「はて、どうしたものか」
月へ向かうためのロケットは既に完成していて、すぐにでも発射できる準備が整っている。しかし、妾は悩んでいた。
元々、妾の親族と永琳のみを連れて、"穢れ"のない月へと旅立つつもりだった。しかし、あの龍の襲撃によって月への移住計画が延期になってしまったため、地上に残るはずの皆の協力を得て、計画を再実行した。
それが今になって、妾の悩みの種となってしまった。
『俺も、私も、月に連れて行ってくれ』
そんな声が噂話程度に聞こえてきた。妾の前で口に出すことはしないが、街を歩けばそう言った目線で妾を見つめる者が増えてきた。
ロケットに乗れる定員数は少ない。絶対に連れて行こうと思っている親族達を除けば、その枠は僅か二人程度のものであった。
その由をこの間、街に住まう人々に向けて発信し、期待をしないでほしいという意思を伝えたつもりなのだが、どうやらそれが裏目に出てしまったらしい。
街の者は残り二人という言葉に反応してしまった。誰がその二人に選ばれるのか、もしかすると自分が選ばれるのではないか、そんな思いが街の人々の心を揺さぶり、さらなる希望を与えてしまった。
妾はその枠を埋めるつもりはなかった。だが、街の人々の期待が高まっていくにつれ、それをばっさりと言ってしまうのも気の毒に思えてしまい、決断をし損ねていた。
「もう地上に戻ってくることはありません。誰も乗せる気はないと一思いに言い放ってはどうですか?」
隣に佇む永琳が妾に進言してくる。
「分かってはいるんじゃ。じゃが、街の者の気持ちを考えると、どうもな……」
そんな妾の優柔不断な様子を見て、永琳は妾の目を覗き込み、呟いた。
「では……残された者はどうするのですか?」
「……む?」
「街の者からどう二人を選んだとしても、残される者の方が大勢います。彼らはどう感じるでしょうか?」
「そ……それは」
「理不尽に思うでしょう。なぜ自分が選ばれなかったのかと……」
「…………」
永琳の……言う通りだ。
妾は誰も傷つけたくない、その一心で考え続けてきたが、所詮夢物語。結局、自分に悪感情を向けられるのを恐れていたに過ぎなかったのだ。
「何かを成し遂げるには、何かを犠牲にしなければなりません。今回で言えば、街の人々の思い……でしょうね」
永琳は妾に優しく微笑みかける。
「月夜見様。私はあなたのことだけを思っています。あなたが成し遂げたい、成就させたいと思っている夢、私に叶えさせてはくれませんか?」
永琳はそう言って、片膝を付けて妾に忠誠を誓った。
「はぁ……。やはり、永琳には叶わぬな」
妾は永琳の手を取り、真正面から彼女の瞳を見つめた。
「よかろう! 妾についてこい。妾の見たかった景色、お主に見せてやろう」
「はっ! たとえ月の裏側だろうと、宇宙の果てまでだろうと、どこまでもお供します」
もう妾は迷わない。
すぐにでも打ち上げの準備に取り掛かろう、そう思った矢先のことであった。
「た、大変ですぅ〜〜!」
突如、廊下から叫び声を上げながら、ドタバタと大きな足音を大きく立て、軍服の
「どういうつもり? 何の許可も得ずに月夜見様の私室に入り込むとは……」
「あ、いや、その……」
永琳の有無を言わせぬ猛勢に、女子は尻込みしてしまった。
「永琳、よせ。それで其の方は一体妾に何の用じゃ?」
「は、はいっ! 昨夜、対龍特殊レーザー銃が何者かに二丁盗まれてしまったのですっ」
対龍特殊レーザー銃……。確か、かつて永琳が龍を残虐するために開発した銃だ。永琳一人でほとんどの龍を殺してしまったため、一度も使われることなく倉庫に眠ったままになっていたはずだが……。
「どういうこと? 見張りは何をしていたの? なぜそれを昨日のうちに報告しなかったの?」
「そ、それが……盗まれた原因が、見張りの居眠りにあったみたいで……。怒られるのが怖くて、黙っていたそうです。でも、今日になって突然不安になっちゃったらしくて……それで……」
「はぁ、呆れた」
なぜ、今頃になってレーザー銃を盗む……。龍がわんさかいた時代なら分かる。だが、今は龍などほとんど存在しない。
仮にいたとしても、あの山にいた小さな龍の銀子くらいしか……。
銀子っ!?
「とにかく……盗まれてしまったものは、もう仕方がないわ。その居眠りをしていた見張りについては、そっちで処罰しておきなさい」
「は、はい〜〜! 失礼しました〜!」
軍服を着た少女は、足早に部屋を飛び出していった。
「まったく……。最近戦いをしてないばかりか、軍の風紀が乱れているようです。……って月夜見様? どうされました?」
「まずいっ! まずいぞっ!」
こんなことしてる場合ではない! 早く銀子の元へ向かわねばっ!
昨日と言っていたが、丸一日あれば車であの山へ辿り着くことも可能だ。
今頃、銀子と鉢合わせていたとしてもおかしくはない。
急いで移動の術を唱えようとするが、肝心な銀子の位置が分からなかった。
クソっ……あの山を探し回るわけには……。
いや、待てよ。
そう言えば、銀子にGPS機能の付いた腕時計を渡していたはずだ。今も着けているかどうかは分かないが、試してみる価値はある。
妾は咄嗟に懐にしまってあった探知機を取り出し、位置を確認した。
反応は……ある。
銀子よ、そこにいるのか?
「月夜見様っ!? 先程から何をしているのですかっ!?」
「永琳……。妾にはどうしても確かめなきゃならぬことがある。想像したくはないが……な」
もう時間がない、妾は術を唱える準備を始めた。
「な、ならっ! 私も連れて行ってくださいっ!」
「む? ……永琳?」
なぜ永琳もここまで焦っているのかが分からない。
「とても、嫌な予感がします……。月夜見様の身に何か起こるのではないかと、そんな不穏な空気を感じます」
そう言って、永琳は妾の腕を強く握りしめた。
「もし、連れて行ってもらえないのあれば、月夜見様を行かせるわけにはいきません」
永琳が真剣な表情で妾を見つめる。もし、この前のように逃げようとしたなら、気絶させてでも止めるつもりだろう。
「分かった。じゃが、何があっても手を出すんじゃないぞ」
「…………あなたが危険に晒されない限りは」
妾は大きく頷き、永琳と抱き合うようにして詠唱を始めた。
全身が紫色の光に包まれていく。
(頼むっ! 間に合ってくれっ!)
* * *
光が徐々に収まっていく。どうやら着いたみたいだ。
とても静かな洞窟のような場所にいて、暗いが夜の月光が入り口から微かに差し込んでくるため、僅かに状況が理解できる。
「これはっ……」
永琳が驚くように呟いた。
岩でできた地面には、おびただしい量の血液が至る所に飛び散っていて、ちぎれた手足が転がっている。
恐らく銃を盗んだ人間はここで殺されたのだろう。しかし、ここに反応があったはずの銀子の姿が見当たらない。一体どこにいるのだろう。
そう思って視線を洞窟の奥の方に向けると、
……全身が血塗られた少女が立っていた。下を向いているため表情は読み取れないが、銀髪の一部を真紅の色に染め、手足からは血が滴り落ちていた。
怪我をしている様子はないが、ここで何が起こってしまったのか容易に想像がつく。
少女が顔を上げて、こちらを見つめる。
虚な目をしている……。頬にある鱗のような模様が銀に光っているのが特徴的だが、それ以上に美しい銀の瞳に妾は既視感を覚えた。
「銀子……?」
その声に反応するように、少女の瞳孔が開いた。
妾のことを認識したようで、口を三日月のようにして、ニヤリと笑った。
やはり、銀子であった。人化の術を見事に成功させたらしい。あぁ、無事で何よりだ。
とにかく、話を聞かなければ、そう思って銀子に声をかける。
「ひ、久しぶりじゃな……銀子。いきなりでなんなんじゃが、その、ここで何があったのか、妾に教えて」
ガキンッ!
十メートルほど離れていたはずの銀子が、一瞬で目の前に移動し、妾に向けて拳を放ってきた。しかし、その瞬間に永琳が前に出て、弓の握りでそれを防ぐ。
「…………」
「…………」
互いに無言の時間が続く。
先に動いたのは、銀子の方だった。自分の拳が届かないと判断したや否や、すぐさま後ろに跳躍して距離を取り、"構え"をした。
(あれは、月式軍隊格闘術っ!?)
なぜ銀子がそれを習得しているのか、妾は疑問に思ったが、今はそれどころではない。
銀子は今、理性を失っている。何が敵なのか、味方なのか判断がついていないのだろう。
「銀子っ! 妾じゃ、月夜見じゃ!」
そう必死に呼びかけるが、銀子はまるで妾のことなど眼中にないように、冷静に永琳のことを見つめていた。
綺麗で真っ直ぐな瞳だった。まさか、理性をちゃんと保っているのか?
妾が考えをまとめるよりも先に、二人は動き出していた。
激しい打ち合いだ。目で追いつくことすらできない。永琳の弓による打撃を片手で受け、銀子はすぐさま反撃を繰り返す。それを超高速でやり合っている。
あの永琳が本気を出している事に、妾は心底驚いた。永琳の表情からは、一切の気の緩みも感じられない。銀子を倒す事だけを考えているようだ。
互角の勝負が続いていたが、遂に決定的な差が生まれた。永琳が銀子の右腕を吹き飛ばしたのだ。銀子は右腕を主力とした戦い方をしていたため、永琳がそれを逆手に取り、カウンターをする形で弓の弦を使って右腕を引きちぎった。
銀子の右肩からポタポタと血が流れ落ちていく。それを見て、永琳は勝負が決したと思ったようで、弓を握る手の力を緩めた。
その一瞬の隙だった。銀子の右腕がありえない速度で再構築されていき、永琳の顔に向けて拳を放ってくる。
「なっ!?」
咄嗟の出来事に永琳は反応が遅れてしまい、弓を地面に落とす。だが、やはり永琳というべきか、すぐに左の掌で相手の拳を受け止める。
「なんで腕を生やせるのかしら……」
永琳は銀子の拳を握りしめ、歯を食い縛りながら呟いた。
「あ、あなた一体、何者?」
返事は無言だった。しかし、銀子はいつからか抑えきれないほどの涙を流し、静かに泣いていた。
「うっ、うあああああ」
銀子の口から、まるで赤子のように泣く声が、洞窟内へと響き渡る。
その隙を見て、永琳は銀子の背後へと回り、羽交い締めをする。
そんな永琳の行動に何一つ反応することなく、銀子はただ妾を睨みつけ、叫ぶ。
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ! がえぢでよぉぁぉぉぉ!」
全身が張り裂けそうなほどの悲痛な感情を瞳に宿し、暴れ始める。永琳がいなければ、妾など刹那の間に殺されていただろうと感じるまでに。
「月夜見様っ! 抑えられませんっ! 封印の術を!」
封印の術……。銀子に渡した書物で覚えた術だ。この術を受けた者は、未来永劫、光を見ることなく地の底へ沈むという、なんとも残酷で無慈悲な術で、事実上の死とも言える。
「おがあ゛ざんを!! がえぢでよおおおっ! お゛お゛うりをぉぉ!!」
銀子はただ泣き叫び、暴れ続ける。
きっとあの凶悪なレーザー銃で家族を殺されたのだろう。龍は死体が残らないから分からなかったが、銀子の悲痛な叫びによって、否が応でも理解させられる。
妾の、せいだ。あんな銃、銀子と別れたあと、即座に廃棄するべきだった。龍を殺さないと決めたのに、なんという失態だ……。
「すまぬっ! 銀子ぉ、妾の、妾のせいでっ」
「がえぢでよぉぉ!! あ゛あ゛ぁぁぁ!!! どうじでえ゛え゛え゛え゛ぇぇぇ、な゛んでごろじだのぉぉぉ!!」
銀子の顔は、憎悪の瞳が見えなくなるほどに、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。きっと、もう止めることができないのだろう。何かを壊さない限り、銀子の暴走は止まらない。
今まで、誰よりも大切にしてきたものを唐突に奪われたんだ。心が壊れないわけがない。きっと、もう銀子の眼には妾など映っていないのだろう。
人の形をしている憎悪の塊が目の前にある、銀子の見ている景色はたったそれだけなのだろう。
「月夜見様っ! 早くっ!」
「……あ、あああ……」
妾は、もうどうすることもできなかった。銀子の憎しみという"穢れ"の本性を思い知らされ、妾の足は竦み上がってしまった。もう、動くことすらできない。誰よりも"穢れ"を嫌い、それを捨て去ろうと思っていたからこそ、"穢れ"の本質を見ようとはしてこなかった。
あぁ、妾はもう……。
「月へっ! 行くんでしょう!?」
永琳の叫びに咄嗟に目を覚ます。
そうだ。月へ、月へ行かなければっ!
このまま銀子を放っておけば、必ずこっちに向かってくる。龍の飛翔なら、ここから都市へわずか半日もかからないだろう。そうなれば、月への移住計画はまた失敗に終わるかもしれない。
二度目の失敗は、絶対に許されない。
妾は覚悟を決めた。
「すまぬ、銀子」
妾は封印の術を唱え始める。精神を統一して、目の前の相手を封印することだけに意識を向ける。
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁ!」
銀子は、永琳の腕の中で暴れ続けている。もう、何も考えられないのだろう。
でも、妾にはどうしても、どうしても叶えたい夢がある。
『何かを成し遂げるには、何かを犠牲にしなければなりません』
「……恨んでくれていい。呪ってくれていい」
詠唱が完了する。永琳に捕らえられたまま、銀子の身体は徐々に光り始めた。
あぁ、銀子よ。
もし、また妾に会うようなことがあったなら、妾はお主に殺されよう。
けれど今は……。
「妾のために、死んでくれ」
激しい光の中、銀子の叫び声が響き渡る。光が消える、最期の最後まで……。
あぁ、今夜はこんなに静かな夜だったのか。
そこにはもう、銀子の姿はなかった。