月を憂う銀龍   作:Marian

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綺麗な思い出

 

 私は森の中で静かにその時を待っていた。前みたいに迷子になってしまわないよう、木々に爪痕を立てながら進んできたので、帰り道も迷うことはないはず。

 母や妹を心配させる事態にはならずに済みそうだ。

 

 そして遂に時計の針が12を指し示す。それと同時に、目の前の地面に見覚えのある紫色の円が浮かび上がってきた。

 月夜見は前にもこの術を使っていた。その時は特に気にすることはなかったが、まさか別の場所に一瞬で移動する術なのだろうか。

 もしそうなら、龍が為す術もなく人間に滅多打ちにされてしまったのも納得が出来る。こんな芸当を仕出かす相手に勝てるはずがない。

 

 人間の恐ろしさを改めて身に感じるが、どうやら一瞬という訳ではなく、術の発動にはそれなりの時間を要するらしい。光が徐々に膨れる上がってきたので、それに合わせて私は目を閉じる。

 

 

 

 どうやら収まったようだ。

 私は僅かに眼の裏に残る光の像を感じながらも、重い瞼を開いた。

 

 そこには想像通り、月夜見の姿があった。だが、何やら様子が変だ。前のような晴れ晴れとした笑顔はなく、肩を大きく上げ下げしながら息を切らして、両手を両膝についていた。

 

 「はぁっ、はぁっっ、どうやらっ……間に合ったようじゃのっ」

 

 『つ、月夜見さん! どうしたんですかっ!?』

 

 「いっ、はぁっ、ふぅぅぅぅぅぅ」

 

 月夜見は必死に呼吸を繰り返す。そして、心臓の鼓動を整えるようにゆっくりと深呼吸をした。

 私は何があったのか心配ではあったが、月夜見の呼吸が落ち着くまで見守り続けた。

 

 * * *

 

 「すまぬな銀子。みっともない姿を見せてしまったようじゃ」

 

 『いえいえ! お気になさらず。それよりどうしてあんなに慌てていたんですか?』

 

 「いやなに、こっちに移動する際、××に見つかってしもうてな。まぁ、とにかく間に合ってよかったのじゃ」

 

 聞き取れない単語があった。そういえば、出会った頃にも同じような言葉を言っていた気がする。私は疑問に思い、月夜見に尋ねてみた。

 

 『その……今、誰に見つかったって言いました? すみません、上手く聞き取れなくて……』

 

 「ん? あぁ、そういえばお主には発音できない名前じゃったな」

 

 うーむ、と言って月夜見は腕を組み、ぶつぶつと呟く。

 

 「"永琳"」

 

 『えーりん?』

 

 「あぁ、正確には少し異なるが、これなら発音できるじゃろう」

 

 えーりん……。一体誰なんだ。月夜見がここまで追い詰められているんだから、相当やばい人間なのではないか。そう思って私はがくがく震えてしまう。

 そんな私の心の内を見透かしたのか、月夜見は苦笑して、安心させるように私に語りかけた。

 

「勘違いするでないぞ。永琳は妾の家族みたいなものでな、妾が生まれてからずっと世話をしてくれた人でもあるんじゃ。今でも頼りにしているし、感謝もしているが、過保護すぎるのが玉に瑕じゃな」

 

 『なんだ……。月夜見さんのご家族の方でしたか。それなら安心です』

 

 どうやら月夜見はその永琳に見つかってしまったそうだ。重要な会議があるから出席してほしいと永琳に言われた月夜見だったが、私との約束の時間が迫っていたため、それを拒否して逃げ回ったそうだ。

 

 「妾の移動の術は唱えるのにかなり時間がかかるし、止まってなければならんからのう。永琳から一度身を隠す必要があったのじゃ。逃げるのに相当な体力を使ってしもうた」

 

 『私の約束なんて、大したものじゃなかったのに……。別の日でも良かったんですよ?』

 

 「妾は約束は守る主義でな。一度決めたことを覆すのは性に合わぬ。それに会議と言ってもほとんど永琳が仕切っているから、妾が居なくても問題はないはずじゃ」

 

 やはり、月夜見は人間の中でもかなりお偉い人のようだ。なぜそんな人がこんな僻地の山に来たのか、それを聞きたくなったが、何やら不穏な空気を感じ、胸中がざわめく。

 だから代わりに、私は月夜見が使っていた術について聞くことにした。

 

 『あの、さっき移動の術って言ってましたよね。それってどういう術なんですか?』

 

 「妾は『術を唱える程度の能力』を持っているからのう。詠唱によって、色んな術を使えるんじゃ。移動の術もその一つじゃな」

 

 『そ、そうなんですか。凄い便利な能力じゃないですか』

 

 私は『龍気を操る程度の能力』を持っているのに、そもそも扱える龍気が少なすぎて、全くそれを活かすことができない。そう考えると、月夜見の能力を羨ましく思ってしまう。

 

 「それがそうでもないんじゃ。一々詠唱せねばならぬし、なによりその間は完全に無防備じゃからな。無闇矢鱈に使う訳にはいかぬ」

 

 そう言って月夜見は、はだけた胸の懐に手を入れて、一冊の古本を取り出した。

 

 「ほれ、お主が欲しがっていたものじゃ。"人化の術"について書かれておったから、間違いないはずじゃ。お主に授けよう」

 

 『えっ、でもそんな貴重なものをただで貰うなんて……!』

 

 「安心せい。妾はもう既に読み尽くして、そこに書かれている術は全て覚えた。まあ元から人じゃったから、人化の術はすっ飛ばしたがのう。他に読む奴もおらんし、お主に使ってもらった方がその本も嬉しいじゃろう」

 

 そう言って、古本を私の顔の前に差し出した。

 昨日知り合ったばかりの私に、ここまで親切にしてくれるなんて、やっぱり月夜見はいい人だ。思わず涙が滲む。最近、泣いてばかりいる気がするのだが、こんなに私は涙脆かったのだろうか。

 とにかく、私は月夜見の厚意に甘えることにした。

 

 『うぅ……。私なんかのために……、ありがとうございますっ。一生大切にしますっ』

 

 私はゆっくりと、そして途中で開かないよう、優しく本の角を咥えた。

 月夜見は満足したように笑顔を浮かべて、私に背を向ける。もう帰ってしまうのだろうか、もう少しここにいればいいのに。けど、合間を縫って来てくれたんだ。引き留めるわけにはいかない。

 

 「さて、妾の役目はこれで終わりじゃな。生まれて初めて龍に出会ったが、最初に出会えたのがお主でよかった」

 

 『私も……最初に会えた人が月夜見さんでよかったですっ。精一杯修行して、強くなりますっ!』

 

 「あぁ、期待しておるぞ。妾はもうすぐ、ここからずっとずっと遠い場所へ旅立つつもりじゃ。だから、もう会うことはないじゃろう」

 

 初耳だ。明日も会えるかなと、心の中で期待していたから、余計に寂しく感じてしまう。

 

 「お主と出会えたこと、決して妾は忘れはしない。達者でな、銀子」

 

 『私もですっ! 月夜見さんのこと、絶対に忘れません! お元気でっ』

 

 夏の風に揺られて、濃い緑色の葉が私の頬を掠める。月夜見と一緒にいた時間は、これから続く長い生涯のうち、ほんの刹那であろう。けれど、初めて私が家族以外の、それも人間という異なる種族と友好な関係を築くことができた。

 これは私にとって、忘れられない宝物になるだろう。

 

 月夜見は決して振り返らずに、去ってしまった。蝉の音が響いているのに、私の耳にはとても静かに聞こえてくる。私は生まれて初めて経験した別れの苦みを噛み締め、家へと足を駆け出していた。

 

 * * *

 

 家に帰った私は、ひたすら本を熟読した。文字に関しては、母から教わっていたので問題はない。

 術には様々なものがあった。水遁の術、火遁の術、分身の術、封印の術……。それらを全て飛ばし、ある一つの術のみを探し続ける。

 

 見つけたっ!

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