7/赤色のお誘い
――つまり一年前の模擬戦に於いて、彼はソレを垣間見ていた。
「どうした篝ぃ!!」
がつん、と手元に大きな衝撃が走る。
眼前に迫るのは銀色の刃と、それに付き従う青い稲妻。
彼女の『星刻』が起こす現象は、現実を塗り潰して余りある。
避けることはおろか、防ぐことすらままならない。
「軽い! 遅い! 鈍い! もっと、もっとだ! もっとおまえの意地を見せてみろ!!」
「……ッ、ぐぅ……!」
幼馴染みの口元に浮かぶ諧謔の笑み。
彼女は心底からこの模擬戦を愉しんでいる。
実力の差は歴然だった。斬撃の重さ、速さ、鋭さ、どれを取っても敵わない。
本気の斬り合い、殺し合い。
それに青ざめた表情で怯える少年と、それを至高だと喜悦を交えて笑う少女。
どちらに天秤が傾くなんてのは、分かりきったこと。
「――――あははっ!!」
「っ!!」
銀閃の火花が散る。
打ち上げられた彼の『星剣』はくるくると頭上の空へ。
打ち上げた彼女の刀身は、その鋭い切っ先を標的へと向ける。
ふたりの間は数にしてわずか一メートル。最早無いにも等しい至近距離。
――落雷のような刃が迫る。
回避するような時間はない。防御する手段はつい先ほどに消え失せた。
ならば待っているのは、どうしようもない〝痛み〟の到来で――、
『――――――』
一瞬の空白。焼け爛れた思考回路がなにもない状態を生んだ。
ドクンとはねる心臓に、冷たいモノが入りこんでくる。
ずぶずぶと、泥に沈むように、けれど蠢く何かが滾るように。
どくん、どくんと。
脈打つ鼓動が正常性を失って、不規則化していく刹那の合間。
『 』
――〝死〟が、魂に触れた気がした。
◇◆◇
翌日、学園にはこんな噂が流れていた。
『序列一位【青電姫】が一年生の首席と決闘し、激戦の末、完膚なきまでに勝利した』
風の噂はどこから流れたものか。
朝のホームルームが始まる頃には、すでに篝の耳にも入っていた。
クラスの噂好きな女子から聞いたお陰だ。
そんな話の信憑性を裏付けるように、件の一年生は本日欠席扱いとなっているらしい。
『……まあ、姫奈美ちゃんのコトだから本当なんだろうけど』
くすりと笑いつつ、呵々大笑な様子で後輩相手に本気を出す彼女を思い浮べる。
おそらくは久しぶりの決闘相手、しかも首席というからには「純粋な力比べ」の相手として姫奈美を選んだのだろう。
そうなると、彼女の気分が上がらないワケがない。
現在の学園トップ、十藤姫奈美が決闘好きなのは生徒の間で周知の事実だ。
返り血と無数の傷に笑いながら斬り合いを尊ぶ美少女……と言えば刺さる人には刺さる魅力かもしれないが、生憎とそう生易しいものでもないのが現実である。
鮮烈、苛烈、強烈――言葉にすればその類いの彼女を相手にすれば、誰しもが少なからず心に傷を抱える。
実際問題、篝だって例外ではない。
一年生は今回挑んだ首席の生徒だけだが、二年生以上は姫奈美と争った経験などザラだ。
特に男子は彼女が提示した条件もあって、命知らずな野郎どもが何人も挑んでいる。
〝――これより先、私に勝った者のみ交際の有無を考える〟
入学して数ヶ月。
当時、人並み外れた容姿と比較的いまより大人しい性格で人気を集めていた姫奈美は、連日に渡る告白ラッシュに辟易としていた。
毎日どこかしらに呼び出されては「一目惚れでした」「本気で愛してます」「結婚を前提に付き合ってください」
ついぞ我慢の限界を迎えた彼女は、こうして前述の宣言を全校生徒へ放つに至った。
無論、効果は絶大。
これを勝機だと無謀な思春期の少年らは少女に戦いを申し込み――見事、そのすべてが心身ともに大きな傷を負わされて敗北。
もはや二度と彼女には近付かない、近付けないほどのトラウマを抱えてしまったのだった。
……冷静に考えて、たとえどんなに美人だとしても、血みどろになりながら平然と腕を切り落としてくるわ、逆に切り落とされては「あははははっ!!」と狂ったような笑みを浮かべるわ、という体験をすれば百年の恋も冷めるというもの。
そう、この幼馴染み大好き至上主義者の少年を除いて。
『――――ん、いた』
カツカツと廊下を歩くこと数分。
授業まで数分となった合間の休憩時間で、篝は階段をのぼってくる目的の人物を視界におさめた。
「
「はい! ……って、折原くん? どうしたんですか?」
なにかご用でも? と首をかしげながら、腕に大量の本を抱えて歩いてくる女性。
遠くからでも分かる真紅の長髪と、この学園の教師には珍しい白衣をまとった姿。
髪色と同じ赤縁の眼鏡の奥からは碧色の虹彩が覗いている。
生徒の間でも「優しくて綺麗」と評判な彼女は、何を隠そう篝たちのクラスを受け持つ担任教師。
名前を朱丘
「その、お手伝いに来ました。……荷物、持ちましょうか?」
「まあ! それは、ええ……とってもありがたいですね、はい」
先生助かります、と微笑む彼女の腕には、見るからに重そうな装丁の書物が積まれている。
今の時間に運んでいるのを見るに、次の授業で使う予定の教材なのだろう。
「じゃあ、とりあえず一旦預けてもいいですか?」
「はい、任せてくださいっ。これでも多少は筋肉が――」
あるんです、という自信は次の瞬間、紅葉が本を手渡した直後に砕け散った。
『!?』
ずしん、と腕にかかる予想を遙かに上回った負荷。
ギチギチと筋繊維かナニカが悲鳴をあげる音が聞こえてくる。
重い。
言葉にすればその二文字に集約される、純粋なまでの質量の暴力だった。
田舎の人間として三十キロの米袋を持ったコトがある篝だが、腕の本はそれより重いのでは、と疑ってしまうぐらいなものだ。
よくこれをここまで、と思わず紅葉を見てしまう。
「――っと、流石に全部は重いですもんね、半分でいいですよ」
言いながら、ひょいっと軽々しく本を持ち上げる紅葉。
『……いや、半分になってもコレ結構重いよ……!? せ、先生って何者なの……!?』
ちょっと驚愕、というか衝撃、を通り越して若干引いてしまう篝だった。
ニコニコと笑顔を絶やさずに、紅葉は〝一応〟軽くなった本を抱えて階段を上っていく。
その足取りに一切の不安定さはない。
そも彼女からして負担が減ったのだから当たり前なのだが、こうも平然とした様子だと色々考えてしまうのも事実だった。
主に男の子としての自信とか。
篝にそんなものがあるかと言われれば、まあ、これでも歴とした十代の少年であると主張したい。
「……えっと、先生。もしかして毎回、こんな重いのを一人で……?」
「いえ、このぐらい大したことありませんよ。いつもはもっと重いので!」
きらきらとした笑顔で言う紅葉に、「おお、もう……」なんて言葉を失う。
きっと皮肉を言ったり、からかっているのではない。
真面目な彼女はあくまで真摯に、生徒の質問に真面目に答えただけである。
……その解答が良いかどうかはともかく。
「……今度から手伝わせてください。僕、学級委員ですし」
「? 良いんですか、折原くん。結構忙しいと思いますけど」
「そんなことないですよ。部活もしてないですし、特にやってることもないですから」
いつでも大丈夫です、と軽く笑いながら篝が言う。
それに紅葉は、ピタリと足を止めてすこしだけ目を細めていた。
「――折原くん」
「? はい」
「嘘、ついちゃダメですよ。先生はちゃんと分かってますから」
「……? えっと、その……それは……?」
なにかおかしなコト言ったっけ、としばし自分の言動を振り返る。
学級委員であるのも、部活をしていないのも篝にとっては本当のことだ。
では一体なにが嘘なのだろう、と彼は首をかしげて、
「手にタコ、できてましたよ」
「………………へ」
その指摘に、かあっと頬を赤く染めるのだった。
「さっき本を渡すとき気づいちゃいました。練習、頑張ってるみたいですね」
「あっ……す、すいません……その、汚い手で……」
「どうして謝るんですか。……汚くなんかありませんよ。歴とした努力の証拠です」
恥ずかしくともなんともありませんよ、と振り向いて篝と視線を合わせる紅葉。
なんでもお見通し、と言わんばかりの碧眼に少年の姿が映り込む。
どこか頼りなさげな姿は、彼女から見てもそう変わらない。
気弱な一人の男子生徒だ。
だからこそ、そうだと自分を認めて尚、続けている事があるのが喜ばしかった。
「当たり前を当たり前にできるのは凄いことですよ。折原くんは凄い子です」
「え。いや……そんなことは……ないですけど……」
「自分を卑下しちゃダメです。ちゃんと自信を持ちましょう。頑張ってるんですから」
本を片手に抱え直しつつ、紅葉は「えらいえらい」と篝の頭を撫でる。
傍から見れば子供扱いでも、当事者である篝にそこまで把握できる冷静さはない。
内心で『なにこれ!? なんなのこれー!?』とひとり混乱の渦中にあった。
もちろん羞恥心で。
廊下で思いっきりこんなことをされるとか、予想外にも程がある。
「……でも、ありがとうございます。なんか、元気出ました」
「そうですか? それなら良いんですけど」
くすりと微笑みながら、いま一度両手に本を抱えて紅葉は歩いていく。
……気のせいでもなんでもなく。
少しの間とはいえ、あの重量を片手で支えていた事実に二度目の衝撃を受ける篝だった。
「それにわたし、実は折原くんのこと結構気にかけてるんですよ?」
「そ、そうなんですか?」
「はい。なんせ『星刻』の〝色〟と〝属性〟が同じですから」
パチリとウインクをしながら篝のほうを向く紅葉。
「……あ、そっか。先生の『星刻』って……」
「はい。〝赤色〟の、〝火属性〟です」
滅多にいない組み合わせですから、と語りながら紅葉は視線を前に戻した。
その理由になるほど、と頷きつつ篝も彼女へ追従する。
「――っと、もうそろそろですね。ここまでで大丈夫ですよ、折原くん」
「え? でも……」
「荷物はわたしが全部持っておくので。折原くんは代わりにドアを開けてくれませんか?」
このとおり両手が塞がってしまいますので、なんて紅葉は篝の腕にある本をパッと奪い去って自分のモノに重ねる。
はたしてその一瞬をどうにかできる力があるなら手伝い自体初めから要らなかったのでは、と思いかけて、
『……そうだった。目的は……いちおう達成、なのかな』
どうして休み時間に彼女を探していたのか。
その本当の意味を思い出して、くすくすと微笑みながら教室の扉に手をかけた。
ガラリ、と横にスライドしていく簡素なドア。
開いていく景色が一瞬、視界を白く染めるように溢れていく。
紅葉に先を促して、篝はもう一度微笑を浮かべてみせた。
つまるところ、二年五組の生徒間の仲は、なんだかんだ言ってとてもよろしい。