獣人と日々を歩む冒険者 ~清くも正しくもないが、信頼はある~ 【完結】 作:ごぼう大臣
「んっ……やぁ……」
「ほれ、ジッとしてろ。もうすぐ終わる」
ある晴れた朝。ポカポカとした日差しの入る部屋の中で、ジゼルはなにやら座って妙な吐息をもらしていた。その後ろではアランが手で触れながら話しかけている。さらにアランの後ろにあるベッドの上には、ジゼルの服がむぞうさに脱ぎ捨てられていた。
なにも変な事をしているわけではない……が、なんと今げんざいジゼルは上半身裸となり、アランに背を向けている状態であった。
そして、彼女はふとフルフルと体を震わせると、アランに振り向いて文句を言った。
「おいっ……もう少しそっとやってくれよ」
「だからジッとしてくれって。動くとよけい毛が絡まるぞ」
毛。そう言われてジゼルはしぶしぶ前へと向き直る。そんな彼女の顔は狼そっくりに口が突きだし、牙がのび、露出した上半身はフサフサとした毛におおわれていた。腕で胸元をかくしているが、そこも普段の姿とは違っているだろう。
そう、今のジゼルは獣化しているのである。もちろん敵も何もいない室内でそんな格好でいるのには理由があった。
「しっかし、換毛期ってのも大変だな。毛がみるみる抜けてくる」
「しょーがねーだろ。これから暑くなってくるんだから」
「もうすぐ終わるからな。背中もだいぶスッキリしてきた」
「ったく、手が届けば全部自分でやるのによ……」
はぁ、とため息をつくジゼル。そんな彼女の座っている床にはアランのマントが敷かれ、抜けた灰色の毛がこんもりと積もっている。アランは手に
積もった毛は、集めれば大人のひと抱えもありそうな量だった。季節が変わって気温が上がるのに備え、冬毛から夏毛へと大量に生え代わるのを、アランは手伝ってやっているワケである。
「ふん、ふんふ~ん、と」
いつもはスケベな冗談を言うアランだが、生え代わる大変な時期だと分かっているからか、鼻唄まじりにサクサクと相棒の毛を取ってやる。ジゼルはそれでも恥ずかしいのか、尻尾をゆらゆら動かしながらぼやいた。
「本当はさ、誰にでもやらせるモンじゃねえんだよ。毛づくろいって」
「ああ、動物だって仲良くないとやらないしな。やっぱりそういうものか」
「そんな軽い話じゃねえ。祖先から続く文化なんだよ。やらせていいのは同性の家族や
また振り返ってぶっきらぼうに言ったジゼルだったが、途中でふと言葉を切り、口をつぐむ。するとアランはにっと笑い、からかうように言った。
「……アレだろ。夫婦ならセーフってやつだ」
「……~っ……」
「人間だってあるぜ。そんなたぐいの文化」
「うっせ! いいから早く進めろ!」
「はいはい、そろそろ終わるよ」
顔を赤らめてそっぽを向くジゼルへ、アランは笑いながら毛づくろいを続けた。
――
「あー……やっと終わった」
「スッキリしたろ。放っておくとむさ苦しいからな」
「ふん、それよりギルドで仕事さがすぞ。ダラダラしてたら時間がもったいない」
「分かってるよ。でも……」
しばらくして、アランとジゼルはいつもの姿に着替えて廊下に出る。ギルドに行こうと話しているように見えた二人だったが、アランはこんな事を言う。
「今日のところはすぐ終わるのがいいな。取った毛を早いとこ洗ってしまいたい」
「……なんだってわざわざ抜け毛とっておくんだよ。さっさと捨てちまえばいいのに」
「フードの裏地とかに縫いつけるんだよ。あとは、お守りに持っておく」
「お守りねぇ……私らもやってたけどさぁ。お前に使われるとなんとも……」
「はは、まあゴミあつかいで捨てるよりは、迷信でも大事にしておくさ」
嫌そうな顔をするジゼルへ、アランは楽しげに笑いかける。すると一階に着いたところで、エントランス脇の従業員用の扉がひらいた。
「ありゃお二人さん。お出かけかニャ?」
「うおっ……?! ……なんだエマか。しゃべる猫かと思った」
声に振り向いたアランは、相手の顔を見てギョッとする。ドアの隙間から顔を出したのは、人間大の顔をした黒猫、もとい獣化したエマだった。
驚いたアランを見てニャハハと笑っていたエマだったが、直後に後ろからリズがあらわれ、その腕を引っ張った。
「こら、毛づくろいしたらまず服を着て! それから獣化解いて!」
「ニャハハ、まだ顔しか見られてないニャ~。大丈夫大丈夫」
「言う事きかないと、このまま水浴びさせるわよ。ちょうど半分ぬいでるし……」
「ミャッ!? ご、ごめんなさいだニャ、顔が怖いニャぁッ!!」
「おい、ケンカはいいけどドア閉めろよ」
「はい、失礼しました」
ジゼルがあきれた顔で言うと、リズは営業スマイルを浮かべてピシャリとドアを閉める。それを見てアランはクスクスと笑った。
「相変わらずだな。あの二人は」
「……エマも、人間に毛づくろいを許してるのか」
「いいじゃねえか。人間の街に来て、信じられるヤツが見つかったんだから」
「別に悪いなんて言ってねーよ」
すねたように言って、ジゼルは口をとがらせる。アランはそれを微笑ましげに見つめていたが、ふと、ある疑問が頭に浮かぶ。
「……待てよ。じゃあもし独りの場合はどうなるんだ?」
そうつぶやいて、アランは無意識にある場所を見上げた。二階のすみの、従業員用のもう一つの部屋。
フェリクスの居室である。
――
「うぅ~っ……この時期はまいるッスね本当に……!」
床にシャツや上着が捨てられた、男やもめを思わせる狭くも散らかった部屋。その空間に一人、もぞもぞと動く青年がいた。
上半身を裸にし、その露出した胴体はオレンジ色の短い毛に黒の縞模様、そして腹は白く、顔は大きな猫……もとい虎のようになっている。
その大きい虎のような姿の青年、獣化したフェリクスはベッド脇に背をあずけてしゃがみ、脚を伸ばしたり曲げたりして反らした背を上下にベッドの縁に擦りつけていた。
そして背が動くたびに、ベッドシーツに縞模様の毛が張りつき、あるいは床にはらはらと落ちる。
「背中は……一人じゃっ、こうするしかないッスからね……」
まるで木に背中を擦りつけるクマのような動きをしながら、フェリクスは一人ごちる。彼もまた、暑い季節をひかえて抜け毛が気になってくる時期であった。狼のような換毛期は無いにしろ、日々生え代わる毛がそのままでは衛生的にも心理的にもストレスとなる。
だが、彼の近くに毛づくろいを手伝ってくれるような者の気配はない。彼が一人でゴシゴシと背を摩擦しているベッドは、シーツごしに見てもわずかに削れていた。少なくとも宿に来てからそれなりの頻度で、一人さびしく背中の毛を擦り落としたに違いない。
その苦労のかいあって、落とした毛が床に広がっているワケなのだが……。
「……むなしいッスねぇ……」
ふと体の動きを止めて、フェリクスはため息まじりにつぶやく。そして自分のいる部屋の中を見渡した。
最低限の家具と、散らかした私物しかない、一人用の部屋。フェリクスが黙っていれば、当然ながらそこは物音一つしない。親しい者に手伝ってもらう文化がある毛づくろいを一人でやっている事実を、彼はあらためて痛感する。
別に大した事ではないのだが、彼はその事実を意識したとたん、獣化も解かずにベッドに腰かけてしまった。いつか童○を気にしていた時のように、今度は孤独というコンプレックスが襲いかかる。
しかし、そんな時。不意にドアをノックする音がした。驚いたフェリクスが思わず「はい?」と応じると、そのドアがほんの少し開けられ、ある人物がのぞきこんだ。
「よう」
「……へ、アランさん!?」
ドアのすき間から覗く顔を見て、フェリクスは驚いた声をあげる。そこにいたのは気さくな微笑みを浮かべるアランだった。それからフェリクスは獣化した自身をかえりみて、困惑しなから言う。
「……ちょっと、どうしたんスかいきなり。僕休みなんスよ今日」
「いやあ、あの親父さんから『フェリクスが部屋にこもりっぱなしで心配だ』って言われちまってさ。いちおう様子が見たいなーと」
「それにしても、せめてノックぐらい……」
「そうしたらお前、きっと顔合わせたがらないだろ」
そう言いながら、アランはすいっと部屋に踏み込む。そして虎の姿で立っているフェリクスと、床に散乱している毛をまじまじと見つめた。
「……一人でやってたのか? 毛の処理」
「……あ! み、見ないでくださいッス!」
「なんだよ。一人じゃ大変だろ。言ってくれたら手伝うぜ」
「い、いいッスよ気持ちだけで。恥ずかしいし……」
今さら獣化していたのを思い出したのか、フェリクスは口をとがらせて自分のシャツを拾いあげる。そして獣化を解くのと平行してせかせかと服を着こんだ。
そんなフェリクスへ、アランはドアを閉めてたずねる。
「今までずっと一人だったのか? 宿の人に頼んだりとか……」
「そんなの頼みにくいッスよ。親父さん以外は女の人ばかりで、そうでなくても服をぬぐのに」
「だからわざわざ一人で時間かけてやってたワケだ」
「別にいいじゃないッスか。誰にも迷惑かけてないんスから」
フェリクスはふんと鼻を鳴らし、椅子に乱暴に腰かけた。獣化を解いて体が軽くなったせいか、思いっきり下ろした尻を痛そうによじる。
それを見てアランはただ苦笑いしていたが、少ししてフェリクスは言いすぎたと思ったのか、振り向いて話をそらす。
「……そういえば、ジゼルさんは?」
「リズやエマと駄弁ってるよ。まあ俺のグチでも言ってるんだろ」
その答えを聞いて、フェリクスはまずます顔をくもらせる。
「エマちゃんは明るくてうらやましいッスね……。僕も街にくる前は、毛づくろいできる相手もいたんスけど……」
「あー、腹わった友達はなぁ。そうそう色んな場所じゃ……」
「僕は友達いなかったッス。家族だけ……おもにお父さんと弟がやってくれました」
「……そうか」
沈んだ声で答えたフェリクスへ、アランは苦笑いを深くする。するとフェリクスはズボンのポケットを探り、何かを取り出した。
手におさまる程度の、小さな袋。アランがそれに気づくと、フェリクスは独り言のように言った。
「……大人になると、色々さびしくなるもんスね」
「その袋は……」
「ああ、お守りッスよ。お母さんとお父さんと、弟と、それからお爺ちゃんお婆ちゃんの毛が少しずつ入っているんス」
「へぇー、そんな何人もか」
アランは近づいて興味深そうに見つめるが、フェリクスは恥ずかしそうにそれを仕舞い、愛想笑いする。
「こんなのより、友達の一人でも作れって話なんスけどね」
「こんなのとか言うなよ。繋がりがあるってのは良いモンだぜ。俺なんて家族は……」
言いかけて、アランはふっと目を伏せる。フェリクスが首をかしげていると、彼は気を取り直すように笑って言った。
「……とにかく。やっぱり毛づくろいは手伝ってもらうのがいいって。早くしないと、じきにリズたちも心配するぜ」
「うーん、そう言いましても……」
「で、本当を言うとな」
相変わらず気の進まない様子のフェリクスへ、なにやらアランは身を乗り出して口を開く。
「親父さんにちょろっと話しちまったんだよな。今の時期、きっと毛の事で部屋にこもってんじゃないかって」
「え、えぇー……そんな勝手に」
「いやいや、あくまで予想を話しただけさ。けどもしかしたら、俺までこもっていたら自分から……」
そんな風に話したアランが、ばつが悪そうに戸口の方を振り返る。するとちょうど戸をあけて入ってくる者があった。
「……やあ、邪魔して大丈夫かい?」
「……親父さん?」
フェリクスが微妙な顔で声をあげる。そこには先ほど話題にしていた、リズの父親が。彼は遠慮がちに笑いながら、フェリクスの前へと歩み寄る。
「えーと……そこのアランさんやエマちゃんから聞いたよ。毛の処理で大変なんだって?」
「や、別にそれほどではないッスけど……」
フェリクスは苦笑しながらそう答えるが、部屋に散らばった毛がまとめられもせず放置しているさまは、どうにも手軽に処理できているとは思えなかった。
父親は笑みを少し気安くしてこうすすめる。
「よかったら手伝おうか? エマちゃんから、同性なら大丈夫だと聞いたからさ」
「気持ちはありがたいんスけど……」
「そうしてもらえよ。遅かれ早かれ、こういう日がくるぜ」
ためらうフェリクスへ、アランが口をはさむ。フェリクスはしばし口をつぐみ、迷った様子で父親を見上げる。
上目遣いの、気弱な視線。それを見て、父親は優しく語りかける。
「……無理強いする気はないがな、お前は普段からよく働いてくれてる。だから力を貸してやりたいってだけさ」
「そんなに……役に立ててるんスか?」
「もちろんだとも。逆に何が心配なんだ?」
「いや、これという事はないスけど……」
「まだ卑屈さが抜けきってないのか。こないだヤる事ヤッたくせに」
アランが冷やかすように言うと、フェリクスの背筋がぴくりと震える。さらにアランは口角を上げて続けた。
「……それとも、娼婦さんに頼むか? 心を許せないならそれも手だぜ」
「こっ、ここで娼館の話はしないで欲しいッス!」
「はは、まあ許せよ。俺も親父さんも知ってるんだから」
アランが肩をすくめる横で、父親は気まずそうに笑っていた。それから父親は一つ咳ばらいすると、あらためてフェリクスへ語りかける。
「……フェリクス、いいんだよ頼ってくれたって。どうせ小さい宿屋だ。働いてくれる奴は誰だってありがたいものさ」
「そう……スかね」
「ああ、お前も家族だ」
おだやかに笑ってうなずく父親。それを見てフェリクスも安心したのか、椅子に座ったままくるりと背を向け、シャツをぬぐ。
「お、驚かないでくださいよ……?」
「大丈夫さ。獣化ならエマちゃんもお前も拝見ずみだ」
「あ、よかったら俺の櫛つかってください」
「おう、ありがとな」
櫛を受けとる父親の前で、再び獣化したフェリクスの背がみるみる毛におおわれていく。そこへ、父親がいざ櫛を入れる。
「じゃ、いくぞ」
ところが、その櫛が動いた瞬間――。
「いだあぁっ!??」
フェリクスがものすごい悲鳴をあげて飛び上がる。驚いた父親とアランへ、彼は振り返って叫んだ。
「ち、力入れすぎッスよ! もっとそっとやってください!!」
「う、うむ。すまん……」
泣きそうな顔で言うフェリクスに、申し訳なさそうに父親はつぶやく。そして今度は軽く軽く櫛を通すが、今度はまるっきり毛が落ちない。
「あ、あれ? おかしいな……」
「それじゃ表面なでてるだけですね。もう少し深く……」
「こ、こうか?」
「あっ、し、下まで行きすぎ! 尻尾の付け根はまずいッス!」
「す、すまん!」
次は、敏感な場所に触れられたフェリクスがもだえる。それにまた慌てる父親を見て、アランは父親が毛づくろいをした事がないのを悟った。
見かねたアランはそっと櫛を取り上げ、父親に言う。
「やっぱり俺がやりますよ。親父さんは、何か毛を受けとめる敷物をお願いします。あとホウキとちり取り」
「……わかった」
父親は肩を落とし、自信なさげに答える。けっきょく俺がやるんかい、とアランが笑っていると、ふと、フェリクスがおそるおそる振り向く。
「あ、あの……親父さん」
「んっ?」
フェリクスから話しかけられ、父親は意外そうに振り向いた。アランも櫛を持ったまま、ぱちくりと目をしばたかせる。
するとフェリクスはぎこちなく笑いつつ、冗談めかしてこう言った。
「初めてってのは……やっぱり上手くいかないもんスよね。僕もそうでした」
「へ?」
「あ、その、"初めて"って要するに……娼婦の方にそう言われたんで。はは」
「……ああ!」
フェリクスがあわてた様子でつけ加えると、父親はようやくそれが下ネタなのだと気づいた。フェリクスはそれから笑うでもなく、すばやく背を向ける。それを見て、父親はこう声をかけた。
「俺も練習しておくよ。すまないな」
「い、いえ。お気になさらず」
フェリクスが上ずった口調で答えると、父親は落ち込んでいた表情をもどして部屋を出ていった。それを微笑ましげに見つめていたアランへ、フェリクスがそわそわしながら言う。
「アランさん、頼んでいいッスか?」
「おう、まかしとけ」
アランはそう言い、慣れた手つきで毛づくろいをしてやる。優しくスムーズに毛を取ってやりながら、彼はささやき声で言った。
「……大事にしろよ。周りの事」
「……はい」
フェリクスは照れくさそうにうなずく。その日、フェリクスは宿の父親とほんの少し距離を縮められたのだった。