『も、もしかして・・・お母さん?』
「あなたの母以外に誰がいると思っているの」
母だ。姿はまるで違うけど、クールな佇まいに、麗かな体躯、なにより頭から突き出している。二本の角と煌びやかに光る額石がそれを証明していた。
「これが人化の術よ。小さな人間の姿になると一度に放出できる龍気の量は減ってしまうけれど、その分龍気の制御が楽になるわ」
母は真紅の長い髪をかきあげて、そう呟いた。
「この術を教える前に、あなたに今まで隠してきた龍と人間の関係について話すわ。なぜ私達がこの森から出ようとしないのか、他の龍はどこにいるのか、人間とはどんな生き物なのか、それを知った上であなたに決めて欲しいから」
『人間……ですか?』
「ええ、龍と人間が対立してしまったきっかけよ。元はと言えば龍が悪いのだけれどね……。まあ、それも含めてあなたに話すわ」
それから母は落ち着いたトーンで、人間と龍との関わりについて話し始めた。
* * *
かつて龍は非常に傲慢で、ありとあらゆる生物を見下しては虐殺を繰り返してきた。
事実、その時までは龍は最強の種族で他の生物など取るに足らない存在だったのだから、当然のことかもしれない。
長い月日が経ったある日、人間が現れ始めた。
その頃は龍も成長して、むやみやたらに他の生き物を殺傷することを控えて、謙虚な生活を送っていた。だから、人間があそこまでの技術力を成長させていたことなど、知る由もなかったのだ。
とある龍が獲物を探して、森を探索していた時の話。その日、その龍はなかなか獲物が見つけることができずに、長い間森の中を歩き続きていた。
ついに森を抜けてしまい、困り果てた龍は森からかなり離れ場所に、高い塀で囲まれ、巨大な立体物が無数に密集して並んでいる風景を目にした。
そこは人間の群れであった。
もしや人間は龍を脅かす存在なのではないか、そう思って森へ戻り、他の龍を召集してそのことを話した。
龍達はそんなことはあり得ない半信半疑であったが、興味本位もあり、軽率に無計画に龍を集め始めて人間の群れに向かうことにした。
今にしてみれば、それが唯一にして最大の誤りだった。
数百の龍の群れを引き連れて、人間の巣へと向かったのだが、そこで驚きな光景が目に入った。
大勢の人間が中の建築物を守るように円を描いた高い塀の上に立ち、中央にいる人間がこちらに向けて声を荒げている。
こちらの行動が読まれていたことに驚いた龍ではあったが、所詮は小さく脆弱な生き物……。
こちらが脅せば屈するに違いないと考え、歯牙にもかけずに人の群れに向かって進み始めた。
しかし、その考えは全くの誤算であった。
突然、塀の壁から無数の穴が開いて、中から大量の光弾が発射され、龍の身体を容易く貫通したのだ。
しかし、それだけで倒れるほど龍は弱いわけでない。すかさず、塀に向けて龍砲を放つが何か透明な壁のようなものに阻害され、霧のように散ってしまう。
絶え間なく降り注ぐ光弾の中、塀まで辿り着いた龍はほんの一握りであった。しかし、やっとのことで接近した龍さえも、塀の中から現れた人間の兵達によって殺されてしまった。
そして目の前にいる手練の龍達が為す術もなく地に倒れ伏していく光景を目の当たりにした私は、情けないことに気付くとその場から逃げ出していた。
* * *
私は黙って母の話を聞き続けた。
その後、母は独りで人間が住む街から遠く離れたこの山に移り住み、人間に怯えながら、隠れて生活を送っていたらしい。
そしてしばらく経ったある日に、森の中で身体をボロボロにして地面に倒れ込んでいる龍を見つけて手当てをしたそうだ。なんでも、人間に襲われて自分だけが生き伸びてきたのだと、それからは互いに持ちつ持たれつの関係でやっていき、徐々に惹かれあい
父は母が産卵する前に亡くなってしまったらしい。傷が思った以上に深く、身体から漏れ出る龍気を塞ぐことができずに、額石の龍気を使い果たしてしまったそうだ。
流れ落ちる滝の音はまるで熱くなった体を冷ますように癒している。
しかし、語るにつれて熱気を帯びていくる母の身体はまだ癒えないようだ。
肩で大きく息を吸い、母は静かに言った。
「他の龍達がどこにいるのか、私には見当もつかない。もしか……すると、私達以外の龍は……絶滅してしまったかもしれないわ」
肩を細かく震わせ、目からは透明な一粒の水滴が瞬きと一緒にはじき出される。
こぼれ出た一筋の雫は、蛍の照明を受けて鈍い銀色に光る。最初の涙がこぼれてしまうと、あとはもう止め処がなかった。
おさえていた感情があふれ、母は静かに涙を流した。
そして無言で私に近づき、小さな体で私の翼を抱き返えるようにして抱擁をした。
「だから……あなたには生きていて欲しいの」
そう耳元で私に囁き、私の体を強く抱きしめる。今も尚、小さく肩を震わて、ときどき小さな嗚咽がもれる。
あぁ、私は勘違いしてたんだ。
母はいつも格好良くて、他の誰よりもよりも逞しくて、小心者で臆病な私とは到底比べることのできない龍だと。
私を外へ連れて行ってくれないのだって、狩りの邪魔でしかないんじゃないから……。
優秀な妹だけを愛おしみ、私のことなど愛していないんじゃないかと……。
でも違った。
母は、別に強い龍ではなかった。
本当は私のように不甲斐ない一面もある、心優しい龍であった。
私を連れて行かないのはただでさえ目立ちやすいのに鈍臭い私が、いつ攫われるか、守り切ることができるのか……。
本当に不安で、きっと考えて、考えて抜いて出した決断なのだろう。
母は、私を愛してくれていた。
こんなに惨めで何もできやしない私を……。
思わず自分の両目が溶けだすように熱くなるのを感じる。こみあげてくる涙を寸前で堪えようとするが、抑えきれずに私の顔に熱い涙が流れた。
……なんだか嬉しいな。
滝の音と鈴虫の鳴き声が抱擁する一人と一匹の涙を夜の闇へと誘った。