翌日の朝。吹雪は嘘の様に晴れスヴェン達は山小屋を後にしていた。
山道は昨日の吹雪で雪がスヴェンの膝下まで降り積もり、アシュナとミアの歩行に影響を及ぼす。
特に背が低いアシュナは歩く事さえままならない。だからスヴェンはガンバスターを右手に持ち、鞘をアシュナの背中に預け、鞘の代わりにアシュナを背負っていた。
「ん、悪くないけど……隠密ができない」
痕跡が多く残る雪道で幾ら気配を断つことに長けたアシュナでも、完全に痕跡を残すことは不可能に近い。
だが職務に誇りを持っているのか、背中を掴むアシュナの手が強く握り締められる。
「仕方ねえだろ、こんだけ雪が積もれば痕跡なんざ幾らでも残る。アンタの強味を活かせねぇ環境で無理に単独って訳にもいかねぇ」
「むぅ〜身長が欲しい」
普段無表情だが、身長を求める渇望の声にミアが小さくくすりと笑った。
「身長なんて成長期が来ると幾らでも伸びるよ。低身長の子が一年で10センチ以上も伸びるなんてことも有るからさ」
「……ほんと? 真っ平のミアが言っても説得力が無いよ」
まだ雪の影響か外は寒いが、明らかにアシュナの挑発的な台詞で空気が凍ったのは間違いない。
身体的特徴で起こる不毛な言い争いに付き合う気は無い。スヴェンは口にはしないが、歩く速度を早める。
ミアが何か言いたげな視線を向けて来るが、いつ何処で氷竜と遭遇するかも判らない状況だ。
彼女もそれを理解したのか、不満を呑み込み雪道に苦戦しながらも歩き続ける。
▽ ▽ ▽
険しい山道に加えて降り積もった雪に足を取られながらも休憩を挟みながら三人は山頂を目指す。
山小屋を出発してから実に十三時間が経過した頃、漸く山頂付近に到着しーー凛々しい氷角、白銀に凍を纏う鱗に覆われ、全身から冷気を放つ氷竜が悠然な佇まいで南に頭部を向けていた。
スヴェン達は岩陰に身を潜め、氷竜の様子を観察するが、
「人の子……竜王の匂いを纏いし異界の子よ」
氷竜はこちらの存在を認識した上で人語で語りかける。
同時にミアとアシュナから疑問の視線が問い掛ける。
竜王の匂い? それは一体どういうことだっと。別に隠しておくつもりは無かったが、説明する機会を逃したからつい話忘れていただけのこと。
スヴェンは二人と一頭の視線に諦めた様に肩を竦め、岩陰から出る。
同時にスヴェンは周辺に他者の気配が無いかどうか見渡した。
「警戒せずともこの場所にはそなたらしか居らん」
「なるほど。アンタが感じた匂いってのはコイツに竜王の竜血石が使用されてんだ、恐らくその影響だろうよ……あー何処で手に入れたとかは偶然の重なりってヤツだ」
苦しい言い訳だ。竜王の竜血石が簡単に市場に出回ることない。それはエルリアの住人のミアとアシュナがよく理解してることだ。
ただスヴェンの口から言えない事も有る。竜王が召喚契約者のレーナに黙って見極めに来たこと、それに繋がる情報を語るつもりは無い。
「道理で……しかし数多の血に塗れた異界の子、そなたが身に纏う臭いは悍ましい」
「俺は殺しを生業とする傭兵……金で雇われりゃあ何でもやる外道だ」
「なるほど、竜王がなぜ己の竜血石を授けたのか得心がいった。そなたは自身の業を自覚しておる」
他人に、ましてや竜に言われずとも傭兵という職業を続ければ嫌でも自覚する。
それは改めて他者に言われる事でも無いが、他者に指摘されることで改めて自身が誰かの大切なものを奪う存在だと再認識もできる。
ただ言えることは、自身の傭兵稼業が此処で悪影響を及ぼしレーナの目的を妨害させる訳にはいかない。
現に氷竜の鋭い眼が信用に足る人物か探りを入れている。単なる言葉で氷竜が納得するとも思えないが、
「俺を信用する必要はねぇ。アンタはエルリアの姫さんと竜王の判断を信じれば良い」
レーナと竜王の判断が正しいかったなどスヴェンにも、いまこの場に居る全員にも正しいとは断言できない。
正しいっと断言できるのは、はじめて魔王アルディアを救出した時だ。
「……竜種の王が決めたこと、その王を召喚で使役する召喚姫の決定にこの氷竜が意を唱えることなどできぬ」
「えっと、そもそもあなたの目的って何なんですか?」
「我の目的? 長年住んでいた棲み家も飽きた所、気紛れにこの地に来たに過ぎぬ。竜王の様に人の子に試練を与えることもせぬよ」
これも偶然の重なりで起きた邂逅とでも言うのか。間の悪い引越しタイミングにスヴェン達は白息を漏らす。
氷竜の影響でモンスターと邪神教団と遭遇することも無く、戦闘の手間暇を考えれば吹雪や雪道が些細な問題に思えてくる。
それに誰も欠けることなく山頂に辿り着けたのだ。氷竜に文句を言うのも違う気がする。
そもそも他人の引越しをとやかく言う権利はこの場の誰にも無い。
「う、うーん、戦いが避けられるなら別に良いけど……逆に邪神教団に不信感を抱かれないかな?」
フェルム山脈に向かった邪神教団の信徒は壊滅状態。そしてそこに各地から入信した誰とも分からない人物がフェルム山脈を超えて来たとなれば疑われる可能性の方が高い。
それにフェルム山脈の異変は既に邪神教団をはじめ魔族にも伝わっているだろう。
「……人の子よ、目的を聴いてもよいか?」
「邪神教団に扮してヴェルハイム魔聖国に潜入、その後魔王アルディア様の救出です」
簡潔に答えるミアに氷竜はヴェルハイム魔聖国に頭部を向ける。
釣られてスヴェンもそちらに視線を移せば、フェルム山脈から相当距離が在るにも関わらず、巨城都市エルデアがボヤけて見えた。
スヴェンはすかさずポーチから万眼鏡を取り出し、その場に伏せた状態で万眼鏡で覗き込む。
巨城都市へ至る街道、広大な牧場と農場。何処にでも居る信徒と労働作業に勤しむ魔族。
続いて巨城都市の下層部に位置する外壁の街に万眼鏡を滑らせーー武装した信徒と民家の窓から連中を睨む魔族、か。
外壁の町は邪神教団が我が物顔で跋扈し、その場所だけでも相当数の信徒が確認できる。
ーー此処からエルリアの国境線を観ることは難しいか。
想像以上に邪神教団の戦力が集っている。巨城都市に向かうにも遮蔽物が少ない街道を通るのは困難だ。
いくら変装してるとは言え、接触が多くなればなるほど存在を疑われる。
「潜入は困難を極めるが……それでも我は手を貸せぬ」
「なんで?」
アシュナの素朴な疑問に氷竜はヴェルハイム魔聖国の大地に広がる農場に視線を向けた。
「我が訪れる土地は凍る。動植物が育つあの場に被害を与えることは我とて不本意だ」
自身の存在がどれだけ天候や土地に悪影響を与えるのか。それを理解している氷竜は改めて協力もできないと語った。
仮に協力を得た所で、得られる利益よりも損害方が大きい。
それを理解したスヴェンは氷竜に何も言わず、山頂の山小屋と濃霧に覆われた北に顔を向けた。
「北は一面濃霧……誰か住んでるってことはねぇのか?」
「建国当初からずっと鎖国してるーーミスト帝国って国家が在るよ」
「濃霧の中に帝国……鎖国してんなら今は考える必要もねぇか」
邪神教団が大陸内の何処かに大掛かりな拠点が有ると踏んでいるが、鎖国しているミスト帝国はレーナの依頼次第で調べる価値は有る。
スヴェンはその件を頭の四隅に気に留めながら、
「どうやって巨城都市に潜入するか、あそこで話し合うか」
ミアと背中のアシュナに語り掛けた。
「それが良さそうだね。何処かに抜道とか有れば良いんだけど……」
「ん? 大抵の国は緊急避難通路が国内の何処かに隠されてる」
あの広大な牧場地から巨城都市に潜入する通路を捜すのも骨が折れそうだ。
そもそも魔族は仕事に勤しんでいるが、何処までが守護結界の範囲なのか。
スヴェンの浮かんだ疑問にミアが答える様に、ヴェルハイム魔聖国の空を見上げる。
「ヴェルハイム魔聖国の守護結界は国土全土を覆ってるんだ。だからモンスターを気にする必要は無いけど、アンノウンがちょっと気掛かりかも」
仲介業者が利用するアンノウン。確かに未だ正体不明の存在も気掛かりだが、邪神教団と取引関係に有るなら居城都市に居るかもしれない。
その件は魔王救出のついでに片付ければ御の字とも言えるだろう。
スヴェンが結論を出す中、氷竜が呻く。
「……我も引越し先を変えねばならぬな。何処人の住まぬ景色良き場所、海に面した土地は無いものか」
氷竜が望む場所と言えば一つしか思い当たらない。それはミアとアシュナも同じ様子で、ミアが氷竜に伝える。
「此処から西に海を飛んだ先に孤島諸島と呼ばれる誰も住んで無い土地が有りますよ……たまに人が調査に訪れることも有るかもしれませんが」
「ふむ、良い。人の子と言葉を交わすのも嫌いではない……では我は早速引っ越すとしよう!」
そう言って氷竜は翼を羽ばたかせ、空を舞い飛びーー音速で飛び去って行った。
氷竜の音速飛行が航海中のテオドール冒険団に困難を齎さなければ良いが、今は魔王救出に専念すべきだ。
「……竜って自由だね」
「どうなんだろう? 自由に好きな場所に移動できるけど、身に宿す魔力が環境に影響を与えることを考えると不憫なのかも。……や、そのクラスの竜種はそんなに多くは無いけどさ」
「あんなレベルの存在がゴロゴロ居たとなりゃあ、環境の変動も大変だろうよ」
スヴェンは飛び去った氷竜がフェルム山脈に刻んだ多大な影響にため息を吐き、やがて山頂の山小屋に足を運ぶ。
警戒心を宿したまま扉に手を掛ければ、先程までは感じられなかった数人の気配が漂う。