獣人と日々を歩む冒険者 ~清くも正しくもないが、信頼はある~ 【完結】   作:ごぼう大臣

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彼女はこうして、自らの生い立ちを語る

 

 ……アランたちが依頼の村をめざして出発し、数日。彼らはずっと行動をともにした。森を抜け、河を超え、海を目指してひたすらに歩いた。

 その間、ケネスはいつも通り気弱であり、ソフィアは事あるごとにそれをなじった。その度にアランやジゼル、リリィ、クロエはそれぞれでケネスを励まし、ソフィアをたしなめた。

 その行軍は決して楽なものではなかった。元から自然を踏破していかねばならない上に、部外者ふくめたメンバーの不和が重なるのだ。時にはその事をジゼルがグチる事もあった。

 

 だが、それでも苦楽をともにすると多少は打ち解けてくるものである。歩みの遅れを気遣い、食事を分けあたえ……そんな様々な積み重ねが人の心を開く。

 おかげで、ケネスたちに最初は怪しまれていたクロエたちも、アランについて回る理由を打ち明けたりした。

 また、ソフィアによるケネスへの当たりも、わずかずつだが和らいでいった。

 

 そんな、ある夜の事である。

 

 

――ダウン州のバンブリッジ・タウンのそば、

去年の7月のある朝の事さ

――Near Banbridge town.

in The County down One the morning last July.

 

緑の野辺を下ってきた美しいアイルランドの娘が、

僕の方を見て微笑みかけたんだ

Down a Broeen green came a sweet colleen

And she smiled as she passed me by.

 

 

 月が静かに照らすもと、人気のない野原の一辺で彼らはキャンプを張っていた。

 輪になって焚き火を囲む中、辺りには音を抑えたおだやかなハープの音と、それに乗せた青年の歌声がどこか照れくさそうに響いている。

 

 

ああ、彼女はそれはもう素敵だった。

真っ白な二本の脚から、栗色の髪の先のきらめきまで

She lookd like so sweet from her two bare feet

To the sheen of her nut―brown hear.

 

こんなにも魅惑的な妖精に僕は衝撃を受けた。

自分の見たものは現実なのかと

Such a winsome elf I'm ashed of myself,

for to see I was staring there.

 

 

 ケネスが歌っているのだ。周りの反応が怖くて見れないのか手元を見て歌うケネスを、周りの面々はそれぞれ違う表情で見つめている。

 アランとリリィは微笑ましげ。ジゼルは眠たそうに。クロエはいくらか興味ありげに耳だけを傾けている。

 そして、ソフィアは黙って聞き入りつつも拗ねたように口を結んでいた。

 そんな彼らの反応を知ってか知らずか、ケネスは変わらず歌い続ける。

 

 

バントリー湾からデリー波止場にあがり、ゴールウェイからダブリンの街まで行ったって、

これほど美しい乙女はいないだろう

From Bantry Bay up to Derry's Quay, From galway to Dublin town,

No maid I've seen like the fair Colle.

 

僕がダウン州で会ったあの娘ほどには……

That I met in the County down.……

 

 

 ……やがて歌が終わり、ケネスの手も止まる。そして彼はほぅと息をつき、顔を上げてぎこちない笑みを浮かべた。

 

「……お粗末様でした」

 

「良かったわ。お気に入りなのよ、この曲」

 

「もっとのびのび歌えばもっと良かったのによ」

 

「いやぁ、どうにもあがっちゃって」

 

 軽く拍手を送るリリィと、からかうようなダメ出しをするアラン。その反応にケネスは頬を赤くして苦笑いしていた。

 すると、先ほどまでムスッとしていたソフィアが、ふと隣のクロエへ振り向く。

 

「ねえ、お姉様」

 

「ん?」

 

「……さっきの歌、なんて言ってたの?」

 

 ボソッと発したその質問に、アランやジゼル、ケネス、リリィがキョトンとした目を向ける。すると視線に気づいたソフィアは口をとがらせて言い放った。

 

「だって! 人間の言葉なんて私、ちゃんと勉強してないもん! 曲に乗っけて節つけられたりしたら分かんないよ!」

 

「落ち着けよ。みんな笑ってるワケじゃないんだから」

 

「そんな事言って! 腹の中じゃ小馬鹿にしてるんでしょ!?」

 

 ジゼルが横からなだめるが、恥ずかしさからソフィアはムキになって周りに怒鳴りちらす。そしてクロエを見るとすがるように言った。

 

「お姉様~。どんな歌詞なのか教えてよ~」

 

「えと……それは」

 

 腕を取ってすり寄るソフィア。しかしクロエは目線をそらしてごまかすように笑う。

 

「ごめんなさい……。実は私も7割そこらしか聞き取れなくって」

 

「えー!?」

 

「だって、私も人の言葉は未熟ですもの。仕方ありませんわ」

 

「はは……つまり僕は意味不明な歌をずっと歌ってるように見られていたんですね」

 

「そう気を落とすなよ。曲だけでも良いものは良いものさ」

 

 歌詞が分からなかったという二人を前に肩を落とすケネスを、アランが笑いながら励ます。その時、リリィがクスリと笑ってからソフィアたちに言った。

 

「これは恋の歌よ。あんな素敵な娘にはどこへ行ってもお目にかかれまい……って意味」

 

「あら、そんな意味でしたの」

 

「それ本当? テキトー言ってない?」

 

「本当よ。ケネスの歌なら何度も聞いて知ってる。なんなら言葉もそれで覚えたんだから」

 

 疑わしそうにするソフィアへ、リリィは微笑みかける。するとソフィアはふと神妙な顔になると、焚き火を見ながらポツリと言った。

 

「恋ねぇ……」

 

 そのつぶやきは小さく、誰も気に留めなかった。少ししてジゼルが大きくアクビをして言った。

 

「じゃ、そろそろ寝ようぜ。明日には村に着くだろうし」

 

「そんなら見張りの順番決めようぜ。いつも通り二人一組ずつで」

 

 立ち上がって伸びをするジゼルへ、アランも腰を上げて言う。そして周りの面々を見ながら話す。

 

「よーし、ジャンケンといこう。じゃーんけーん……」

 

「もうよさないか。飽きたぜそれ」

 

「えー? 俺今んとこ一勝四敗なんだぜ。勝負のチャンスくれよ」

 

「今さら勝ち越しできねえじゃん。あきらめろ」

 

「どのみち一回は見張りやるんだから、別にいいじゃない」

 

「ジゼルさん眠そうでしたし、テキトーに決めちゃいましょうよ」

 

 ジャンケンを持ちかけるアランだったが、仲間たちは気乗りしないようだった。そんな時、ソフィアだけが違う反応を示す。

 

「じゃあさ……先に私やっていい?」

 

 アランがその声に振り向くと、ソフィアはためらいがちな視線を向けていた。アランは笑顔をつくって応じる。

 

「おう、やってくれるか? 助かるぜ」

 

「……けど、一つ頼みがあって」

 

「頼み? なんだよ」

 

 何やら重たい口調のソフィアへ、しゃがんで微笑みかけるアラン。少し間をおいて、ソフィアはリリィの方を見て言った。

 

「リリィと一緒に見張りしたい……。ダメ?」

 

「ん、リリィと? またどうして」

 

「別に大した理由はないけど……お姉様とリリィと三人になりたい。ね、できる?」

 

 アランの質問をはぐらかし、ソフィアはリリィを見たまま問いかける。リリィはキョトンとしていたが、やがてふっと笑った。

 

「いいわよ。そんな構えなくてもいいって」

 

「ありがと。お姉様もいい?」

 

「ええ。大丈夫ですわ」

 

 何か話したい事があるのだろう。そう察したクロエはすんなりとうなずく。そこでアランが仕切り直して言った。

 

「となると。俺とジゼル、ケネスで後は回す事になるのか」

 

「私は一人でいい。アランと二人きりはそろそろ嫌だぜ」

 

「そう言うなよー。どうせなら誰かと一緒にいたいじゃんか」

 

「じゃあケネスについててやれ。コイツを一人にしちゃ不安すぎらぁ」

 

「て、手厳しいですね……まあ僕自身も不安ですが」

 

「大丈夫だろ。いざとなりゃアランを盾にしちまえ」

 

「なんか俺の扱いひどくね? せめて助けに来てくれよ」

 

「私、寝起きは良い方じゃないから。期待すんな」

 

「そんなー」

 

 あれこれ言い合いながら、三人は男女で分かれてそれぞれテントに収まっていく。それを見ながらソフィアがポツリと言った。

 

「……こうして見ると、やっぱり仲いいんだね。みんな」

 

「ええ、そうよ。演技じゃあんなのできないわ」

 

 数日を一緒にすごして、彼女らの口調も気安くなっていた。リリィもそれを肌で感じ、柔らかく笑って頬笑む。

 それを見て、ソフィアは拗ねたような、恥ずかしいような顔をして焚き火に目を移す。それから、顔をそちらに向けたまま口を開いた。

 

「あのさ、リリィ」

 

「ん?」

 

「ケネスとは、どんな風に会ったの?」

 

 突然の問いに、リリィは目をぱちくりさせる。ソフィアはそんな顔をちらと見て続けた。

 

「さっきの恋の歌……ってのを聞いて思ったんだけど、やっぱり二人が会った時も、恋とかしたのかなって」

 

 そう話すソフィアの表情は、どこか曇っていた。単なる恋愛の話に似合わないその顔に、リリィはふと察するものがあった。

 数日前に、人間と獣人の関係を知りたいなどと話していた事。リリィがケネスとどんな風に会って今のような関係になったのか、いよいよ核心を知りたいというワケだ。

 クロエもいくらか気になるのか、リリィの方を見て口を開く。

 

「私もちょっと知りたいですわ。今まで親しくなった人間はほとんどおりませんでしたから」

 

「なんか恋バナにしてはワクワクしないけどね」

 

「……うーん。プライバシーもあるけど、そう言うなら……」

 

 リリィはケネスのいるテントをちらと見て声をひそめ、二人に向かってこう切り出した。

 

「私とケネスはね、海で出会ったの」

 

「海?」

 

「そう。今みたいに寒い季節の……ずっと遠くの海。周りが崖に囲まれて、誰もいない場所だった」

 

 リリィはどこか沈んだ口調で話しはじめた。そこにソフィアが口をはさむ。

 

「誰もいないって……なんでそんな場所に?」

 

「誰もって言うのは地上の話よ。私たちイカの獣人は、海の中の岩陰と、たまに崖の一部を行き来して暮らしていたの。しょっちゅう海が荒れる厳しい環境だったけど、そのぶん人間が寄りつかなくて暮らしやすかったわ」

 

「では、ケネスさんはどうしてそこに?」

 

 続けてクロエが疑問を口にする。するとリリィは少し目を伏せ、「実はね……」と前置きしてこう言った。

 

「……身投げしようとしたのよ、あの子」

 

「えっ!?」

 

 ソフィアが思わず大声をあげると、リリィがあわてて人差し指を口に当てる。

 

「しぃーっ……ケネスもあまり知られたくないだろうから、静かにして」

 

「わ、分かった……けど、なんでまた」

 

 あわてて口を押さえるソフィア。それを確かめてリリィは焚き火に目を移し、切なげに目を細めて言った。

 

「……何と言うか、これという理由は無いって。楽士になりたくて家を出たけどモノにならなくて、そのうち生きているのが嫌になったと言ってたわ」

 

「それ本当ですの? 打ち明けていないだけで事情があるのでは……」

 

「かもしれない。けど多分、本当に大した理由は無いんだと思うの。あの子、他人といるのが本当に苦手だから」

 

「…………」

 

 クロエがたずねても、リリィは俯いたままサラリとそう述べた。そこへソフィアが疑った目で言う。

 

「そりゃ確かにそんな雰囲気あったけどさ……今までずっとそんな感じだったの? 死にたくなるほど?」

 

「まあ色々あったわ。冒険者仲間にも遠慮がちな事ばっかりで、怖がりだし……打ち解けられずに辛かったでしょうね」

 

「そんな理由……? 死にたくなるってさぁ、もっとこう、悲惨なドラマが……」

 

「ソフィアちゃんぐらいの年ならそう思うかもしれないけどね。人知れず消える人もいると思うわよ」

 

 ソフィアの言葉をさえぎり、リリィはさらにこう話した。

 

「私と二人の時も相変わらずだった。自信がなくて、急に自分の事をクズだなんて言い出すし、私から離れて一人になろうとするし」

 

「一人にって……そこまでお一人がお好きで?」

 

「というより、『自分が近くにいたら迷惑になる』とでも思ったのでしょう。なんだかんだすぐに戻ってくるんだけど」

 

「結局は一緒にいるんだね」

 

「もちろん。なにせ財布の管理は私がしてるんだから」

 

「……それって責任を負いたくないってヤツじゃない?」

 

「かもしれない。でも昔よりはマシになってるのよ」

 

 ソフィアの苦々しい口調に、リリィは肩をすくめた。ソフィアはため息をつき、足元の小枝を焚き火に放り込んで言った。

 

「なんだってそんなヤツと一緒にいるようになったのさ? メリットでもあったの?」

 

「うーん……そうねぇ。びしょ濡れの金髪がカッコよく見えたからかなぁ」

 

「は?」

 

「ふふ、なーんて。半分冗談よ」

 

「半分は本当なんかい。じゃあ残りは?」

 

 心なしか楽しそうに話すリリィへ、ソフィアは続きをうながす。するとリリィはいくぶんか声のトーンを落として言った。

 

「実を言うとね……心配だったの。また自殺しないかって。それが気になって、ついつい別の街まで一緒に行って冒険者にまでなっちゃった」

 

「えぇ……そんなんで故郷を捨てるの?」

 

「なし崩しに付き合いはじめたような言い方ですが、後悔していませんの?」

 

「ううん、そんなに。なんだかんだ、今は楽しいし」

 

 ソフィアばかりかクロエまで呆れた目を向けるが、リリィは柔らかく笑った。そして目を細めてこう続ける。

 

「……でも、そうね。あの子なりに『甘えてばかりじゃダメだ』って意識があったのは救いかな。だから一緒にいると迷惑とか言っちゃったりもするんだけど」

 

「だったら、もし100パーセント甘ったれてきたらどうするつもり?」

 

「ありうるなぁ……その時はちゃんと叱らないと」

 

「いやそこまで面倒みる事ないって。見限っちゃいなよ。おいたわしいから」

 

「大丈夫だって。今までもなんだかんだ上手くやってきたんだから」

 

 呆れるあまり怒りだすソフィアを、リリィは軽く流すばかりだった。その穏やかな表情にクロエは納得したようにうなずいたが、ソフィアは不満げだった。

 足元の地面をいら立たしげにつま先でほじくり、ソフィアが嫌みっぽく言う。

 

「……恥ずかしくないの? そんな人間に都合よく付き添ってさぁ」

 

「……?」

 

「人間と獣人は違う生き物よ。いくら世話してあげたって、いつかしわ寄せが来るんだから! 絶対に!」

 

 ほじくっていた土を蹴飛ばし、ソフィアはやにわに口調を激しくする。その様子をリリィが戸惑って見つめていると、ソフィアはその顔を見返して吐き捨てるように叫ぶ。

 

「リリィはさ、不安にならないの? いつまでそうやってイチャついてられる? 人間と獣人じゃ結婚できないし、変に見られるし、将来どうするのさ?」

 

「落ち着いて、ソフィアちゃん」

 

「それに……子供は!? いつかは考えなきゃいけないじゃん。生めるの? 育てられるの? 人間でも獣人でもない半端者――」

 

「ソフィア、おやめなさい!」

 

 一方的にまくし立てるソフィアを、クロエが一喝する。するとソフィアはハッと息をのみ、気まずそうにリリィを見る。

 対してリリィは何やら気がかりそうな顔をして、ふとこう問いかけた。

 

「なんだか、ずいぶんムキになるのね」

 

「……ふん」

 

「人と獣人が一緒にいるのが、そんなに嫌?」

 

「別に。リリィに関係ないよ」

 

「でも気になるわ。あんなに勢い込んで言われたら」

 

 リリィは怒りもせずにソフィアへ話しかける。そしてちらとクロエの方を見ると、クロエは沈んだ表情でリリィを見返した。

 

「悪く思わないであげてくださいまし。この子にはちょっと事情がありまして……」

 

「まあ、聞かれたくないなら詮索はしないけど……」

 

「ごめんなさい」

 

 クロエが頭を下げると、リリィはさほど食い下がらずにうなずく。しかしそこで、当のソフィアが出し抜けに顔を上げて言った。

 

「……いや、この際だから話すよ。私の事」

 

「え、無理しなくていいのよ?」

 

「いいから。詳しく打ち明けないと、どうせこのままズルズル一緒にいるだろうし」

 

 ためらうリリィをにらみつけ、ソフィアはまるで溜め込んでいたものを吐き出すかのように、深刻な顔で口を開く。

 

「……私ね、人間と獣人のハーフなんだ」

 

「……!」

 

「体の模様も能力も中途半端。おまけに親もいなかったから、それを自分で知ったのは生まれてからずいぶん後だった」

 

 リリィの表情に緊張がはしる。ソフィアはそれから鬱陶しげに目を伏せると、あざけるように笑みをうかべて続けた。

 

「なんで人間の血なんか混じったか分かる? 人が住みかを広げて、獣人を利用しだしたからよ。物心ついた頃には、私は色街の隅っこを這いずり回る半端者の孤児だったってワケ」

 

「色街……」

 

「不思議じゃないでしょ。むしろ子作りと隣り合わせなんだから。キャベツ畑で生まれたとか言ったら信じる?」

 

 まくし立てるソフィアの目に少しずつ涙がうかぶ。虚勢を張ってか口は笑っているが、その笑みはひきつっていた。

 そんなソフィアの様子にリリィは何も言えずにいた。やがてソフィアの言葉が途切れ、代わりにハアハアと荒い息が漏れだす。

 リリィがクロエをちらりと見ると、クロエも重たい口調で言う。

 

「残念ですが、私のいた色街でも何度か耳にしましたわ。人間の男が、獣人の女性をもてあそんで捨てた噂」

 

「そうだったんだ……」

 

 クロエの言葉に、リリィも沈んだ顔でうなずく。そして自然と憐れむような視線でソフィアを見た。

 すると、その目をソフィアは鋭い目でギロリと見返す。そして刺すような口調で言った。

 

「なに他人事みたいに。リリィは分かってるの? 行き場のない子供を生むかもしれない事!」

 

「…………」

 

「アンタが人間に都合よく利用されたいなら、勝手にすればいい。でも生まれた時から不幸な子をつくる気なら許さない。対等じゃないのを誤魔化さないで!」

 

 ソフィアの声はしだいに悲痛なものとなり、しゃくりあげる声が混じっていった。クロエやリリィがいたたまれない表情をする中、ソフィアはとうとう両手で顔をおおって泣き出してしまった。

 

「どうしてよ……幸せになんかなれっこないのに、どうして……」

 

「…………」

 

 リリィはソフィアの姿を見て、自身まで涙をにじませる。表面上は馴れ馴れしく悪態をついていたソフィアが感情をむき出しにするのを、彼女は初めて見た。

 リリィはソフィアをそっと抱き締めた。ハッと我にかえるソフィアへ、リリィは幼子に向けるような穏やかな声で語りかける。

 

「辛かったのね。今まで」

 

「何よ……放してよ気持ち悪い」

 

「大丈夫。大丈夫だから」

 

 むずがってもがくソフィアへ、リリィは優しく背中をなでる。それから腕を放し、顔を間近に見つめて言った。

 

「ねえソフィアちゃん。人間と獣人が関わるのって、そんなに悪い事ばっかりだと思う?」

 

「何言ってるのよ、当たり前じゃない。私がいい例!」

 

「けど……全部そうかな? たとえば冒険者の人たちとか、皆そうだと思う?」

 

「……どういう意味よ。ハッキリと言いなさいよ!」

 

「ソフィア……」

 

 じれったそうに怒鳴るソフィアを、クロエがなだめる。一方でリリィは相手のいら立った態度にも怒らず、静かにこう話す。

 

「……私はね。ケネスたちと暮らして楽しかった。とりとめのない話をして、音楽を聞いて、今まで会った事もない獣人たちとも協力して……海で暮らしていた時からは想像できないような事が、たくさん起こったの」

 

「…………」

 

「故郷がひどい所とは言わないけど……生きるか死ぬかの厳しい自然の世界と、人間の世界はやっぱり違う。こんなに色々な楽しみがあるなんて、初めて知ったわ」

 

 感慨深くそう述べるリリィ。ソフィアは不満げに反発する。

 

「けど……そんなの獣人の本当の姿じゃない。調教されてんのよ! 騙されてるの!」

 

「もちろん楽しいばかりじゃないわ。いいように利用されてる獣人もいるし、人間の社会にはまだまだ知らない部分だってある。……けど私は、世界が広がってよかったと思う」

 

 さとすように言うリリィ。するとクロエも、ふと思い出したようにこう言った。

 

「そういえば……アランさんも昔に言っていましたわ。人間は、楽しみのために生きていける生き物だって。魔物とも獣人とも違う、人間だけの特技なんだって」

 

「お姉様までアイツらの肩持つの?」

 

「そうじゃありませんが……共に暮らせるというのが、一概に悪い事だとは思いませんわ」

 

「でも……そもそも人間が獣人と会わなきゃ、私みたいのは……」

 

 クロエにまでさとされ、ソフィアの目から収まりかけた涙がにじむ。そんな彼女に、クロエは優しく頭をなでてやる。

 

「ごめんなさい。本当ならもっと早くこんな話をすべきでしたわ。私に勇気がないばっかりに……」

 

「お姉様……私どうしたらいいの? 人間なんか関わらなきゃいいって思うの、私だけ?」

 

 ソフィアはすがるような目でクロエを見た。人間の心ない行為によって生まれたソフィアにとっては、人間という生き物自体が憎む対象なのだ。たとえ他の獣人がいくら人間やその文化に美点を見出だそうが、ソフィアは自身が生まれてよかったと思えない限り、人間を許す事ができない。

 赤くなった目をいっぱいに見開いて見つめるソフィアを、クロエはいたたまれたい顔で見つめる。そして、ソフィアを両腕でひしと抱き締めた。

 二人から二度もハグされたソフィアは「わっ」身じろぎする。それを抱きすくめながら、クロエは自らも泣きそうな声になって言った。

 

「私は、信じていますわ。いつか……人間たちと出会ってよかったと思える日がくる。ソフィアも、生まれてよかったと思える日がくるって」

 

「っそんなの……!」

 

「すぐには信じられないでしょう。けど、どうか目の前の人々の営みから目を背けないでくださいまし」

 

「……っ……」

 

「私が……いえ、私たちがついていますわ」

 

 腕の力をゆるめ、頬笑むクロエ。ソフィアはズビッと音を立てて鼻をすすり、そろそろとリリィの方を見る。すると目を細めて笑っているリリィと目が合って、ソフィアは恥ずかしそうにクロエの胸に顔をうずめた。

 

「あらあら、どうしましたの?」

 

「……なんでもない!」

 

 すねた口調で叫ぶソフィア。それから少し黙った後に、ポツリとつぶやいた。

 

「……ルナ、また会ってくれるかな。ダニエルも」

 

「どうして?」

 

「ほら、上着くれたお礼言いたいから……失礼な事言っちゃったけど」

 

 不安そうにつぶやくソフィアへ、クロエは言った。

 

「心配ありませんわ。案外、人間でも獣人でも優しい人は多いものですよ」

 

「……そっか」

 

 その言葉を聞いて、ソフィアは安心したようにクロエによりかかる。そんな彼女を見て、クロエとリリィは微笑ましげに顔を見合わせた。

 

――

 

「ソフィア、今日はなんかスッキリした顔してんな」

 

「別に……私はいつも通りだし」

 

 夜が明けて、六人は出発の準備をしていた。昨晩に泣いたソフィアが、どこか憑き物が落ちたような顔をしているのが、アランたちにも見て分かった。

 

「では、行きましょうか」

 

「あ……ケネス」

 

「はい?」

 

 やがて準備を整え、歩き出そうとしたケネスをソフィアはふと呼び止める。振り向いたケネスヘ、彼女はばつが悪そうに言った。

 

「その……あの時はゴメンね。助けてもらったのに、ひどい事言っちゃって」

 

「へ、あの時って……」

 

「ほら、ヘラジカが出てきた時」

 

「ああ、なんだ。そんなの別に気にしていませんよ」

 

「……そう」

 

 あっさりと笑うケネスを見て、ソフィアが小さく安堵の息を吐く。それを見てリリィとクロエは頬をゆるめ、アランとジゼルは少し戸惑ったものの、心境が変わったのかと頷いた。

 それからの道のりにて、ソフィアはまるで憎まれ口を叩かなかった。かえってシュンと申し訳なさそうにしているくらいで、一行の後ろをついて歩き、周りが話しかけても言葉すくなに笑う。

 

 一見元気がなくなったようだが、一行はそれがソフィアの本来の性格なのではないかとなんとなく察していた。クロエに叱られた時の気落ちした様子や、怒り出した時の余裕のなさからして、いつもの態度は周りを信用しきれないが故のうわべのものだと分かったのである。

 

 彼らの間を流れる雰囲気は、いつしかグッと穏やかになっていた。それを感じ取り、アランとジゼルは顔を見合わせ、ふっと笑った。

 

 そうして数時間歩いて、昼近くになった頃だろうか。先頭を歩いていたジゼルが、空を見上げてつぶやいた。

 

「……もうすぐ着くな。潮の匂いが濃くなってきた」

 

「うそ、ジゼル分かるの?」

 

「ああ。海が近い証拠だ。やっと屋根の下で眠れるぜ」

 

 得意気に答え、ジゼルは先をぐんぐん歩く。そうするうち、野原を切り開いた細い道の向こうに、こぢんまりとした集落の影が見えた。

 木造の小さな家が寄り集まった、遠目に見ると端から端までスッポリ見える小さな村。片側は森林に迫られるように隣接し、もう片方は広く海に面していて、浜辺に近づくにつれて家がまばらになり、あとは砂浜をはさんで藍色の水の世界が日の光にきらめいている。

 

 それを見てソフィアが「わぁ……」と感嘆の声をあげた。

 

「もしかして、お前も海は初めてか?」

 

「……うん。キレイだな」

 

 アランの言葉に、ソフィアは照れた顔でうなずく。村の方角を見ると、海で漁をしているらしい船の姿がチラホラ見える。

 それにソフィアだけでなくクロエまで見とれていると、アランは笑いながら声をあげた。

 

「ほら、村のみんなも仕事中だ。俺らもボーッとしてないで」

 

「あ……ごめんあそばせ」

 

「私も見とれてたわ。この感じ懐かしいから」

 

「あ、カモメも飛んでますね~」

 

 なんとものんきな言葉をかわしながら進む一行。アランが苦笑いすると、ジゼルも隣で肩をすくめた。

 そうして村まであと数百メートル、という地点まで来たところで。

 

「……ん?」

 

 ジゼルがふと、前方に目をこらす。村へと続く道の途中で、一体の石像が脇にポツンと建っている。高さは見た目2メートルほどで、遠目にも古く、苔むしていた。

 

「何だこりゃ?」

 

 ジゼルは駆け寄り、それを無遠慮に眺める。そこにあったのは、上半身が人間の若い女性、下半身が魚の尾という、いわゆる人魚の像であった。

 顔はみずみずしく端正で、濡れた長い髪を垂らし、細くなめらかな肢体には布一枚まとっていない。鱗が一枚ずつ彫られたしなやかな魚の下半身を、その人魚は岩に横たえて座っている。

 その像を見つけた一行は自然と周りに集まり、その像に注目する。しばし無言で彼らが見とれる中、ジゼルがひねくれた笑顔になって言った。

 

「……芸術作品っていいよなぁ。堂々と裸にできてよ」

 

「変な事言うなよ。そんな目で見ちゃいねえって」

 

 ジゼルの言葉にアランが苦笑いする。するとケネスが口を開いた。

 

「でも、なんでこんな像がこんな所に……?」

 

「それなら何か書いてあるわよ。ホラ」

 

 リリィは岩の部分に彫られた碑文を指さした。人間の文字ではなく、獣人のそれで書かれている。その碑文をみんなでのぞきこみ、アランがたずねる。

 

「なんて書いてあんだ?」

 

「分からない。私はこの近くの出身じゃないから、言語が違うし」

 

「待て。私なら読める。えーと……」

 

 ジゼルが碑文に目をこらし、こう読み上げた。

 

"ニンギョとともにイきる、ゲロスムラ""人魚とともに生きる、ゲロス村"……?」

 

「人魚……ねえ」

 

 人魚、その響きに彼らはなんとなく興味ありげに顔を見合わせた。

 

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