少し大きめのクルーザーなら停められる程度の桟橋にて。
褐色肌の少女を見つける。別に彼女を目的に探していた訳じゃない。カナリアを探す為に歩き回っている時の事、ふとした瞬間に、なにか引っ張られるような感覚がしたので足を運んでみた。すると不貞腐れた顔で桟橋に座る彼女を見つけた。その手に持った写真を見る彼女の目が悲しそうだったから、放っておく事もできなくて、もう亡くなってしまった方のシャアの真似事を試みる。
片手を挙げて、気さくな感じに「やあ、また会ったな」と告げれば、彼女は私を一瞥した後に無視をした。
……もう放っておいても良いかな。と思いはする。
しかし、彼女の腫れた頬に気付いてしまったので、ただ立ち去るのも憚られた。
背後に周り、彼女の持っている写真を盗み見る。
どうやら彼女の家族のようだ、大勢いる。しかし、写真は水に濡れて、ボヤけてしまっている。服装から察するに「中東か?」と問い掛ければ「ムンバイ」と返事があった。
「ああ、インドか。カレーが美味かったな」
「知ってるの?」
「数ヶ月前まで旅をしていた。インド門も見た」
歩き回ったのは都心部ばかりだが、と付け加える。
小憎たらしい妹を探すのに見落としやすれ違いの心配はしていない。何故ならカナリアが通った後には必ず爪痕が残る。その場に居れば、隠しきれない存在感を放つ。あの妹は一度、接するだけでも強烈なインパクトを残すし、彼女自身も大人しくしているような性格でもない。
そう確信しているので適当に聞き込みをするだけで十分に調査できていると断言できた。
彼女の隣に腰を下す。
「近付かないで」と睨みつけられた。威嚇する目、その瞳から私の身を案じている事が読み取れた。避けられている訳ではなかったので、距離を詰める。
その分だけ、彼女も距離を取った。
「私に話しかけて痛い目にあった人、たくさん知ってるのよ」
「それは恐ろしいな。その怖いおじさん達は、あの船に?」
丁度、停泊中の船を見やる。彼女は俯き、押し黙った。
「……その写真、大切なのか?」
「大切よ」
「家に帰りたいと思ったことは?」
「……それは良いの」
私が居るよりも、お金を送ってあげた方が良いんです。と答える彼女の横顔を見て、放っておきたくない。と、そう思った。
「貴方には探し人が居るわ」
「ほう?」
「こんなところで道草を食っている場合じゃないはず、貴方には貴方の待つべき人の場所があるはずよ」
そう言って、懐に写真をしまう彼女に「それはどうかな?」と返す。
「今の私には、自分の為に生きる目的がない。やるべき事も分からないままだ。幼い頃に生き別れた義妹も居る。彼女を見つければ、何か変わるかも知れないと期待しているが、てんで足取りも掴めない状態だ。三年前に私のせいで、友人と呼べる男を亡くした事もある。こんな私だが、死んでしまえば悲しんでくれる相手がいる。こんな私の為に悲しんでくれる妹達の為なら今少し生きても良いと思っている」
妹二人は余計なお世話と言うだろうがね。と笑ってやれば、彼女は初めて私に同情的な視線を向ける。
「ララァ!!」
その時、ターバンを頭に巻いた男が大声で歩み寄ってきた。
「お前は、また! こんな、男とォッ!!」
俺は立ち上がり、その男に立ち向かった。まるで癇癪を起こしたDV彼氏のようだな。と思いつつ、彼の振り上げた手を右手で受け止める。
「良い船をお持ちだ。安い買い物じゃなかったはず……」
「……お前ッ!」
「今、彼女から聞いたが、ずっと仕送りを続けているらしいな。どれだけ彼女に金を渡している?」
「お前の、知った事では……!」
「彼女の稼いだ金で豪遊するのは、さぞかし気分が良いんだろうな!」
彼の服の袖を取り、そのまま一本背負いの要領で地面に叩き付けた。
カヒュッ! と息が零れる音。
海の向こう側から水を掻き分けるエンジン音が聞こえてくる。
武装船。と私が確認した時には、ララァが抱きつく形で私を押し出していた。直後、機銃を発砲する音と共に、停船していた彼の大型クルーザーが破壊される。爆発音と共に桟橋が崩れる。
ララァと共に逃げる私の背後で、男は海に転がり落ちてしまった。
「君の旦那は、随分と恨みを買っていたようだな!」
「違うわ! マナウスのマフィア、私のことをずっと狙っているの!」
「ええい! 兎に角、今は逃げるしかないな!」
路上に停まっていたタクシーに駆け込んだ。
狼狽する男。私は輪ゴムで留めた札束を叩きつけて、早く走り出すように命令した。人の多い場所へ。十分に距離を取った後、余った資金分で郊外まで走るように指示を出す。さりげなく、飛行機でインドに向かう事も口にしておいた。携帯端末で飛行機の予約を取る。
その時には、わかりやすく彼女の名前を使った。
今は市内にあるラブホテルを利用している。
こういう場所は、身元がバレないように配慮してくれるので、身を隠すのに丁度良かった。
備え付けのシャワーを浴びて、部屋に戻る。
ダブルベッドの上に座る褐色肌の少女は、そわそわと身を揺らす。
「どうした? シャワーは使わないで良いのか?」
「こんなとこに連れ込まれて、落ち着いていられますか!」
「普通のホテルだと足取りを掴まれるから仕方ない」
部屋に備え付けの冷蔵庫から飲み物を取り出し、椅子に座る。
「別に手を出すつもりはない。望むのであれば、今から一人で外に出ても良いが?」
「今更……ッ! 拾ったのですから、最後まで面倒を見てください!」
「面倒を、か。まあ妹があと一人、増えた程度では気にしないがな」
「何か飲むか?」と彼女に問えば「頂きます」と答えたので「自分で好きなのを取ってくれ」と促した。
瓶に入ったオレンジジュースの蓋を開けるのに苦戦する彼女を眺める。あまりにも上手くできないので、彼女から栓抜きを受け取って代わりに開けた。
嬉しそうに微笑む彼女。本当に家に帰るつもりがないのなら、と前置きした上で問い掛ける。
「私に、付いて来るか?」
「……迷惑に思っているのでは?」
「可愛い妹達のおかげで面倒と迷惑には慣れている」
「本当に?」
「嘘かどうかなんて、君にはすぐ分かるだろう?」
そう問い掛ければ、彼女は嬉しそうに目を細めた。
「私の特別な力を見た人は皆、薄気味悪く思うか、利用しようと考えたわ」
「特別だとは思っている」
「でも、私の事を力ではなくて、私自身を見てくれようとしている」
「私は、知っているだけだ」
あの小憎たらしい妹の事を思い出す。
特別な力を持っているからといって、その精神性までも特別だとは限らない。
彼女から特別な能力を除けば、ただの悪戯好きのクソガキだ。
「私と同じ能力を持っているのに……そんな風に思って貰えるなんて嫉妬するわ」
「アイツは、家族だ」
「ええ、そうね。それも含めて、羨ましいわ」
私の、家族は、と彼女は俯いてしまった。
「……遠い、場所に行こうと思っている」
「どこ? 遠い場所って? アメリカ? それとも日本?」
「もっと遠い場所だ」
天井を見上げる。地球に降りてからの半年間、もう主要都市は見終えていた。
なんとなく分かっていた。地球には、カナリアは居ない。地球に来た時から感じていた事、特に確証はないけども確信している。
ならば、もう、これ以上は地球に居続ける意味もない。
幸いにも、地球から宇宙に出る分には、面倒な手続きは必要ない。
金さえ払えば、身元不明でも旅客船に乗る事ができる。精々、持ち物検査をされる程度だ。
それは一人でも多くの人間を宇宙へと送り出したい地球連邦の怠慢だった。
翌日、宇宙へと飛び出す。
褐色肌の少女。彼女の名前はララァ・スン。
カナリアと同じ不思議な能力を持つ少女は、カナリアとは似ても似つかない性格をしていた。
特別な能力を持っているからって、特別な人間になれる訳ではない。
カナリアも、ララァも、普通の女の子なのだ。
◇
宇宙に戻った時、ア・バオア・クーに転属したドズル大佐の指示で私はダーク・コロニーの配属となった。
モビルスーツ部隊の編成と訓練は全てソロモンで行われる事になっており、モビルスーツ開発を終えたと同時にダーク・コロニーは役目を終えた。はずだったのだが、コンスコンを始めとした四人の男の要望により、今はモビルスーツを用いた実験施設として再稼働をしている。
そこにモビルスーツパイロットの訓練兵として赴くことになった。
階級は准尉、今年中に少尉への昇格が内定されている。
今はパソコン相手に、地球での環境についてのレポートを作成している。
出航の際にカメラは没収されてしまった。監視も少しずつ厳しくなっている。レポートと格闘しているとララァがココアを淹れてくれる。此処はパイロット専用の士官室、本来は一人で使う用の部屋に二段ベッドが設置されていた。ルームメイトには今、ベッドでココアの入ったコップに、ふぅふぅと息を吹きかける褐色肌の少女。ララァ・スンである。
何を思ったのか。あのドズルは、男女を同じ部屋に詰め込んだのだ。
「あら、如何なさいました?」
視線が合えば、彼女はクスクスと肩を揺らす。
頭を抱える。そういえば、ドズルは結婚したばかりという話だったな。
ええい、色ボケしよって! なんていう仕打ちだ!
元教職者としての肩書が悲鳴を上げているぞ!
「私は気にしていませんよ」
「私が、気にするのだ! まだ16歳の娘と一緒に居ると知られてみろ、ガルマがなんていうか!?」
「ガルマ……まあ! 可愛らしい人なのですね」
「ララァ!?」
「准尉、御安心ください。ただ私は貴方にも家族以外の友達がいるようで安心しているだけですわ」
私は、くしゃり、と自らの髪を掻き上げる。
このままでは、どうもいけない。カナリアは知った上で悪戯を仕掛けて来たが、彼女の場合は知った上で揶揄ってくる。性質が違うだけで、性質が悪い事には変わりない。この能力の事を“ニュータイプ”と定義するのは好きじゃないが、もしやニュータイプ能力を持つ人間というのはクソガキしか居ないのではあるまいな?
いずれにせよ、だ。主導権を取られたままでいるのは、私の趣味ではない。
私はパソコンを操作し、加工した画像をプリントアウトする。
「まだ作業途中だが」
そう言って、プリントした用紙を彼女に見せる。
「まあ、これは!」
「本当は写真に印刷した上でラミネート加工をしてから見せるつもりだったんだがな」
「准尉、ありがとう!」
彼女は、年相応の笑顔を浮かべて、家族の写真を印刷した用紙を胸に抱き締める。
「そこまで喜んでくれるのであれば、頑張って編集した甲斐もあるというものだよ」
綺麗になった画像をニコニコ顔で見つめる彼女を確認し、私はレポート作成に勤しんだ。
彼女が私の事を、シャア・アズナブルの名で呼ぶ事はない。
たぶん、これは分かっていてやっていることだ。