月を憂う銀龍   作:Marian

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その人の名は月夜見

 

 母は瞼を赤く腫らしていた。

 ふふ……酷い顔だ。

 

 でも、きっとから母から見える私の顔もそう映っているんだろう。

 

 「辛気臭い話をしてしまったわね」

 

 母は顔をいつものような凛々しい表情に戻した。

 私は意を決して母に宣言する。

 

 『私、強くなります……! 誰よりも! お母さんを助けられるくらいの立派な龍になります!』

 

 全身全霊を持って誓った。心が熱くなっているのが分かる。ああ、こんな気持ちは生まれて初めてだ。

 強さへの渇望とかそういうのとは無縁な生活を送ってきたけど、今なら感じることができる。

 

 私の宣誓を聞いた母は凛々しい表情を崩してクスッと笑った。

 

 「それじゃあ、修行を始めましょう」

 

 『はいっ!』

 

 私は勢い良く頷いた。

 どんな修行をするかも知らずに……。

 

 * * *

 

 「そこ! 精神が乱れているわ! もっと集中しなさいっ!」

 

 『ひぃぃぃ!』

 

 私は今滝に打たれている。自分でもなぜこんなことをしているのか分からないが、これも雑念なのだろう。

 容赦なく母から叱責が飛んでくる。

 

 人化の術を習得するには、まず精神を統一しなければならないらしい。

 自我へのとらわれから解放され、悩みや悪心など生じない"無我の境地"に至る必要がある。それを実現させるためには、滝行が最も適しているらしい。         

 滝という激しい水の中では雑念が湧く余裕すらなくなるため、精神統一が行いやすいのだとか。

 

 とは言えども、そう簡単に雑念を払えるわけじゃない。あの崖の高さから大量の水が落ちてくるのだ。痛くないわけがない。

 

 私はただただ痛みを堪えてじっとし続けた。

 

 

 

 滝に打たれ続け、憔悴しきって歩くことさえできなくなった私は、母の背中にしがみついて空を飛んでいた。

 あぁ、全身がヒリヒリする……痛い。

 

 『明日からもこの修行を続けるわ』

 

 『そんなぁ。私には無理ですよぉ』

 

 『強くなりたいんでしょう? これくらいのことで音を上げないで』

 

 自分で強くなりたいと言ってしまった手前、後には引けない。こんなことなら、もっとじっくり考えてから宣言すればよかった……。

 

 『それから、これまでは昼に出歩くことを禁止していたけれど、この付近には危険な動物はいないようだから、外に出ても大丈夫よ』

 

 『本当ですかぁ!?』

 

 『ただし、あまり遠くには行かないこと。いいわね?』

 

 うわぁ……嬉しいっ! 今まで私がどれほど退屈な日々を過ごしてきたか……。

 思い出しただけで涙が出てくる。

 

 とにかく昼間は自由行動ができるようになった。それだけであの辛い修行を耐える糧になりそうだ。

 

 その後、何事もなく母と私は寝床へと到着して、私はクタクタになりながらも藁のベットに座り込み、深い眠りへと落ちていった。

 

 * * *

 

 翌日、私は独りで森の中を歩いていた。

 

 生まれてこの方独りで出歩くことなど無かったので、始めはビクビクしながら木の影に隠れて進んでいた。

 けれど、見たことのない景色、見たことのない動物を見つけるたびに恐怖心よりも好奇心が上回り、今は堂々と歩いている。

 

 母の言った通り、この付近には草食動物ばかりで、争いとは無縁なとても穏やかな時間が流れていた。

 

 『んー? あれは……』

 

 ふと横を見ると、そこには数頭の鹿の群れが列をなして歩いていた。

 

 『どこに行くんだろう……』

 

 不思議に思って跡をつけてみると、そこには小さく澄み切った湖があり、湖の水が朝日をはね返してまるで龍の鱗のように光り輝いていた。

 

 『わぁ……きれい』

 

 鹿さん達は綺麗に横に並び、渇いた喉を潤すように思い思いに水を飲んでいた。

 

 『ふふ、可愛いな……ってあれ?』

 よく湖を見てみると、湖の上には蛍のような光が無数に浮かんでいた。まだ夜じゃないから蛍ではないはずだけど……。そう思って光に近づいてみるとそれは大きさが蝶程度の小さな妖精だった。

 

 『らんらんらーん』

 

 『はるるーん』

 

 『あたい、たいきょー』

 

 色んな妖精が湖の上をスラスラと飛び回っては、よく分からない言葉を囁いていた。

 

 (そういえば、お母さんが…)

 

 妖精とは自然現象が具現化したという種族であるらしい。背中に羽の生えた、小さな人の姿をしているいて、基本的に知能は低く、会話をすることはできないだとか。

 それで、最も特徴的なのは妖精は死ぬことがないらしい。なんでも、妖精とは自然そのものであって、その自然がある限り何度でも復活するそうだ。

 

 『妖精さん、また会いましょうね』

 

 『さいきょー?』

 

 名残惜しいけど、いつまでも眺めている訳にはいかない。氷の妖精さんとお別れして、私は再び森の中を歩き始めた。

 周りの風景を眺めながら歩き続けていたせいか、思ったよりも遠くにきてしまったかもしれない。気付けば、歩いても歩いても私の周りには同じような大木が並んでいた。

 何度か振り返ったり、方向転換したせいで自分がやってきた方向すらも分からなくなっていた。

 

 困った……完全に迷子になっちゃった。

 上から見てみようとも思ったが、残念ながら私は空を飛べない。

 

 『木でも登ってみようかな』

 

 「ほれ、お主」

 

 そう私が呟いた瞬間……何処からともなく森の中に声が響いた。唐突な出来事に動揺し、辺りを見渡すがそれらしき影は見えなかった。

 

 『だ、誰ですかっ』

 

 「こっちじゃ、こっち」

 

 そう言って、その声の主は樹木の影から姿を現した。白く長い髪をおさげにした小さな少女だった。つむじからは白いアホ毛が跳ねている。

 服装は着物のように見えるが、胸元は大きく開いていて、前からは脚がかなり露出している。首からは真珠を吊り下げていて、両腕に太いリングを嵌めていた。

 

 『あ、あなたは…』

 

 私は冷や汗をかいていた。人間と妖怪は非常に似た容姿をしているらしいが、ある一点が明確に違うという。

 

 それは妖力を有しているかどうか。

 

 この少女からは妖力を微塵も感じ取れないから、人間の可能性が高い。

 私は固唾を呑んで、恐る恐るに言葉を返した。

 

 『……私に、何か用ですか』

 

 もしかしたら、ただこの山に迷い込んだ人間なのかもしれない。それなら、適当にここを真っ直ぐ行けば森を抜けられるよと教えてあげればいい。

 

 まだ小さな子供、疑わずに言われた通りに進んで行ってくれるはずだ。

 ……でも、もしそうではなく、何か別の目的でこの場所にやってきているのだとしたら。

 

 「お主、()じゃな。やっと見つけられわい。ちとお主に聞きたいことがあるんじゃが……ん?」

 

 その言葉を聞くや否や、私の足は駆け出していた。

 

 やばいっ、やばい!

 会っちゃいけないタイプの人間だった!

 母や私達を殺しに来たに違いない。そうでなきゃわざわざ龍を探そうとする奴がどこにいるのか。

 きっと人間の群れを襲った龍のことをまだ恨んでいて、どこかから龍の生き残りがこの山に住んでいることを嗅ぎつけたのだろう。

 

 うぅ、こんなことなら妖精さんと会った後にすぐに帰ればよかった。迷子になった挙げ句、悪い人間に見つかるなんて……。あぁ、まだ死にたくないよ。

 

 私は全力で森の中を駆け抜けた。途中木にぶつかりそうになって体勢を崩しかかけたが、そんなことを気にする余裕もなく、四つの脚をふんだんに使って韋駄天の如く走り去った。

 

 ふふん、いかに人間の技術力が優れていようと全力で逃げる龍を捕まえることはできまい。

 

 かなりの距離を走ったところで、立ち止まって後ろを振り返った。案の定そこに人間の姿はなく、ただ大樹が並んでいた。

 流石に撒いたかな……。そう安堵して、私は一息つこうとする。

 

 

 

 「なんじゃ、もう追いかけっこは終わりか」

 

 安心し切っていたからだろう。背後から聞こえるはずのない声が聞こえて私は腰を抜かしてしまった。

 あ、ありえない……。私は一直線に走ってきたはず。それなのに私より前にいるということは、迂回してきた……? それとも空を飛んできたの……? 

 

 どっちにしてもそんなことを出来る奴から逃げ延びることなど不可能だ。

 私はありえない存在を目の前にして、恐怖感に埋め尽くされてしまった。

 

 「まあいい、それでお主のことなんじゃが……」

 

 『いやぁぁぁぁ! ごめんなさい! ごめんなさい! 許してください! なんでもしますから、命だけは取らないでください! お願いしますぅ!』

 

 いやだぁ……まだ死にたくない。私まだ強くなってもいなってないよ。

 こんな中途半端なまま死んだら、死んでも死に切れないっ……! お願いします神様、私を、私をどうか助けてください!

 

 もう恥も外聞もへったくれもない。腰が抜けて後脚が動かなくなってしまった私は、惨めにも人間に命乞いをした。

 

 

 

 

 

 「はぁ……。何を言い出すかと思えば、いつ妾がお主を殺すと言ったのじゃ」

 

 『え?』

 

 返ってきたのは私にトドメを刺す一撃でも傷を負わせる攻撃でもなく、ただの呆れた声だった。

 

 「別に取って食おうという訳ではない。まったく……龍は人の話を聞かないと××が言っていたが、やはり正しかったようじゃの」

 

 そう言って少女は、腰が抜けて地にべったりとついてしまった私の後ろ足を支えて立たせてくれた。

 

 「そういえば自己紹介がまだじゃったな。妾の名は月夜見(ツクヨミ)。して、お主の名前は何というのじゃ?」

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