「何か申し開きはある? 銀子」
母は言葉に含む怒気とは対照的に笑顔を浮かべていた。
だが悲しきかな。頬も眉もぴくぴくと動いているし、額には青筋を張らせていた。何より溢れんばかりの殺気を纏う龍気を身体から放出していたことが、母の本気の怒りを証明していた。
「まさか晩になっても帰ってこないとは、一体何処をほっつき歩いていたの……!」
母は私の首筋に軽く手を当て、顔を近づけてきた。そこには先ほどの笑顔はなくなっていて、今でも噛み付かんばかりの鬼の形相をしながら、こちらを射抜かんとする怒りに満ちた瞳があった。
……言えない。人間の少女と戯れあって親密になっていましたなんて、そんなことを口に出そうものなら私の首から上は一瞬でスパンと切り離されてしまう。
『あ、あの、その、ちょっと迷子になってしまって、そそ、それでっ、ははっ』
吃りに吃りまくった言い訳をした私は、最後に苦し紛れの笑い声を上げた。けれど、母は黙って私の瞳を覗き込んでいる。
『そ、そうだ! お、おもしろいモノ拾ったんです! ほら、前足の、これ見てください!』
私は月夜見から貰った腕時計を見せるが、母は目もくれずに私の瞳だけを見続けていた。物凄い威圧感と剣幕が私の心を駆り立てていく。
『いや、あ、ごめんなさいっ! もうしませんっ! 次からはちゃんと日暮れまでには帰ります! ゆ、許してくださいっ!』
あとはもう謝るだけだった。四本の脚全てを曲げて、額を地面に付けて絶対服従のポーズを取り、謝り続ける。そんな私の姿を見て、母の怒りも少し収まってきたようで、大きなため息をついた。
「日が落ちても帰ってこないから、何かあったのかもしれないと思って本当に不安だったわ。特に桜龍は凄かったわよ。ここら一帯を飛び回っては必死にあなたを探していたから」
お、桜龍ぃ。お姉ちゃんっ子だってことは分かってたけど、そんなに私のことが心配だったなんて……。うぅ、ごめんよぉ。
「長時間の飛翔による龍気の消費量は大きいの。これ以上は危険だと思って、夜になる前に捜索を中断させたわ。家に着いてからも桜龍はずっと啜り泣いていわよ。泣き疲れたようで今はもう眠ったけど……」
『…………』
どうやら、本気で桜龍は私のことを探してくれてらしい。
私も桜龍のことは大切に思っているし、もし妹の身に何かあれば私は真っ先に助けるつもりだ。しかし、桜龍が私を助けてくれるとかそういうのは考えたことなかった。
桜龍にとっての私はどんな存在なのか、私はちゃんと姉としてやれているのかどうか、もしかすると疎ましく思っているのではないか、その答えを知るのが怖くてずっと考えないようにしてきた。
でも、私にとって桜龍が妹であるように、桜龍にとってもちゃんと私は姉だったようだ。
生まれた時からずっと一緒に過ごしてきたのに、どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
明日桜龍に謝ろう。謝ってちゃんと向き合おう。
そう決心して私は母の目を真っ直ぐと見つめた。
「……どうやら肝が据わったようね。いいでしょう。今回のことは特別に許してあげる。けれど次に日暮れまでに帰ってこなかったら本当に許さないわよ。あなたが何と言うとも問答無用で家に縛り付けておくことにするわ」
『ははは……』
そ、それは勘弁願いたいかな。
「さあ、今日も修行よ。言っておくけど、昨日のようにすぐにへばらないように。痛くても気合いで我慢しなさい」
『はいっ! よろしくお願いします!』
私は気合を入れ直した。さあ、今日も頑張ろう。
* * *
翌日、私は妹と向かい合っていた。桜龍は瞼を赤く腫らし、眼の下には少し隈が出来ていてとても痛々しかった。
晩中泣き続けていたのかな……。
『桜龍』
『……銀姉』
私はそっと桜龍の額に頭を合わせる。龍同士の愛情表現だ。額石同士が触れ合うため、より鮮明に相手の思いが伝わる。
小さな頃は寝る前に必ずやっていた。たまにごつんと頭をぶつけて互いに笑い合ったりしていた。
母の教育方針で寝る時間がずれてからはすっかりしなくなっていたが、久しぶりにしてみるとやはり気分が落ち着く。
くっついた卵から産まれてきたのだ、生まれる前から一緒にいたのだからある意味当然のことなのかもしれない。
『桜龍、ごめんね。私、やっぱりダメなお姉ちゃんだよ』
『…………』
あぁ、私はなんてダメな姉なんだろう。才能もないし、不器用だし、臆病者だし……。それに妹を悲しませるなんて、姉失格だ。
そんな私の心中を察したのか、桜龍は悲しげに語った。
『家に帰ったら銀姉が居なくて……、どこ探しても居なくて……。わたしのことからかってるのかと思ってじっとしてたけど、やっぱり帰ってこなくて。もしかして悪い奴に捕まったんじゃないかって空からいっぱい探したけど、それでも見つからなくて……』
『…………』
『銀姉、わたしのこと嫌いになって出てっちゃったのかもって、凄く怖くなった……。もう銀姉に会えないって、そう思ったらわたし……』
そう言って桜龍は俯いてしまった。
なに……それ……。私が桜龍を嫌いになるわけないのに。でも、桜龍をこんなに不安な思いにさせたのは、他の誰でもない私……。私が桜龍を傷つけた。
気づけば私の瞳から涙が溢れ出ていた。
『桜龍……ごめんねっ! う、ほんど、ごめんね゛ぇ! わたじ、おうりのこと、ひっく、嫌いになんか、なってないがらっ!』
顔が涙でくしゃくしゃになり、嗚咽が込み上げてきて上手く喋れない。息を吸えば吸うほどしゃくり上がってしまう。
『……ぎん、ねぇ』
桜龍も気付けば涙で瞳が潤んでいた。私の言葉を聞いて安堵したような顔をして、ほっと息をついていた。
『……よかったぁ。銀姉に嫌われちゃったら、わたしもうどうしようって』
あぁ、桜龍……。あなただけは、私の命にかえても守り抜くよ。二度とあなたを泣かせたりはしない。私は桜龍にとってのカッコいい姉となろう。
そのためにも強く、誰よりも強くならないと。
* * *
しばらく額を合わせ続けた私達だったけど、いつまでもそうしているわけには行かず、母は桜龍を連れて狩りへと出掛けて行った。
家を出る際に何度か私を振り返っていた妹の姿を思い出し、少し顔が緩んでしまう。また居なくなったりしないか心配になったのだろう。
大丈夫だよ。ずっとそばにいるからね……。
前足にある腕時計をみてみると、時計の針は太い針が11と12の間くらいにあった。そろそろ私も出発しなければと思い、家を出て森の方へと歩いて行った。