獣人と日々を歩む冒険者 ~清くも正しくもないが、信頼はある~ 【完結】   作:ごぼう大臣

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彼らはこうして、猫獣人のために奔走する

 

「う~……あついぃ~」

 

「ガマンしろよ。2ヶ月もありゃ秋になるさ」

 

「……2ヶ月もこらえるのか」

 

 ある晴れた日の朝方。ジゼルは宿の部屋の窓を全開にして、ベッドの上でうだっていた。

 着ている服は肌着に短パンという簡素なモノで、にも関わらず肢体や顔には汗がにじんでいる。一方で机に座っているアランも似たような格好で、机に突っ伏して苦笑していた。

 

 二人がそんな風にまいっている理由は一つ。季節が夏にさしかかり、上がりつつある気温。そしてそのために暑く蒸している部屋の空気である。

 冷房などという気のきいたモノは設置されていない。いつかの砂漠の熱も過酷であったが、湿気と生活臭のまじった狭い部屋の空気は、厳しさしかない暑さとは別の不快感があった。

 

「……今日……仕事どうする……?」

 

「……やめようぜ……急ぎの用もないし」

 

「だな……」

 

 二人がやりとりする声も、いかんせんへたばっていた。ともすればこのまま溶けてしまいそうである。

 部屋の中に中途半端に不快なサウナのような空気が充満し、抜けていく気配がない。そんな時、閉まっていたドアが不意に開けられた。

 

「アランさん、ジゼルさん。お邪魔しまーす」

 

「お……リズ?」

 

「うわ……蒸していますねー。この部屋も」

 

 入ってきたのは宿の娘、リズだった。部屋の空気に苦笑し、手であおぎながら、彼女はぐったりしているアランたちを見回す。

 

「……ノックぐらいしろよ」

 

「あはは、ごめんなさい。ちょっとバタついてる最中で」

 

 のっそりと体を起こして抗議するジゼルへ、リズは小さく頭を下げる。そんな彼女の手元を見ると、なにやら小脇に白い布のかたまりを抱えている。

 それを見たジゼルが、ぎょっと体をのけぞらせた。そして白い布を指さし、こわばった声で言う。

 

「おい……なんのつもりだ……?」

 

「いやそんな、大した事じゃありませんって。最近暑くなってきましたし……」

 

 リズは苦笑いしてからいったん言葉を切り、ジゼルのいるベッドを見て言う。

 

「もうシーツ入れ替えちゃおうかなぁって。今いっせいに古いの集めているんですよ」

 

「なに、もうか!? 以前はもっと長く使えただろ!?」

 

「そうですけど、もう夏ですよ? 油断したらすぐ汚れちゃいますよ」

 

「……ジゼル、あきらめろよ。いつかはこうしないとダメなんだから」

 

 なにやらうろたえるジゼルに、アランはなだめるように声をかける。しかし彼女は不満げなまま振り向き、こんな事を言った。

 

「やだ! 慣れた匂いが毎度まっさらになるの、もう本当に落ち着かねえんだよ!」

 

「俺の匂いもまじってるぞ」

 

「ジゼルさん、そんな事言ったって……」

 

「本能的にどうしようもないんだよ。リズだって知らないヤツの家を転々としてくつろげとか言われたらイヤだろ」

 

「それは……そうですけど」

 

「あー勘弁してくれー……マジで睡眠の質がしばらく7割くらい劣化するんだ……」

 

「枕が変わると寝られないタイプみてーだなあ……」

 

 アランとリズがおかしげに笑う中、ジゼルは渋い表情でベッドから降りようとしない。すると部屋の戸口に、もう一人の人物が足を踏み入れる。

 

「リズ、何やってるニャ~? 早くしないと」

 

「あ、エマ。ごめんね。今すませるから」

 

 そこに来たのは宿に勤務する猫の獣人、エマ。彼女はスタスタとベッドへ歩み寄ると、ジゼルが乗っているにもかかわらずそのシーツをグッとつかむ。

 

「ジゼル、観念するニャ! いいかげん洗わなきゃ、いくら慣れた匂いでもいつか耐えられなくなるニャ!」

 

「うっさいな! お前こそ、そろそろ風呂入れよ! このシーツなんてまだマシだっつーの!」

 

「ミャッ!? 失礼なー!」

 

 鼻が敏感なジゼルには、人間より細かく匂いの濃度が分かるのだろう。しかしエマもやはりムッとしたのか、さらに強くシーツを引っ張りはじめる。ジゼルもムキになってベッドに体重をかけ力をこめると、つまちシーツが破れるかというほどの引っ張り合いがはじまった。

 

「いいかげんあきらめるニャ! むーっ、ふんーっ!」

 

「ことわる! くっ、この! しつこいな!」

 

 ベッドや床がきしんで音を立てるほど、二人は全身をつかってシーツの奪い合いを続けていた。体重をかけて意地でも持っていかれまいとするジゼルと、猫らしい体のバネを使い、弾みをつけつつ引ったくろうとするエマの攻防は、はたから見てもなかなか結末が気になるものであった。

 

 アランはその現場を面白そうにながめ、リズはシーツが破れやしないかとハラハラして見つめていた。やがて、その注目していた争いにも決着がおとずれる。

 

「せーいっ!」

 

「のわあっ!?」

 

 すきを見てエマがシーツをかっさらうと、ジゼルがバランスをくずしてベッドから転がり落ちる。ずでん、と音がする間に、エマはすばやくシーツを腕の中にくるくると収めた。

 

「やったー、勝負ありニャ! リズ、褒めて褒めて!」

 

「えーと……うん、ありがと」

 

 飛びはねながら自慢げに駆け寄ってくるエマへ、リズは苦笑いしつつ頭をなでてやる。一方で、床の上で寝転んだジゼルは、フンとすねてその場で丸まっていた。

 

「……ジゼル、大丈夫か?」

 

「ほっといてくれ。私は今めちゃくちゃ機嫌が悪いんだ」

 

「いつもとそう変わらないだろ。どうせいつかは取りかえなきゃいけないんだ」

 

「はあーぁ」

 

 アランに支えられ、ジゼルはふてくされながら立ち上がる。その時、後ろにいたリズがふと、床のある一点を指さして言った。

 

「あれ? エマ、何か落としてるよ」

 

「ニャ?」

 

 エマがその先に目を向けると、白いハンカチが一枚、ぺろんとそこに落ちていた。それを見た瞬間、エマは血相を変えてそれに飛びついた。

 

「ニャーッ!! ……よかった~。なくすところだったニャ」

 

「そんな大事なものなのか?」

 

「そうだニャ。肌身はなさず持ってる、大事なハンカチだニャン」

 

 首をかしげるアランへ、エマは即答する。そして彼女はハンカチを鼻先に当てると、なつかしそうに目を細めた。

 

「……これは独り立ちする時に、ママから別れ際にもらったモノなんだニャ。街に慣れるまで、さびしい時はこの匂いを嗅いでこらえてたミャ」

 

「そのママって、今は……」

 

「ミャ? ああ普通に別の街で働いてるニャ。私らの中じゃ、もう人間たちの間で働くのが普通なんだニャン」

 

 アランのつぶやきに、エマは笑って答える。しかしやはり離ればなれなのは寂しいのか、エマは笑みをうかべつつも顔を少しくもらせていた。リズも口をはさみにくいのか後ろから無言で見つめている。

 その時、ジゼルがポツリとこんな事を言った。

 

「そのハンカチは洗わないのかよ? 好きな匂いがついてるんだろ」

 

「ざんね~ん。このハンカチは持ってるだけで、一回も使ってないニャ。だから大丈夫だニャ~」

 

「……そうかい」

 

 エマは顔をあげ、からかうように言った。それを見てジゼルが呆れ笑いをうかべると、なおもエマは煽るように続けた。

 

「ジゼルも嗅いでみるニャ? 私の匂いもしみついた、お得な一品だニャン。今なら友達限定で初回無料に……」

 

「いや、いいっていいってそんなモン。くだらない……」

 

 面白がってハンカチを近づけてくるエマを、けむったそうに追い払うジゼル。それでもエマはしつこく、ジゼルのいる窓ぎわ近くではしゃいでいた。

 その直後。

 

「ニャアッ!?」

 

 不意に、窓の外で一陣の風がふいた。ぴゅうっと音を鳴らしたそれは、エマが手に持っていたハンカチをあっという間にかっさらってしまった。

 

「あーっ!!」

 

 エマは一瞬で顔色を変え、窓に飛びついて外へ手をのばす。しかし時すでに遅く、ハンカチは波にさらわれるようにして空中を飛んでいってしまった。

 みるみる遠くなったそれは目に見えなくなり、街の景色の中へとまぎれていった。それを頭が真っ白になりつつ、エマはポカンとして見つめていた。

 

「…………」

 

 エマは窓から手をのばした格好のまま、一言も言わずにその場に立ち尽くしていた。アラン、ジゼル、そしてリズも、その姿を気の毒そうに見つめている。

 ところが、エマは急に窓から身を乗り出し、虚空を指先でかきつつ悲痛な叫びをあげた。

 

「か、返してぇー! ママのくれた大事なハンカチ返してニャーッ!!」

 

「おい、よせ! 落ち着け!」

 

「危ねえよ、ここ二階だぞ!?」

 

「だって、だって……!」

 

「とにかく座ろう!? ね? それから考えよう!」

 

 泣いてわめくエマを、アランたちは三人で部屋の中へ引き戻す。そしてしゃがみこみうな垂れるエマを、リズがなんとか落ち着かせようとなだめつつ呼びかける。

 

「そんなに泣かないで。ハンカチくらい無くても、お母さんがいなくなっちゃうワケじゃないでしょ」

 

「けど……知らないうちに何があるか分からないニャ。もしかしたらアレが形見になるかも……」

 

「…………」

 

 グズグズとこぼすエマ。その様子を見ていた他の三人は、なかなか口をはさめずにいた。

 というのも、彼ら……もといこの世界を生きる者たちにとって、離れて暮らすというのは並大抵の事ではない。通信手段にとぼしく、郵便も一部の都市間でしか機能しない。それにしたってやりとりに長い時間がかかる。田舎となればさらに難儀で、話したいとなれば直に会いにいくしかない。

 便りがないのはいい頼り、という言葉もあるが、連絡のないうちに二度と会えなくなるという事態もめずらしくない。自然災害、飢え、魔物の襲来……都市はいくらか安全だが、それでも失職や事故などで暮らしが立ちゆかなくなる危険はつねにある。流行り病などあれば、人が多いぶんむしろ被害が深刻になる場合だってあるのだ。

 

 ……要するに、『形見になるかも』というエマの言葉は、決して大げさではないのである。リズ、アラン、ジゼル……みな難しい顔をして、安易になぐさめる気にはなれなかった。

 目に涙をうかべたエマが、すがるような視線をリズたちに送る。リズはいたたまれない顔を、アランは気の毒そうな顔をして、最後にジゼルがエマと目を合わせた。

 

「う……」

 

 鼻を赤くし、目をいっぱいに潤ませているエマの顔。それを見て、ジゼルは小さくうめく。今のエマには、いつものふざけた調子や媚びた色がまるで見当たらない。まじめに、悔やみ、悲しんでいる。

 あきらめろ、そう言いかけた口をつぐみ、ジゼルはがしがしと頭をかく。そして誰かに相談するでもなく、彼女は一人言った。

 

「わーったよ……」

 

 その声にアランが振り向く。するとジゼルはまるで付き合うのが当然かのようにアゴをしゃくり、ぶっきらぼうに言う。

 

「探しにいくぞ。さすがに街のどこかには落ちてるだろ」

 

「でも大丈夫なのか? ハンカチ一枚となるとそう簡単には……」

 

「お前なぁ、私の嗅覚を見くびるなよ?」

 

 ジゼルは自身の鼻先をつつき、エマに詰め寄る。そしてエマの手をとると、手指をすばやく嗅ぎだした。

 

「ニャッ……」

 

 エマがくすぐったそうに身をふるわせる。ジゼルはそれに構わず、持っていた手を解放してつぶやいた。

 

「ふむ……この匂いがハンカチにもついてる、と」

 

「フニャ……ジゼル、本当に見つけてくれるニャ?」

 

「必ずとは言えないがな。まあただ闇雲に探すよりは可能性がある」

 

「……ありがとニャ……」

 

「あとエマ、あと一週間もしたらさすがに風呂はいれよ」

 

「ニャッ!? 今言わなくてもいいニャン!?」

 

 一気に顔を赤くして怒るエマに、ジゼルは笑いかける。そしてアランと目を合わせ、うなずきあい、ジゼルとアランは二人で部屋を出ていった。

 残されたエマが、祈るように胸をおさえる。その背をあやすように撫でながら、リズは「大丈夫だよ」と小さく言った。

 

 

――

 

 

「……で、どっちに飛んでいったか分かるか?」

 

「すぐには無理だぜ。なんせ地面の匂いを辿るより難しいからな」

 

 宿屋を出たアランが口を開くと、ジゼルは空中にせわしく鼻を利かせつつ答える。そして匂いを探りつつ、彼女は慎重に足を踏み出す。

 

「……まいったな、集中しないとすぐ分からなくなりそうだ……のわっ!?」

 

「おいおい、気をつけろよ」

 

「うるせえな、そう上手くはいかねえの」

 

 危うくつまづき振り向いたジゼルは、何故だか目をしばたかせていた。

 

「匂いだけ追いかけようと思ったら、目でもつぶってないとやりづらいんだよ。視覚がジャマになる」

 

「そういうもんか?」

 

「へっ、人間のお前には分からんだろうさ。元から目にばかり頼ってんだからな」

 

 ジゼルはそう言って口をとがらせる。ところがアランはそれに怒りはせず、ジゼルの手をひょいと握った。

 

「……ん?」

 

「だったら繋いどいてやるよ。お前は匂いの方に集中してくれ」

 

「や、やめろい余計な事! ガキじゃあるまいし!」

 

「お前さっきも転びそうになったろ。意地はるなよ」

 

 アランはさとすような口調で言う。ジゼルはしばし嫌そうな顔をしていたが、やがて目をつむり、捜索に集中しだした。

 ……人々の行き交う表通りをぬけ、住宅街をぬって進み、紆余曲折があって、アランはふと足を止める。

 

「……お、なんか見覚えあるなココ」

 

「んー?」

 

 アランのつぶやきに、ジゼルが目を開ける。街の賑わいから外れた、狭い裏通り。その景色に思い当たるものがあり、ジゼルも「ああ」と声を出す。

 

「そうだ、バジルと会ったあの店の近くだ」

 

 ……バジル。以前に一度、アランたちを自分の働く店へと誘った獣人の少年である。その店というのが武具をあつかっていたのだが、それがまた目立ちにくい立地で値段も高く、商品の質だけがとりえという、はっきり言って流行るワケがない店だった。

 そんな店を救うべく、少年バジルがアランたちに呼び込みをかけてきていたのだが……。

 

「見ろよアレ。感じが変わってるぜ」

 

 少し歩いたアランは、数十メートル先の店のあった場所を指さす。そこでは"高性能・武器から防具まで"、"命より安い! カルロスの鎧"などと書かれたのぼりが立ち、人目につく工夫がされている。

 そののぼりの陰から、一人の少年がひょこりと顔を出した。大きな丸い耳を持った、ネズミの獣人。その獣人――バジルはアランつの姿を見るなり、飛びはねるようにして駆け寄ってきた。

 

「お二人さーん! 久しぶりだッキ!」

 

「ようバジル。元気か?」

 

「もちろんだッキ! あれから少しずつ忙しくなってきたッキから!」

 

 バジルは長いネズミ似の尾を揺らしながら、嬉々として言った。そして彼は先ほどいた店を指さすと、アランたちの方を見ながらこうまくし立てる。

 

「さあ遠慮なく見てくッキ! あれから値段も抑えられるようにして、少しはお手頃に……」

 

「あーすまんバジル。俺たち今それどころじゃなくてだな」

 

「悪いけど、忙しいんだよ私ら」

 

 気持ちがはやったバジルは一人で早足に店へともどる。しかしアランとジゼルはともに困った顔でその勧めを断った。店にお邪魔している場合ではない。

 ところがその直後に、店からまた声がした。今度は若干老いた、低い男の声。

 

「バジル、さっきから一体……おお、お二人さん!」

 

 アランは苦笑いし、ジゼルはじれったそうな顔をして振り向く。金髪が後退して額の広くなった、40代ほどの男……店の主人、カルロスが駆け寄ってきたところだった。

 

「お久しぶりですねぇ、今日は何かご入り用で?」

 

「カッコいい剣がほしいそうだッキ」

 

「こら、言ってねえよそんな事」

 

「ははは」

 

 さらりと嘘をつくバジルの頭を、アランが軽くはたく。カルロスはそれを微笑ましげに見つめていたが、ジゼルはその中に割り込み、カルロスに向かって言う。

 

「ちょっと……少しいいか? 実は今のんびりしてられなくてな」

 

「ん?」

 

 愛想よくしていたカルロスが、きょとんとジゼルを見る。そこで、アランたちはここまで来たいきさつを伝えた。

 ……何か買ってもらえるかと期待していたバジルとカルロスの顔色が、話を聞くうちに変わっていく。

 

「ハンカチ……ですか?」

 

「そう。お前ら見てないか?」

 

「いえ、俺は何も……バジル、お前は?」

 

「僕も見てないッキ」

 

 カルロスもバジルもうかない顔を見合わせる。ジゼルは小さくうなり、二人の間をすり抜けてぶらぶらと歩きだす。

 

「うーむ、匂いからしてこの近くなんだが……」

 

 ブツブツ言いながら周りを見渡すジゼル。アランやバジル、カルロスもその後をついていくと、ジゼルは不意に、店の屋根のあたりを指さして叫んだ。

 

「あれだ! あの屋根の上!!」

 

「んん?」

 

 アランたちはいっせいに、ジゼルが指した方向に目をこらす。カルロスの店の一階の屋根。入り口を囲う突きだした部分に、ぺろんと乗っかった小さな布があった。それを見た瞬間、アランの顔が色めき立つ。

 

「本当だ、やっと見つけた!」

 

「ああ、あれが件のハンカチ」

 

「でもあれじゃ手が届かねえな……」

 

「なら、僕にまかせるッキ!」

 

 悩み顔のアランの横で、バジルが言って走り出す。そして店の壁に手をかけ、すいすいと屋根まで登った。

 

「ずいぶん身軽だな。私よりすごいかも」

 

「これぞネズミの才能だっキ。盗みにも超便利~」

 

 鼻唄まじりにとんでもない事を言って、バジルはハンカチへと手をのばす。これで回収できる。誰もがそう思った、その時だった。

 

「おっ?」

 

 屋根ばかり見ていたアランの足元を、小さい生き物がさっと駆け抜けた。何者かとアランが視線で追う間に、それはバジルと同じように壁をのぼり、ハンカチのすぐそば、バジルの手元に滑り込んだ。

 彼の目の前まで来て、四人はその動物の姿をみとめる。短く黒い毛におおわれ、腕におさまる程度の大きさであり、四足歩行で三角の耳を頭に生やして長い尻尾をたらしている。

 その姿を間近で見たバジルは、ハンカチへのばした手をふと止めた。そして急に硬直し、目を見開いてその動物を見つめる。

 

 どうしたのだろう、ジゼルが首をかしげる。その刹那、バジルは目が覚めたように飛びのき、大口をあけてこんな悲鳴をあげた。

 

「ギャーーーーッ!! 猫だッキ!!」

 

「ニャッ」

 

 そう、彼の前にあらわれたのは猫だった。バジルが辺り一帯にひびく悲鳴をあげると、猫は驚いて飛ぶように逃げていった。

 ただし、アランたちが目的にしていたハンカチを口にくわえて。

 

「あっ! この野郎!」

 

 横を走り抜けていく猫を、ジゼルはすぐさま追いかけようとする。しかしバジルの方があわてるあまり屋根から転がり落ちていたので、追うのをあきらめてバジルの元へと走った。

 

「わーーっ!」

 

「おっと!」

 

「あっぶねえ!」

 

 落ちてきたバジルを、アランとカルロスが受け止める。二人の腕の中でバジルがホッと息をついていると、そこへジゼルが近づいてくる。

 

「お前なぁ……あんな事になるなら、最初から言えよ。私が取りにいけば上手くいったのに」

 

「だ、だって……急にあんな風に猫が出てくるなんて、ふつう思わないッキ」

 

 ネズミの獣人だからか、バジルはいまだに青い顔をしてふるえていた。アランとカルロスは顔を見合わせ、たがいに首をかしげる。

 

「確かに、なんで猫が寄ってきたんだろ。しかもハンカチくわえて……」

 

「さあ……」

 

 しばらくして、しびれを切らしたジゼルは言った。

 

「あーもう。いいから探そう! まだ遠くには行ってないはずだ!」

 

「おう。でも持ち歩かれてるとなると……少しキツいな」

 

「あ、じゃあ僕が手伝うッキ」

 

「え、バジル?」

 

 しんどそうな顔をするアランへ、バジルが名乗りをあげる。アランたちが振り向くと、バジルはこう言った。

 

「僕が猫にビックリしちゃったせいでこうなったから……おじさんもいいッキよね?」

 

「ああ……だが危ない事はするんじゃないぞ」

 

「悪いな、バジル」

 

「大丈夫だッキ! それより手分けしよう。その方が早く済むッキ」

 

 アランが礼を言い、バジルが胸を張る。それを確かめると、ジゼルは駆け出しざまにアランとバジルの二人へ向けて言った。

 

「なら手分けしよう! アランはバジルと一緒に探してくれ!」

 

「了解!」

 

 アランが返事するやいなや、ジゼルは猫の逃げた方角へと駆けていく。アランはカルロスへと振り向き、軽く頭を下げる。

 

「悪い、ちょっと連れてく!」

 

「ああ、分かった」

 

「なるべく早くもどるッキ!」

 

 カルロスと別れた二人も、ジゼルとは別の道を通って猫を追う。それを見届けたカルロスは、ふと足元に何かの気配を感じた。

 

「……む?」

 

 カルロスが振り向くと、そばにまた猫がいた。しかも先ほどとは違う、三毛猫と白猫が二匹。それを見た彼は、少し妙な感覚をおぼえた。

 

(はて……今日はよく猫を見るな)

 

 疑問に思わなくもなかったが、カルロスはついつい屈んで撫でてやろうと手をのばす。はるか東方では、店の戸口に猫がいると繁盛する信仰があるというではないか。

 

「あいたッ!?」

 

 猫はリカルドの手をひっかいて、ピョンと跳んで去っていってしまった。その姿をリカルドが追おうとすると、なんの偶然か、猫はアランたちの去っていった方角へと走っていった。

 

 

――

 

 

「……お、よーしよし見つけた。おとなしくしてろよ」

 

 それから少しして、住宅街の隅っこの、小さな暗がり。ジゼルはアランたちに先んじて、どうにかハンカチを持ち(というかくわえて)去った猫を見つけだしていた。やはり匂いでたどれる優位は大きい。

 

「……ムン」

 

 猫の方はあいかわらず口にしっかりとハンカチをくわえ、ジゼルをにらんでいる。四肢は緊張し、いつでも逃げられる体勢だ。そんなにこのハンカチに思い入れがあるのだろうか。

 

「……そんな怖い顔するなよ。それは元からダチの物なの」

 

「…………」

 

「大丈夫だって。別にケガさせたりしないから」

 

 なだめるように猫なで声を発しながら、ジゼルは腰を落として慎重に手をのばす。どちらが先に動くか、どれだけそれに反応できるか。神経をとぎすました視線がぶつかり合い、暗がりに火花さえ散るように思えた。

 1秒、2秒。ジゼルの手が猫へと肉薄する。しかしようやく目的のハンカチに触れようかという瞬間、猫がパッと飛びはねる。

 

「あっ! 待てこの野郎!!」

 

 ジゼルはすぐさま猫を止めようと飛びかかる。しかし一歩およばず、彼女は目の前にあった壊れた家具や古びた板材などが積まれた山に突っ込んでしまった。

 それを見届けた猫は逃げようとするが、ジゼルもやられっぱなしではない。頭にはまった古い鉢植えを払いのけ、猫より何倍も大きな体でもって躍りかかる。

 

「ニャギャッ!?」

 

「はは、つかまえた!」

 

 上から覆いかぶさり、動きを止めるジゼル。しかしその直後、彼女の背中にドカドカと何かの重みが立て続けにのしかかった。

 

「な、なんだ!?」

 

 驚いて辺りを見回すと、ニュッと何かが彼女を覗きこむ。それは先ほどつかまえたのとは別である、三毛猫だった。

 え? とジゼルがとまどっていると、周りにいる者たちの姿も次々に視界に入ってくる。黒と三毛にくわえ、白、キジトラ、茶白……さまざまな色をした猫が何匹もジゼルを取り囲んでいた。

 

 いったい何事? とジゼルが猫に見とれつつポーッとしていると、つかまえていた黒猫が腕のすき間をぬけ、にゅるんと素早く逃げ出した。

 

「あっ待てこの……いたたたたっ!?」

 

 あわてて追いかけようとするジゼルだったが、猫たちが四方からパンチや引っかきを見舞い、妨害してくる。「ええい邪魔くさい!」と叫んでそれらを払いのけ、ジゼルは猫の群れを飛び越えてハンカチを追う。その後ろを、猫たちがいっせいにバタバタとついてきた。

 

「なんだってんだよ、私はネズミじゃねーぞ!」

 

 走りながら文句を叫ぶジゼルであったが、それでも猫たちは勢いをゆるめず、まるでライオンの狩りのごとく、どこに行っても追ってくる。

 裏路地をぬけ、露店のならぶ道を駆けぬけ、酒場でいまだ酔いがぬけずにいる冒険者たちの間をすりぬけ、街のあちこちを走り回った頃。

 

 そろそろ息を切らしはじめた彼女の走る先、先頭でハンカチをくわえた猫より向こうに、見覚えのある者たちが見えた。

 

「この辺にもいないな……バジル、お前も震えてないで手伝えよ」

 

「だ、だって……今日に限って野良猫があちこちにいるッキ……」

 

「そうなんだよなぁ。モフッて遊びたいところだけど、それどころじゃねーしなぁ」

 

 そこにいたのは、アランとバジルの二人だった。道ばたの雑草などをかき分けたりなどして、ジゼルの追う猫が近づくのには気づいていない。ジゼルは走りながら、早口な声を張り上げた。

 

「アラン! そいつ捕まえろ!!」

 

「へっ、ジゼル?」

 

「その黒いの! ハンカチくわえてる!!」

 

「! お、おう!」

 

 自分に迫る黒猫に気づき、アランはとっさに腰を落として両腕を広げる。しかし黒猫は脚の間からあっさりとそれを突破した。

 

「あっ!?」

 

 続いて、思わず股下をのぞいたアランの背に、唐突な重みがのしかかる。

 

「とりゃ!」

 

「ぐえっ!?」

 

 ジゼルは跳び箱の要領でアランの背を乗り越え、猫を追って走り去っていく。一方でバランスをくずしたアランは地面に前のめりに倒れ、空に突きだした尻の上を何匹もの猫が踏みつけて駆けていった。

 

「…………」

 

 なんともいえない理不尽さに苦笑しながら、アランは顔だけを動かす。その視線の先では物陰にかくれて震えているバジルがいた。

 アランが無言で見つめていると、バジルがちょこんと頭を下げる。

 

「ご、ごめんッキ……あんなの見たら、本能的に逃げちゃって……」

 

「いや……大丈夫だ。それより手を貸してくれないか?」

 

「は、はいッキ!」

 

 バジルに助けられ、アランは立ち上がる。そしてジゼルの行った方角へ進みかけ、ふと足を止めた。

 

「わぷっ……ど、どうしたッキ?」

 

「いや……なんか違和感があってな」

 

「へ?」

 

 後からついてきて背中にぶつかったバジルに、アランは振り向いて言う。バジルは首をかしげるが、アランの方には確かに妙な感じがあった。

 周りを見渡す。その街並みと、ジゼルの向かった方角……それらには見覚えがあった。近くにいつも行っている場所がある。

 そして、そもそもの出かけた理由を思い出す。いつも行っている宿の、いつも会う獣人が発端で、彼は街に出たのだ。

 くわえて、先ほどから何度も見かける()たち。

 

「……もしや……」

 

 アランの頭に、ある予想がうかんだ。

 

 

――

 

 

「はぁ……はぁっ……」

 

 一方それから数分後、猫との追いかけっこを続けたジゼルはついに疲弊し、息を切らして立ち止まった。目の前ではハンカチをくわえた猫が振り向き、またサッと逃げていく。

 

「ったく……待て……」

 

 ジゼルはフラフラと、砂漠で水を求める旅人がごとく歩を進める。それを阻止したいのか、ついてきた他の猫たちが足元にまとわりつき、ニャーニャーとやかましく鳴き続ける。

 

(もー、なんだってんだよコイツら……)

 

 ジゼルはげんなりとため息をつき、うなだれた。アランたちがついて来る気配もないが、もうどうでもいい。とにかくさっさと例のエマのハンカチを取り返したかった。

 と、その時。

 

「あれ? ジゼルさーん?」

 

 ふと、見知った少女の声がする。ジゼルがハッと顔を上げると、一人の人間の少女がパタパタと駆けてくる。リズだ。

 

「大丈夫ですか、すごい汗ですよ?」

 

「リズ……お前なんでここに?」

 

「なんでって、ジゼルさんが宿にもどってきたんじゃないですか。ほら」

 

「へぇ?」

 

 リズが指をさすと、ジゼルはその方向を見る。そして初めて、彼女は自分が出発した場所である、リズたちの宿へもどってきている事に気づいた。

 

「……あんだけ走り回って……ふりだしに戻ったんかい」

 

「なんだかよく分かりませんけど……そうだ。結局ハンカチは?」

 

「あ、そうだ! なんか猫がよってたかって邪魔して――」

 

 リズの問いかけにジゼルは口を開きかけ、ふと足元に違和感をおぼえる。見るとさっきまで集まっていたはずの猫たちが、すっかりいなくなっているのだ。一体どこに、と彼女が視線をめぐらせると、見知った者の声がもう一つ聞こえてくる。

 

「みんなありがとニャ~! もどってきてよかったぁ~……」

 

「……ん?」

 

「あれ?」

 

 その声に、ジゼルとリズがそろって振り返る。その向こう、いつもの宿の軒先で、エマが猫に囲まれてなにやら感激の声をあげていた。掃除のためか手に持っていたホウキを放り出し、ハンカチを両手に握りしめて猫たちに何度も頭を下げている。

 

「……エマ? 何やってんだ?」

 

「ニャッ!?」

 

 不審に思ったジゼルが近づくと、エマは小さく飛び上がって冷や汗をかきはじめる。何かある、ジゼルが心情的にも物理的にもそうにらむと、リズもとまどいながら隣に歩いてくる。

 エマはしばし目をそらして、気まずそうな顔をする。その雰囲気のせいか、猫たちはサーッと波がひくように居なくなる。

 やがて、エマはぎこちない笑みをつくって言った。

 

「その……ジゼルたちが出てから、表の掃除をしてたんだニャ。でもやっぱり見つかるか心配で……街の野良猫のみんなに協力してもらったんだニャー」

 

「協力って……」

 

「頼んだんだニャ。『大事なハンカチを探して』って」

 

「……そんな事できたの? もしやジゼルさんも」

 

「あー……確かに種の近い動物なら話せなくはないかな。……ってそれより」

 

 リズの質問にうなずきつつ、ジゼルはエマへと視線をもどす。そして心なしか低い声で言った。

 

「エマ……要するに、私らは別にあちこち駆けずり回らなくてよかったってワケだよな?」

 

「そ、それは……その、念のためだニャ。猫のみんなが見つけられるとは限らないし」

 

「だがおかげで、私は理由も分からず猫と追いかけっこするハメになった。せめて引っかいたりしないように言ってくれれば……」

 

「お、お気の毒ですニャ~……それで、私はまだ仕事が……」

 

 ジゼルに詰め寄られたエマは、適当にごまかして逃げようとする。しかしその足は、とある声に止められた。

 

「……聞いてたぜ。やっぱりそういう事か」

 

「ニャーッ!?」

 

「おう、お前らも追いついたか」

 

「今度は猫の獣人だッキ……」

 

 そこに現れたのはアランと、後をついてくるバジルだった。バジルは猫にすっかりおびえたせいか拗ねたようにエマを見つめ、アランも怒りはしないまでも少々あきれている風である。

 

「あの、この子は……」

 

「ああ、コイツはバジル。近くの武器屋の子さ」

 

「よ、よろしくだッキ……」

 

 リズがバジルを見てたずねると、バジルはちょこんと頭を下げる。続けて、彼は事がおさまったせいか、うつむいてポツリと文句をこぼす。

 

「……ひどい目にあったッキ」

 

「うーん……そっかー」

 

 本能的な恐怖のためか、バジルは目に涙すら浮かべていた。それを見たリズは同情し、ジゼル、アラン、バジルと共にエマを見る。かくして、計四人の視線がエマをとらえた。

 

「にゃ、にゃあ……」

 

 エマの口から情けない声がもれる。そんな彼女にずいと近づき、リズが静かな声で言った。

 

「……エマ、ちょっと中でお話ししよう」

 

「みゃあっ、リズ、ゆるして」

 

「大丈夫。怒ってないから。みんなでお話しするだけよ」

 

「ミギャーーッ!」

 

 ……それから、エマはリズにうながされて巻きこんだ者たちに謝り、連絡のホウレンソウはきちんとする事と、大事なモノはなくさないようにする事を、きっちりといい聞かせられたのだった。

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