「大丈夫かー、篝ー?」
「な、なんとか……」
目元を腕で覆いながら、篝は上から降ってくる声に弱々しく返した。
遊園地の片隅にある木製のベンチ。
遊具から離れた場所に設置されているからか、周囲に人影はあまりない。
お陰でゆっくりと体を休めることができる。
先ほどのジェットコースターの影響だろう。
篝はくたびれたように横たわっている。
その頭を膝の上にのせて、ついでとばかりに手櫛で髪を梳いているのが姫奈美だった。
事ここに至って役得は彼女のほうらしい。
いつぶりかになる幼馴染みの髪の毛をいじりながら、鼻歌まじりでこの時間を堪能していた。
「絶叫系、やっぱり苦手なの変わらないなぁ、うん?」
「う……、だ、だって……怖いものは、怖いし……」
「ああ、別に責めてるわけじゃない。ただ、篝らしくて良いなあって」
「なにが良いの……」
「なんでも良い。篝だからな。うん、よしよし、もう怖くないぞー」
「子供扱いしないで……」
同い年だよ、とちょっと怒った様子で瞳を覗かせる篝。
そんな幼馴染みに「ごめんごめん」と謝りつつ、姫奈美は再度ぽんぽんと頭を撫でた。
怒った顔もかわいいぞー、なんて言わんばかりの態度である。
「……っと、そろそろ落ち着いてきたみたい。ありがと。もう大丈夫だよ」
「そうか? まだ顔色がすこし悪いぞ?」
「平気平気。これぐらいなんてことないから」
「ん、そっか」
ぽんぽん、さらさら、なでなでと。
「……姫奈美ちゃん?」
「なんだ?」
「あの、手……」
「手が、なんだ?」
「えっと……ほら。ちょっとずつ回復してきたから……」
「そうかそうか」
よかったなあ、なんて言いつつ姫奈美は頭を撫で続けている。
はたして本当に声が聞こえているのかどうか。
一向にその手は止まりそうにない。
「……姫奈美ちゃん、撫ですぎ……」
「えー」
「えーじゃないよ。恥ずかしいからそのぐらいに……」
「あと五分……」
「まだ粘るんだ……!?」
果たして頭を撫でるのがそんなに楽しいのだろうか、なんて疑問に思う篝。
彼自身、ちょっとクセのある髪の毛は寝癖やシャンプーで苦戦する代物でしかない。
とくにコレといった思い入れもこだわりもないのだが、彼女はどうにも違う様子。
ゆっくりと篝の頭に指を這わせる表情は、なんというか、偏執的な慈愛に満ちている。
「ん、よし、一旦満足。それじゃあ次に行くか」
これで一旦なんだ、とはあえて言わなかった。
理由は分からない。
こう、直感的に。
「どこにする? 一応パンフレットは取ってきておいたが」
「うん、どうしよっか。ここから近いのだと……メリーゴーラウンド?」
「近場から回っていくか? それだと味気ない気もするが……」
「それもそうだね。うーん……」
はてさてどうするべきか、と頭を悩ませる幼馴染みズ。
初っ端からインパクトある遊具を選んだのもあって、これから先はわりと大人しめ。
絶叫系はいくつかあるが、流石に二回連続してというのも風情がない。
かといってどれが良いかと言われると、やっぱり考えこんでしまうわけで。
「――ん、こういうときは神様仏様星霊様だな。あみだで決めよう」
「あ、なるほど」
ガリガリと近くにあった木の枝で、姫奈美が地面に線を引いていく。
線の数は六つ。
それぞれ適当に良さそうだと思ったものを終点に書いて、お互いまばらに横の分岐を書き足していく。
始点はカンで真ん中から。
スルスルと土の上のルートをなぞりながら、枝の先端は揺れに揺れて。
「む」
「あ」
ピタリと、止まった位置をふたり分の視線が見つめた。
そこに書かれていたのは――
◇◆◇
それはひっそりと、広い遊園地の片隅に、隠れるように建てられていた。
つくり自体は新しい。
外見はどことなく古びているが、それは塗装によるものだろう。
中に入ると、すぐ傍に受付があった。
電灯の殆どが落とされている室内で、そこだけが異様な明るさを放っている。
学生ふたり分の代金と、貸し出し用の
通路はそれなりに広い。
隣に並んで歩いてもまだ余裕があるぐらいで、建物のなか特有の狭さは感じられない。
代わりに、薄暗闇がちょっとした息苦しさを演出している。
暗い廊下。
静かな屋内に、物音はよく響く。
コツコツと反響する靴音と、ため息とも取れないような吐息、それと、わずかに聞こえる衣擦れの音。
「姫奈美ちゃん?」
「……なんだ?」
「平気?」
「……全然」
断言する彼女に、そっか、とだけ答えて歩を進める。
大体、顔色を見ればわざわざ聞かなくても分かるコトだった、と。
意図的につくられた暗闇のなかを歩くこと数秒。
ほどなくして彼らの目の前に現れたのは、ボロボロになった木製の扉だった。
剥げたペンキ、欠けた木片、風雨を浴びたかのような腐蝕の度合い。
金のドアノブには強引にメッキを剥がされた痕がある。
やはりというか、そういう装飾なのだろう。
「入り口、みたいだね」
「……ああ」
「入るよ?」
「……ああ」
「……姫奈美ちゃん?」
「……ああ」
ちらりと彼女のほうを窺うが、ここでは最早暗くて顔はあまり見えない。
ただ分かるのは、篝の腕にぎゅっと抱きつく誰かが居る事と、その誰かが小刻みに体を震わせている事ぐらいである。
いや、本当、聞かなくても分かるコトだった。
「……じゃあ、行くよ」
メッキの剥がれたドアノブを回して、篝はゆっくりと扉を開いていく。
これより先の光源はできる限り排除されている。
今まで歩いてきた通路ですら明るく見えるほどの暗闇。
手元のライトを点けながら、一歩足を踏み入れた。
コツン、と高く響く足音。
ドアの向こうには未だ続く長い通路と、荒れ果てた内装。
ジェットコースターのような激しさは無いが、遊園地を代表するアトラクションとしては鉄板とも言える屋内型の施設。
人の手によって昼間からつくられた暗闇は、自然のものとは違って計算され尽くした恐怖をあおる。
訪れた者を原初の不安で歓迎する、静けさと気味の悪さに満ちあふれた遊戯の館。
ホーンテッドハウス。
またの名をお化け屋敷というそれが、彼らの偶然が引き寄せた次の行き先だった。
「…………、」
「…………っ」
向かう先を懐中電灯で照らしつつ、言葉も少なに奥へと進んでいく。
通路の様子は一言でいってしまうと悲惨。
割れた窓ガラスに、傷付きラクガキをされたまま放置された壁面や床。
鍵付きのロッカーがびっしりと並ぶ様は少し不気味だ。
自然の闇、深い山奥や夜の森の怖さを知っている篝たちだが、だからといって人の手が入った闇も侮れない。
そこに理論、知識が混ざっているが故に、怖さは勝るとも劣らない。
「……凄い本格的だね。幽霊とか本当に出そう」
「そう、だな」
カツカツと、足並みを揃えて通路を直進する。
入り口から伸びる廊下は、ある程度まで先に行くと右に曲がるようになっている。
分かれ道や寄り道の類いはない。
とりあえず今のところはなにもなし。
始まったばかりなら、まだ派手な仕掛けもないのだろう。
――と、曲がり角の先へ進もうとしたとき。
「――!?」
バガン! と。
背後から強烈な音を叩きつけられる。
静寂を切り裂くような、なにかを打ち破る轟音。
油断したところへ差し込むように訪れた衝撃は、一瞬、思考の一切を空白化させる。
理解に一秒、それから反応して行動に移すのに一秒。
くるりと振り向いた篝は、今し方来た道をライトで照らした。
――そこに。
「…………ロッカーの、扉?」
きぃきぃと、金属製の軋みをあげながら揺れる音の正体。
風に揺れるでもなく、誰かに動かされるでもない微弱な動作は慣性・惰性によるものだ。
通り抜けたときは全部が閉まっていた。
そこそこあるロッカーの扉だ、開いていれば否が応でも邪魔になる。
それを閉めた記憶も、避けるように歩いた記憶もない。
仕掛けであるのは明白だった。
「――びっくり、したぁ……雰囲気も、あるのかな。簡単な仕掛けなのに、頭が追いつかなかった……ね、姫奈美ちゃんはどう――」
と、隣の幼馴染みに声をかけたところで、あ、と彼女の事情を全て思い出した。
「――――、……――!」
『……そっか、そうだよね。そうなるよね……』
曖昧な笑みを浮かべつつ、よいしょと懐中電灯を手に膝を折る。
蹲る姫奈美の肩は、気持ち微かに震えているようだった。
いや、実際に震えている。
ガクガクブルブルと全身をマナーモードの携帯みたいに振動させる彼女に、いつものような鮮烈さはない。
胸を張るどころか怯えて頭を抱えている様子は、真実年相応の一人の少女としての姿だけが残っている。
――そう。
にわかには信じがたいし、きっと学園での活躍を知る誰もが信じることはないだろうが。
彼女――十藤姫奈美は、幽霊とかお化けとか、そういうホラー系が大の苦手だった。
「……大丈夫、姫奈美ちゃん?」
「な、なな、なんだいまの! いまのなんだ!? オト、すごいオトした――!!」
「ああ、うん。ロッカーが開いただけみたい」
「か、勝手に? なんで!? あああッだから怖いのは嫌なんだよもうー!!」
「……心霊現象とかじゃないよ?」
「それでも怖いのは怖いんだよぉ! うぇぇー! かがりぃー!!」
「わわっ」
がばぁっ、と凄まじい勢いで抱きついてくる姫奈美をなんとか受け止める。
本気で怖かったのだろう。
目尻に涙をためた彼女は、普段とはまた違った可愛らしさがある。
……若干バチっているのは篝的にトラウマを抉られかねないので無視しておいた。
「やっぱり駄目? こういうの」
「だ、だって、だって! うぅう! と、というかっ、おまえも小さい頃は苦手だった筈だろ!? 一緒に怖い話とか見て怯えてたじゃないかー!!」
「あ、うん。なんていうか、慣れちゃって」
「慣れるのか!? これが!?」
ありえない! と叫ぶ姫奈美だが、よもや彼女が知る由もない。
遡ること去年の夏休み。
お盆を前にして学期末テストの赤点補習で学園に残っていた彼は、事情を同じくしていた
話してしまった。
その翌日である。
『とりあえず有名どころ二十作借りてきたから徹夜でマラソンな!』
帰ってくるなり早々、レンタルビデオ屋の袋を掲げながら満面の笑みで言う同居人。
そこからは見るも無惨、聞くも凄惨な地獄のパーティータイムだ。
四六時中見せられる恐怖映像の数々。
小さな物音やインターホンの音ですら心臓を縮み上がらせる毎日。
電話をまともに握れなくなり、鏡面恐怖症に陥り、日常生活がどうしようもなくなりはじめたそのとき――篝は弾けた。
要するに、あまりの恐怖にキャパオーバーを起こして心が麻痺、ついでにとんでもないホラー耐性を獲得して今に至る、というわけなのだった。
「うぅ……もうやだぁ……」
「……引き返そうか? 入り口はすぐそこだけど」
「引くぐらいなら前に進む……」
「あ、そこは曲げないんだ……」
こんなときでも彼女らしい解答にちょっとだけ嬉しくなる。
迷いも躊躇いも一切ない即答は、最初から姫奈美の心に根付いた考え方からだろう。
怖くはあるし、嫌でもある。
が、それはそれとして後ろへは下がらない。
動くなら前進あるのみ。
退くのは本当にどうしようもなくなった最後の最後だけ。
……そんな彼女の事を、やっぱり篝は眩しいと思った。
こんな時でも、とても綺麗だと。
「……手」
「? どうしたの、なにか」
「手! ……を、握ってて、ほしい。あと、その……腕に摑まってても、いいか……?」
「――うん。ぜんぜん」
「……ん」
ぎゅ、と左手に絡まる姫奈美の指と、それを握り込む篝の手。
お互い自然に繋いだ形がいわゆる〝
ただ相手の温かさを感じて、息を整えて、跳ねる鼓動を落ち着かせていく。
幼馴染み同士、長年の付き合いはすこし距離があいても誤差のようなもの。
篝は篝なりの、姫奈美は姫奈美なりの、ふたりで過ごす当たり前が胸に残っていた。
「……じゃあ、行こっか。なにかあったら、骨ぐらい持っていってもいいからね」
「そんなことするか、ばか。私をなんだと思ってるんだ」
「だって模擬戦のとき――あ、いや、なんでもない。タンマ。これちょっと、タイム」
「??」
迂闊にもトラウマスイッチを入れかけて、篝はぶんぶんと首を振る。
「……っし、気を取り直して。行こう」
「…………うん」
手と手を強く握りしめながら、ふたりは通路を更に奥へと進んでいく。
薄暗闇を照らすのは手元のライトひとつだけ。
あまりにも頼りない光源を走らせて、不気味に溢れた施設をゆっくりと踏破する。
恐怖の旅路は、まだ始まったばかり。
「きゃーーーっ!!?? かがり!? なんか、なんかいたーーー!!」
「落ち着いて姫奈美ちゃん。あれ模型、人体模型だから……」
「う、うごっ、動かなかったかいま!? 気のせい!? かがり!? なあかがり!?」
「大丈夫だから。ほら。大丈夫。だから落ち着いて。なんか、バチッてるから」
「かがりぃぃいいーーーーー!!!!」
……そうしてしばらく、お化け屋敷には少女の悲鳴と、青白い稲妻が迸ったという。