スヴェン達は荷獣車から降り、目前に聳え立つ険しい山脈を見上げていた。
ハリラドンなら凹凸の激しい山道もものともしないが、荷獣車は別だ。
木製の車輪は耐久性に難があり、整備も何もされていない山脈を登るには無理が有る。
ハリラドンと荷獣車を置いて行く。散々ハリラドンには世話にもなればドラクルとの戦闘で助けられた。
そのことを踏まえればハリラドンを置いて行くことに躊躇いが生じる。
しかし強行に出れば要らぬ事故にも繋がり、邪神教団に発見される恐れも有った。
スヴェンはゆっくりと眼を瞑り、やがて決断を告げる。
「潜入を考えりゃあ、ハリラドンは大使館に引き返えさせる」
あらゆる危険性を排除する為の判断にハリラドンが悲しげに鳴く。
「私もここで別れたく無いけど、流石にキミの背中に3人も騎乗って訳にもいかないんだよ」
ミアが優しげな声でハリラドンにそう語りかけ、
「ん、快適な旅で楽しかった」
彼は唸りながらも本能で理解したのか鳴くことを止め、穏やかな眼を向け始めた。
利口で勇敢な性格だと嫌でも理解していたが、改めて人語を理解しそれに応えようとする姿にスヴェンは小さな吐息を漏らす。
スヴェン達は荷獣車から必要な荷重を降ろし、ミアとアシュナがハリラドンに別れの言葉を告げる。
ーーハリラドンは一匹でゆっくりと方向を転換させ、首都カイデスまで歩き出した。
速くも視界に届かない距離まで走り去ったハリラドンを背に、スヴェン達は邪神教団のローブで素顔を隠し、荷重を片手にフェルム山脈に足を踏み込む。
▽ ▽ ▽
七月十九日の昼、真夏にも関わらずフェルム山脈から冷気を纏った風が吹き込む。
スヴェンが平然とモンスターに警戒心を浮かべながら山道を歩く中、
「さ、寒ぅ〜まだそんなに登ってないのに、……というか夏なのにどうして寒いの?」
ミアが寒そうに腕を摩りながら白息を漏らした。
彼女で寒いならアシュナはどうか? 視線を向ければアシュナの姿はそこには無く、代わりに物影から彼女の気配が漂う。
既に邪神教団を警戒して身を潜めていたアシュナに感心したスヴェンは、ミアに残念そうな眼差しを向けた。
「アイツも我慢してんだ、アンタも我慢しろ……だが、この気温は魔法の影響か?」
「気候を変える魔法は確かに存在するよ? でも効果が及ぶ範囲はせいぜい魔法陣を中心に直径2、3メートル程度だから……」
付近に魔力が流れている気配は無いが、山頂の方向から膨大な魔力を感じる。
それに気付いたのはミアも同様で、彼女の肩が強張る。
「モンスター、死域を展開させるモンスターが居る? でも寒いだけで身体に悪影響も無いし、魔法が使えない訳でも無いから違うのかな?」
死域を展開できるモンスターの仕業では無い。ミアの推測にスヴェンは山頂を見上げた。
「ヴェルハイム魔聖国に入るには山頂は通らなきゃなんねぇのか?」
「うん、山頂から整備された下り道をそのまま南下しないとダメかな。他の道は落石や崖で道が続いて無いから山頂の登山は必須だよ」
この気温の異変を起こした存在が山頂に巣食っている。
避けて通れないなら進むしか他に無い。
スヴェンは歩みを再会させ、時折りミアとアシュナに気を遣いながら山道を登り進んだ。
登山開始から二時間が経過した頃、次第に山道の斜面が急になりーー山頂から流れ込む冷気と降り積もる雪。
そして道端でモンスターの氷像にスヴェンの眉が歪む。
邪神教団に変装しながら山脈を登るだけの筈が、凍り付いたモンスターの存在にこの先は危険だと本能が警鐘を鳴らす。
「凍り付いたモンスター……モンスター同士が争うことはあんのか?」
単なるモンスター同士の縄張り争いなら気楽に済むのだが、星が生み出したモンスターが縄張り主張することなど有り得ない。
頭では理解しながらミアに可能性の一つとして訊ねれば、やはりと言うべきか、
「それは無いよ。というかスヴェンさんもそれは理解してるよね?」
断言と共に否定された。
「ってことは魔族、邪神教団、それとも生物の仕業か」
「魔族だったら良いんだけど、山頂の威圧感が説明付かないかな」
邪神教団の信徒か。それとも司祭とまではいかないが、部隊長に等しい人物が巡回の見張りを指揮しているのか。
だがスヴェンにはどうもそれも違うように思えて仕方ない。
邪神教団の信徒と交戦経験と言えば、メルリアの地下遺跡以来で判断材料も乏しいーーそれでも本能と経験、直感が違うと告げ、もっと恐ろしい存在だと本能が警鐘を鳴らしている。
ーー判断材料が少なねぇな、山頂に向かうついでに手掛かりになる痕跡を調べるか。
「いずれにせよ痕跡を調べた方が良さそうだな」
「そうだね……って、あれ? アシュナが駆け寄って来るよ」
何かを発見したのか、アシュナは無表情ながら慌てた様子で駆け寄って来る。
「……来て」
短く淡々と告げられた二人は、そのまま駆け出すアシュナを追うように走り出す。
目的の方向とは真逆の南東に走り出したアシュナに追い付いた二人は、目の前に広がる光景に眼を疑う。
ファザール運河に流れていた滝壺が凍結し、凍り付いた岩に鋭く巨大な爪痕が刻まれーーモンスターの遺骨がそこら中に散乱していた。
「た、滝壺がっ!?」
フェルム山脈の入り口からは見えない滝壺だが、こんな目立つ変化が一体いつ起こったのか。
少なくともエルリア大使館を出た後だろう。
スヴェンが滝壺から視線を離すと、凍結した滝壺と遺骨の中に紛れるように、人間かどうかも判断が難しい凍結した肉片が散らばってることに気付く。
そしてその側には白い布地と破れた一つ目の紋様が散らばっていた。
「どうやら邪神教団もここでやられたらしいな」
「邪神教団は比較的どうでも良いけど、気を引き締めないとだね」
モンスターと人間、見境ない死骸と巨大な爪痕にスヴェンは生物の仕業だと断定し、
「ああ、既にこんな事をしでかしたヤツの縄張りに入ってんのは間違いねぇな」
二人に更に用心するように促した。
その後三人は急ぎ、その場所から離れ山頂に続く道に戻るのだった。