黒い刺客に成り代わったブルボン推しがデビューを1年ゴネる話   作:ィユウ

31 / 31
今年分です。


PAGE:31 『IN/SECURE 偉業のジレンマ』

『春の天皇賞が迫るこの頃、調子を上げる有力バが多く出揃っています』

 

 それは散策の最中、ビルの液晶から吐き出されていた台詞だった。

 人通りの多い交差点にもよく響くその声は、少し耳を傾ければ年始より今までのレースを振り返る内容であったらしい。

 

『京都記念ではビワハヤヒデが快勝、目黒記念ではミホノブルボンと、去年の有で鳴らした面々が好調を見せています』

 

『ハヤヒデと同じくBNWとして並べられるナリタタイシンも、ブルボンにはあとひとつ及ばなかったものの、復帰早々にいいレースを見せてくれています。休養中のチケットに代わって、盛り上げてくれるでしょう』

 

 そう言及された2レースの映像を背景にしたコメントが行われる中、間もなく先週末のGIIへ話題が映る。

 

『つい先日の阪神大賞典では、復帰明けのライスシャワーが1着、というのも話題になりましたね』

 

『菊花賞以来、チームの移籍など身辺が落ち着かないようでしたが、初の重賞制覇はポジティブなスタートになりました』

 

 自身に対する言葉を無感情に見送ると、いよいよ材料が出揃ったらしい出演者たちは本題に入っていた。

 

『さて、これまで挙げた面々は漏れなく天皇賞への出走を表明するメンバーな訳ですが、どのような見通しとなるのでしょうか?』

 

『ハヤヒデとブルボン、この二強関係は変わらないでしょう。有2着のナイスネイチャも調子を持ち直せば、あるいは』

 

 そうして年末グランプリの上位陣から繰り出していったコメンテーターは、つらつらと語り出していった。自分の名も交えられていたそれがひと段落すると、何やら険しい表情を作った彼はこう告白した。

 

『……しかし。正直なところ、怖いのです』

 

 脈絡なく放たれたその言葉に、首を傾げたアナウンサーが訊き返さんとするのが目に映ったが、それを待つことなくコメンテーターは続けた。

 

『史上初の連覇、そして3連覇、レコード……このレースのすべてを手に入れたあのウマ娘を忘れられるだけの衝撃を、彼女たちが出せるのだろうか、と』

 

 昨年までの覇者を引き合いに出した彼は、そうやるせないように口にする。

 

『去年までの我々を魅了した走りは、あまりにも鮮烈すぎました……そんな印象を塗り替えるだけのレースを……彼女たちが見せてくれることを、望んでいます』

 

『……そうですね! では──』

 

 なんとか言葉尻を今年への期待に着地させたコメンテーターへ向け、安堵するように頷いたアナウンサーは、次の話題に移らんと声を張り上げようとしていた。

 

「……」

 

 そこまで聞いたライスは次の瞬間、交差点の喧騒の中へ消えた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「ブルボンも無茶するわね」

 

 トレーニングの最中、スカーレットは同じレーストラックの坂路コースに居るブルボンを見てそう溢した。

 

「おおかた、天皇賞に向けてのスタミナ補強を狙ってるんだろうな」

 

 声を拾ったスピカTはそう語る。

 既に3000mの菊花賞を攻略しているブルボンだが、春の天皇賞はそれよりも200m延長されたレースであるし、ストイックな彼女が妥協を是とするとは思えなかったのだろう。

 

「そんな呑気に構えてる場合? あの娘は天皇賞での……ライスのライバルなんでしょ!?」

 

 そう鋭い剣幕でトレーナーへ詰め寄っているスカーレットだったが、当のライスはブルボンへ視線を向けたまま動く様子もなかった。

 

(……ペースが尋常じゃない、何を考えてるの?)

 

 スカーレットらのやり取りに目もくれず、コースを駆けるブルボンを見つめるライスには、目の前の光景は明らかな異常として映っていた。

 坂路を駆けるブルボンのスピードは、道楽半分で見ていたときのそれと比べても逸脱している。

 

(一体、何と戦うつもりなんだろう?)

 

 もしレースで同じことをするつもりと言うなら、正気の沙汰ではないと一笑に付すべきだろう。しかし、彼女は既にこれを何度も反復しているのだ。楽観する方が愚かとすら言える。

 

「……あまり、使いたくない手だけど」

 

 進化を続けるレースサイボーグを前に、春の盾を戴くには──。

 ライスの中でぼんやりとくすぶり続けてきたある選択肢が、急速に実体を帯びるのを感じた。しかし、それは今歩む道を否定するに等しいことだ。

 

「精神は肉体を超越する……だったよね」

 

 ライバルの打倒を期し、靴をいくつも履き潰していた本来の彼女の修練の様を思い返し、ひとつ決意を固める。

 規律重視のリギルに身を置いていたために、そしてルドルフらの手解きを直で受けていたために実行されることはなかったものの、この放任主義なチームなら、この手段に出る上で最適な状況だろうという思いはあった。

 

「こんな私が超えられればいいけど」

 

 そうライスは、自らの白い手のひらを冷ややかに見つめた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「ライスが修行に出るだぁ!?」

 

 練習コースに、ウオッカの叫ぶようなおうむ返しが響く。

 トレーニング前に、スピカメンバーたちはライスの短期離脱について知らされていたのだ。

 

「ああ、とにかく落ち着け。少なくともレースの日までは自主トレーニングに励みたい、とのことらしい」

 

 寝耳に水、といった様子のメンバーをたしなめるように口にするトレーナーは、数刻前のやり取りを思い返していた。

 

「しばらく暇を頂きます」

 

 部室に入るや否やライスが叩きつけたのは、ヒシアマゾンの署名入りの外泊届。

 

 聞けばひとり山に籠るつもりだったというこのウマ娘は、取り憑かれたように言い募ってきた。

 

「あの人に勝つには、途方も無いほど自分を追い詰めないといけないんです」

 

 彼女にしてみれば、スタミナもメンタルも何もかもが自分に足りていない故の判断だという。

 

 事前に生徒会の業務であるとか、自主トレーニングのプランについても整えてきたらしく、口ぶりは強硬的だった。

 

(無理ならリギルに戻るなりなんでもしてやる、なんて言われちゃあな)

 

 結局、定期的な状況報告とテイオーの帯同を条件に要求を呑むと、すぐさま彼女は目的の地へ旅立ってしまったのだった。

 

「んで……さすがにひとりでは、って訳で、テイオーも一緒に飛んでもらってる」

 

 回想をやめてそれを口にしてみれば、もうひとつ驚きの声が上がる。間もなく突っかかってきたのはゴールドシップだった。

 

「おいおい、じゃあチームから2人いなくなるってことじゃねーか!」

 

 平たく状況を総括したその一言に頭を掻く。実際、テイオーが今の役割に収まってからおよそ半年が経過している。新入りであるライスもレースでポジティブなスタートを切れていたし、その本人の希望とはいえ、こうも状況が変遷するのは彼女にとって受け入れづらいものであったのだろう。

 

「心配はするな、やることは変わらん……技は掛けるなよ?」

 

 ポジション取りがどこか不穏なメンバーを前に、気だるげながら釘を刺しておく。あっさりと引いた面々に安堵の息を漏らしつつも、しばらく目の前に横たわるこの状況へ肩を竦めるのだった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「……今は何やってるの? ライス」

 

 山に籠って鍛錬に励むチームメイトへ、テイオーが声をかける。すると隣へ腰掛けたライスは飲料水を啜りながらこう返答した。

 

「いったん無心で走りたくて。今までのスタイルを壊したいんです」

 

 テイオーへ視線は寄越さず、ただ前を見据えて口にする。

 現時点で、スピードやスタミナが強化できているかと言えば、そんな事実はない。今やっていたのも、思考を限りなく虚無へと近づけて自己を見つめ直しながら行うジョギングだった。

 

 ただし、単純な能力向上にこだわるのであれば、初めからこの選択は取っていない。

 

「一番強い人にただひたすら付いていって、変化があろうものなら思考も介さず対応できる……そんなやり方の末に至るしか、ライスには残されてない気がするんです」

 

 相手はこれと決めてのマーク戦法の極地を目指す、とただ告げた。

 

 理屈としては、状況の変化を認識してから肉体を動かすまでのいちプロセスを省くことに意識を置く、というものだ。

 

「一分一秒を争うレースで、動揺なんて許されません。気持ちで負けてはいけないんです。だから……」

 

「そうなんだね。それで一人で……」

 

 腑に落ちているのかいないのか、という口調で返すテイオー。

 畳みかけるように、という意図はなかったものの、ようやく彼女へ視線を合わせたライスはこう語る。

 

「知ってますか? 精神というものは、肉体を超越できる……らしいです」

 

 そう借り物の言葉を口にする彼女へ、テイオーはひとつ笑みをこぼすことで賛意としてくれたようだった。

 

「……もう少し走ってきます」

 

 では、とライスは告げて立ち上がる。

 

「──ねえ、ライス」

 

 不意に呼び止められ、ライスは足を止めた。

 

「ボクたちは、後悔するために走ってるのかな?」

 

 唐突に浴びせられた質問に、ライスは戸惑った。そして、背筋を凍らせた。胸の中にあった、認めたくなかった事実を、認めざるを得なくなってしまったような焦燥感が、彼女を襲った。

 

「そうだ、とでも言ってほしいんですか?」

 

 飛び出す言葉がどこか皮肉げになってしまうのは、まさにその焦り故だろう。

 

「自分に訊く質問じゃないです。知りませんでした? ライスは……元リギルだったウマ娘ですよ?」

 

 慣れない口振りで虚勢を張って質問をかわすと、テイオーの方へ振り向く。

 それなのに、と続けたライスは、努めて気丈に微笑みながらこう溢した。

 

「さんざん他の人から奪ってきたのに、後悔なんてしてたら、バカみたいじゃないですか……」

 

 この言葉を最後に背を向けた彼女は、コーストラックへ歩いていく。

 

「……ライス」

 

 そう洩らすテイオーへ向けてやる顔は、生憎にもライスは持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「では公開トレーニングは以上をもって──」

 

 マスコミ関係者で賑わうトレセン学園の練習コース。

 衆目の視線の先にいるのは、今や世間からもかなりの注目を浴びる存在となったウマ娘・ビワハヤヒデだった。

 

「すみません、ビワハヤヒデさん! 追加で単独取材を──!」

 

「春の天皇賞はナリタタイシンさんも出走ですよね!? BNWの1人として……」

 

 インタビューを試みてごった返す記者を、ハヤヒデのトレーナーらが抑えるといった状況。

 それを遠目から眺める2人のウマ娘がいた。

 

「うわぁ〜っ……!! やっぱりハヤヒデ、頑張ってるよね!」

 

「この間の皐月賞のせいじゃない? あいつの妹、そこでコースレコード出したんだってさ」

 

 片や熱く、片やクールに、といった様子で正反対な温度感のもと、やり取りを続けるのはウイニングチケットとナリタタイシン。

 

「なーんて、天皇賞で3人で走れるかもってときに、なんでアンタはケガしてんのって……」

 

「ごべんねぇぇぇ〜〜〜……!!」

 

 チケットの現況を突っつけば泣き出した彼女に、気づかれるから、と口を塞ぎにかかるタイシン。

 

「菊花賞で大コケしたまま、退けるワケないっての……!」

 

 コースから引き上げんとするハヤヒデを捉え、そう決意を新たにした。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「正直、お前が負けるとは思えん」

 

 ある時、黒沼トレーナーは教え子・ミホノブルボンへ面と向かってそう言い放った。

 

「……理由を、お聞きしても?」

 

 訊き返すブルボンは、納得していない口振りだった。

 彼女にしてみれば、眼前に迫るレースは多くのライバルがひしめく、距離的にも未知の舞台だったからだ。

 

「ブルボン、お前の逃げは有からの2戦で完成されたと言っていい」

 

 黒沼曰く、復帰戦となったグランプリ、そして目黒記念という直線が長い逃げウマ娘殺しなレースも、他の世代を相手に勝ち切っていることが大まかな理由だった。

 そして彼の言う勝算は、出走メンバーの陣容も含まれていた。

 

「……そして、お前のペースを崩し得る逃げ使いは、あのレースにはいないだろうしな。メジロパーマーは屈腱炎で休養。ツインターボも、このレースへの出走は表明していない」

 

 現役の大逃げウマ娘らの名を挙げた黒沼へ、ブルボンも頷いた。特に前者とは有でも対戦していたために、動向は彼女も知るところだったからだ。

 

「……油断しろ、とは言わん。ただお前の走りを見せればいい」

 

 それで結果が付いてくる、と内心で言い添えると、黒沼はこれ以上の言葉は発さなかった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「……テイオーさん」

 

 日が落ちてからしばらくして、焚き火を熱源に毛布へ包まり座る彼女の名を、何とは無しに呼んだライス。

 目を瞑り一定のリズムでの呼吸を続けるテイオーの様は、まさに熟睡中といったところだ。

 

 テイオーのものと同型の椅子へ腰を下ろすと、俯きながらこう問いかけてみる。

 

「……まだ起きてる?」

 

 反応がないことを認めると、辺りを伺うようにしたライスはこう吐露した。

 

「ごめんな、こんなことに付き合わせて」

 

 口調を本来の自分へ戻した上で放ったその言葉は、謝罪から始まった。

 

「俺は君から……マックイーンから、未来を奪ってしまった」

 

 徐々に嗚咽混じりになる声で、届きはしない独白を行う。

 

「許してくれ、なんて口が裂けても言えない……でも」

 

 片目に、そして両目にと満ちる涙を拭う勢いで立ち上がると、泣き崩れんとする肉体を諌めながらテイオーに背を向ける。万一にでも、泣き顔を見られたくはなかった。

 

「もう少しだけ、待っていてくれないか」

 

 駆け抜けた先で、自分に何事もなく立てているかはわからない。だが、もし舞台を降りた後に、すべてを打ち明けるチャンスがあるのであれば──。

 

「──恨み言は、そのときに全部受ける」

 

 潤んだ瞳へ寄越していた手を一振りし、指先の涙をそれで拭い落としたライスは、その捨て台詞を最後にコーストラックへ向かう。

 

 そこに弱い自分はもういない。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 4月24日。阪神レース場は、メインレースたるGI・天皇賞(春)を目前に大きく盛り上がっていた。

 しかし、その舞台への出走者をひとり抱えるチーム・スピカは、混乱をもってこの時を迎えていた。

 

「ちょっと! ライスが来てないってどういうこと!?」

 

「知らないよ! 先に行って、ってボクは言われただけなんだもん!」

 

 肝心のメンバーの不在から詰め寄るスカーレットに、タジタジになりながら返すテイオー。そう、今は集合時刻である正午ごろなのだが、一向にライスとの連絡がつかないのだ。

 

 彼女より先にメンバーと合流することになったテイオー曰く、前日の夜に集合時間の取り決めをして以降は倉庫に鍵をかけて籠ってしまったらしく、朝に扉越しのモーニングコールよろしく催促をして以降は話していないらしい。

 

「とにかくアイツを連れてくんのが先だろ! しばらく振り回された分、物申してやんないと気が済まねー!」

 

 そう遠回しにリーダーシップを取ろうとするゴルシ。

 

 発走までは4時間ほどあるが、諸々の用意を含めれば2時間は欲しい。そう考えたトレーナーが捜索の指示を下そうとしたところで、聞き覚えのある声が響く。

 

「すみません……ライス……今到着しました……」

 

 そう覇気のすべてが抜け落ちたような声色で声をかけてきたのは、まさに今探さんとしているウマ娘だった。

 

「ったく、オイオイ随分なご身分じゃねーか、どれだけ振り回したと……っ!?」

 

 さすがに腹に据えかねていたらしいゴルシが声の方へ突っかかっていくものの、その面持ちを見た彼女の声がすぐさま堰き止められる。そしてその衝撃は、徐々に他のメンバーにも伝播していく。

 

 ──凍りつくような迫力を携えた、ライスの瞳を前に。

 

「仁川の駅で……遅れまして……」

 

 うわ言のように告げる彼女の視界へは、何が映っていたのか。それはゴルシらには読み取れなかった。

 

「では……行きましょう……」

 

 こちらの反応を意に介していないかのように、ライスはレース場へ向けふらふらと歩き出してゆく。

 

 待て、と慌てて続くトレーナーの傍ら、メンバーが声を発することは、ついぞなかった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

『昨夜来の雨に洗われまして、緑いっそう鮮やかな阪神レース場。ここでの天皇賞は実に14年ぶりというところです』

 

 本バ場入場を終えた13人がスタートを待つターフへ、いつも通りな声色のアナウンスが響く。

 

「なあ、結局なんだったんだよ? あのライスの様子は」

 

 客席の最前列を陣取って久しいスピカメンバーズの中から、ふとウオッカが口を開く。

 自分が訊きたい、と言わんばかりに頭を掻いたテイオーはこう答えた。

 

「昨日、寝る前に顔を合わせたときは、確かにボクの知ってるライスだったんだ。でも、あんなオーラまでは──」

 

 ──知らない、と言い切る前に声が堰き止められてしまったらしい彼女の様は、真実を握るのがライスのほかに居ないことを雄弁に物語るようだった。

 

「一晩でああまで仕上げたっていうの……?」

 

 そうスカーレットが息を呑んだ。テイオーの言葉を鵜呑みにすれば、そう結論づけるしかないからだ。

 

「メンタルに課題、とはあいつも言ってたが……」

 

 今までメンバー同士のやり取りを聞くだけに徹していたスピカTは、そこでようやく声を発していた。

 

 至ったのであろう境地は、悪夢と奇跡のどちらを意味するのだろうか。

 

「……俺はどうすりゃいいんだ」

 

 頭を掻く彼は、明らかに何かを迷う声色でそう零す。

 

(マックイーン……お前なら、ここに何を見る?)

 

 すがるように内心で独りごちたスピカTは、ガラス張りのスタンドを見やる。

 来賓席であろうそこには、車椅子を駆り、このレースを見届ける名優の姿があった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 ──本物(ライスシャワー)が至った景色も、こんな静かなものだったのだろうか。

 

 そんな取り留めもない思考が、現状認識でひしめく脳裏へ一瞬浮かんでは消えていく。

 

 思考はとびきりクリアで、心は氷海のように動きを失ったと言ってよい。

 

 手近なウマ娘に少し注意を凝らせば、まるでスローモーションになったように一挙手一投足が見て取れる。境地へ至ったのだろうことが如実に分かる変化だが、自分にとってはあまり重要な事実ではない。

 

 深く息を吐き出すと新たに見やった先は、今まで焦がれてきた1番人気だ。思考が残らず一極化し、腹の底が凍結する。

 

 会いたかったよ、ブルボン──。

 

 声無き声を、近くてあまりにも遠い彼女へ投げかける。

 今の心境は、どうにも虚しさで満たされている。それはここに来るまでに犠牲にしてしまったもののためか、それとも3年前に戦いを避けた彼女と相見えなければならなくなったからか。

 

(きっと、戦う運命だったんだろうね)

 

 はじめからこうしておけば、テイオーやマックイーンはターフを去らずに済んだのかもしれない。ライスは何もかもを読み違えていた、過去の自分を呪った。

 

 ブルボンへ背を向けた彼女は、ゲートインの刻をただ待った。数分にも満たない間だったと思うが、あまりに引き伸ばされた静寂の世界にいるライスにとっては長い時間だった。もしや老衰で息絶えるその瞬間まで発走時間など訪れないのではないか、そう感じてしまうほどに。

 

『さあ、枠入りがいよいよ始まっています』

 

 待っていたともそうでないとも言えるアナウンスが響くと、いよいよ周囲がゲートへ動き始めていた。

 そうして枠入りを終えるや否や、場内が発走を待つように静まり返る。

 

『栄誉ある春の盾は誰の手に渡るのか。春の天皇賞、今──』

 

 スタートまでの時間はゲートインのときよろしく長く感じられた。まるで静寂が自らを責め立てているようにも感じられたが、不思議と居心地が悪いとは思わなかった。それは自らが極致に至ってしまったからであるからか、あるいは──。

 

(──それを望んでいるからかもしれない)

 

 大勢の運命を狂わせた愚者が浴びるに相応しい、そんな思いが自らを孤独な戦いに駆り立てようとする。何も望める訳がない、と思っていた道だったが、存外自分にもまだ未練はあったのだろうか。

 

 だがそれに結論を出すまでの猶予は与えてもらえない。やがて、運命の時は訪れる。

 

『──スタートです!』

 

 3200mの戦いが、幕を開ける。




無理くりすぎたかも、と反省。
さて、サブタイトルの英単語の接頭辞が変わりました。偽ライス君の変化の節目だからとも言えるし、もう『RE』で始まる単語がないからとも言う。

完全に蛇足なこぼれ話ですが、今話ラストは『SOLO ᐸ樊城の戦いᐳ(真・三國無双7)』をBGMにエンドロール入ってるイメージで書きました。何人に伝わるんでしょう。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。