地面から湧き上がるように逆巻く火炎の渦。
限りなく放出する星の力。
腰だめに構え、鞘へとおさまった星剣に灼熱の色が灯っていく。
『…………っ!』
怖いほどに高まっていく神秘の奔流。
気を抜けば自我さえ塗り潰しそうな星刻の光を、篝は確固たる意志を持って凌駕する。
握り込んだ柄にはたしかな感触、身体中に満たされたエネルギーは不足を補って余りあった。
最早、後ろを振り向く気などない。
彼らにとっては広く、力を開放するにはあまりにも狭い舞台の上。
それまで何物にも押されることのなかった青雷が、燃え盛る赤炎とぶつかり千切れていく。
「――――――ハ」
その光景に、現象に、何よりたしかな現実に。
青雷の主は、弾けるように笑った。
「く、ふは、はははっ――あはははははははは――――!!」
心の底から浮かべる、吹っ切れたような喜色満面の笑み。
姫奈美の瞳は爛々と輝いている。
つり上がった口の端は裂けるかとでも言わんばかりだ。
その感情に呼応するかのように、撒き散らされる稲妻が威力のほどを増していく。
「篝、篝っ……ああ篝!!」
名前を呼んだ少年は真っ直ぐ見据えた先にいる。
低く腰を落とし、星剣の柄へと手をかけた抜刀の構え。
彼に居合術の心得はない。
それは磨かれた技ではなく、唯一濁らなかった本来の太刀筋が閃く残滓。
全ての原因、全ての根源、そして全ての始まりだった篝の過去を示す反応そのもの。
故に火星霊は、ただその一刀にこそ賛美を傾ける。
「おまえはやっぱり最高だ!!」
これ以上はない解答に心が躍る。
感情が否応なしに昂ぶる。
仕方がない、なにせ相手はかの少年。
彼女が誰よりも信じた唯一無二の幼馴染みだ。
「何度も何度も立ち上がって! 折れずに諦めないでいてくれて! その上この土壇場で、同じ領域にまで辿り着いたというのか!?」
唸る青雷が叫び声のごとく快音を鳴らす。
周囲の空気を切り裂いて、空間ごと削り取りながら、最愛の好敵手を前に天井すら突き破る勢いでのたうち回る。
「ああ、それは――」
顔がほころぶ。
抑えられない。
抑えきれるはずがない。
なにせこんな展開、こんな場面、こんな状況を前にして、冷静でいられるのなら彼女はとっくに戦いを止めている。
「それは、なんて――――ッ!!」
身体をうち震わせる声にならない歓喜の衝動。
姫奈美の目には篝しか映っていない。
映す必要がまるでない。
観衆の声? 周りの環境? そんなものはどうでもいい!
他にはない無二の光、素晴らしい、見事だ、至高だ最高だ誰より何より大好きだ!
これでなにをどうすれば、荒ぶる心を静めさせるコトができる――!
「ああ、ズルい、ズルいぞ篝! そんなモノを向けられたら堪えきれない! タガなんか外れるに決まっている! いいや、むしろこんなのは興奮しないほうが間違いだ!」
銀色の刃、彼とは対照的な鞘も鍔もない星剣の切っ先が、一心に構える篝へと鋭く向けられる。
雷撃は大蛇か龍の化身じみた暴威で世界を埋め尽くす。
轟く雷霆は不敗にして常勝たる無傷の玉座そのもの。
ならば、逡巡は一秒とて無かった。
「後先なんて考えるまでもない! 正真正銘、全力全開で行かせてもらう――!!」
顔の横に構えられる鋭利な先端。
翻弄、攪乱、または幻惑。
青の速さは活用こそ多岐にして強力な性質だ。
だが必殺、必中、必滅を再現するなら余計な動作は要らない。
――疾走し、突き抜ける。
面ではなく、線ではなく、描かれるのは〝点〟の刺突。
それこそが雷星霊が究極の一と認知した、勝利を表す彼女の極意。
「さあ、勝負だ!!」
「――――ッ」
右脚にため込まれる力と、破裂の寸前を思わせる静かな構え。
遠く離れた眼前から放たれる雷撃の余波が、篝の火炎と反発して消えていく。
恐ろしきは相手と自分が成している現象すべてだった。
こんな馬鹿げた力を、威力を、己の意思一つでどうにかできる。
それと同じかはたまた上の力が、今からこの身に降りかかる。けれど、
『――目を逸らすな! 歯を食いしばれ!』
それでも篝は姫奈美を見据えて、残った右手だけで剣の柄を握り締める。
『退いたら駄目だ! 怖じ気づいてちゃ始まらない!』
鞘は固まっている。
押さえるまでもない。
この状況を尊ぶ
『頑張れ! 頑張れ頑張れ頑張れ!』
最弱にして勝利はなし。
屑星と断じられた彼の素質は、それでもなお開花した。
『その為に今まで努力してきたんだろ! その為にここまで必死になってきたんだろ!』
奇跡が起きようと勝てる道理はない。
彼我の実力差が埋まることはない。
ならばそれは奇跡ではなく。
彼の培ってきたモノが練り上げられた確かな軌跡だ。
『だったらこんなところで立ち止まってなんていられない!!』
――さあ、期待がないなら目を見開かせ。
知らないのならとくと見るが良い。
ここに在るのは赤炎を纏う灼熱の剣。
胸に抱えた想いで限界を越えた一人の男児。
これより運命を塗り替える、新たなる史上類を見ない技の担い手――
『弱気で泣き虫で臆病者で! ダサくて格好悪い僕だけど――!』
燃え上がる火を集中・解放に特化させた色合わせの星刻使い――!
『――それでも! 譲れないものがあるんだ――――!!』
吹き荒れる熱風が大挙する青雷と衝突を繰り返す。
膨大な数と才能で塗り固められた盤石なチカラと、それに及ばずとも性質の相性とかっちり嵌まったコトで対を成すチカラ。
互いの実力差はかけ離れているが、同時に鬩ぎ合ってもいる。
勝敗はどちらに転がってもおかしくはないように。
正しくこれは意地の張り合いに他ならない。
『――真ん前から貫き穿つ!!』
『――真正面から迎え撃つ!!』
ガンとぶつかる強烈な視線。
交錯する意志が稲妻のように火花を散らす。
「行くぞ篝ぃぃぃいいいいッ!!!!」
絶叫と共にため込まれた右脚の力が解き放たれる。
青の加速。
通常時を遙かに上回る能力は、彼女の体を一瞬で神速へと引き上げた。
星刻の輝きはおさまらない。
星形の痣がなにかを訴えるように疼いている。
だが構わない。
構うものかと、姫奈美は躊躇なく自らの終焉の象徴たる青雷を迸らせた。
『先が短いことなんかもうどうでもいい!!』
突き進む肉体は砲弾や弾丸よりもなお速い。
踏み砕いた地面がその衝撃に粉塵と散る。
『ああそうだ! ついに見つけた! これが私の求めた生の真髄だ!』
疾走する青い稲妻は音を越え、光を裂き、空を断ち世界を歪める。
『篝!! おまえと全力を出して斬り合うのなら他のなにも些事に過ぎない!!』
握り締めた刃には極光のごとき雷霆。
すべてを打ち砕く勝利の輝きは、己の身体すら傷付けて脅威をこの世に知らしめるものだ。
『長く生きる必要がどこにある!! 今この時が私の総てだ!!』
止まらない、止まれない。
止まる必要が微塵も無い。
その理由も見当たらない。
『これで終わっても悔いはない!!』
真っさらな心には素直な感情だけが残っている。
余分なモノは後方へ千切れて消えた。
『ずっとずっと待ち侘びていた!! ならば後悔も心残りもとっくの昔に消えているさ!! この先ある筈だった何年、何十年にも勝る至高のひとときだ!!』
カッと見開かれた紅い瞳に、少年の影が色濃く映る。
『間違いない! いま確信した! 私は、この一瞬の為に走ってきたのだと――!!』
数々の記憶、覚悟、長年に渡る彼への想い。
走馬灯のように脳裡へ蘇る過去を、姫奈美は凄絶な笑顔と共に突き進む動力へと変換する。
「
たったひとつの確かなもの。
勝利を告げる超高速の青い刺突。
磨き抜かれた人の御技は、星の輝きに後押しされて鋭い切っ先を走らせる。
さながら天を翔る龍の顎門だ。
川を遡行し滝を登り、宙へと舞い上がる青き龍。
――ならば、その先に待ち構えるのは空に浮かぶ日輪か。
『――集中しろ! 余計なことは頭に入れるな!』
今にも暴れ出しそうな星の力を押さえ込みながら、篝は迫る落雷を真っ直ぐ見詰める。
神速の突きは通り過ぎるのも瞬きの合間だ。
おそらく決め手はたったの一合しかない。
そもそも、こんな状況になっても彼のトラウマは残っている。
刀身を抜いてしばらくすれば、またみっともなく手が震えてしまうのは目に見えていた。
『そうだ! 今はただ、彼女にこの刃を当てるコトだけ考えていればいい!!』
交差は一瞬、タイミングはコンマ以下の世界。
チャンスは一度きりで、それを逃がせば身体的にも時間的にも次はない――
『――それがどうした! 分かりやすくてちょうどいい! 一回しかないならそこに全てを注ぎ込むだけだ!!』
まともに振るえるのはただ一撃。
それこそが彼に許された唯一の煌めき。
『ほんの一瞬、たった一度だけでもいい! 彼女に手が届くならそれで十分すぎる!!』
純粋な眼が好敵手を捉える。
大事な人だった。
大切な幼馴染みだった。
大好きな女の子だった。
彼の存在意義、胸に抱えた愛情そのもの。
男としてはらしくない。
重い気持ちはきっとどこか女々しい自分の抱えた余分な贅肉だ。
だけど、
「――おぉぉおおおぉおおおおおッ――――――!!!!」
悔いはなかった。
自覚したことに対する嫌悪もない。
ああ、きっとあの時、まだ自我も曖昧な幼い時分に会っていなければこうはならなかっただろう。
彼女と他人同然の関係であれば、これ程までに辛い思いをすることもなかったはずだ。
……でも、出会ってしまった。
あの時に相まみえてしまった。
なら仕方がない。
もう戻れない。
それがすべてだ。
否定するまでもなく、現実という高い壁として存在している。
――そうだ。
目の前にあるのは壁。
互いの未来を、行く先を、悉くを断絶する高い高い強固な壁だ。
だったら尚更、こんなところで退いてなんていられない――!
「
地上に咲き誇る人工の太陽。
鞘から解き放たれた抜き身の刃が、膨大な熱量を伴って周囲の空気を灼き尽くしていく。
眼鏡の奥で揺れる瞳は目指す場所と同じ青色。
茶髪交じりの黒髪は燃えるような紅に染まっている。
溢れ出した星刻の力の奔流に、その身体ごと侵食された影響だ。
真紅の姿は烈火のごとく。彼は、己の全てをそこに解き放った。
『篝ぃぃいい――――――!!!!』
『姫奈美ちゃん――――ッ!!!!』
はたしてそれを視認できる者がいるとすれば、天賦の才覚に目を光らせただろう。
誰も指摘する事の無かった、または心に負った傷がひたすらに隠していた。
折原篝という少年が持っていた生来の技術。
すなわち――見惚れるほどの鮮やかな居合抜き。
『避ける? 冗談! そんな事をして何になる! だったらこのまま突き進む!!』
『逃げない! 下がらない! 振り向かない! 誰でもない僕の手で切り開く!!』
『『今ここにある、最強の力で――――ッ!!』』
声が重なる。
想いが伝わる。
気持ちが同調する。
彼らの世界にはただふたり。
目の前にいる愛した人こそが斃したい相手。
ならばここに、言葉は要らず。
『――――――ッ!!!!』
互いの距離は二メートルを切っている。
直後に迫る決着のとき。
そんな間近に、篝は明確な地力の差を体感した。
――皮膚が焼け落ちるように熱い。
星刻の力、その暴威に耐えられない肉体が悲鳴をあげている。
だが止めない。
止まれない。
止まるワケがどこにもない。
彼女もそうしたように、彼だってそうするように。
『最初から弱いのなんて分かりきってる! 彼女がめちゃくちゃ強いことも! 僕なんかじゃ到底敵わない相手だってことも!!』
星剣を握り締める。
片腕に渾身の力を込めて立ち向かう。
それが無謀な炎だとしても。
『それでも一緒に居たいんだ! 諦められるか! 諦めてたまるか! 全部全部変えてやる! こんな現実も結末も! 認められない! 認めたくない! そうだろう!!』
そうだ、そうとも、そうであるのなら。
『一歩でも前に進め! それが今、僕に出来る最大限の精一杯なら――!!』
走る刃は円を描いて焔を吹き飛ばす。
駆ける切っ先は線を描いて雷撃を撒き散らす。
青雷の龍と赤炎の太陽。
どちらも人智を超えた力を纏った一撃は、次元をも引き裂かんとする衝撃で現世を破壊していく。
――――交錯は、刹那のうちに。
突き抜けた刃、無欠にして不動の証。
振り抜かれた刃もまた、無傷にして万全の輝き。
地面を抉りながら進む姫奈美と、地面を回り滑るように勢いを殺す篝。
両者は背中を向けながら、きっかり五メートルの間隔をあけて停止した。
〝――――――――〟
時が止まったように静まり返る会場。
アリーナを賑やかす観衆の声がピタリと止んだ。
紅蓮に揺れていた彼の髪色が抜け落ちていく。
逆立たせていた全身の電流が彼女の体から放出されていく。
神秘とはこの世にあるまじき現象の再現。
不自然に起こった力は、現実に塗り潰されるようにまた不自然に消えていった。
そして、
「――――ハ」
ぐらり、と。
「――――――、」
一気に。
さながらそれは、水の入ったバケツをひっくり返すみたいに。
「………………ッ」
人影が、崩れ落ちる。
……静寂が再び支配する。
あれほどまでに騒がしかった舞台には音の一つもない。
あるのは倒れ臥した影と、その音を聞き受けて姿勢を正していく影。
それには覇気がない。
それには力がない。
それには体力がない。
それには――〝左腕〟がない。
満身創痍。
限界の間際。
つまりは死に体。
死闘の末に立つ亡者のごとき肉体だった。
けれども。
「………………ッ!」
立ち上がり、二足で佇み、ゆっくりと空を仰ぐ。
全身の痛み。
失神しそうな激しい苦痛を必死に堪えて、彼は剣をいま一度握り締めた。
刀ごと握られた拳の形。
不格好で不器用な、彼の在り方を象徴するもの。
それを――
「――――ッ!!」
高く、高く、天へと突き上げる。
「うおおおおおおッ!? マジか! マジかよ! マジですかぁ!?」
「すげえ! すげえ! あははは! あいつ、本気で十藤に勝ちやがった――!!」
「やったー!! 委員長の勝利だぁー!! バンザイっ! バンザーイ!!」
「偉いです! よく頑張りました! おめでとう折原くん! 先生感激です!」
「いやったぁー! 篝っちー! 素敵ー! てか姫奈美生きてるー!? 平気ー!?」
「……ったく、勿体振りすぎなんだよ、ばかがり」
どっと湧き上がる歓声に圧倒されながら、ゆるりと笑みを浮かべる少年。
振り向いた先にいる彼女は、糸が切れたように地面へと転がっている。
見るも無惨な刃を滑らせた傷跡。
後で星刻が治すにしても、いまは目を背けたくなる姿を――しかし篝は最後に残った力で眺めた。
首もとからほどけたマフラー。
衝撃ではだけた制服、うつ伏せに倒れこんだ姫奈美の背中に、一本だけ走る稲妻模様の星刻と〝何もない〟肌を見る。
〝――――ああ。良かった――――〟
ぷつりと途切れたのは張っていた気か、それとも手足を動かしていた最後の力か。
手元の星剣を霧散させながら、ぐしゃりと膝から崩れ落ちる。
もう限界だ。
なにを残しておく必要もない。
沈んでいく意識を手放しながら、篝は静かに目を閉じる。
……幾つもの想い、感情、その発露。
悩んだ末で掴んだモノ。
例えそれが、誰かにとっての間違いだったとしても――
――それでも彼は、後悔だけは微塵もしていなかった。