ありがとうございます。書くモチベーションになります。
誤字報告も大変助かっています。
76生には、秀才と呼ばれる二人の女性が居る。
片や綺麗に整えられた焦げ茶色の長い髪が特徴的な少女。地球連邦軍の中枢、参謀本部に務めるゴップ中将の養子だ。名をメアリー、実技は平均以上で座学は主席を直走っている。もう一人は小柄で金髪の少女、名をエリスと云った。小柄な体格が災いしてか体力はないが、銃器の扱い方や格闘術でトップの成績を取り続けている。座学もメアリーの次に良かったが戦術面や戦略面といった分野でメアリーに大きく劣っていた。
そして、このエリスという優等生は、メアリーの子飼いとしても知られている。
才色兼備でゴップ中将の養子であるメアリーを狙う男は多い。しかし彼女の隣には常にエリスがおり、許可なく異性がメアリーの身体に触れようとすれば、エリスが男の手首を取って締め上げる。まるで護衛である、というよりも実際、メアリーの護衛なのだろう。メアリーとエリスは一見すると仲の良過ぎる友人なのだが、二人の間には明確な上下関係があり、メアリーの言葉一つでエリスは態度を改めてしまうのだ。
エリスもまたメアリーを第一に行動している為、ゴップ中将が付けた護衛役と考えられる。
それが可愛らしい愛娘に対する護衛であれば良いのだが、養子という点が気になった。とんでもない厄ネタを抱えていたりとか、周りから生命ないし身柄を狙われる背景を持っていて、護衛を付けざる得なかったとか。考えすぎかも知れない。しかし、自分のような堅実に出世したい人間からすると彼女達は積極的に関わりたいと思う相手ではなかった。
だから俺は二人から距離を取るようにしている。
「ねえブライト、貴方の番よ」
それが、どうしてこうなったのか。
此処は食堂、目の前には三次元チェスの盤がある。三つの透明の板の向こう側には焦げ茶色の長い髪をした少女が不貞腐れた顔で俺を見つめていた。その彼女の隣に座るエリスが睨みを利かせている。俺は居心地悪く頭を掻いた後、駒のひとつを摘まみ取って置き換えた。
するとメアリーは、ノータイムで駒を前に進める。
「……なあ、どうしてチェスの相手が俺なんだ?」
「? エリスだと相手にならないからだけど?」
「相手なら他にも居るだろう……」
「他の皆はエリスよりも弱いからね」
正攻法だと普通に強いのよ。とメアリーはエリスに視線を送る。
僅かにエリスの口元が緩んで彼女から感じる圧がほんのり和らいだ気がした。
まあ周りからの視線で針の筵には、なっているのだが。
それもそのはずで二人は成績が優秀なのもあるが、容姿も良かった。
特にメアリーの方は、雑誌のモデルと言われても信じてしまう程である。
胡散臭いものを感じなければ、俺も心から喜んでいる。
「俺も得意な訳ではないのだけどな」
「ブライトが相手の時は駆け引きあるから他とは雲泥の差よ?」
「全敗してるのに言われても、嫌味にしか聞こえんよ」
数手程進めると形勢は徐々に悪くなる。
幾つか罠も仕掛けておいたのだが、罠を仕掛けた分だけ形勢が悪くなって真正面から押し込まれてしまった。見抜かれていたのだろうな、たぶん。彼女は策を弄するタイプの人間だが素直な手を打ってくる時も多い。素直に打たれると策を弄した分だけ手数を損して、推し負けてしまうのだ。盤面を複雑にしようとすれば、彼女は少し考えた後、最善の手を打ってくる。
正直もう貴女の相手をするのも苦痛になってきている。
「………………」
これだけ頭の良い彼女だ。
何故、彼女は、ジオン公国が軍拡を進める今の情勢に士官学校に入学したのだろうか。
お金に困っている訳でもあるまい。彼女には、もっと良い選択もあったはずなのだ
ふと思いついた疑問が「どうして」と口から漏れてしまった。
「どうしたの?」
「いや、何故、君が士官学校に入学したのか気になったんだ」
「お義父様の力になりたいのよ。あ、チェックメイト」
会話をしながらも進めていた手番に自分のキングが詰め寄られていた。
これで何敗目か、もう数えきれない程に負けている。
「ありがと、楽しかったわ」
彼女はエリスに三次元チェスの盤を片付けさせて、自分はウンと身体を伸ばす。
「ブライト、貴方はなんで士官学校に入ったの?」
「俺は……親が軍人だから……」
「なら私と一緒ね」
いや違う。という言葉は彼女の笑顔の前に飲み込んだ。
父親は今も軍隊で働いている。おかげで軍は俺にとって身近なもので、自分が軍人になる事に忌避感はなかった。それに連邦軍の士官になれば、宇宙に飛ばされる事もなくなる。宇宙に出勤する事はあるかも知れないが、生まれ故郷である地球に家を持つ事が許される。
スペースノイドの暮らしは苦しいらしい。
今はまだアースノイドという身分を捨てたくなかったのも理由にある。
自分が軍人になったのは、決して父親や家族の為ではない。
全ては保身の為だった。
「……誰もが聖人君子では息が詰まりますよ」
そう呟いたのはエリスだった。
唐突な言葉に俺が首を傾げれば、エリスはそっぽ向いてしまった。
彼女は俺に対する当たりが強かった。
「貴方は良い人よ、でなければ話しかけたりとかしないし。あと良い意味で無神経なとことかも得点高いよ」
メアリーが言って、エリスと共に食堂を引き上げていった。
取り残された俺は首を傾げるばかりである。
……さて、俺も食堂を引き上げた方が良さそうか。
此処に居ると何時、背後から刺されるか分かったものではない。
◆
「始めッ!」
教官の掛け声に合わせて、横一列に並んだ士官候補生が一斉に小銃を構える。
安全装置を解除し、射撃訓練用の的に標準を合わせる。引き金を引いた。発砲の衝撃を肩で受け止める。喉を奥が振動する感覚、銃弾は的の脳天の中心を撃ち抜いた。続けて、二度、三度と発砲すれば、的に空いた小さな穴が僅かに広がる。そのまま訓練用の残弾を撃ち尽くす。銃弾は全て、急所の中心を捉えている。
私は小銃から手を放し、ほっと息を零す。
薬莢を回収しようとして伸ばした手が震えていた。
まだ半身が痺れている。同期と比べて小柄な身体、それもそのはずで私は年齢を二歳も逆鯖している。何度か手をグーパーを開閉させて、薬莢を回収。銃弾の入っている箱に入れる。ちゅうちゅうたこかいな、と訓練前に渡された銃弾数と同値である事を確認し、教官の前にある机に戻した。
そして列に戻ればメアリーお嬢様が、まるで自分の事のように自慢気な笑みを浮かべていた。
流石に、この場で私の頭を撫で回すような真似はしなかった。
後で褒めて貰えるのは確実だ。私も緩みそうになる口元を必死で抑えて、残りの訓練を見守る。
お嬢様も銃器の扱いが下手という訳ではない、得意な方だ。
私程ではないにせよ、中心にある円よりも一つ大きな円に収める程度には腕が良い。
私は実技全般が得意だ。格闘術であれば、自分よりも体格のある相手を投げ飛ばす事も出来た。相手がナイフを握っていれば、奪い取って制圧する。私にないのは体力だ、年齢の差は覆す事は難しかった。ペイント弾を用いた実戦訓練でも、ほとんど負けなしだったけど、持久力勝負に持ち込まれると途端に苦しくなる。体力が重要視される分野になると成績が平均以下と振るわない。私が実技で主席が取れない要因であった。
校内では、お嬢様と共に行動している。トイレに行く時も一緒で、大浴場にも一緒に浸かる。個室のシャワーで汗を流す時も一緒だった。お嬢様は未だに私の身体を洗うのは自分の役目だと考えている。それでいて自分の身体は自分で洗うので、周りからの目が少し変な目で見られていたりする。
何事も、基本はお嬢様の意思決定で私の行動も決まる。
だけど一つだけ私の興味で受けている訓練があった。
それは人型作業機免許の取得、
ドラケンAの操縦する為に必要な資格になっている。
これはジオニック社がモビルワーカーを発表した時から法整備が進められていたものである。
AE社のドラケンAの発表と合わせる形でモビルワーカーを始めとした人型作業用機械の操縦には免許が必要だと地球連邦の法律に定められた。士官学校に入学した後、連邦軍の中に人型作業機訓練所がある事を知った私は、卒業するまでの免許取得を目的に通い詰めている。
そして私に付き添う形で御嬢様も訓練に参加していたりする。
学業と並行していた事もあって、免許が取れたのは1年目の終わりになった。
お嬢様は2年目の始めまで時間が掛かっている。ドラケンAの操縦が出来ると知られてからは資材の搬入から設営、訓練場の整備と各地に引っ張り蛸となった。でもまあ私に高価な作業用機械なんて用意できるはずもない。士官学校にもまだ確立されていない分野である為、乗れる機会を与えてくれるならと積極的に参加させて貰った。お嬢様の声に従って、物資を運搬する。お嬢様は人型ロボットに乗る事に拘りはないようだった。
お嬢様のオペレートを耳に今日もドラケンAで搬入作業と手伝っている。
おかげで私達の評判は、教官の間でも評判になっていた。
◆
士官学校に入ってからも私とエリスの関係は変わらない。
学業を終えて、寮室に戻る。私は制服を脱ぎ捨て、下着姿で二段ベッドの下に腰を下ろす。すると同じく下着姿になったエリスが私の胸元に飛び込んで来た。胸の合間に顔を埋めながら深呼吸をするエリスの頭をくしゃくしゃっと撫で回す。寮室の外に居る時、エリスは四六時中気を張り詰めている。流石に士官学校の校内でどうこうする馬鹿は居ないと思うが、万が一に備えて、エリスは自身の持つ特別な能力で周囲を警戒し続けていた。
そのストレスを発散する為にも、部屋に戻る度に彼女の気が済むまで抱き締めさせてやっている。
二段ベッドの上は物置になっている。
実家とは違って、此処では私達の仲を妨げる存在は居ない。エリスのメンタルケアも含めて、夜中は一緒に寝る事が多かった。気付いた時には習慣になっており、使わなくなったベッドの二段目に荷物が増えていったのである。エリスのメンタルケアは、基本的に抱き締めてやるだけで事足りる。しかし、それでは解消できない鬱憤があるようで時折、犬耳と尻尾を付けた彼女の首に紐付きの首輪を南京錠で固定する。
そして首の紐を引っ張りながら様々な芸を命じてやれば、彼女はワンと鳴いて喜んだ。
なんというか束縛されるのが好きな奴なのだ。
彼女が持つ理性と常識が私に対する気遣いで色んな事をしてくれる。
だけど本当は私に支配されたいと思っているようで、
自由を奪われる度に嬉しそうな顔をする。
彼女の身体を私が洗うのも、彼女が大好きな不自由の一環だ。
数年以上、彼女は自分で自分の身体を洗った事がない。
時折、私が彼女の歯磨きもしてあげている。
私もまた彼女から自由を取り上げるのが好きだった。
頭の中を空っぽにして、私に全てを委ねる。
そうして犬になる。犬になった時の彼女は人間ではなかった。どんな恥ずかしい事でも私が命令をするだけで彼女はワンと吠えて従った。なんでもしてくれる。何処まで命令に従うのか試した事もあるけども、何処までも命令に従うので逆に私の方が慌てて止めた事もある。
彼女は他人の心が読める。
私の護衛という都合上、他人の感情を避けられない。悪意は勿論、欲望を以て私達に接触する相手も少なくない。接触せずとも私達に恨みや妬みを持っている者も多く、その全てを彼女は読み取っている。その負担はきっと、私が思う以上に大きいはずだ。
だから私は彼女に何も考えないで済む時間を用意してあげる必要があった。
犬になれ、犬になって私に全てを委ねるのだ。
極端に布面積の少ない下着姿。
お腹を晒して「くぅん」と鳴く彼女は他で見せられるものではない。
私にだけ許された、私だけのエリスだ。
「首輪を付けている時は、私の心だけを覗きなさい」
一瞬、エリスの目に正気の色が戻った。
そして瞳を濁らせる、彼女は嬉しそうに目を細めた。
懐いた犬が飼い主にするように、
彼女は私の身体に自分の顔を擦りつける。
人ではない、エリスは犬である。