
なにかを察したのか、ピアノの演奏を終えた俺に優しい言葉をかけながら、のぞき込む見慣れた少女。
「いや、なんでもない」
四歳の頃からずっと、隣にいる女の子――すばる。
気がつけば隣にいて勉強も、家事も、そしてピアノの練習も一緒にしてきた親友。
そして、初めてすばるの演奏を聴いてから、ずっと俺が目標とするピアニストでもあった。
すばるが奏でる音は、優しくも暖かい音だった。兄貴の演奏は決して敵わない完璧なもので、そして俺にとっては絶望を与える演奏だった。
対して、すばるの演奏は兄貴のような絶対的なものではなかったが、聴くものを癒やし楽しませ、俺にとっては自分もこんな演奏をしたいと思いを募らせるものだった。
生涯の目標として焦がれる音があったからこそ、俺は今でもピアノを諦めずにいられることができる。
すばるがいなければ、俺はピアノも諦めていたかもしれない。
それに、すばるとのピアノの練習やピアノについて語ることは、俺にとってかけがえのない時間になっていた。
ピアノを止めるとなると、そのかけがえのない時間も手放すことになる。
すばるとの練習では、俺は真剣にピアノの世界に入り込むことができる。俺自身と向き合い、ピアノと向き合い、そして目標のピアニストと向かい合える時間。
すばると一緒にピアノの練習を続けることで、俺は自分の音を手に入れることができる。そんな、確信があった。
兄貴。俺からなにもかも奪えば良い。いや、元々それらは兄貴のものだ。俺は、兄貴の才能の削りクズから集められた出来損ないの人形のようなものなのだろうから。
ピアノにしたって、音楽の神様が愛した兄貴の弟だから、お情けで俺に付き合ってくれたにすぎないのかもしれない。
故に兄貴が気まぐれに戻ってくれば、俺は神様になんの心残りもなく見捨てられるのも当然だろう。
けれど、この二つだけは譲れない。見苦しくてもなんでも、決して諦めない。
ピアノと――だけは。
深山家に居候してから、二ヶ月が経った。
なんの関係もない俺を住まわせてくれる、深山のご両親には本当に頭が上がらない。
今は好意に甘えるしかないが、大人になったら恩返しをしないといけないと思う。
もっとも、今から更にご迷惑をかけてしまうことになってしまうのが心苦しいが。
「すみません。一日か、二日働かせてもらうことはできないでしょうか?」
「どういうことだい?」
俺は、すばるの父親に、ある事情からどうしてもお金が――それも、自分で稼いだお金が欲しいことを説明する。
高校生ならバイトでもすれば良いが、中学生ではそれも難しい。
だが、すばるに今までの感謝を込めてなにか贈り物がしたかった。そして、それなら自分で稼いだお金でないと意味がないと思ったことを、すばるのご両親に説明する。
「歩君、君はまだ中学二年生だろう。それなら、本来は学業やピアノに力をいれるべきだと思うよ。それに働かせる方にも、働く君にも責任が生じる。義務教育中の子供を働かせるというのは、容易に承諾できるものじゃない」
すばるのお父さんにそう諭される。その通りだ。結局のところ、これは俺のわがままなのだから。
「けれど、歩君のその思いを無下にするのも良くないな。知り合いの手伝いで、そのお駄賃という形式ならなんとかなるだろう」
「ありがとうございます」
無理を聞いてくださったすばるの父親に、お礼を述べる。
「歩君、君は自分一人で無理をし過ぎる。先ほど少しきついことを言ってなんだけど、もう少し気楽に周りを頼っても良いんだよ」
「いえ。十分頼りすぎているくらいですよ。親戚でもなんでもない俺にこんなに親切にしてくれて、本当に感謝しています」
「ふむ。だが将来、すばるの婿に来てくれれば親戚になるだろう?」
「からかわないでください」
すばるのお父さんのあまりの発言に、反射的にツッコミを入れる。
「全部が冗談というわけでもないんだが……まあ、まだ中学生の歩君に言うことでもないか」
「あゆくーん! お風呂出たよ!」
先ほどの発言のせいで、すばるを意識してしまったタイミングで、すばるから声をかけられる。
すばるの方を見ると、お風呂あがりでパジャマ姿だった。
いつもはポニーテールにしている黒髪が、今は下ろされた状態になっており、少し大人びた印象を与える。
顔が若干上気しているが、でもいつもの明るく元気なすばるの様子のギャップには、今だ慣れなかった。
「ああ、なら俺も入ってくるか」
いつもの様に冷静を装って返事をする。
「ところで、お父さんとなんの話をしていたの?」
「いやなに。男と男の会話だよ」
「なにそれ? お父さん、あゆくんに変なこと吹き込んじゃだめだよ?」
「失礼な。すばるの大事な歩君に、変なことなんてするわけないだろう?」
「も、もう! あゆくんをからかっちゃダメだよ! あゆくん、早くお風呂入って、その後一緒に勉強しよ!」
「おいこら、すばる。そんな急かすな、あと引っ付くな。もう子供じゃないんだから」
最近いろいろと大人びてきた幼馴染に、昔と同じように引っ付かれると対応に困る。
背はあまり伸びてないと、すばるは不満を言っていたが。
「むう。幼稚園の頃と違って、家の中でしかこんなことしないよ」
「家の中でもするな」
「えー? だって、あゆくんとこうやっていると安心するし」
それに対して、俺はどう答えればいいのか。
ぽやぽやした表情のすばると、生暖かい目を向けるすばるのお父さんを交互に見て、バツが悪くなった俺はそそくさと風呂に向かった。
すばるのお父さんから回された仕事は、知り合いの子供にピアノの初歩を教えることだった。
教室にいきなり通わせるのは、続くかどうかも分からなくて不安だから、最初に初歩の初歩を家で教えて、判断したいからとのことだった。
今まで同年代や少し下の子に、練習のついでで教えることはあるが、俺が教える立場に立ったのは初めてだった。
俺なんかが、教える立場に立って良いのだろうか。そんな不安がよぎる。
だが、俺が無理に頼んでもらった仕事だ。責任を持ってやらなければいけない。
それにすばるへのプレゼントを買うためにも、この仕事を疎かにするわけにはいかなかった。
俺が始めてピアノに触れた時と、同じくらいの歳の男の子。今回の目的は、この子が続けられるかどうかを見ることだ。
ピアノにしても、なんでも続けるかどうかはその子次第。
誰にだって向き不向き、好き嫌いがあり、それは体験してみないと分からない。嫌いで不向きなものをやり続けるのは、不幸にしかならない。
だからといって、何もかもすぐに止めてしまえば、それはそれで諦め癖がついてしまう。難しいものだ。
けれど、せっかくピアノに触れる機会に巡り会ったのだ。できれば、この子にもピアノを好きになってもらいたい。俺が好きになったピアノに。
そう思い、ピアノを楽しんでもらうにはどうするかと考え、俺はいつものすばるとの練習を思い出しながらピアノの臨時の先生を一生懸命にやった。
試行錯誤、手探り状態のレッスンだ。恐らく、本職の先生からすれば稚拙なものだっただろうことは、想像に難くない。
それでも男の子は楽しかったと言ってくれ、その子の親も感謝してくれた。
俺のピアノの経験が、ほんのわずかでも誰かの役に立ったのだろうか。
そう思うと、救われた気がした。
数日後の夜。少ないながらも無事にお金を手に入れた俺は、すばるを休日に出かけないかと誘った。
「おでかけ!? もちろん行きたい!」
大げさと評しても良いほどに喜ぶすばる。俺は断られないか心配していたというのに、無邪気なものだ。けれども、そんなすばるの様子も微笑ましく思えた。
「ねえねえ、どこ行こう? 最近色々と忙しかったし、楽しみだなあ」
俺もすばるも、小学生の頃から兄貴の分も含めた家事を全般的にこなし、ピアノの練習も真剣に取り組んできた。
更に、小学生のすばるが俺と兄貴が住む部屋に毎日のように来て、同じ小学生の俺と一緒に家事をするという、端から見たら色々と問題が起きそうなことを、周りの人達――特にすばるの両親に安心して認めて貰うために、身の回りのことは疎かにできなかった。その中でも、特に学業は力を入れて取り組んだ。
そのため、俺もすばるも優等生であるように務めた。成績も二人とも常に学年上位をキープしている。
あまりにいろんな人から兄と似ていると言われ、反発から少しでも兄貴と区別がつくように、一時期ピアスを付けたいと思うこともあったが、俺はともかく一緒にいるすばるへの悪評につながるかもしれないと考えて止めたこともある。
ともあれ、そのせいで幼い頃から一緒にいた俺達だが、遊ぶ目的だけで休みの日に丸一日出かけるといった経験は意外と多くない。
それだけに俺もすばると出かけるのは楽しみだし、すばるが大いにはしゃいでくれる様子を見て、同じ様に楽しみにしてくれていることが嬉しかった。
次の日の日曜日。ちょっとおめかししたと照れながら笑う、私服姿のすばる。
小学の頃は毎日私服姿を見ていたのにも関わらず、すばるにしばし見惚れてしまった。
普段の様に回らない頭をなんとか回して褒めようとしたけれど、何を言ったのか覚えていない。
思えば初めて中学の制服を見たときも言葉を忘れて、素っ気ない態度を取ってしまっていた。まるで成長していない自分に思わず嘆息してしまう。
気を取り直し、すばると二人並んで歩き出す。
「ねえねえあゆくん。お昼はどこでお弁当食べようか?」
「そうだな――でも、いつも料理作っているんだから、今日くらい外食でも良かったんじゃないか?」
「えー、あゆくんがそれ言うの? 今日のお弁当を作ろうとしていたのは、あゆくんもじゃない」
「まあ、折角だから腕によりをかけて作るのも良いかなと思っただけだ。どこかの誰かさんに私が作るから! とか宣言されてお役御免になったが」
「だってあゆくん、お母さんに気をつかって、いつも料理やろうとするし。今日くらい休んで欲しいなって思ったから」
「もう習慣になっているんだよ。一日でも家事を休むと却って落ち着かないんだ」
「あゆくん、もしかして中学生にしてワーカーホリックになっているの? たまには息抜きしないとまいっちゃうよ?」
「だれがワーカーホリックだ。それにすばるには言われたくないぞ」
「え、ど、どうしてかな?」
「そこで声が震えてる辺り、心当たりがあるんじゃないか? 毎日家事に勉強に、それと最近ピアノで有名になってきた、深山すばるさん?」
「むう……あ、たしかにそうかも。最近ちょっとお疲れ気味かもしれないなー」
不満げにしていたすばるだが、突然なにかを思いついたようにすると、認めだした。
「どうした急に?」
「疲れているから、夜はあゆくんに引っ付いて癒やしてもらわないと――」
だから反応に困ることをしないで欲しい。俺は顔が赤くなりそうなのを、ごまかすように早足で歩き出す。
「さて、さっさと行くぞ」
「あ!? あゆくん待ってよーっ!」
「うわぁー! 綺麗なお魚さんーっ!」
すばるが水族館の魚を見ながら、目を輝かせる。
感動したようにはしゃいで言うが、周りに迷惑をかけないように声は抑えめだ。
いつも元気一杯なようで、周りにしっかり気を遣っているところもすばるらしい。
「お刺身にすると美味しそう……」
「おいこら」
ツッコミとばかりに、後ろから軽くチョップを入れる。
「あたっ」
「こんなときにまで食欲を出すんじゃない」
「うう……ほんの軽いジョークなのに」
「すばるが言うとジョークに思えないんだ」
「え? 私そんなに食いしん坊キャラしてないよね?」
「そういうジョークを言っていると、そのうち認識がその方向で定着するぞ」
「でも、あゆくんもお魚さんを見て、料理方法考えてたんじゃない? あゆくん、大抵の魚は調理できるし、料理が趣味みたいなところあるし」
「……さて、次のエリアを見に行くか」
「ねえ図星? 図星だったあゆくん?」
「そんなことないぞ」
「じゃあこっちを見て言ってね?」
仕方なく、すばるの方を振り返り、じっと見つめる。
「……えっと。な、なんで私の方をじーっと見ているのかな?」
すばるが照れた様子を見せながら、おずおずと言葉を返す。
「こっちを見ろって言ったのは、すばるじゃないか」
「そ、そうだけど……ずっと見つめられると……」
「悪い、嫌だったか?」
「わ、悪くないよ! でもその、恥ずかしいというか……」
普段、距離感が近いすばるにこちらが振り回されているんだ。これくらいの仕返しはしてもいいだろう。
ただこっちも恥ずかしい思いをしているので、あまり意趣返しにはなっていない気もするが。
「むー……えい!」
すばるが俺の側に近寄ると、手を引いて歩き出す。
「急にどうしたんだ?」
「だって、ずーっとあゆくんに見ていられると、頭がパンクしそうだったんだもん」
「そうか。でも、それならなんで俺の手を引いてくるんだ?」
「私が恥ずかしいからって、あゆくんを置いていくのは悪い気がしたの!」
「変なところで律儀な奴だな」
「へ、変じゃないよ」
「いや、すばるらしいと思っただけだ。悪い意味じゃない」
「あゆくんの言う、私らしいってどういう意味かな?」
「……単純?」
「あーゆーくーん?」
すばるが不満げに抗議するが、顔が怒ってない。お互い本気で言っていないと分かっているからだ。
「冗談だ。すばるはいつも明るくて真っ直ぐだからな。見ていて楽しいし、落ち着く」
「それって、褒めているの?」
「そのつもりだぞ?」
すばるといるときは、兄貴みたいに裏表とか考える必要がないからな。
見ていて分かりやすいし、基本的に言動や思考が善意的だ。天真爛漫でありながら、根っこの部分は地に足がついているから、一緒にいて安心できるし楽しい。
「あゆくん、次はペンギンさん見ようよ、ペンギンさん」
「分かった、そう急かすな」
すばるに手を引かれながら、通路を歩く。
なんとなく、幼い頃に一人でいたときにすばるに何度も声をかけられ、引っ張り回されたことを思い出す。
俺は、昔からこの子に助けられてばっかりだな。
でも俺は、一方的にすばるに支えてもらいたいわけじゃない。一緒に隣を歩いて行きたいんだ。
水族館を一通り巡り、外に出て二人で歩く。
毎日顔を合わせているし、学校の登下校を一緒にすることも多い。今は住む場所ですら一緒だ。
それでも、隣にいるこの子と一緒にいて飽きるということはない。
「綺麗だったね、あゆくん。いろんなお魚さんが一杯で、元気に泳いでて、それから――」
すばる話を振ってくることが多いので、あまり話し上手でない俺にはありがたかったし、話がなく静かに過ごすときもそれはそれで楽しかった。
「すばるが楽しめたのなら、良かった」
「楽しかったよ! 今日はありがとうね!」
すばるがこちらに笑いかける。
「こちらこそ。すばるが良ければ、また出かけようか」
「じゃあ、約束だね! ふふっ、あゆくんとの次のお出かけも楽しみだなあ」
無邪気に接してくれる彼女。俺を『鳴海清隆の弟』ではなく、『鳴海歩』という一個の存在として見てくれる、かけがえのない人。
すばるの存在に、俺の心はどれだけ救われただろう。だから、ほんの少しにしかならないかもしれないけど、お返しがしたかった。
「すばる。これをやる」
「あゆくん? これ……もしかして、プレゼント」
「ああ、そうだ。あまり贈り物とかしたことないから、センスに自信はないが」
「ううん! 嬉しいよ! でも、どうしてくれるの? 今日、私誕生日でもなんでもないよ?」
「ずっと前からすばるにはお世話になりっぱなしだからな。少しはこうして返さないと、気が済まないんだ」
「お世話になっているのは私の方だよ。料理とか教えてもらったり、ピアノの練習に付き合ってもらってるし、今日だって一緒にお出かけしてくれたし」
「俺だってすばるに料理を教えてもらうことはあるし、ピアノの練習につきあってもらっているのはお互い様だ。それに、今日は俺がすばると一緒に出かけたいから誘っただけだ。世話になっているのは俺の方だぞ?」
「もう。それじゃあお互いに自分の方が世話になっていることになるじゃない」
「ああ、そうだな」
「ふふっ、変なの」
「まったくだ」
そう言って、お互いに笑う。
「ねえねえ、今開けてもいい」
「がっかりするかもしれないぞ?」
「するわけないよ。あゆくんがくれるプレゼントだもん」
「そう期待されすぎても困るんだけどな」
「ふふっ、じゃあすごく期待しちゃおうかな」
冗談めかしながら、すばるが袋を開ける。
「あっ、リボンだ。ふふっ、かわいい」
「新しく髪を結ぶのが欲しいって言ってただろ? 普段学校でも付けられるように、あまり派手じゃないのを選んだつもりだが」
「うん、嬉しい! あゆくんってセンス良いよね」
「本当に自信はなかったんだけどな。そう言ってもらえるなら助かる」
「じゃあ、今度私からもあゆくんにプレゼントしないとね」
「本当に気にするな。すばるへのお礼に送ったのに、すばるからもらったら立つ瀬がなくなる」
「もう、そんなの気にしなくて良いのに……ねえ、今つけてもいいかな?」
「今か? 俺は構わないが」
「今つけたいの。ちょっと待っててもらってもいい?」
俺がうなずくと、すばるは俺に対して後ろを向き髪をほどく。そして俺がプレゼントしたリボンをつけた。
「えっと……似合ってるかな?」
こちらに向き直り、おずおずと訊いてくる。
「ああ、綺麗だな」
「……ふえ? き、綺麗って……?」
リボンが似合っているかという質問に対して、ずれた言葉を返す。
「えっと、リボンが綺麗ってことだよね? も、もうあゆくんってば。買うときにリボン見ていたんでしょ?」
「いや、リボンじゃなくてすばるが綺麗だって言ったんだ」
「ふえ!? え、えっと、えっと――ありがとう……? じゃなくて、嬉しい……? でもなくて……えっと」
これでもかと顔を真っ赤にして、あたふたしているすばる。
そんなすばるの様子が、愛おしく感じた。
「すばる。聞いて欲しいことがあるんだ。聞いてくれるか?」
「あ、あゆくん……?」
戸惑いながらも、何かを察したように俺を見るすばる。
幼い頃から、側にいてくれて俺を救ってくれていた女の子。
すばるがいなければ、俺は兄貴の影に押しつぶされて、なにもかもを諦めていたかもしれない。
俺を兄貴の弟としてしか見ない周りの人達に絶望し、他人になにも期待しない性格になっていたかもしれない。
俺がピアノを諦めずに来られたのも、他人から完全に距離を取らずにいられたのも、すばるのおかげだ。
今から言おうとしていることをすばるに告げれば――結果はどうあれ、すばるとの関係は変わる。今までと同じ関係ではいられなくなる。
後悔するかもしれない。今ならまだ引き返せる。なにもなかったことにできる。
のどがひっつきそうなほど乾いているし、心臓はバクバクしている。
それでも、俺は彼女に助けられるだけではいたくなかった。隣で彼女を守れる自分でありたかった。
踏み出さずにいて、未来ですばるの隣に違う誰かがいる――その方が後悔する。
「すばる。好きだ。俺と、付き合って欲しい」
「……あゆ、くん」
戸惑うと言うよりも、理解が追いついていないといった様子のすばる。
「えっと――好き? あゆくんが、私を? 本当に?」
「ああ。冗談でこんなこと言わない」
「でも、だってだって! 私も好きだって言おうと思ってたのに!」
「……は?」
「――あっ!?」
「……どういうことだ?」
「え、えっと……その、今日あゆくんがお出かけに誘ってくれたし、その、好きだって伝えるチャンスかなって……でも、なかなか言えなくて」
「……そうだったのか。まあ、それなら俺の方から言えて良かったのか?」
「……うう、でも自分が情けないような気がする」
すばるはそう言って、少し落ち込んでしまう。
「それで、すばる。申し訳ないが返事を聞かせてくれるか」
「は、はい……私で良ければ、喜んでお受けします」
すばるはおずおずと手を差し出す。
「……こちらこそ」
すばるの手を、そっと取った。そうすると、すばるが穏やかに笑いかけてくれた。
「……ありがとうねあゆくん」
「なにがだ?」
「私を好きだって言ってくれたこと」
「それこそ、こちらこそだ」
「ふふっ、またお互い様だね」
「そうだな」
そう言って、また笑い合う。
夕焼けが差し込む。中学生の俺達はそろそろ帰らないとまずい時間帯だ。
すばるに帰ろうと促そうとして、ふと横を見て――
「……すまん、別に好きで見ていたわけじゃないぞ?」
「くくくくく、くるみさんっ!?」
なぜかそこに、気まずそうな顔をした小日向さんがいた。
「……なんで小日向さんがいるんですか?」
色々と焦る気持ちを抑え、辛うじてそれだけ訊いてみる。
「おうここは公園で公共の場だ。あたしがいちゃいけないのか? あれだ、そんなところで告白なんぞしてやがるおまえらが悪い。つまりあたしは悪くない。むしろ散歩していたら、突然こっぱずかしいのを見せられた被害者だ。オーケー?」
「オーケーじゃないですううううううっ!?」
すばるがこれでもかと顔を真っ赤にしながら反論する。
すまないが、今は俺もすばるのフォローをする心の余裕がなかった。
「……まあ、なんだ。あたしは見直したぞ、歩君? こしゃくな策略でまどかさんの気を惹いたあの清隆のバカより、しっかり告白するおまえの方が億倍ましだ」
「それは褒められているんですかね?」
「さあな、それは自分で判断してくれ。じゃあ、あたしはこれで」
そう言って小日向さんは、踵を返す。
「ちょ、ちょっとくるみさん!?」
「あたしは馬に蹴られる趣味はないし、おまえらの惚気を聞くつもりもない。じゃあすばる、また今度な」
そのまま小日向さんは、すばるの言葉に耳を貸さずに早足で去ってしまう。
取り残される俺達。どうしてこうなると思いながらも、どこか悪い感じはしなかった。
いつかは、こんなことも思い出になるのだろうか。ふとそう思った。
歩の初恋が実ったって良いじゃない。二次創作だもの。
初期案は原作知識を持ったオリ主が「鳴海清隆なんかに絶対かかわりたくなーい!?」って嫌がりながらも、なんだかんだ歩に関わってしまう短編だったはずなのに、なぜ歩が告白する話になっているのだろう。