夕暮れの中を自転車が歩くようにゆっくりと進んでいる。
その自転車には、高校生と思われる男女が2人乗っていた。
男がペダルに自転車がバランスを失うギリギリの速さで力を入れている。
その後ろには、腰に抱きつきながらダルそうにしている少女がいた。
「ねぇこれからどうすんの~?」
ツカサはサイトウに話す。
「カラオケとかゲーセン行きてえ」
サイトウは投げつけるように返事をする。
「え~海行きたい~」
「無理に決まってんだろ。カラオケとかで我慢しろ」
「そんな~」
何気ないやりとり。しかしそれは古くからの幼馴染である2人にとっては限りない幸福だった。
それはとても綺麗な夕暮れだった。
土手のコンクリートの道は、まるで永遠に、いつか国境を越えてしまいそうな程続いていて、目に見える速度で沈んでいく夕日は、川の水を乱反射させて光り輝かせていた。
それから、2人は親友として色んな事を喋った。
親友が寝坊した時寝癖でアホ毛が6個あって2人で爆笑した事、カラオケでイキって英語の歌をかけたら全然歌えず恥をかいたこと。焼きそばパンの焼きそばがモッサモサな事。なんでも話し続けた。
子供の声、犬の散歩。野球少年のキャッチボール。前に進んでいく視界には色んな世界がそこからは見えていた。
静寂と柔らかな風とカチカチというチェーンの音。2人だけの世界がそこにあった。
この時間が永遠に続いてしまえば良い。サイトウはそう思っていた。
ツカサは流れでなんとなく言葉を発する。
「ねえ、将来とかどうしよっか?」
その時、不意に不穏な空気が走り、サイトウのペダルを漕ぐ力が止まった。
かっ かっ かっ かっ かっ かっ
自転車のチェーンの刻むような音が徐々に遅くなっていき、自転車はそこで立ち止まる。
サイトウの体は極限の緊張から硬直していた。
「・・・良いだろ。別にそんな事」
顔をツカサの方に向けずに、ただ前を向きながら吐き捨てるように語る。
「え~だって」
「だってじゃねえよ!意味ねえんだよ!そんな事考えても!」
ツカサの甘える声を割るように突然の怒号が土手の広い空間に走った。
急激に感情が爆発するような怒りの声。
「意味ねえんだよ。だって。これは・・・」
すると突然、目の前の土手が黒く塗られた漆黒の世界に覆われた。
脳の錯覚のような謎の漆黒。しかしサイトウは何も困惑する事は無かった。
それを見たサイトウはため息をつくと、更に空中に突然現れた四角いウィンドウの「EXIT」という表示に手を伸ばす。
「だってこれは・・・」
「映画の中だろ」
目を覚ますと、そこには白く無機質で機械的な空間が広がっていた。
SF映画のような。リドリー・スコットのSF映画のような無機質な白い部屋。その中にベッドが2つあり、そこには中年の男女2人が横になっていた。
今は2953年。グレン・サイトウとフェイ・ツカサはそれぞれ宇宙飛行士と宇宙エンジニアだった。
人類の文明からはるか遠く離れたとある惑星で、地質調査をする帰り。
その帰還する途中で、天文学的な確率ではるか遠くにある超巨大宇宙ステーションの爆発事故の際に飛んだ大量の小さな鉄の塊が宇宙船に大量に命中したのだ。
強大な爆発による超高速の推進エネルギーは空気抵抗によって減衰する事は無く、私達の船を破壊するには十分すぎる威力を発揮した。
極めて小規模な探査任務だったため、船には2人しかいなかった。
船が破壊されてから私達はありとあらゆるベストを尽くした。サイトウは宇宙飛行士として、ツカサはエンジニアとして、最善の選択を模索した。
だが、船の操縦系統を制御する機械のマザーボードが衝突によって破壊されていたのだ。
そしてマザーボードの予備も、不幸な事に衝突によって同様に破壊されてしまった。
細かな電子部品を製造する技術は、この船にはもう無い。
通信設備も完全に破壊されている。
皮肉な事に、作動するのは娯楽用のVRの施設だけだった。
文明のある世界には、どうやっても帰れない。
衝突事故の際に、あまりにも長い間この船は吹き飛ばされ続けてしまった。
もう半径数千億キロに、人類の文明の痕跡すらない場所なのだ。
サイトウは白い無機質な部屋で、うつむきながら言葉を紡ぐ。
「・・・この世界に居させろよ。好きだったんだぜ。この映画」
「でも、現実を見ないと」
「どう見ろってんだよ!終わってんだよもう!いい加減にしろよ!」
現実逃避のために起動したVR。
はるか、いにしえに作られた大好きだった2006年製のアニメ映画。
その世界に俺は逃げてきたのに。
ツカサは少しどもるように言葉を詰まらせた後、自分の思いの丈をぶつけるように喋る。
「確かに終わってるよ!ウチら、もう無理だよ!でもさ、何か残そうよ!」
「残す?」
「ほとんど機能してない船だけどさ、生きてたんだ。ちっちゃい衛星だけ」
その衛星は人間も入れない。スラスターの付いた小さいドローンのようなマシンだった。
「この中にさ、私達の言葉とか入ったデータチップとか入れて、何かメッセージとか残そうよ。確率は凄い低いけど、上手く行けば人間の所まで届くかも」
「意味ねえ事を・・・」
「意味ならちゃんとあるよ!いいから遺そうよ!何かひとつくらい!」
それから渋々ビデオメッセージを撮影する事になった。
ツカサは明るく振る舞いながら手持ちの小型のカメラをサイトウに向けて録画する。
ベッドに座るサイトウと、カメラを向けるツカサ。
サイトウは最初は嫌がりながらカメラに目線を合わせようとしなかったが、しつこいツカサの「こっちを見て!」というカメラの裏での仕草に、仕方なく正面を向いた。
「あー・・・その・・・」
「・・・ごめん。地球にいるみんな。もう俺、助からねーわ」
「松本くん、借りてたゲーム返せなくてごめん。あれパッケージ無くしたわ。さおりさん。3年前の飲みですげー失礼な事言ってごめん。俺の口が滑ったわ。」
それから彼は様々な人間に謝罪の言葉を放った。
彼は皮肉屋で、自分から謝ろうとはしない性格だった。
特に自分が悪いと客観的に決まっている時には、かえって謝れない。しかし裏では罪悪感を人並みに感じている。そういう男だった。
そして最後に、親への言葉を彼は口にする。
「母さん。父さん。ホントマジでごめん。25年前の家族ゲンカの時から、もう会ってないけど、ずっと心の中で後悔してた。でも、生きてる間は言えなくてさ」
「あん時さ・・・オヤジの事、かっこつけて持ってたナイフで切っちまって」
「18だった俺は、ただ全方面に怒りを撒き散らすしか無くて」
「自分って何だとか、人生って何だとか、そういうくだらねー事をずっと頭の中でループさせててさ」
「あの時は怒りでしか、自分を表現できなかった。怒ることに意味があると思ってたんだ。どうしてあんな歪んだ自分の怒りを正義だと思ってたのかなんて、今は信じられないんだけれどさ」
「謝りたいって気持ちを、本人に直接言えば良い。ただそれだけの話がこじれにこじれてさ」
サイトウの声がやわやわと震えていき、うつむきながら涙声へと声が変化していく。
「結局、こうなってからじゃないと言えなかった。ごめんって」
「なんで、手遅れになってからじゃないと、言えねえのかな。俺」
サイトウはただ俯いていた。鼻をすする声と、震える体が、ただ哀しみを伝えていた。
「俺なしでさ、前に向かって生きてくれよ。じゃあな」
笑顔と共に録画は切れた。
ツカサの持っていたカメラは最後はわずかに震えていた。
最初は明るかったツカサも、彼の遺言によって自分たちが助からない事を本質的に悟り崩れるように泣いた。
2人はお互いを震える体で抱きしめながら、ただただ涙を流していた。
「じゃあ・・・飛ばすね」
「ああ」
小さいペットボトルサイズの宇宙船が発進していく。
ただ、ブースターの軌道が上手く行って人間に見つけて貰えるかはわからない。
ただ、2人はなんとなく確信があった。
間違いなくどこかに"届く"だろうと。
私達の願いは、きっと叶うと。そう。信じていた。
夕暮れの中を自転車が走っている。
そのペダルは強い推進力を発揮して、力強く前へと進んでる。
後ろにいるツカサが背中に抱きつきながら話しかける。
「・・・ちゃんと言えたじゃん」
「まぁな」
「今日はどこ行こっか」
「海にしようぜ」
「それは無理なんだってば~」
「そうなんだよなぁ~」
赤い空に響く2人の笑い声。
そして長い静寂の後、ツカサが口を開く。
「・・・私ね。君の事好きだった。」
サイトウの背中に顔を埋めながら穏やかな声色で彼女は語った。
「同じ大学に入ったのも宇宙エンジニアになったのも、全部君と一緒にいられるから。でも最後まで仕事仲間って感じだったじゃん。私達」
「だからこの世界に入れた時はホント嬉しくて・・・全部の事を忘れた。自分の心を騙してるんだとしても、この世界の事が大好きだった。君の事も。」
サイトウはフッと笑う。
「知ってたぜ。昔っから」
彼は言葉の意味を理解したツカサの抱きしめる力が強くなって、背中のYシャツが少し濡れたような感覚を味わった。
「・・・サイトウくん」
「・・・ん?」
「ありがとう」
ただ、穏やかに。これから眠るような安らかな声でツカサは言った。
土手の水平線に半円を描いていた夕日が、目に見える速度で沈んでいき、そして最後には夕日の全てが水平線の下へと消えていった。
漆黒に染まった空には数多の星が光り輝いていた。
紛れもなくそこは、2人だけの世界そのものだった。