「お主の名前は何というのじゃ?」
何者なんだこの人は……。月夜見って言ったけど、何か良からぬ事を企んでるんじゃないのか……?
いや、でもそれなら私が命乞いを聞き入れるはずがない。それに立ち上がる手伝いをしてくれたし、案外悪い人ではないのかもしれない。
名前くらいは教えてもあげてもいいかな。
『銀子……です』
「ほう、銀子というのか」
月夜見はふむふむと言いながら、私の身体を舐めるような目でじっくりと眺めながら何かを思案し始めた。
や、やっぱりまずいかもしれない。今からでも逃げるべきかも。
私の心中を知ってか知らずか、月夜見はゆっさゆっさと近づいてきて、両手をわきわきさせながらこちらに腕を伸ばしてきた。
『ひぃぃ!?』
やっぱりこいつ危ない奴だった……!
あぁ、やだやだ……。きっと今から人間の住処にお持ち帰りされて、身体の至る所調べられるんだあ……。それでそれで切り刻まれたりして……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ。
「その……お主に触れてみたいんじゃが、触ってもよいか?」
『……え?』
彼女は少し顔を赤めらせて、恥ずかしそうに視線を横にそらしながら私に聞いてきた。
ええと……まずは下調べってことですか?
あぁもういいや、煮るなり焼くなり好きにしてください。
どうぞ、と諦めたように私が呟くと、彼女は躊躇い気味にもわきわきと動かしていた手を私の首元に手を当て、ゆっくりと撫で上げていった。
「……ほう。なかなかツルツルしておるのじゃな。龍の鱗というのは」
片手を首から胸のあたりまでを滑らせて、もう片方の手は私の翼の内側を触っている。
なんか……こそばゆい。ていうかなんか妙に触り方をするなこの人。何か変なものが背中を駆け抜けていく気がする。
「龍の翼はこのような形をしていたのか。もっとよく見してくれ」
そう言って彼女は私の翼へと顔を近づけた。
「ほうほう。鱗で覆われているから硬そうだと思っていたが、意外と伸縮性があるようじゃの」
い、息がぁ。なんか生暖かくて、気持ちいいとかそういうんじゃないけど……うわぁぁぁぁ。
「うーん。じゃがこの翼の形状ではどうも飛べなさそうに見えるが……。ん? なんじゃこの穴は」
あ、やばい。なんかちょっと変な気分なってきた。これ以上は……ほんとに。
『うっ……あの、もう止めてください』
「なるほど、そういうことか。ここから何かを噴射しているんじゃな。はは、面白い構造をしておるのう」
あぁ、ダメだこの人。私の翼に夢中になりすぎて全く話を聞いてない。
月夜見の吐息がかかるたびに、私のSAN値が急降下するように削れていく。
あ……だめっ、気持ちいい…………。
『って、いい加減にしてください!』
私は強引に頭で彼女のお腹を押し返し、翼から手を離させた。
「あぁ、まだ見てる途中じゃったのにぃ」
『はぁ、はぁっ……触ってもいいと言いましたが……限度が……あります』
漸く彼女の手からを翼を解放し、一息ついて呼吸を整えた。
ふぅ、危なかった。あのままだったら、確実に私の精神もろともやられていたはず。まあ、とりあえずは一撃は避けられたんだ……敵の魂胆を探ってみよう。
『それで、何の用ですか』
「ん?」
『最初に私に聞きたいことがあるとか何とか言ってたじゃないですか。……まさかただ翼を見たいだったんですか』
私の言葉に可愛らしく首を傾げる彼女であったが、何かを思い出したようにポンと手を打った。
「あぁ、そうじゃ。お主に聞きたいことがあったのじゃ。聞きたいことがあったのじゃが…………。やはり言うべきか……いや此奴のこと……でも万が一…」
ボソボソと独り言を呟く月夜見。どうやら言うか言わないかで迷っているらしい。
私は月夜見が悩んでいる間暇になって、昨日の滝行のことを思い出していた。
昨日は滝の激流に全身を傷みつけられ、無我の境地とやらを微塵も感じることができなかった。母によると無我の境地は本能を捨て去り、精神の迷いがなくなった状態を指すらしい。
精神の迷いを無くす、つまりある一つのことのみに集中し、そのことだけに意識を向けるということだ。何に集中するかは修行を積むうちに自ずと分かるらしい。
人化の術とはその末に見出せる技なのだ。うーむ、人間になるか……人間になる……月夜見は人間……。
……ん?
「うむ! お主は悪い奴には見えなさそうじゃしな! とやかく言っても仕方なかろう」
月夜見は悩みが解決していたようで、清々しい笑顔を私に向けた後、背を向けた。
「それじゃあ妾は帰るとするかの。邪魔したな、銀子よ」
月夜見さんは何やら呪文のようなものを唱え始め、彼女の足元には円形の紫色の光が浮かび上がってきた。
まずい…… ! このままじゃ逃げられちゃう。
『あ、あの! 待ってください!』
「む? まだ何かあるのか?」
月夜見は呪文を唱えるのをやめて、再び私の方へ身体を向けた。
チャンスは今しかない。
『私、人間の心を知りたいんです!』
「人の心? そんなもの知ってどうするのじゃ」
『実は……』
私は彼女に人化の術を覚えたいと言う事を話した。母が人間と戦ったことがあることは口にはしなかったが、私が強くなりたいこと、そしてそれにはどうしても人間の姿にならなければならないことをを誠心誠意、熱意を込めて語った。
月夜見はまたふむふむと口にして、また考え込むように腕を組んだ。
「人化の術か。もしかするとじゃが、力になれるかもしれんな」
『ほ、本当ですか!?』
「あぁ、妾の書斎に確かそのような術が記述されていた古い書物があった気がするの」
しょ、書斎!? 母は確か本は貴重なものって言ってたし、そそそ、それを沢山持っているってことは、もしかして月夜見って偉い人?
「うーむ、しかしな。妾にはこれからやらねばならぬことがあってじゃな……。また明日にこの山に訪れる故、そのときではダメかの」
『で、でもまた会えるかどうかなんて分からないですよ。この山はとても広いですし……』
「確かにそうじゃな。ならこれを持っておれ」
そう言って月夜見は懐に手を入れたかと思うと、何やら不思議な道具を取り出した。輪っかのような形をしている。
なんだろう……これ。
「これは"GPS機能搭載型腕時計"といってじゃな。これをお主が身に付けているだけで、妾はお主の居場所を把握できるんじゃ」
『じーぴーえす……とうさい?』
何を言っているのかさっぱり分からない。でも、とにかくこれで私を見つけ出すことができるらしい。
「この腕時計はずっと腕に付けておくんじゃぞ、決して取ってはならぬぞ」
そう言って、彼女は私の前足にそれを巻きつけた。なんか脚に紐が巻き付いてる感じで、少し違和感がある。
「その時計の針が12を差したときに、妾はまたお主の目の前に現れよう。夜ではないぞ、昼の12時じゃ」
『太陽が真上にあるときですね!』
「それと、なるべく人目のない場所にいるんじゃぞ。妾もバレるとまずいのでな」
『分かりました!』
うむ、そう大きく頷いた彼女は今度こそ私に背けて呪文を唱え始めた。言っていることは理解できず、とても発音できるような言葉ではなかった。
紫色の光が月夜見を覆い、反射的に私は目を閉じる。再び瞼を開いたとには月見夜の姿は綺麗さっぱり消えていた。
龍であっても、あれほどの刹那の間に姿を消すことなど不可能なはず……。じゃあどうやって去っていったのだろうか。うーん……まあ、いっか。
私が考えることを放棄して、ふと上を見てみると気づけば空はオレンジ色に染まっていて、夕暮れ時であることを示していた。
随分と長く話し込んじゃったけど、もうお母さんと桜龍は帰っているだろうか。
ふふふん、どうしよっかな。このこと話そうかな〜。お母さん、きっと驚くだろうなぁ。
私はワクワクとした気分を胸に、住処である洞窟へと向かって歩き始めた。
(って私迷子じゃぁぁぁぁん!)
私は泣く泣く木の上に登って確認しては降りてを繰り返した。そしてやっとのことで洞窟に帰った時にはもう太陽はとっくに沈んでいて、入り口には人間の姿で仁王立ちをした母の姿があった。