獣人と日々を歩む冒険者 ~清くも正しくもないが、信頼はある~ 【完結】   作:ごぼう大臣

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獣人どうしの拳闘 中編

 

「おい、ハイエナ野郎! 私と勝負しろ!」

 

 獣人どうしのボクシングが見られる地下格闘技場。いざ2ラウンド目が始まろうかというそのリングに、突如ジゼルが乱入した。場内のほぼ全員が呆けている中、リングわきにアランやダニエル、ルナが駆け寄ってくる。

 

「ジゼル!? お前なにやってんだ!」

 

「勝手に入っちゃダメですよ!」

 

「血迷ったか、お主!?」

 

 三人はそろってジゼルをとがめるが、当のジゼルはフンと鼻を鳴らしてこう答えた。

 

「これ以上あのハイエナに好き勝手はさせられねえ。だから私が止める」

 

 そう言って、リング内に視線をもどす。その先には、ハイエナの獣人で先ほどまで反則をくり返していたキース選手がいた。

 キースはけげんな顔をしてジゼルを見る。すると今度はジゼルの後ろから、弱々しく肩をつかむ者があった。

 

「よ、よせ……。誰だか知らないが、邪魔をしないでくれ」

 

 ドミニクである。顔についた血をふきながら、息を切らしつつジゼルに言う。しかしジゼルはそれを突っ返し、つっけんどんな口調で言う。

 

「大丈夫だって。このままだったらお前、人間どもにハメられてタコ殴りだぜ? 私がぶちのめしてやるから心配すんな」

 

「…………」

 

 軽い口調で宣言するジゼルを、呆然と見つめるドミニク。そのうち、意味不明のハプニングに観客たちはしだいにいら立ちをつのらせていく。

 

「おい、いつまで待たせるんだよ!?」

 

「さっさとその女を引きずりおろせ! グズグズしてんじゃねえ!!」

 

「試合の邪魔すんな!」

 

 またたくまに場内が暴言で埋まる。対してジゼルはコーナーのロープをつかみ、外に向かって吠えた。

 

「うるせえ! こっちは大事な用があんだよ! 少し黙ってろ!!」

 

「なんだテメェ、えらそうに!」

 

「とっとと追い出せ! 何やってるんだ!?」

 

 ムードは険悪になるばかり。アランたちもそれに耳をふさぎ、とほうに暮れていた。その時。

 キースが運営の人間と少し話してから、ジゼルに向けてニヤニヤしながら話しかける。

 

「おい姉ちゃん、ちょっといいかい?」

 

「私はお前の姉ちゃんじゃねえ」

 

「ハハハ。まあそれはともかく、アンタは俺と戦いたいって事でいいんだよな?」

 

「そうだよ。さっきからそう言ってるだろ」

 

「なるほどなるほど……」

 

 キースは低い声でつぶやくと、リング脇の運営陣に目くばせする。そしてやにわにリングの中央へと歩き、観客たちに向かって宣言した。

 

「おーいお前ら! この姉ちゃんがどうしてもって言うんで、特別に相手してやろうじゃないか! 余興だ!!」

 

「……なっ!?」

 

「ええっ!?」

 

 思わぬなりゆきに、ドミニクもアランたちもがく然とする。ようやくハプニングが終わると場内はわき上がったが、ドミニクはフラつく体を引きずってキースへと詰め寄った。

 

「……キース、何を考えてる。相手はどこの誰とも知れない、しかも女の子だぞ?」

 

「ハハ、まあそうなんだけどさぁ。こんな騒ぎになったら、ちょっとでも相手してもらわなきゃ収まらねーじゃん? 人間どももそう言ってたぜ」

 

「お前はまたそうやって、人間たちの言いなりに……!」

 

「はいはい。その口出しするクセ、直した方がいいぜ。じゃなきゃすぐに選手生命おわっちまうから」

 

 キースはそう言ってドミニクを押しのけ、リング近くにひかえているラウンドガールたちに言った。

 

「おいお前ら! この姉ちゃんにちょっとユニフォーム貸してやりな! 女子用のが一応買ってあったろ?」

 

 リングから少し離れた場所には、選手が準備するためのテントが用意されている。選手と同様に獣人であるラウンドガールたちは顔を見合わせ、戸惑いながらもジゼルを外へ連れ出した。

 

「おいジゼル! ちょっと待てって!」

 

 そこへ、追いかけてきたアランが止めに入る。するとジゼルは軽い調子で笑い、手をひらひらと振る。

 

「そんな顔すんなよ。どうせあのまま放っておくワケにはいかないんだから」

 

「そういう問題じゃないだろ! お前、まるっきり素人じゃねえか!?」

 

「そうですよ、バカな真似やめてください!」

 

 アランに続いてダニエルも制止する。その隣で、ルナが不安げになりながらこう語りかけた。

 

「ジゼル……ワシが言った事なら、気にせんでいいんじゃぞ? なにもお主に矢面に立てとは……」

 

 先ほど、ドミニクがワナにはまるのを心配していた顔。もっと言えば、人間によって獣人たちがいいように使われるのを心配していた顔。眉尻が下がり、幼さの残る表情に暗い影がさしている。それでも、ルナは精いっぱいジゼルに気をつかっていた。

 

「…………」

 

 だが、その気づかいはかえってジゼルを奮い立たせた。黙って見ている事はできない。あの人間に尻尾を振るキースを止める者が一人もいないなら、自分がやるしかないのだ。

 ジゼルはルナへと歯を見せて笑い、自らの胸をドンとたたいた。

 

「ま、応援しといてくれよ! 要は相手をぶん殴ればいいんだろ?」

 

「や、そんな……」

 

「行ってくる!」

 

 ルナが止めるのをさえぎり、ジゼルは意気揚々とした足取りでテントの方へと連れられていった。

 

――

 

「よう、やっと出てきたか!」

 

「待ちくたびれたぞ~?」

 

 ……少しの間があって、ジゼルがテントから出てきた。手にはやや小さめのグローブ、胸元に布を巻き、下には男性用より胴回りと丈の小さいトランクスをはいている。全体的に露出度が上がったせいか、それをはやし立てる声も少なくない。

 

「…………」

 

 ジゼルはそれに一瞬だけ嫌な顔をしたが、そんな彼女に別方向から声をかけてくる者がいる。

 

「お嬢さん、本当にやる気か?」

 

「……しつこいな。もう降りられないだろが」

 

 ドミニクである。場内の喧騒とは裏腹に、神妙な面持ちでジゼルを見つめている。ラウンドガールたちにうながされリングへ登るジゼルに、今度は別の者たちが声をかける。

 

「ジゼル、危なくなったらギブアップしろ! 無理したら大ケガだからな!?」

 

「反則だけは気をつけてくださいよ! やられそうになったらクリンチして!」

 

「勝てないと思ったらすぐにタオルを投げるからな! 降参した事になるが文句言うでないぞ!?」

 

「……あのな、客がタオル投げても意味ないだろ。汗でもふいてろ」

 

「……あ、そういえばそうじゃな」

 

 アランたちであった。いまいち状況に追いつけずにいる仲間たちにため息をつき、ジゼルはリング内へと向き直る。

 

「よう、ユニフォーム似合ってるじゃねえか」

 

「……どうも」

 

 あざけるようなキースの笑みに、ジゼルは無愛想に返す。試合が始まる直前になっても、キースはレフェリーと小声で色々と話している。

 事前に示し合わせをしているのだろう。ジゼルが嫌な気持ちで眺めていると、そのレフェリーが両選手を中央へとまねく。

 

「では、最初にルールの確認を……。1ラウンド3分、インターバルが1分。ノックアウトは10カウント。なお1ラウンド中に3回ダウンすれば自動的にKO負けとなる」

 

「……はいはい」

 

「それと、故意のバッティング、後頭部への攻撃、ローブロー(下半身打ち)、ひじ打ち、蹴りなどは反則とする。いいな?」

 

「……オッケー」

 

 レフェリーの注意事項を、ジゼルは白けた顔で聞いていた。つい先ほど、キースが反則を重ねたばかりではないか。彼女がふと前を見ると、キースがわざとらしく小首をかしげてニヤついている。レフェリーにうながされて一旦はなれると、試合開始のゴングが鳴る。

 

「ボックス!」

 

(ッし、さっさとぶっ飛ばしてやる!)

 

 レフェリーが開始を宣言した瞬間、策もなにも無くジゼルは相手に向けて突っ込んだ。しかし、キースは不意に片手を差し出すと、ジゼルへ手のひらを見せた。

 

(……っ?)

 

 行動の意図が分からずにジゼルが止まると、キースはまるで握手を要求するかのように手を近づける。彼女は直感的に、それがあいさつなのだと察した。

 

(……ま、あいさつぐらいならいいか)

 

 そう思い、ジゼルも片手をのばしタッチしようとする。しかしその瞬間、キースは出していない方の手で、ジゼルの横面にフックを見舞った。

 

「あいたぁっ!?」

 

 油断していたジゼルが悲鳴をあげてよろめく。その瞬間、場内からは笑い声があがった。

 

「あはは、引っかかった引っかかった!」

 

「悲鳴はかわいいじゃねえか」

 

「それ、もっと泣け! 退屈させるな!」

 

 観客たちは好き勝手にヤジを飛ばす。それを聞きながら、アランはみるみる不機嫌になっていった。ただでさえ相棒がタコ殴りにされかねないというのに、周りの大多数は刺激的な場面ばかり見たがるのだ。

 

「ジゼル、がんばれ!」

 

「……ふん」

 

 怒鳴り声を張り上げそうになるのを堪え、アランは代わりに声援を送る。ジゼルはむずがゆそうに鼻を鳴らし、あらためてキースを見すえる。キースはファインディング・ポーズもろくに取らず、アゴを差し出したりなどして挑発していた。

 ジゼルはそれに怒りをおぼえ、真っ向から再び突っ込む。そしてキースの顔面に向けて、大振りなパンチをくり出した。

 

「おっと」

 

 ところが、それはあっさりとかわされる。横によけてニヤついているキースは、ジゼルに向かって今度は口で煽った。

 

「ほれどうした? 素人ちゃんよ」

 

「っ……この!」

 

 ジゼルは歯がみし、もう一度拳を放つ。しかしそれも軽くかわされ、彼女はムキになってラッシュをかけた。

 

「おらあぁーーっ!!」

 

 おたけびをあげ、左右の拳を間断なく相手へ振り回すジゼル。しかしそれは、頭を振り、身をかがめ、そらし、あるいは腕でガードされ全て防がれる。いら立ちが収まらないジゼルは、反射的に蹴りをくり出そうとした。

 

「ジゼル! 蹴るな!!」

 

「……はっ」

 

 すんでの所でアランが止める。しかしその直後、彼女の脚にキースの脚がぶつかる。

 

「ぐっ……!?」

 

「おっと悪い、引っかけちまった」

 

 顔をしかめるジゼルに肉薄し、ペロリと舌を出すキース。そして間髪いれず、顔とボディに二、三発のパンチを浴びせる。

 その衝撃でジゼルはフラフラと後ろによろめき、ロープにもたれかかった。

 

「もらったぁ!」

 

 チャンスとばかりに前に出るキース。それを見たジゼルが、とっさに手を出そうとする。

 攻撃しようとするキースに対し、ジゼルのパンチは上手くいけばカウンターになるはずだった。

 しかし、キースはそれより上手(うわて)であった。ジゼルの攻撃をとっさに察知すると、自身の手を引っ込め、勢いのままジゼルに抱きついたのだ。

 

「うわあっ!?」

 

 突然のクリンチに、ジゼルはすっとんきょうな声をあげる。同時に、どっと歓声があがった。女が無理やり押さえ込まれるような格好がそそるのだろう。ところが当のジゼルはそれどころではなかった。

 近すぎて手が出せないばかりか、抱きつかれた嫌悪感で戦うための思考すら乱れてしまうのだ。それを見ていたアランがたまらず怒鳴り声をあげる。

 

「テメェッ! 離れろ変態野郎!!」

 

「……っええい放せ! このっ!」

 

 アランの声を聞き、こんな場面を見られなくないという風にジゼルがキースを突き放す。しかしキースは抜け目なく、離れ際にフックを一つ見舞った。

 

「いてっ!?」

 

 その軽い一発が、戦意と羞恥の間にいるジゼルを混乱させる。その隙をのがさず、キースはロープ際のジゼルにラッシュを開始した。

 顔面を数発殴り、次に腹部、わき腹、側頭部と矢継ぎ早に拳を叩きこむ。そうしてジゼルの体がぐらりと倒れこむと、床に落ちる彼女の顔へ、キースの踏みこみに見せかけた膝蹴りが当たった。

 

 それがダメ押しになり、勢いよくマットに沈むジゼル。場内がいっそう沸き、レフェリーのカウントが始まる。

 

「ワン、ツー、スリー……!」

 

「待ってくださいよ! 今たしかにヒザで蹴ったでしょう!」

 

「カウントを止めんか! そのダウンは無効じゃ!」

 

 ジゼルのすぐそばまで駆け寄ったダニエルやルナがわめくが、レフェリーはまるで聞き入れない。その時、ジゼルがゆっくりと体を起こす。

 

「ジゼル……大丈夫か?」

 

「平気さ……こんなもん」

 

 憔悴しかけているアランへ、かがんだ姿勢でジゼルは答える。しかし彼女のヒザは震え、明らかに弱っているようだった。ロープをつかんで立ち上がったジゼルだったが、すぐさまレフェリーが口を開く。

 

「ボックス!」

 

 ケガの様子も見ず、ファインディング・ポーズが取れるかも確認しようとしない。あわてて構えるジゼルへ、キースがすばやく接近して攻撃をしかける。

 

「ぐっ……」

 

 それをなんとか防いでジゼルも拳をくり出すが、キースは前のめりに回避して肉薄する。体がぶつかりそうなほどに迫られたジゼルはあわてて距離を取ろうとするが、キースはなんとそんな彼女へ肩から体当たりした。

 

「のわっ!?」

 

 パンチとは別種の重い衝撃に、ジゼルは思わず転げそうになる。するとよろめく彼女へ、半ばもたれかかっていたキースが拳をふるい、ちょうど肝臓のあたりを殴った。ジゼルの口から思わず低い声がもれる。

 

「ぁぐあ……っ」

 

「へへっ、ここはキくだろ……?」

 

 苦悶の表情をするジゼルへ、ほくそ笑みながらキースはささやく。そしてもたれかかるのをやめないまま、今度は腰から下を狙いはじめた。

 

「なっ、やめろ、この野郎!」

 

 ともすれば下腹部に当たりそうなパンチが執拗に当たる。これまた明確な反則であり、急所の近くとなれば威力と関係なく警戒心がはね上がる。それも計算ずくだったのか、下半身に意識が集まっていたジゼルの頭に、キースが不意に横殴りの一撃をあびせた。

 

「ギャッ!?」

 

 ジゼルの口から、まさに痛みからくるような悲鳴があがる。その彼女へ、今度は反対側からもう一発。

 頭蓋骨に届く硬い衝撃。それを食らって、ジゼルは何をされたのか理解した。パンチしてから腕をすべらせ、*1そのままひじ打ちを食らわせたのだ。

 意識が遠のきかけ、彼女は再びマットに倒れ伏す。歓声がわくと同時に、レフェリーがカウントを取りだす。

 

「ワン! ツー! スリー! フォー……!」

 

「…………」

 

 カウントは刻々と進むが、ジゼルはなかなか体を動かせなかった。頭部に残る痛みに、ほとんど間をおかない二連続のダウン。それは意思と裏腹に手足から力をうばっていく。

 

「ジゼルーッ! もうやめろ、無茶するでない!!」

 

「そのまま寝てろ! 誰も責めやしねえよ!」

 

「意地を張らないで、もう休んでください!」

 

「…………」

 

 リングの脇から、ルナをはじめとした仲間たちの声がする。レフェリーの声よりも、それはハッキリと聞こえた。彼女はどうにか意識をつなぎとめ、ゆっくりと手足に力をこめる。

 

「エイト! ナイン……!」

 

 カウントがギリギリになったところで、ジゼルはどうにか立ち上がった。膝がふるえて体がフラフラと揺れるが、彼女はキースへと向けて構える。その姿を見て、客たちも少しは感心したのかどよめきをもらした。

 

「……ジゼル……」

 

 まだ戦おうとする姿に、アランはいたたまれない様子でいた。見せ物としてなら、しぶとく戦う姿は面白いだろう。しかし実力が明らかに劣るというのに、見守る側としてはたまったものではない。にも関わらず、ジゼルは振り返りもせずに敵だけに視線をそそいでいる。

 となりで辛そうにしているアランを横目に、ルナも同じように不安を感じていた。しかしジゼルの方はいまだに戦意を失っていない。

 ルナは一瞬なやみ、ジゼルの背中に向けて叫ぶ。

 

「ジゼル、もうすぐ3分じゃ! 1ラウンド目が終わる! だからとりあえず、それまで耐えろ!!」

 

「…………っ!」

 

 1ラウンドに三回、つまりあと一回ダウンすればジゼルは強制的に負ける。それだけは避けるようにという助言だった。

 ルナの言葉をジゼルが聞き届けた瞬間、レフェリーがファイトを命じる。それと同時にキースがしとめてやるとばかりに詰め寄った。

 

「……そうは、いくかよ……!」

 

 ジゼルはおぼつかない足取りながらも横に回り込み、キースから距離を取る。そしてガードを固め、守りの姿勢に入った。

 だがキースはそれに構わず、ジゼルより何倍も速く詰め寄る。そしてガードを無視するかのように、体をかばう腕に何発も連打をあびせはじめた。

 

「ぐっ……」

 

 ドスン、バスン、と重たい音がジゼルの耳にぶつかる。彼女はせめて頭を守ろうと、必死に顔をおおうようにガードを続ける。

 しかし、それで耐えしのごうと思った矢先。ジゼルの腹に突き刺さるような衝撃があった。

 

「あぐあぁッ……!?」

 

 胃袋ににぶい痛み。そして襲いくる吐き気。ジゼルはそれをこらえながら、ボディへの注意をおろそかにしたのを後悔した。

 力なくガードが下がる。そしてがら空きになった彼女の顔に向けて、キースがストレートを打とうとする。

 

 その刹那、1ラウンド終了のゴングが鳴った。キースはピタリと動きを止めると、うつろな目で立ち尽くすジゼルへ、ほくそ笑みつつささやいた。

 

「おや、残念……。ま、もう1ラウンドくらい付き合ってくれよ」

 

「はーっ……はーっ……」

 

「せいぜい無様に倒れてくれよな。その方が客も喜ぶ」

 

 そう言って、キースはわざとらしくジゼルの胸をたたくと、自分のコーナーへもどっていった。

 一方、今にもくずれ落ちそうになるジゼルだったが、その体を何者かが支える。

 

「大丈夫か? お嬢さん」

 

「お前は……」

 

 ドミニクであった。たくましい腕に支えられながら、ジゼルはどうにかコーナーへと下がる。そのとたん、コーナーのすぐそばにアランたちが集まってきた。

 

「ジゼル! お前大丈夫かよ!?」

 

「気絶しとらんか!?」

 

「大丈夫だっつの……うるせえな」

 

 ぶっきらぼうに返したジゼルであったが、その声色は今にも倒れそうだった。ドミニクが椅子を用意してやると、糸の切れた人形のようにそこへくずれ落ちる。

 

「ほら、口をゆすいでおけ」

 

 ドミニクが水の入ったコップと深皿を差し出すと、ジゼルは弱々しく水を口にふくみ、吐き出す。その出した水には赤い色がまじっていた。

 

「げほっ、げほっ……!」

 

 苦しげにせき込むジゼル。その姿を見て、アランがたまらず声をかける。

 

「なぁ……いい加減もうよせよ。なんだってそんなに戦おうとする」

 

「…………」

 

「単なる意地ならやめてもらうぞ。相棒が無意味に殴られるのを見過ごせない」

 

 その声色はいつものおちゃらけた様子がみじんもない、真剣なものだった。ジゼルも反発せず、ふっと目をそらす。

 そんな彼女へ、ドミニクや他の者たちも次々に降参をすすめた。

 

「そうだ、もうやめておけ。キースの事なら、気持ちだけで十分だ」

 

「ワシだって見たくないぞ。お主がただ倒されるところなぞ」

 

「もういいでしょう。大ケガしないうちに帰りましょうよ?」

 

 仲間たちやドミニクの言葉を、ジゼルは黙って聞いていた。その言い分はそろって常識的なもので、彼女も少し悩むように口をつぐんでいる。

 しかし、言葉を聞き終えた後、なおもジゼルはこう言った。

 

「いや……まだだ」

 

「なんで!? いくらやったって勝てるわけ……」

 

「許せないんだよ」

 

 驚くアランのセリフを、ジゼルは強い口調でさえぎった。面食らうアランへ、ジゼルは振り向いてこう語る。

 

「このまま、キースが人間どもに従って反則ばかりしてたら……連中はただ、獣人どうしでなぶり合うだけのヤツらになる。……それだけはダメだ」

 

「だからって……」

 

「そりゃ勝ち目は薄いだろう。けど、キースを止めようとするヤツが他にいないんじゃ、自分で出るしかないんだよ」

 

 そう言って、ジゼルはドミニクをちらりと見る。戸惑うドミニクへ、今度はうっすら笑ってこう続ける。

 

「……私は、ほんのちょっとでもキースの鼻っ柱を折ってみせる。その後は、安全な試合をする団体を作っていってもらえないか。大変だろうけど」

 

「お嬢さん……」

 

「本当は、やじ馬の私が言う事じゃないんだろうが……ダチ(友達)は、そういう団体の方が見たいんだとさ」

 

 そうして、今度はルナの方を見た。何も言えずにいるルナへ微笑みかけると、同時にインターバル終了が告げられる。ジゼルはすっくと立ち上がった。

 

「ほんじゃ、ま……気を取り直して行きますか」

 

「い、いやいや待て! 志は買うが、やはり無策ではムリだ!」

 

 空元気をしぼって構えを取るジゼルを、ドミニクがあわてて止める。ところがその時、背後でアランが口を開く。

 

「……二回までだ」

 

「えっ?」

 

 その真に迫った声に、思わずアラン以外の全員が振り向く。アランはジゼルをジッと見すえてこう言った。

 

「次のラウンド、ダウンするのは二回まで。二回目でまだ動けても、絶対にギブアップする事。約束できるか?」

 

「…………」

 

 二人は真剣な顔で見つめ合う。やがて、ジゼルは覚悟を決めたような表情でうなずいた。

 

「おいドミニク、早く降りろよ! 試合ができねーだろ!」

 

「今度はお前が待たせるのか!?」

 

「む……」

 

 リングの中にいたドミニクへヤジが飛ぶ。ドミニクは渋い顔をしていたが、そんな彼の肩をジゼルが叩いた。

 

「……大丈夫だ」

 

「…………」

 

 一瞬だけ視線をかわし、ドミニクはリングを降りる。そしてあらためて、ジゼルは向かいで構えているキースへ目を向けた。

 そして2ラウンド目開始のゴングが鳴る。キースは軽いフットワークでジゼルに迫り、追い詰めていく。

 

「……くそっ」

 

 ジゼルは殴ってやりたいのを抑え、見よう見まねの足使いで距離を取る。それを見て、キースが挑発した。

 

「なんだ打ってこないのか? 最初はあんなに威勢がよかったのによ」

 

「うるせ……私の勝手だろ」

 

「へへっ、どっちにしろ……結果は同じだがなぁ!」

 

 そう言って、キースは前のめりに距離を詰める。そしてジゼルが逃げる間もなく、いきなりラッシュをしかけた。

 

「そら、そらそらっ!!」

 

「ぐ……このっ……」

 

 顔とボディにまんべんなく、シロウトにはほぼ見えない速さで拳をたたき込む。ジゼルはそれを防ぐので精いっぱいだった。

 

(やべえな……どうすりゃいいか……)

 

 反撃したいのをこらえつつ、ジゼルは防御に集中する。考えなしに攻撃しようとしても、ただ隙を増やすだけだ。

 頭の中で突破口を考えているうちに、彼女は当然ながらロープぎわに追い込まれた。背にロープが触れ、目の前には傷一つないキースが迫っている。

 ジゼルはとっさに、ロープを背にすべらせて逃れようとする。しかしその時、ロープの感触に違和感があった。

 

(……っ!?)

 

 もたれかかる背に合わせ、しなっていたロープ。しかしそれが急に固くなる。ジゼルが目線を動かすと、キースの腕がロープをつかんでいた。コイツまた反則を、とジゼルが憤った瞬間、キースはロープごとジゼルの体を引き寄せた。

 

「いだっ!?」

 

 前につんのめったジゼルの横面に、空いた方のキースの拳がぶつかる。すぐさまキースは連打しようとするが、ジゼルは間一髪クリンチをして止めた。

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

 最初に感じた羞恥もいまや無い。ただキースに一撃でもくれてやるために、持てる手段はなんでも使う。

 しかし、それで逃してくれるほど相手は甘くなかった。

 

「けっ……」

 

 キースはジゼルをあざ笑うかのように突き放す。そして力なく放り出されたジゼルの腕をつかむと、引き寄せて顔を殴りつけた。

 

「…………っ」

 

 ジゼルの口から声にならない声がもれる。バランスが崩れてあやうく倒れそうになるが、すんでのところでロープをつかみ、耐えた。

 

「はぁーっ……はぁー……」

 

「……ひゅーぅ」

 

 ダウンせずににらみつけるジゼルの姿に、キースは少しだけ感心したように口笛をならす。そしていつでも仕留められるという風に、ジゼルの周りをノーガードでうろつきだす。

 ジゼルがとうとうブチのめされる瞬間。それを期待して、観客たちは一斉にわきあがった。

 

「おお、やれキース! 思いっきりぶっ飛ばしちまえ!」

 

「格闘を知らないお嬢ちゃんに、現実を思い知らせてやりな!」

 

「ボクシングなんざ、面白けりゃどうでもいいんだ!」

 

 方々からあがるキースコール。それにうるさげに耳をふさぎながら、ダニエルとルナが不安をもらした。

 

「や、やっぱり今のうちに降参した方が……」

 

「アラン、お主は何も思わんのか!?」

 

 二人の声を両耳に聞きながら、アランは厳しい顔つきでジゼルをずっと見つめていた。そんなジゼルはリング上で、余裕たっぷりなキースに言った。

 

「おい……キース」

 

「あん?」

 

「お前さ、なんで反則なんかするんだ?」

 

 その質問に、ふとキースの足が止まる。そして浮かべていたニヤニヤ笑いが薄くなる。ジゼルはなおも質問を続けた。

 

「シャクだけどよ……私になんて、普通にやっても勝てるだろ。なんだってひじ打ちしたり、下半身ねらったりすんだよ」

 

 真剣な面持ちで見つめるジゼル。それを見て、キースもしばし笑みを消していたが、不意に歯を見せて笑い、言った。

 

「その方が客が喜ぶから……」

 

「それだけか?」

 

「というのは建前で」

 

 言いかけたキースは不意に間合いを詰め、ジゼルの顔面を殴った。ギリギリのところでガードするが、キースは構わず拳をあびせ、同時にこんな事を言い放つ。

 

「相手が強かろうと弱かろうとっ! 一方的にブチのめしてやれる方法がっ! 汚い手(反則)なんだよぉっ!!」

 

「なっ……」

 

「現にドミニクだってあっさり倒れたっ! ルールだの技術だの、律儀にありがたがる方が大バカなのさっ!! ヒャッハハァーッ!!」

 

 高く耳障りな笑い声とともに、キースは体重をたっぷり乗せたスイングをぶつける。ジゼルのガードはとうとう崩れ、顔面の一部がのぞく。そこにキースがすかさず逆の腕でフックをくり出した。

 そのフックと同時に口を開き、嘲笑するような口調でこう吐き捨てる。

 

「相手が時間と労力と金と愛情をかけて築き上げたものをっ! グチャグチャに崩壊させるんだっ!! これはもうセッ○ス以上の快楽だッ!!!

 

(……○ックス……!?)

 

 限りなく下劣かつ下品なセリフ。しかしジゼルはその言葉に、何かハッとするものを感じた。意識がそれた刹那、キースのフックがまともに命中する。

 

「ジゼルーーーッ!!」

 

 アランが悲鳴をあげる。その叫びもむなしく、ジゼルはあっけなくマットに崩れた。そしてまた場内が盛り上がり、カウントがはじまる。

 

「アランさん、いいんですかこのままで!?」

 

「もう勝ち目ないじゃろ! これで失神したやもしれぬぞ!?」

 

「いや、まだだ……! まだダウンは一回目だ……」

 

 そばであわてるダニエルとルナへ、アランは厳しい声で答える。とはいえその顔には不安がありありと見え、倒れたジゼルを祈るように見つめている。

 二人の言う通り、今でも無事でいる保障はない。どうか立ち上がってくれ。せめて、動けるところだけでも見せてくれ。

 

「……シックス! セブン! エイト!」

 

 アランの願いをよそに、カウントは無情にも進んでいく。その様子を見て、アランも内心で覚悟を決めはじめた。

 ……その時。

 

 なんと、さっきまで倒れていたのがウソのように、ジゼルはぐんと両足をあげ、首はね起きの要領で立ち上がった。

 

「……えっ?」

 

 アランが間抜けな声をもらす。ダニエルやルナも、観客たちもあっけに取られていた。一方的にダメージを受けていたはずの女が、体のバネを使って軽く立ったのだから。

 

 少し遅れて、観客たちはどよめいた。もしかしたらまだ面白いファイトが見られるかもしれない。リング上で驚いていたレフェリーが、あわててジゼルへ問いかける。

 

「ま、まだやれるか?」

 

「あたぼうよ。この通り」

 

 ジゼルは歯を見せて笑い、ファインディング・ポーズを取る。そこへ、リングの向こう側からキースが声をあげた。

 

「おい、姉ちゃんよ」

 

「だから私はお前の姉ちゃんじゃねえって」

 

「なんで急にそんなハツラツとしだした? 開き直ったか」

 

 からかうようなジゼルのセリフにも反応せず、キースはいら立ちまじりに尋ねた。その表情には余裕のなさがうかがえる。

 一方で、ジゼルは肩を軽く回したりなどリラックスした様子で答えた。

 

「いいや……ちょっとヒントを得たのさ。お前と戦う為のな」

 

「なにぃ?」

 

「やってみりゃ分かる」

 

 意味深に言ったジゼルにキースは眉をしかめる。するとジゼルは相手から目をそらすと、背後のあたりにいるアランたちを見た。

 いぜん心配そうに見つめる三人へ、ジゼルは頼もしく笑ってみせる。そこには確固たる自信があった。

 

「ジゼル……」

 

 それを見て、不安なばかりだったアランがほんの少し顔に期待を浮かべる。それを受けてジゼルは一つうなずき、言った。

 

「……信じてくれ」

 

 そう言って彼女はキースへ向き直る。同時に、我にかえったレフェリーが声を張り上げた。

 

「……ボ、ボックス!!」

 

 直後、ジゼルとキースの両選手は、それぞれに闘志を宿して相手に向かっていった。ただジゼルの体には、今までよりも力がみなぎっているようだった。

*1
決して真似しないでください。

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