放課後、授業を終えた篝は談笑もそこそこに、急ぎ足で教室を飛び出した。
三階の端である自教室から廊下を回って、階段を降りて昇降口へと向かう。
わりと自由な校風である天蠍学園は、部活動の参加も強制ではない。
下駄箱まで行けば、朝よりすこし少ない程度の人波ができている。
それをちらりと確認しながら、篝は寮とは反対側の校舎裏へ足を伸ばした。
人の流れとは遡行して、どんどんと人気のない通路へ。
しばらくして見えてきた渡り廊下から外へ出て、そのまま奥へと進んでいく。
途中の道には木々や雑草が鬱蒼として生い茂っていた。
学園設立当初は庭園として活躍した花壇の名残だ。
いまとなっては「森か林か」なんて在校生に言われるほどの荒れっぷりだが、田舎育ちの彼からするとこの程度はなんともないらしい。
藪を抜けて、背の高い草むらを通り越せば、やがてひとつの大きな建物が見えた。
――天蠍学園には八つの大型アリーナ、すなわち円形闘技場が存在する。
彼らが持つ〝神秘〟を最大限に発揮できるようにと用意された施設は、単純な大きさ、広さだけで言えば本校舎に負けずとも劣らない。
ここは第六アリーナ。
校舎から西側に存在する、唯一の道が閉ざされかけた自然の中に建てられた、ひときわ利用者の少ない闘技場だ。
生徒であれば基本的に自由な使用が認められている闘技場だが、主に使われるのは校舎から最も近い第一アリーナか、その次にあたる第二アリーナになる。
広さも設備もそれで申し分ないのだから、わざわざこんな場所に来る必要もない。
それでも彼がこうやって足を運んだのは、まあ、色々と思うところがあるからで。
「……今日も、誰もいない」
観客席をぐるりと見回しながら、よし、とひとり気合いを込める。
彼が立っているのは中央の広場、四方に百メートルはある床張りになった舞台の上。
そこからの一眸に人影が混ざったのは、かれこれ一年以上使ってきた今でもない。
室内の空気は風に揺れることもなかった。
静かすぎる決闘場、本来は血の流れるそこで、
「………………、」
深く、長く、息を吸って全身へ通わせる。
意識を向けるのはもっぱら内側だ。
無音のまま流れる外の情報をシャットアウトして、ただ自身の中にあるモノへと向かって埋没する。
――感触は、慣れきった手触りと共に胸から込み上げてきた。
「いくよ――――」
ごう、と吹くはずもない風が吹き荒れる。
肩口にある生まれ持った不可思議な〝紋様〟が、熱を持ってどくどくと脈を打つ。
それはかつて三百年ほど昔、忽然として人類史に姿を現した。
奇跡や魔法と呼ばれた幻想が否定され、科学と現実が肯定されていった時代の一幕。
かつての神秘と取って代わるように生まれたそれは、瞬く間に数を増やし、人々の間に持つべき力として地位を確立した。
曰く、いまより高い次元に存在する生命体――『
その力の一端と、身に余る恩恵を受けることによって、人智を超えた現象を引き起こす最大にして最新の超能力者。
――人は彼らを、『星刻使い』と呼ぶ。
「
言霊に込められた架空の燃料が、肩の紋様、篝の『星刻』を通して溢れ出す。
時を置かずして巻き起こる爆炎。
虚空から出現する幻想の熱量を、彼は鋭く睨みつけた。
何度とくり返してきた工程をなぞるように、その腕を火炎のなかへと突き立てる。
不思議と焼けるような匂いはしない。
借り受けたモノであっても、炎は主人に従順だ。
だから恐れることはない。
ぐっと握りしめた手指にたしかなカタチを掴んで、そのまま一気に引き摺りあげる――
「――――っ」
予兆もなく現れた炎は、予兆もなく空間へと消えた。
残っているのは傷一つない彼の体と――その手に握られた一本の刀剣。
それこそが彼らを彼らたらしめる代名詞。
星の銘を冠する唯一無二の武装。
高次元に存在する『星霊』によって、そのカラダを構成する高密度の
その名も『星剣』――彼の手に収まったのは、そんな規格外を小さな刃に換えた代物だ。
見た目は完全に鞘付きの日本刀。
無骨なまでの鍔と柄に、それを払拭するよう炎の紋様が走った黒い鞘。
重さは当然、鉄の塊。
「――――――」
そっと、低く落とした腰へ『星剣』を回して息を吐く。
一意専心、余計なコトは考えるな、と全部の感覚を手元の得物へと向けた。
……抜刀は一瞬のうちに。
閃く刃は綺麗な線を描いて、彼の眼前を鋭く通り過ぎ――
『〝 あはっ、いた 〟』
どくん、と。
高鳴った胸の鼓動と一緒に、耳朶を震わせるナニカを聞いた。
ずるずると伸びている。
先についているのは蝸牛か蛞蝓みたいな触覚と瞳。
それはまるで蔦のように、ゆっくり、やんわりと彼の周りを取り囲んで。
「――――誰っ!?」
ばっと、振り向いて声をあげる。
背後には誰もいない。
ただ数秒前と同じよう、無人の空間がどこまでも広がっているだけだった。
「――――、…………」
はあ、と緊張を吐き出すように大きくため息をひとつ。
どうやらまったく彼の勘違い。
最近になって増えてきた、どうにも分からない錯覚だ。
「…………疲れてるのかな、僕」
ちゃんと寝てるはずなんだけど、なんて気落ちしながら、ふと彼は手元の刀を見た。
……握りしめた刀身は震えている。
タイミングが悪いことに、これでは先ほどの錯覚に怯えているようだった。
実際は、そんなものじゃない情けなさの証明である。
「あはは――やっぱり、ダメかあ……」
いくら力を入れても震えは止まらない。
どころか、むしろ時間が経つに連れてその酷さは増している。
「……今朝ので、もうずいぶんかなと思ったのに……」
どうしてこう、と嘆きたい気持ちが一杯になって天を仰ぐ。
アリーナの屋根から空は覗けない。
覗いたとしても夕方の茜色だろう。
昼間の青空が見えないのは良いことか悪いことか。
どちらにしても事実は事実だ。
――折原篝は、十藤姫奈美にトラウマを抱えている。
昔から一緒に過ごしてきた幼馴染みで、この学園の誰よりも彼女との付き合いは長い。
いちばん近くにいて、いちばん仲の良かった立場。
そんな経歴なんてまるで意味がなかった。
実際こうして、彼は一年前に授業の一環で行われた姫奈美との模擬戦で負けて以降、まともに剣を握れないでいる。
自分の『星刻』の力を使うのも、『星剣』を出すのも、戦いの舞台に立つのも問題ない。
相手の有無、場所の違い、環境の差異はおそらく影響を与えないのだろう。
ただ――その刀身を抜いたとき、必ず数秒後には指先が痙攣するだけ。
それは『星剣』を用いて戦う『星刻使い』にとって、致命的とも言える欠陥だった。
『……仕方ない、と言えばそうなんだけど。僕、弱いし……』
体の傷は『星刻』が機能の一部として治しても、心の傷はそう簡単に消えてくれない。
抱えたトラウマは、思っている以上に深かった。
「……うん。でも。悔やんでばかりじゃ、いけない」
ぱしん、と気持ちを入れるために軽く両の頬を叩く。
ぎゅっと震える剣を握り締めて、篝は真っ直ぐ正面を見据えた。
才能はそれほどでもなく、成功は少ないが、失敗は数えるのも嫌になるぐらい。
努力が実った試しはないけれど、せめて自分にできるコトからは逃げ出さないように。
それこそが彼にとって、こんな無駄ともいえるものを続ける理由になる。
「――――っ、…………!」
……つまりこんな場所まで来ているワケは、震えて剣を振る姿を他人にあまり見られたくないから、だというのは……まあ、彼らしいと言える羞恥心なのだろう。