獣人と日々を歩む冒険者 ~清くも正しくもないが、信頼はある~ 【完結】 作:ごぼう大臣
「ふんふんふーん♪」
ある日、外の曇天のせいで湿った室内に、愉快そうな鼻唄が流れる。
いつもの宿屋の一室で、アランとジゼルの二人は武器の手入れを行っていた。
床に大きめの布をしき、そばには桶にためた水や油の入ったビン。そして肝心の武器に関しては、手持ちの小さな砥石で刀身あるいはカギ爪をそれぞれ磨いている。
「ふん……こんなんでいいだろ」
床に片ひざを立てて座っていたジゼルが、磨いたばかりのカギ爪をながめて言った。すると隣のアランがひょいと手を伸ばす。
「どれ、ちょっと貸してみ」
カギ爪を取り、アランが間近にジッとそれを見つめる。そして爪先の一点を指さすと、眉をしかめて言った。
「まだここにサビが残ってる。もう少しだな」
「えー、いいだろちょっとぐらい」
「ダメだ。このテの赤いサビは放っとくと広がるんだから」
アランが厳しい顔でツメを突き返すと、ジゼルはげんなりした顔で磨き作業を再開した。手甲の部分をころころと転がしたりしながら、彼女はボソリと愚痴をこぼす。
「……ったく、変な時にマジメになりやがる」
「変な時とはなんだ。商売道具に何かあったら金が入らない。金が入らず貧しくなったら……」
「なったら何だよ?」
ムッとした顔のジゼルは振り向く。するとアランはニッと笑い、声をひそめてこう言った。
「心おきなくエッ○できないじゃん」
「……死ねば? お前」
「やーだね。死ぬ時は腹上死一択って決めてるんだ」
「はぁ……」
ジゼルは呆れたように頭を振り、ムキになってがりがりとサビを落とす。それを見て、アランは冗談とでも言うように笑った。
「……まあ、おだやかな生活あってこその(※自主規制)だからな。願わくばこういう静かな時間も大切にしたい……」
卑猥な言葉をまじえつつ、アランがそんなセリフを口にした。その直後。
「こらぁーーーッ!!」
突然、ドアの外から思わず耳をふさぐような怒声が聞こえてきた。高く若々しい、女性の声。
二人は同時に顔を見合わせた。その声には聞き覚えがあったのだ。いつも宿屋のカウンターで出迎えてくれる一人娘、リズの声である。
「……なんだ!?」
「泥棒でも出たか!?」
素早く立ち上がったアランを押しのけ、ジゼルがドアを開け放つ。アランもあわてて後を追い、階下のロビーへ走った。
武器を置いてきた事に一瞬おくれて気づいたが、かまってはいられない。いざとなればステゴロでリズへと迫る危険に対処しなければならない。
そう気を張りつめ、二人は走りながら目を見張る。するとそこでは――。
「いやニャーッ! 水浴びいやニャーッ!!」
「こらエマ、いいかげん暴れないの!」
「……なにやってんだ?」
リズとエマが何やら言い争いながらもみ合っていた。そばではリズの両親が困ったような顔で見守っている。
アランとジゼルがぽかんとした顔でそれを見つめていると、リズがふとその二人に気づき、声をあげる。
「あ、お二人とも! エマをおさえるの手伝ってくださいよ!」
「一体どうしたんだ?」
「この子が体洗うのイヤだって聞かないんです!」
エマが暴れるのを抱き止めながら、リズは言った。だがエマはそれでもなお拒否の言葉を口にする。
「絶っっ対おことわりだニャ! 水怖いニャアーッ!!」
「そんなんで暴れてたのか……」
事情を聞いたジゼルが呆れ顔で歩み寄る。それを聞いたエマが、口をへの字にして振り向いた。
「そんなんとは何ニャ! あんなの冷たいしビシャビシャするし、拷問に近いニャ!!」
「慣れればどうって事ないぞ。キレイになるし」
「ジゼルとは違うんだニャッ!!」
エマはふくれっ面でそっぽを向く。すると今度は並んで見ていた両親が、悩ましげな口調で言った。
「……実はこの子、もともと水の少ない場所で暮らしてて、習慣が残っているみたいで……」
「毎回、水浴びしてもらうのも一苦労なんだよなぁ」
両親は苦笑いしながら顔を見合わせる。とはいえ、躍起になっているのはリズぐらいのもので、アランとジゼルもやれやれという風な目で見ている。
というのも、この王国ふくめた周辺の文化圏は、気候とそれによる水不足などの問題から、まめに入浴する習慣がない。
公衆浴場などはあるにはあるが、獣人となると衛生的な観念の違い(現にエマのような)や、それによる差別的な視線があり、利用できない場合が多々あった。
獣人に対して理解のある冒険者や一部の人々は、それに合わせて公衆浴場を利用せずに水浴びなどで済ませる者も多いのだが……とにかく体を洗わないとはいっても、キレイ好きな人でもない限り、少しの間なら大目に見てくれるのである。
……ただ、何事にも限度というものはあるワケで。
「何日くらい洗わないんですか?」
「…………」
ふと、からかうような口調でアランはたずねた。すると両親、リズ、そしてエマ自身さえもそろって口をとざし、互いに視線をそらしはじめる。
数秒、気まずい空気が流れる。ジゼルがおもむろにエマへと近寄り、クンクンと鼻を動かした。
「……なに嗅いでるニャ」
「あ、いや悪ぃ」
エマにジト目でにらまれ、ジゼルはあわてて飛びのく。しかしどこか驚いたように何度も鼻をこすったりしていた。
その様子に、恥ずかしそうにエマが唇をかむ。すると今度はリズが語りかけた。
「ね、お願いだから洗おうよ。一人じゃ怖いなら、また手伝ってあげるからさ」
「…………」
「皆そうしてるんだから。ね?」
相手をどうにか大人しくさせようとする、文字通りの猫なで声。ところかエマはぐっと眉根をよせると、力ずくでリズを振りほどこうとしだした。その途端、リズの顔色が変わる。
「えっ何これ……!? 力つよっ……」
突如、彼女の腕の中のエマが猛獣のような馬力でもがきはじめた。驚くリズの目の前で、エマの腕や首筋、服から露出しているあらゆる部分に黒い毛が生えたかと思うと、それが人間ばなれした姿に生えそろう。
まずい、そう思ってアランが動き出したが遅かった。エマは靴を放り出し、リズの腕から抜け出して戸外へ風のように飛び出していってしまったのだ。
「いだっ!?」
ぬげた靴がジゼルの顔に直撃する。それを無視してアランが戸口に出ると、服を着たままで大きな黒猫のような姿になったエマが、四つん這いで駆けていくのが見えた。往来で驚く人々の間をすり抜け、むかいの家屋の壁を垂直に登って屋根を飛び移り逃げていく。
「やばい、アイツ獣化しやがった!」
「えぇ!?」
アランが歯がみすると、後ろでリズが大口を開けて叫ぶ。獣人は一人で出歩くのすら罪になる。ましてや獣化して走っているのを兵隊に見つかれば、追放処分だ。
「ああもう、しょうがねえなぁ!!」
ジゼルがどなると、アランを押しのけ、同じく獣化して四つん這いで駆け出した。その姿にアランがあわてて大声をあげる。
「おい、お前まで同じ事してどうする!?」
「こっちの方が早い!」
「ええい、っくそ……」
ジゼルは走ったままで答えた。屋根を渡り歩くエマも、下から追いかけるジゼルも、アランから見てどんどん遠くなっていく。
彼はいら立った顔で振り返り、リズと両親に向けて言った。
「二人を連れ戻してくる。あんたらは待っててくれ」
「お、お一人で大丈夫ですか?」
「平気だ。何かあったら……えーと、証言台に立ってくれ!」
心配そうにするリズに早口で言って、アランは走り出す。もう見えなくなっているジゼルとエマの姿に、彼は獣人のような鋭い鼻がないのを悔しく思った。
空をあおぐと、灰色の雲がだんだんと濃くなってきていた。