「せいやっ!!」
私は神速で強烈な拳を放つ。しかし、その攻撃は読まれていたようだ。いとも容易く手刀受けされ、拳が横へと流される。
ならば、脚だ。私は即座に下段廻し蹴りを繰り出す。いきなり敵の右内股を狙っては、膝を閉められるだけで簡単に防がれてしまう。
そう思い、右足から注意を逸らす目的で、敵が前に出している左足に、素早い下段を二発、三発と打ち込む。
スナップを利かせた足首が敵の左外太腿に当たるたびに、"バチンッ"という音が響く。
敵もただ黙ってやられる訳ではなかった。脚への攻撃に集中していた私が散漫になっているであろう、右脇腹辺りの中段へ拳を突き出してくる。
しかし、私には見えている。脚を攻撃しながらも、敵の両腕から、一瞬たりとも目を離してはいなかった。即座に右肘を曲げ、内受けをして脇腹を守る。
拳が外へと流され、敵の態勢が少し前へと崩れる。チャンスだっ! すかさず私は敵の右足を狙い撃つ。
敵の脚から鈍い音が伝わってきた。どうやら入ったようだ。敵の表情が一瞬こわばり、苦しげに歯を食い縛る。
だが、それはほんの僅かな時間であった。一撃を与えられたと気を抜いてしまった私の腹に向け、敵は容赦なく右拳を振るった。
しまった! 受けが間に合わないっ!
敵の拳が私のみぞおちへと突き刺さる。
「ぐはっ!」
お腹に強い圧迫感が来たのとほぼ同時に、吐き気を催す。
痛いという感覚はすぐに消えたが、代わりにあることに気が付いてしまう。
息が吸えない……。
恐らく横隔膜を潰されたのだろう。横隔膜が下がらずに、肺を膨らますことができない。私は腹を抑えて蹲った。
コツコツと足音を響かせ、敵が私に近づいてくる。もうやら私にトドメをさすつもりらしい。これが私の最期か……。
もっと生きたかったのだが、仕方がない。私は頭に振り下ろされるであろう拳を想像して、諦めたように目を瞑った。
「一撃を当てても油断するなとあれほど言ったのに……。やっぱり銀子は馬鹿ね」
「はは……、返す言葉も……ありませ……ん」
母に有難いご指摘を頂き、私の意識は暗闇へと沈んでいった。
* * *
私が人化の術を習得してから、もう半年近くが過ぎた。私の体術もそこそこの形が出来上がってきていた。
初めのうちは、"立ち方・構え・突き・払い・受け・蹴り"などの基本動作の動きを学び、ひたすらに素振りを繰り返した。基礎がある程度固まってきてからは、母との組手をする日々が続いていた。
母とは違って、私は身体に龍気を纏わせることができないから、相手の攻撃をそのまま受け止めてしまう。それゆえに、耐久性はまるで紙のよう。
比喩だけど、本当にそのくらいのザコ耐久だから……。
しかし、それを補うために必死に相手の目の動きや身体のしぐさを見て、次の相手の行動を予測し続けていると、いつの日か相手の次の動きが手に取るように分かるようになっていた。
さっきは母に一撃を与えたことに油断してしまい、一瞬目を逸らしてしまったから受けの形が取れなかったが、視線を外さなければ避けれた自信はあった。
母が言うには、私には体術の才能あるみたい。
いや〜、嬉しいねぇ。もう龍気を使わずとも並みの妖怪程度なら遅れを取らないって言ってたし、うはは。
『……銀姉ばっかりずるい。私にも体術教えてよっ、お母さん』
夕飯の時間に、桜龍が口を尖らせ、文句を垂れる。
「ふふん、桜龍にはまだ早いんですよっ。今は姉の勇姿を見届けていればいいんですっ! おーほっほっほ!」
私は有頂天になってふんぞり返り、高笑いをする。妹には散々才能の差を見せつけられてきたんだ、ちょっとくらい天狗になってしまっても仕方がないというもの。おーっほっほ!
『……銀姉、嫌いっ』
「えっ!?」
しまった。調子に乗りすぎてしまった。
「ご……ごめんねっ、桜龍」
『…………』
桜龍は口をつむぎ、ニンジンを黙々と食べていた。どうやらそっぽを向いちゃったみたい……でも不機嫌な桜龍も可愛いなぁ。……あ。
「桜龍ぃ! それ私のニンジン! 勝手に食べないでください〜!」
こいつっ、私がふんぞり返っているいる間に好物のニンジン取りやがった。私だってそれ食べたかったのにぃ! ムキィ!
『食事中に立ち上がらないの、銀子。行儀が悪いわよ』
「うぅ……はい」
私はしょんぼりした顔をしながら、天然岩へ腰を下ろし、食べ飽きた鹿肉を片手で持って見つめる。
正直、肉はあまり好きじゃない。私はヘルシーなものが好きなのだ。まあ、これしかないので仕方がないか……食べよう。
人の姿になってから、手を使って食べることを覚えたけれど、どうも違和感が抜けずに動きがぎこちなくなってしまう。
そんな私を、妹が何かを言いたそうに見つめていた。
ふ……ふんっ、今更謝ってももう遅いんだから。
『嫌い……は嘘。ほんとは嫌いじゃない』
恥ずかしそうに照れて本音を明かす桜龍に、私は思わず飛びつき、抱きいついてしまう。龍の鱗が冷んやりしていて気持ちいい。
「桜龍ぃ! 私も大好きですよー」
『……きも』
ガーン。私の最高級の愛情表現が、たった二文字で拒絶された。しかし、それで諦める私ではない。さかさず妹の翼の付け根部分をくすぐる。
『ちょっ……やめ……』
ふふふ、龍はここが弱いんだよ。私は妹と戯れあい続けた。母から叱責が飛んでくるが、私は今この瞬間が楽しくて仕方がなかった。
そう、本当に楽しかった。
でもこの世界は残酷で、私に優しくなんてなかったんだ。
ドカンという大きな音と共に、私の頬に赤黒い液体が飛び散った。
最初は鹿の肉から血が噴き出たのかとか、そんなんだと思って後ろを振り返った。
でも、そんなんじゃ……なかった。
母は首から上を……無くしていた。龍の巨体はあるのに、首から上は溢れる血が噴き出していた。そして、大量の血を撒き散らしながら、洞窟の壁へ母の頭が弾け飛んで、トマトのように潰れた。
………えっ?
一体、何がどうなっているの?
「お、お母さん……?」
首を無くした母の身体へと手を伸ばす。
あれ……どうして? なんで顔がないの? お母さん。ねぇ、ねぇ……。なんで、動かないの?
「よし、一匹倒したぞ!」
ずかずかとした足取りで、声を上げながら知らない人達が家へと入り込んでくる。
「油断するな、まだ後ろに一匹残っている」
二人組の人間だった。どちらも、両手に黒い無機質な物体を持っている。
「にしてもこの銃すげぇな! 龍の首が一発で飛びやがった」
「龍用に開発された特製のレーザー銃だからな」
「これで、手柄を上げれば俺たちも月へ連れて行ってもらえるってわけよっ!」
「あぁ、月夜見様もきっと喜んでくれるはずだ。それにしても……人がいるとは驚いた。君も龍退治に来たのかい?」
男はそう言いながら、手に抱えた黒い物体を構え始める。
「悪いけど、獲物は譲ってもらうよ」
再び先程と同じような爆音が響き渡り、黒い銃から光が放射され、私の真横をすり抜ける。
ドサッという音と共に、何かが私の後ろで倒れた。
え?
桜龍が……倒れていた。胸の中央に大きな穴を開け、そこから止め処なく大量の血が溢れ出ていた。
生ぬるい液体の感触が足に伝わってくる。私の素足は、真紅に染まっていた。
「お、桜龍ぃ?」
私は膝をつき、地面に顔をぐったりとつけて目を瞑っている桜龍の頬に手を添える。
『ぎん、ねぇ……』
弱々しくも、私のことを呼ぶ桜龍の声が聞こえてくる。
どうして? どうして? なんでこうなった?
私が……悪いの?
頭の中が疑問符だらけになる。だが、それ以上に桜龍が血を流しながら地に伏して、今にも命の灯火が消えそうとなっている姿を見て、私の両目からははらはらと涙が流れ出た。
『……ぎんねぇ、笑って?』
「え?」
『私、ぎんねぇが笑ってるとこ、……見たい』
「何を言ってるのっ!? 早く龍気で傷を」
『もう、治らないよ』
私の言葉を遮って、桜龍はそう言い切った。そして憔悴しきり、ぷるぷると震えている手を、私の手に重ねて、自らの額へと導いた。
桜龍の額石は、もう真紅の色ではなかった。薄いピンク色に変化し、艶も失われていた。もう、死が近づいていることを示していた。
「い……嫌だっ!! 桜龍、死なないで!」
私が必死に呼びかけるが、桜龍は弱々しく返事をするだけであった。
『ぎんねぇが……、笑って…くれたら…元気に、なるかも』
そう言って、桜龍は私の目を見る。いつものような平静で凛々しい眼ではなく、虚な瞳をしていた。
私は涙でぐしゃぐしゃになった顔に、無理やり口角を上げて笑顔を作った。
『……ははは。お姉……ちゃん、大好き……だよ』
私の笑顔を見て、安心したように桜龍は目を瞑り、もう指先一つ動かさなくなった。
あれ? なんで、なんで動かないの…?
ねぇ、なんで。なんで、どうして?
桜龍……さっきお姉ちゃんが自慢したこと謝るからさ。私の好物を勝手に食べたこと、怒ってないからさ……。
「桜龍?」
ねぇ、返事してよ。なんで黙ってるの?
ねぇ!
なんで…………。
冬の冷たい空気が、私の身体を通りこして、心まで凍らせてくる。
母も妹も、たった今いなくなった。今まで、大切な家族を守りたい、その一心で努力してきた。どんなに辛くたって、一日たりとも修行をサボった日はなかった。
けれど、結局はこの様である。絶対に守ると誓った妹すらも、私の目の前で死んでしまった。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァァァァァァァァァァァァァァァ!
死ね。みんな死んじゃえ。こんな世界、みんなみんないらない。全部、全部、ぶっ壊してやる。
ガチャッ。
何かが壊れる音がした。
私をきつく縛り上げていた鎖に亀裂が入り、錆びた金属のように割れる。額石が私の憎しみの境地に反応するように、頭の中へと埋め込まれていった。
今まで感じた事ないほどの龍気が、身体から溢れ出してくる。
衝動的に目の片隅に映る二つの物体に向けて、手を薙ぎ払う。瞬間にして、それらは崩れ去り、肉塊になった。
「あははっ、はははっ! あはははははっ!」
私はただ笑った。己の無力さを嘆いて。
あぁ、また誰か来たみたい。殺してあげる。