獣人と日々を歩む冒険者 ~清くも正しくもないが、信頼はある~ 【完結】 作:ごぼう大臣
「おい、そっち行ったぞ! 逃がすな!」
「分かってる!」
しんと冷えた空気がただよう早朝。木の葉に小さなしずくが残る、霧のこもった森の中。
動物たちの姿もまばらなその木々のただ中で、アランとジゼルはバタバタとせわしく動き回っていた。
「正面には立つなよ、ぶっ飛ばされるから!」
「大丈夫だって……うおっとと!」
互いに武器をかまえ、声をかけ合いながら、なにやら大きな獣を相手にしている。四足歩行で、針のような体毛とずんぐりした体躯を持つ、大きな鼻と牙が特徴的な生き物。
それは猛スピードでアランに向けて突進する。間一髪でよけたアランの革鎧をかすめ、獣は木にぶつかり、ドスンと音を立てて枝を揺らした。
「プギイィッ! フーッ……」
獣はくるりと振り向いて鼻息を荒くし、豚のような鳴き声をあげた。その正体は猪である。それも、正面から向かい合えば成人男性であるアランの胸元ほどの体高がありそうな大猪であった。
「凶暴なヤツだな、まったく……」
アランは剣に汗をかきながらつぶやいた。猪の突進をかわし続けたせいで、黒の短髪から額までも、うっすら汗がにじんでいる。身につけた革鎧やマントに土や葉がくっついていた。
そのさまを横目に見ながら、ジゼルが動き回って擦った木の皮などを、獣耳や尻尾につけたまま言った。
「何食ったらこんなデカくなるのやら」
「畑の野菜だとさ。今日から人間も食うんじゃないか」
「はっ、食あたりしそうで気の毒だな……うわっ!」
今度はジゼルに向かってきたのを避けながら、彼女は依頼にひさびさの手応えを感じていた。
市の城壁周辺に広がる畑を食い荒らす、大猪の駆除。報酬はわりと高かったのだが、向き合ってみると妥当だった。人間より何倍も重く、狼より何倍も大きなその生き物は、油断すると一瞬で相手を跳ね飛ばしてくる。
(……ちとキツいか、これは……?)
ジゼルは体をかばいながら慎重に後ずさる。それをにらみ、猪は鼻息荒く次の突進をしようとする。
しかしその時、横からアランが剣をかかげて飛び出した。
「そおらあっ!!」
渾身の力で剣を振り下ろす。不意をついて深い傷をつけ、さらに二度、三度。しかし筋肉も体毛も硬い猪の体は、食い込んだ刃を途中で止めてしまう。
「やべっ」とアランがもらした瞬間、猪は彼へと向き直る。そして剣を構え直すヒマもあたえず、猛然と食いついた。
「ぎゃっ!?」
すっとんきょうな悲鳴とともにアランが飛びのく。実はその気になれば、豚でさえ人間の指を簡単に食いちぎるのだ。いわんや、牙が発達した野生の猪など、噛みつかれればひとたまりもない。
マントを噛まれてアランがもがいていると、今度はジゼルが飛び出した。
「おらっ! せいっ!」
猪の胴体に向け、両手のカギ爪を何度を振り下ろす。しかしそれも猪の頑丈さのために、ひっかき傷をいくつも作るにとどまる。
「ブモオォッ!!」
「うひっ」
半端な攻撃に怒りをにじませ、猪は噛んでいたマントを引きちぎり、ジゼルへと突っ込む。すんでのところで回避し、ジゼルはアランのそばへと回り込んだ。
「あぶねえ、あぶねえ……」
「あらら、俺のマントがひでー有り様……」
地面にひっくり返り、寝転がったままアランは引き裂かれた自身のマントを見つめた。それを見下ろしながら、ジゼルはふと真面目な顔になる。
「……このままじゃ勝てなさそうだな」
「ん、珍しいなお前が弱音を吐くなんて」
「
ジゼルは意味深につぶやき、何やら両手にはめたカギ爪を外すと、ぽいと下に放った。
「うっ!」
ドスン、とのしかかるカギ爪を腹で受け止め、アランはジゼルを見上げた。するとジゼルは猪の方へと進み出て、ふぅーっと長い息をつく。
それを見て、アランは何かを察して言った。
「あーそうか……
「手ぇ出すなよ。ケガしても知らねえぞ」
「悪いな、お願いしますよ」
アランの返事を待たず、ジゼルは全身にグッと力を込める。手足を強く力ませると、そのとたんに妙な変化があらわれた。
人間と同じようにツルツルとしていた肌に、耳や尻尾に似た灰色の毛が生えだした。それはみるみるうちに広がり、腕当てや膝当ての下はすっかり灰色に、腹部や胸部は白く、狼のような毛におおわれた。
続けて骨格まで一部が変わりだし、後ろ脚が狼のようなゆるいS字の関節をつくり、顔つきまでアゴの発達した狼のそれに変わる。
そうして、ジゼルはまるで二本足で立つ狼のような姿に変貌した。胴体や首回りにかろうじて人間らしいプロポーションを残している他は、まるっきり獣だ。
突然の変貌に、さすがの猪もたじろいだ。ジゼルはそれを見逃さず、勢いをつけて真正面から飛びかかる。
「そらっ!!」
ジゼルの口から、先ほどより若干低くなった声が飛び出す。同時に猪の鼻先に、大きく爪がのびた獣の腕が振り下ろされた。
「プギャアァオッ!!」
直後に鼻先へ三筋の深い傷が走り、血しぶきとともに悲鳴があがる。ジゼルは間髪入れず、ひるむ猪へ二発、三発と殴打をお見舞いする。
そのたびに猪は傷をつくり、殴られて左右によろめいた。さっきまでカギ爪を使ってもほとんどダメージがなかったのとは大違いだった。
「……ひゅーぅ」
アランはそれを見ながら感心したように息をつく。それは人間と違い、動物の特徴を残す獣人にしかできない、"獣化"と呼んでいる現象だった。一時的に姿を変え、普段の何割にもまして身体能力を引き出すのである。
獣化したジゼルは相手をよせつけず、いつしか猪の顔はボロボロになっていた。もはや興奮状態にあった猪は、失せろとばかりにジゼルへと突っ込んだ。
「ほいっ」
しかし、ジゼルはそれをいとも簡単によけると、通りすぎる猪の体の側面へ思いっきりアッパーをかました。猪の体は浮き上がり、一回転して木にぶつかって落下した。そのままグッタリと動かなくなる。
「よしっ、ダウンだ!」
「……お悔やみ申し上げます、と……。よし、死亡確認」
グッと拳を握るジゼル。同時にアランがすかさず剣を突き立て、軽く祈りをささげる。それが済むとジゼルは早足に駆け寄り、猪の死体を一人でひょいと抱える。
「うっし、じゃあ帰るぞ。見たか私のパワーを」
「おう、セクシーな獣の姿、バッチリ目の当たりにしたよ」
「あ?」
「……冗談だよ。それと獣化をもどせ。それで街を歩いたら大騒ぎだ」
「ったく、分かったよ……」
猪をおろし、しぶしぶといった様子でジゼルは返事する。少しして、ジゼルの体から毛がするすると元にもどり、彼女はウソのように以前の姿にもどった。
それを確かめると、アランは猪の死体をぐいと背負うと、ジゼルに言う。
「じゃあ帰るか。肉や毛皮を買い取ってもらえば、かなり儲かるぞ」
「オッケー、一杯飲んでもいいか?」
「ほどほどにな」
そうして、アランは森を歩き出す。猪を一歩ずつ運ぶ彼へ、ジゼルがたずねた。
「代わろうか? 重いだろ」
「いやいい。獣化の後は疲れるんだってな……」
「お前ほど酷い顔にはなってないと思うが」
「……もう少ししたら交代してくれ」
「あいよ」
無理をして獲物をかつぎ続けるアランへ、ジゼルはこっそり苦笑した。