ありがとうございます。書くモチベーションになります。
誤字報告も大変助かっています。
目覚めは珈琲の一杯で始まる。
部屋に持ち込んだ電子ポットで水を温めて、珈琲の粉の入った袋を開いた。
その香りが鼻先を擽り、まどろみかかった意識の覚醒が促される。珈琲の粉をドリッパーに移し替えた。最初に少しだけ、湯を垂らして蒸らした後で二杯分の湯を注ぎ入れる。
珈琲の香りが部屋の中に漂う頃、二段ベッドの上段にいるララァがヒョッコリ顔を出す。
私の淹れる珈琲は味が濃くて、苦味が多い。それをたっぷりの砂糖と牛乳で薄めたものを「おはようございます」と眠たげに目を擦るララァに手渡した。牛乳は冷蔵庫に入れていたものだ。丁度良い具合に冷める為、彼女でもすぐに飲むことができる。
手元の携帯端末を操作する。
ニュースを確認し、それを確認した後は適当な書籍に目を通す。
「何を読んでいるのかしら?」
頭上から問い掛ける彼女に「星の王子さま」と答えた。
地球に居る時に幾つか購入しておいた有名な著作物の一つ。まだ地球から宇宙に飛び出せずにいる人々が、この星々の世界に夢想を抱いていた時に書かれたものだ。「可愛らしいタイトルね」と答える彼女に「まあ、童話に近いかな」と返す。色んな星々を渡り歩き、様々な偏屈家との出会いを経て、地球へと辿り着いて、最後は最初にいた星に帰る。そんな王子とぼくの出会いと別れの話だった。
私が読み終えた小説を机の上に置くと「少尉!」と彼女がベッドの上から飛び降りて来た。
そんな彼女を咄嗟に受け止めてやる。
「いけないな、ララァ。そんな事をしていては怪我をする」
「あら、少尉なら受け止めてくれると信じていましたわ」
「お手柔らかに願いたいな。何時でも受け止められるとは限らない」
「大丈夫よ、少尉なら絶対に受け止めてくれるから」
「そこまで信頼されると一度、落としてみたくなる」
ララァが私の首に抱き着いて、離れない為、仕方なしに彼女をお姫さまスタイルで抱えたまま洗面台に向かった。
「不自由はないか?」と問い掛ける。すると彼女は、おかしそうに笑って「今が一番、幸せですわ」と返してきた。「そうか」と適当に聞き流した私は、彼女に身嗜みを整えるように促す。
彼女は名残惜しそうに床に足を付ける。
別々に使うコップと歯ブラシ。
彼女が使った後、何故か同じコップに差してある事が多い。
それを戻すと彼女は不機嫌に睨んでくる。
知った事ではない。
ああいう輩は、隙を作るとつけあがると相場が決まっている。
「……カナリア、まだ知らない難敵……そうまでして私の前に立ちはだかるなんて……」
「あまり、無作為に人の心を読もうとするのは感心しないな」
「少尉にしかしませんわ。他の人の心なんて知りたいとも思わないもの」
ふん、と顔を背ける彼女を尻目に自分も自分で身支度を整える。
余談だが、アルテイシアも我儘を覚えた時は大変だった。カナリアがアルテイシアに色々と悪さを教えていた事もあり、二人が結託すると手が付けられない。カナリアと別れた後もアルテイシアには手を焼いたものだ。
ララァが部屋で着替え出す前に一人、先に部屋を出る。
軍務がある時、食事は食堂で摂っている事が多い。
後からララァが追いかけてくる頃には食べ終わり、午前の鍛錬を終えてから昼食を摂り、午後にはモビルスーツの操縦訓練に入る。モビルスーツを動かせない時は、シミュレーターを用いた訓練になる。
このシミュレーターのスコアには、ダーク・コロニーの前任パイロットのデータも入っている。
そこにランバ・ラルの名前を見つけた時は驚いた。ズムシティで幾ら探しても見つからない訳だと納得が行ったし、士官学校での三年間でカナリアが見つからなかったのも同じ理由だと察する。
パイロットとしての腕を磨き続ければ、ランバと接触できるかも知れない。
「いや、できるはずだ」
彼ならばカナリアの居場所も知っているはずだ。
幸いにもランバはダイクン派の人間。ドズルとの距離が近くとも、すぐザビ家の人間に報告をするような真似はしないはずだ。少なくとも私の立場を知る彼ならば、黙っていてくれる程度の配慮は期待できる。今、カナリアがどういう状況にあるのかは分からないが、それを知る為にも先ずはランバと接触する必要がある。
今の環境に満足しているのであれば、それでも良い。
その時は、その時に考える。
「それにしてもこのプロト・ゼロという人物は……本当に、人間か?」
全てのステージでスコアトップを維持し続ける異次元のパイロット。あからさまな偽名はジオン公国、延いてはザビ家の隠し玉であることが見て取れる。そういえば、ズムシティにはニュータイプ能力を調べる特別な研究施設があるとの話を聞いた事があった。
……もしかすると、そこにカナリアも居るかも知れない。
ドズルに頼めば、見学させて貰えないだろうか。ニュータイプ能力に興味がある。とでも言えば、あのドズルなら入れてくれそうな気がするな。
兎にも角にも、今はスコアトップのプロト・ゼロを抜かす事を目標に訓練を続ける。
数週間後、ランキングの最上段にはララァ・スンの名前が新たに刻まれていた。
その数日後にニュータイプ研究所の見学許可が下りる。
◆
地球連邦軍。ジャブローにある司令部にて。
「どうしたものかね」とゴップが溜息を零し、角砂糖を何個か入れた紅茶を啜る。
彼の手元にはひとつの封書、これには地球連邦の諜報部門が集めてきた情報が書かれている。内容は、ミノフスキー物理学の権威であるミノフスキー博士がサイド3からグラナダを経由し、アナハイム・エレクトロニクス社(以下AE社)に亡命するという情報だ。
ゴップは、ミノフスキー粒子を用いた技術には関心を持っている。
しかしモビルワーカーの兵器運用に関しては、懐疑的だ。
ジオニック社のモビルワーカーは、そのまま人間を大きくしたような人型の作業用機械だ。手先が器用という話も聞いているし、実際、月面の開発事業はモビルワーカーの開発から急激に効率が良くなっている事から作業用機械としては優秀だと思っている。
実際、月面都市グラナダを拠点にするAE社が「ジオニック社に後れを取って堪るか」と独占市場を恐れて、人型の作業用機械の開発に取り組んでいる。
この事からもモビルワーカーの有用性が認められていると言っても良い。
だが、人型は戦争に特化した形ではない。とゴップは考えていた。
それは戦車が車高を低くする事に労力を費やしたように、戦闘機が装甲を捨てて、速度と機動力を重視するようになったように、戦争には、その戦場に合った適した形があるとゴップは信じている為だ。
故にモビルワーカーは戦争の道具には成り得ない。仮に兵器運用をしたとしてもコストが見合わない。モビルワーカーを作っているよりも戦車や戦闘機を大量に作っている方が効率が良いに決まっている。
モビルワーカーは戦争の革新に足りえる存在ではない。とゴップは結論を出している。
「とはいえ、ミノフスキー物理学の権威だ。現代科学の最先端にいる人物を見殺しにする訳にもいかないな」
ゴップは、まだ宇宙のグラナダに滞在するレビルに指示を送る。
ミノフスキー博士の亡命を受け入れてくれ、と。そのすぐ後でAE社からの協力要請が地球連邦軍に届けられる。
モビルワーカーに対する認識が甘かった。
とゴップが認識したのは全てが終わった後の話になる。
◆
後世。ミノフスキー博士が亡命した理由に関して、様々な憶測が飛び交っている。
彼の弟子であるAE社のテム・レイ博士は、ジオン公国の技術力がミノフスキー博士を必要としない段階に入ってしまった為だと言っている。実際、ヅダに使われた技術力を鑑みるにモビルスーツの開発に、必ずしもミノフスキー博士が必要なくなってしまったのは事実だ。しかし、それでもミノフスキー博士は優秀な科学者であり、その功績をジオン公国が軽んじるとは考えにくい。
また別の理由は、ジオン公国の軍事力が突出し過ぎるのを恐れて、それらの技術をもって地球連邦への亡命を決心した。という話もあるが、これもまた考えにくい話だ。
そんな事をしてしまえば、より激化する事は目に見えている。
動機とは意外と単純なものである事が多く、それを社会が複雑にする。
ミノフスキー博士にはミノフスキー粒子の論文を発表した際に「そのような粒子は一度も検出されなかった」と現代物理学の権威から自分の論文の検証結果を出された過去がある。これによってミノフスキー博士は「ミノフスキー粒子は、あります!」という悲痛の訴えと共に学会から永久追放を受ける事になった。
業界から詐欺師の汚名を着せられた彼は、所属していた研究所からも追い出される事になる。路頭に迷っていたところで手を差し伸べてくれたのがザビ家の人間であり、以後、彼はジオン公国の保護下で研究を続けることになった。
何時か見返してやる。という執念が今のモビルスーツ開発に繋がっている。
そんな彼がミノフスキー物理学の権威と呼ばれるようになった後の話だ。
モビルスーツ開発の研究が一段落ついた時に彼が思ったのは、遠い地球の事であった。彼はサイド4の生まれだが、彼の両親は地球で生まれ育った過去がある。また故郷の地球に帰りたい。という両親の話を聞いて育った彼は、地球に対する強い憧れを持っていた。
彼がモビルスーツ開発に執念を燃やしていたのも、両親への恩返しの気持ちがあった。
両親が生きている内に地球の市民権を得て、両親を故郷のロシアに返してあげるのが彼の目的のひとつだった。それが目の前で潰されたのが先の論文発表の話である。そして、その時の物理学者は現在、ミノフスキー物理学の権威を追い出した愚か者として、世に知れ渡っている。
で、あれば、自分には、ジオン公国にいる意味はなかった。
義理はある。しかし、エレズムを信仰するジオン公国では、たとえ戦争に勝っても両親を地球に住まわせてやることはできない。それに戦争となれば、何年もかかるのが通例だ。老い先の短い両親に、再び地球の地を踏ませてやれない可能性の方が高い。
あとは、やはり自分は地球に強い憧れを抱いている。
地球に足を踏み入れてみたかった。
今の自分なら地球連邦も自分の亡命を受け入れる。
地球の市民権だって与えてくれるはずだ。そこに身内を含めるのは、難しい事ではない。
しかし、戦争が始まった後では難しい。
私は地球を侵略する兵器を作った地球連邦の反逆者であり、罪に問われる可能性すらあった。
今しかない。今を逃せば、次はない。
その想いが、ミノフスキー博士を後押しする。
◆
ミノフスキー博士の亡命は許されない。
何故ならば、彼はミノフスキー粒子が引き起こす電波障害に関する技術を誰よりも熟知している為だ。
これが地球連邦に知られてしまっては、ジオン公国の優位性が保たれなくなる。
「殺すべきだ」
ミノフスキー博士が亡命する気配をキシリア機関が捉えた時、映像通信で情報を共有したドズルの決断は早かった。
同じく通信を繫げているギレンが同調する。キシリアは殺すべきだと分かっていながらも、ドズルの決断の早さに驚愕する。彼は、もっと甘い人間だったはずだと。しかしギレンが重用するドズルが、ただ甘いだけの人間であるはずがなかった。18歳の時に戦場を経験し、現場を駆け回っていた男だ。幾度と修羅場を潜り抜けてきた。
ザビ家の中で、誰よりも戦場を知る彼はモビルスーツの派遣を提案する。
「一任する」
ただ一言、ギレンが告げる。
モビルスーツの秘匿は、重要ではない。
これは地球連邦に難癖を付けられないようにする為の方便に過ぎない。
重要なのは、ミノフスキー粒子の特性に関する情報だ。
「モビルスーツ部隊を出すのであれば、ひとつ提案があります」
キシリアの言葉にドズルとギレンが画面越しに視線を向ける。
「ニュータイプ研究所から一人、パイロットを派遣したい」
「ああ、あの託児所の?」
「託児所は最初の数ヶ月で閉鎖しました。今は優秀なパイロットが育っています」
「だが、若くなかったか?」
「それを言ってしまえば、士官学校の卒業生も18歳の未成年ですよ」
難色を示すドズルに、ギレンは少し考え込んだ。
「使えるのか?」
「動かすだけならば。しかし実戦は初めてなので、戦力としては未知数です」
「……ドズル」
「なんだ?」
「引率してやれ」
「分かったよ。最悪、逃げる程度の事はできるんだろうな?」
ドズルの言葉にキシリアが頷き返す。
「操縦技術だけならダーク・コロニーの面々にも引けを取りません」
「ならば、後はパニックを起こす事だけが怖いな」
着々と役者が揃い始める。着々と歴史の刻が進められる。
後に“スミス海の戦い”と呼ばれる戦闘は、こうして始まる事になった。
本作には、独自設定と改変された箇所が多数含まれております。